2001-01-21[n年前へ]
■ページ同士を誰もが自由にリンクできるブラウザーアシスタント
とても興味深い。が、自分自身のWEBサイトでリンク日記みたいなのを書いた方が良いような気もする。何はともあれ、Third Voiceという語感は2ちゃんねるという語感と少し似ていると思う。from Java FAQ (What's New)。(リンク)(リンク)
2002-01-21[n年前へ]
■DynaBook SS S4/275PNHW
RAMが256MBで、HDを30GBにした海外版Portege3490を使っている私には、全く魅力が無い。RAM最大512MBは魅力的(といっても、他機種に比べるとダメダメだが)だけど、それ以外が最低。困ったもんだなぁー。あとデカイナー。(リンク)
■3490その2
A2/580とNT系OSの組み合わせにおいてHDBENCHが期待されるべき数値の約半分しか出ない問題について、東芝PCダイヤルの回答。
ソフト側が高負荷処理の命令を出したことに対し、ACPIが動作周波数を一時的に落としてしまうために起きる。この現象は、NT系のACPIに特有の現象で、9x系では問題ない。
なんてこったい。 from FTOSHIBA
2003-01-21[n年前へ]
■PowerPoint2000 on Windows XPのナゾ
おエライさんへのプレゼンをしなけりゃイケナイというので、MPEG動画を埋め込んだPowerPointのファイルを作った。ところが、Windows XP上のPowerPoint2000では何故かPowerPoint上でMPEG動画ファイルが軒並み再生できないのである。MPEGのCODECもインストールしてあって、メディアプレーヤーでも再生できるのだけれど、PowerPoint上ではMPEG動画ファイルが再生できないのだ。他にも、動画を張り込んだときにファイルの場所を(動画ファイルは埋め込まれないらしいから)相対パスで埋め込むにはどうしたら良いのか、とか小さなナゾばかりなのである。
この手の動画埋め込みまくりのデータを本人所有以外のPCで動かすのには結構準備作業が多い、という辺りを理解していない人が多いのも困りものだったり、身だしなみチェックとか失礼になるから差し棒使っちゃダメよとか△○とか色々あるわけなのだけれど、気楽にボチボチとやるのである。
2004-01-21[n年前へ]
■Origamic Architecture and Escher
エッシャーの世界を折りたたみカードで。立体に飛び出す折り紙・切り紙が表現するエッシャーの世界。まさに折り紙の建築。
こんなカードは是非欲しいもの。
■「此処ではない何処か」
ずっと前に、休日に実験兼打ち合わせをしなくてはならないことがあった。そこで、私も含めて三人が実験室で落ち合うことになった。ところが、落ち合う時間近くになった頃、その内の一人の人から私に「ちょっと事故を起こしちゃったので遅れる」という電話があった。
その人が数年前に書いて、そして出版した本を去年ゆっくりと読んでいた。何故、ゆっくりだったかというと、読むのがなかなかに辛かったからだ。舞台もどの登場人物もそれが何処で誰のことだかよく判る妙に具体的な私小説だったからだ。しかも、その話の内容はといえば、本の帯をそのまま引用するなら、「許されない関係の恋」なのだったからなおさらだ。チラシの言葉を借りるなら、その本は「苦しさを宿として描いた恋愛小説」というのだから、それはもう読み辛いとしか言いようがなかった。
といっても、舞台や登場人物がいる世界は、私が少し眺めていた風景とは少し時間がずれていて、二年くらい時間が経過しているようだった。だから、私が知っていた世界とも少しずれているような感じだった。だけど、それがなおさら虚実の境もよく判らなくさせて(時折、全て事実でないかという気にも襲われたが)、なんとも妙に生々しく感じられて、さらに読みにくさを増していた。
