2001-01-24[n年前へ]
■The right equation is not always right for left side.
一年間の英語研修も終わりに近づき、今は毎日レポートを宿題で一個書いて、それについての話を研修時間中にしている。といっても、レポートの内容はWEBに書いた記事を組み合わせ直して書いているだけだ。といっても、英語オンチな私には結構キツイ。しかし、話の展開によっては英語で書く方が楽だったりするのが面白いところである。ちなみに今日書いた話は、「Pandora's box + 掌の中の答え + Right Eye」。螺旋方程式はtwins equationということにして、その方程式の右辺と左辺の話にRightとLeftをからめた。 もし野田秀樹が英語で書いていたら、stageの左右も加わって素晴らしい世界を作るのだろうなぁ。
2002-01-24[n年前へ]
■Everything she does is magic.
ふと見かけたショーウィンドーで。空中浮揚をさせていた。(リンク)
■今日買ったDVD
Off Course 1982・6・30 - Concert in Budokan - 50 HK$ナリ。「今頃このビデオ(DVD)があるんだなぁ、日本でもないのに」とちょっと感慨にひたった。それにしても、もうちょうど20年前かぁ…。
で、今それを眺めてると、「言葉にできない」の「ひまわり」のシーンを見て、あの映画を見た頃を懐かしく思い出したりして。あれは、シネスイッチ銀座だったかな?
Off Courseは「もちろん」ではなく「道を外れて」か、そういえば。
■REPLAY
夜、大きくREPLAYという文字が描かれているバスを見かけた。何処かにあるデパートの広告のようだ。
それを見ながら、ふと考えた。世界の何処かに、REPLAYスイッチというものがあったとしたら、どうするだろう? 一体、どんな風にそのスイッチを押すだろうか?それとも、押さないだろうか?
そのスイッチを押すとしたら、他の誰かになりたいだろうか? …何回もREPLAYスイッチを押せるなら、そうするかもしれない。だけど、一回しか押せないのなら、他の誰かでリプレイしたいとは思わないような気がする。きっと、何時かの自分に戻ってもう一度だけREPLAYしたいと思うに違いない。だとすると、それは何時の自分だろう? リプレイすることで消える自分は一体どんな自分なのだろう?
…それにしても、こういうことを考えるたびに、そういうことを英語で全く完全に言えない自分が哀しいなぁ…。ひとまず、そういう自分にリプレイをかけるか…。
2004-01-24[n年前へ]
■「RTは安心を創造するか」
21世紀COEプログラム 第1回国際シンポジウム 「RTは安心を創造するか」 主催 