そして、肝心の小説の出来はと言えば…、小説の本当に最後近くに「とってつけた」ように主人公が交通事故で死んでしまう。これが、後輩から借りた本ではなくて自分で買った本だったら、怒りのあまり壁に投げつけていたに違いない。恋愛話の収拾がつかなくなったから主人公を殺してハイ終わり、とそんな風に見える出来の小説だった。なんというか、虚実の世界共に収拾がつかなくなったようにしか見えない、そんなとんでもない結末の本だった。しかし、そんな交通事故で主人公がいきなり死んでしまうというあっけない結末を読むと、あることをふと思い出して、少しばかり考えこんでしまう。
休日に実験室で待ち合わせたその人は、結局その日は実験室には来ることができなかった。交差点でぶつかった交通事故の相手が病院で死んでしまったからだ。そんなことを思い出すと、間違いなく本の中の主人公は交通事故で死ぬ必要があったのだろうと思う。少なくとも、書き手にとってはそうでなくてはならなかったのだろう、と思う。
「実験室で待ち合わせることにしましょうか」という話をしなかったら、あんなことにはならなかったのだろうか、と考えたこともある。だから、とってつけたような安易な結末だけれども、この書き手はこんな風な結末をどうしても書かなきゃいけないという気持ちになったのだろう、とも鈍い痛みを伴いつつ思う。
時折、予想もしない辛いことも起きたりする。もしも、あの日実験室で何事もなく打ち合わせがあったなら、この小説はどんな結末だったのだろう。考えてもしょうがないことだけれど、そんな違う結末の本があったなら、そっちの本の方は少し読んでみたいような気がする。この本ではなくて、そういう現在であったなら結局書かれることもないだろう、その実在しない本の方を読んでみたい。
2005-01-21[n年前へ]
■立ちションアート
雪が積もった後に、立ち○ョンをして白い雪の上に文字を書いてみたり、何かの絵を描いてみたりしたことがないという男の人はいないだろう。そんな、立ちションで絵を描くことをアートとして表現してしまったのがPissoir。便器に小便が当たった奇跡をモニタに表示して眺めることができる(動画)。女性用のアタッチメントもあるので、女性でも立ちションアートを描くこともできる。 from ザイーガ
■東京駅
風邪をひいてぼんやりした頭のまま、講習会を終えた後にはBreeze of Tokyoへ。ここから見える夜景はこれまで見たことのある都会の夜景の中では一番の迫力かも。こんな夜景を前にして男二人で飲むというのは、良いような悪いような…。
新幹線もなんだかオモチャみたいに小さいし、海辺にある観覧車や東京タワーや六本木ヒルズや色んなものも小さく見える。だけど、東京駅のホームにいる人たちは一人一人をちゃんと数えることができるくらいによく見える。試しに、その人たちの数を数えてみると、(何番ホームかはわからないけれど)27人の人が立っている。
■無料になっているExpression
「手描き風の線も簡単に描くことができる」ドローソフトのCreature House Expressionがいつの間にかMicrosoftに買収され無料で配布されている、という「Expressionがフリー化されている」
2006-01-21[n年前へ]
■Lightbox JSで動画もWEB 2.0っぽく表示しよう
先日いじったLightbox JSをさらに少しいじり、動画に対応させてみました。例えば、右のアニメーションGIFの場合、画像をクリックすると、リンク先のQuicktimeフォーマットの動画をその場所でスムースに再生・表示する、というように動きます。つまりは、静止画と動画をほぼ同じような感覚で貼り付けることができるようにLightbox JSを改造してみた、というわけです。
とりあえず、Windows上のIE6, Firefox, OperaとMacOS X上のMozillaで「それっぽい動作」をするようです。 いまだに、「WEB 2.0」というものが何なのか全然わからない私なのですが、これが「Lightbox JSで動画もWEB 2.0っぽく表示する」という感じなんでしょうか? 頭の回転が早かったら、そういうことを理解できるんでしょうか…?
ちなみに、「マウスで掴んで物体をグリグリ動かすことができる」Quicktime VRを表示させてみると、「こんな感じになります(この文をクリックしてみて下さい)」 一例として、IE on Windowsで表示させてみた場合の画面表示結果を左に貼り付けておきます。
■「此処ではない何処か」
from リンク先。
時折、予想もしない辛いことも起きたりする。もしも、あの日実験室で何事もなく打ち合わせがあったなら、この小説はどんな結末だったのだろう。考えてもしょうがないことだけれど、そんな違う結末の本があったなら、そっちの本の方は少し読んでみたいような気がする。この本ではなくて、その実在しない本の方を読んでみたい。
2008-01-21[n年前へ]
■「水に濡れた白服が透ける理由」と「白色顔料の歴史」
「なぜ白い服は水に濡れるだけであんなにも透けるようになるのか考えてみた」という日記を読んだ。着目点は素晴らしいのだけれど、残念ながら正解には辿りつけていなかった。リンク先に書いてある考察通りであれば、正面から眺めた白服はスケスケの透明に見えてしまうことになる。しかし、現実にはそうではない。
まず、白服が透けずに「白色・照明光色」に見える理由は、白服を形作る「繊維」と「空気」の屈折率が異なることにより、白い服(を形作る繊維)の中に進入した光が散乱し、(その下に到達せずに)白服から出てくる光が多くなるからである。繊維と空気では、屈折率が1.5程度と1.0と大きく異なるため、繊維・空気の境界で光が反射・屈折を繰り返すのだ。
しかし、白い服が水に濡れたときには、状況が異なってくる。水の屈折率が1.3強であるため、繊維と水の間の屈折率差が小さくなり、繊維と空気の間で反射・屈折があまり生じなくなってくる。その結果、照明光が白い服をそのまま通過して、服の下に到達・反射した後に、また白い服を透けて外に出てくる…ということになる。
だから、屈折率が1.5程度であるサラダオイル、つまり繊維と同じ程度の屈折率の液体を白い服に振りかけてみれば、白い服がスケスケ透明服に大変身してしまうことになる。だから、そうなっては困る白い水着などでは、繊維を中空にすることで、水に水着が浸かっても繊維中に空気と繊維の境界が保持されることで光を散乱させたり、あるいは、水より屈折率がさらに高い白色顔料を繊維中に混ぜることで、光が繊維中で散乱するように工夫するのである。
ところで、たとえば油絵を考えたとき、顔料は油に包まれていることになる。青や赤といった「色をつけるための顔料」ならば、必ずしも顔料と油の間で反射・散乱などは生じなくても良い。それどころか、顔料と油の屈折率が近いほうが都合が良いことが多い。そこで、顔料を包み込む媒体として、(色顔料と同じ程度の)屈折率が高いものが徐々に使われるようになった。
しかし、白色顔料の立場から考えてみると、これはマズイ事態である。なにしろ、顔料と油の間で反射・散乱を繰り返さなければ、「白色」が生じないからである。そういうわけで、ずっと昔には屈折率1.5程度の白色顔料も使われていたが、現在では屈折率が2.7ほどもある酸化チタンなどが白色顔料として使われることが多い。
…というのが、「水に濡れた白服が透ける理由」から「白色顔料の歴史」も透けて見えてくる、という話である。ふと目にする色々なものは、すべて繋がっている…という、そんな話だ。残念ながら、水に濡れた白服を目にしたことはないのだが。
■「ちりとてちん」と「臭豆腐」
「ちりとてちん」に出てくる人物はみな小さい、せこい、しょうもない人間だ。落語に出てくる人間は皆そうだ。おかしな人間が一生懸命生きている。
徒然亭草々 「ちりとてちん」
少女マンガ風に話が流れるNHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」が、なかなか面白い。この「ちりとてちん」というタイトルは、暑い盛りに「腐った豆腐を情けない男に食べさせる落語」からとられている。この「ちりとてちん」に瓜二つな料理に「臭豆腐」というものがある。臭豆腐は、発酵汁に豆腐を漬け込んだものである。臭豆腐は、腐った豆腐ではないのだけれど、表面に薄緑色のカビが生えた豆腐状のものが強烈に「臭い」を放つ、というとんでもない食べ物である。以前、「料理の科学」を考えるために(通信販売で手に入れた臭豆腐を)食べたことがある。食べようとする瞬間に臭いだけでなく、食べたあともその匂いが意図せず鼻の奥に蘇る…という思わずポロリ涙がこぼれてくる「リアクション芸人養成ギブス」のような匂いだった。
情けなくてもええねん
苦い涙もええねん
ポロリこぼれてええねん
ちょっと休めばええねん
フッと笑えばええねん
意味が無くてもええねん
それでええねん
それだけでええねん
トータス松本 「ええねん」
2009-01-21[n年前へ]
■コロンビアは麻薬用作物からの所得をGDPに算入している
「スティグリッツ入門経済学 <第3版>」を読んで、意外かつ納得したのが、こんな一節だ。
不法な経済活動はGDPに算出されない。(中略)しかし不法な経済活動が主要な所得源泉となっている国についてはそうではないだろう。この場合には、そうした所得をGDPの一部として計算しないとなると、その経済を誤って理解することになるかもしれない。「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ」がとてもわかりやすかったのと同じように、この本も実に「全体を通した流れ」を納得しやすい。ぜひ、いつでも持ち歩くことができるような文庫本で出して欲しい。
(中略)
コロンビア政府は、不法な麻薬作物から得られた所得をGDPに算入するように計算方法を変えた。GDPの計算において麻薬用作物を合法的な作物と同じように取り扱うと、コロンビアのGDPは1%程度増加することになる。
2010-01-21[n年前へ]
■手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」 (初出:2006年01月15日)
コンピュータの液晶画面上を直接ペンで操作する「タブレットPC」は、とても直感的に使うことができます。例えば、アイコンをクリックしたければ、「そのアイコンをペンで触るだけ」です。もちろん、ウィンドーを動かしたければ、「そのウィンドーのタイトルバーをペンで触れ(つかみ)、そしてそのままペンを動かすだけ」です。そうすれば、ペン先にくっついたウィンドーが動くわけです。コンピュータ画面の中のさまざまな「モノ」を、まるで現実にあるもののように手(に持ったペン先)で操作することができます。
そんな風に、直感的に使うことができるタブレットPCならではのソフトウェアが「Physics Illustrator for Tablet PC」です。これは、ラクガキをすると、その描いたラクガキで「物理シミュレーション」をすることができるソフトウェアで、マイクロソフト・リサーチ(Microsoft Research)が公開しているものです(ちなみに、この Physics Illustrator for Tablet PC のソースコードは Microsoft Research のサイトで公開されています)。このソフトウェアがどういったものであるかは、研究紹介ページやデモンストレーション動画(WMVフォーマット 20MB)などを眺めてみれば、きっとわかると思います。ペンで「○」を描けば、それは自動的に「球(正確には円柱ですね)」に変身し、そして転がしたりすることができます。もちろん、壁を描いたりすることもできます。そして、バネを描いて、「壁」と「球」をバネでくっつけたりすることもできるのです。壁や球や全てのものに重力を与えたり、摩擦力や弾性を設定したり…などと色々遊ぶことができるのです。しかも、それが全部ラクガキで簡単にできるわけです。
ちなみに、右上の画像はそんなラクガキ物理シミュレーションの実効例です。「ピタゴラスイッチ」のカラクリ仕掛け「ピタゴラそうち」のようなものをラクガキで作ったサンプル・ファイルです。こういったラクガキ・シミュレーションで遊んでいるうちに、「車が凍結の坂道を登ることは難しいこと」や「四輪駆動の自動車が二輪駆動の自動車より上り坂に強いこと」などを直感的に理解することができるのです。実に楽しく、素晴らしいソフトウェアです。
このPhysics Illustrator for Tablet PCのインストーラは、残念ながらTablet PC上でしか動きません。ですから、Microsoftのサイトからダウンロードしてきても、Tablet PCユーザ以外はPhysics Illustrator for Tablet PCのインストールはできないのです…。しかし、実は"Physics Illustrator for Tablet PC"のアプリケーション自体は、通常のWindows XP上でも動作するのです…。ですから、もしもアプリケーション(及び付属ファイル)を探し出し、そしてダウンロードしてくることができれば(補足:リンク先にあるフォルダ内のファイルを全部コピーし、このインストールメモを参考にして下さい)、Tablet PC ユーザでなくても色々遊んでみることができるかもしれません(それに、ソースも公開されているわけですから、他OSだって何とかできるわけですし…)。というわけで、このソフトをもしもいじることができた人がいたならば、きっととても楽しめるだろう、と思います。
2012-01-21[n年前へ]
■エラー・ダイアログを吐いて休憩中の「公共システム」たち
PCが不調になり、意味不明の言葉が貼り付けられた「ダイアログ」を表示したまま、そのまま動かなくなってしまうことがよくあるものです。こういった「ダイアログ」を吐いたままシステムが「動かなくなる」のは、決して手元のPCだけ、というわけではありません。
羽田空港の一角で、壁に埋め込まれた巨大ディスプレイに「問題が生じたためPower Pointが終了しました」というダイアログが出ていました。
「珍しいこともあるものだ」と思ったのも束(つか)の間、よくよく周りを眺めてみれば「ダイアログを画面中央に”出現”させ停止しているディスプレイ」が結構あることに気づかされます。
たとえば、「両替レート」を映し出しているかに見えて実はエラーダイアログを表示したままの巨大ディスプレイ、そしてその近くではJavaアップデート関連のエラーダイアログを映し出している空港内の両替コーナーディスプレイ、HTTPエラー500番を表示したままのキャッシュディスペンサー、Windowsメッセンジャー関連のエラーを吐いたままウンともスンとも言わずに眠っている空港情報システム…。
24時間、休むこと無く働いているように見える公共システムも、よくよく眺めてみれば…実はスヤスヤ眠っていたりもするのです。働くばかりでなく・一休みしている「機械」を見ると、何だか人よりも人らしい、逆に言えば、人が機械より人らしくない、そんなように思えてきたりもするのです。
2013-01-21[n年前へ]
■iPhoneで作る「巨乳ビジョン-ライト」
iPhone用アプリ"Trimensional"は簡易3Dスキャナソフトです。画面に表示するパターンを変えることで、画面の近くにある物体に異なる方向から光を当てながら、その物体をフロントカメラで撮影し、カメラから見た物体の輝度分布が(物体表面の)法線分布に依存することを利用して、物体の三次元形状を推定するアプリケーションです。それはつまり、巨乳ビジョンLight(参考:オッパイ星人の力学 「胸の谷間」編)の動作原理と同じです。
…というわけで、今日はiPhoneを「巨乳ビジョン-ライト」にしてみました。画面を方向性を持つ複数のライトとして使うことで、胸の立体感を単純明快に浮き上がらせる…そんな巨乳ビジョンに、iPhoneを変身させてみました。
実験した限りでは、大き過ぎず・小さ過ぎず…ほどよい大きさのバスト(模型)が相手なら、iPhoneを巨乳ビジョンとして使うことができるようです。…これで、異星から迫り来るオッパイ星人が狙うだろう「地球の子羊(巨乳)」をいち早く見つけ出し・守ることができるかも。
2017-01-21[n年前へ]
■「入金」を意味する「チャージ」の歴史 第1話
現代の日本では、「入金する」ことを「チャージ」と表すことが多い。たとえば、何かを買ったり・使ったりすることができる権利や口座など、あるいは、そういう用途のカードに再入金を行うことを「チャージ」と表現することが多いように思う。
ところが、それを英語で表現しようとすると、それは「チャージ」ではない、というワナがある。「再入金する」ということを表すために、top-upとかadd valueとは言うけれど、chargeと言ってしまうと「課金する」「支払いを(さらに)求める」といった意味になってしまう。つまり、意味が逆になってしまう。
この「意味の逆転」が生じるに至った歴史・主要因として、まず一番疑いたくなるのがJR東日本が2001年から提供している乗車カード・電子マネーサービスであるSuica(スイカ)だ。それまでに、再入金できないプリペードカードはすでに広まっていたが、Suica(スイカ)は、再入金可能かつ広まったプリペードカードの先駆けだった。
その「Suica(スイカ)サービス開始」のプレスリリース、2001年9月4日にJR東日本が出したプレスリリースでは、カードに再入金をすることを「チャージ(ご入金)」と表現している。もっとも、この時代の日本では、入金=チャージという共通認識は確立されていなかったようで、「チャージ」には「チャージ:Suicaのイオカード部分に入金すること」という、注釈も付いている。今や「チャージ」という日本語に注釈が付くことは少ないが、この時代には注釈がまだ付いていた。ちなみに、イオカードというのは、SUICAカード以前に使われていた磁気式プリペイド乗車カード(に相当する機能)のことである。
もうじき20年近く前になる21世紀の初頭の日本、JR東日本が「なぜ、再入金することを表すために、チャージという言葉を選んだ経緯・理由」をJR東日本に(もしその経緯などを示す資料などあれば?と)問い合わせてみた。そして、JR東日本から頂いた回答は次のようになる。
明確な資料等はございませんが、Suicaにつきましては、従来の磁気式のイオカード等、使い切りの形ではなく、充電式の電池等のようにカードに再度入金をしていただくことで、1枚のカードを繰り返しご利用いただけることをお客さまにわかりやすくお伝えする趣旨で充電等を意味する「チャージ」の用語を用いております。なお、一部、わかりづらいというご意見がありましたので、宣伝物等のご案内については「入金(チャージ)」という表現を使用しております。
JR東日本
CHARGEの語源は、ラテン語の「荷車(carrus)」から、「荷を積む(carricare)」という意味が、古フランス語を経て、英語で使われるようになったものだ。荷を積むことは、負荷を掛けることであって、それは支払いを求める(責任や仕事の分担を求める)ことにも繋がるし、充電された状態にするための「負荷」を掛けることも意味する。この車に積む「荷」をプラスの(足す)作用を持つ存在と捉えるかマイナスの(引く)ものと考えるかが、2017年の日本語のチャージと英語のChargeの違いに繋がっているように思われる。
JR東日本が「チャージ」という言葉を選ぶに至った歴史の前ページ、そして、それ以外のエトセトラ…については、次にまたメモ書きしてみたいと思う。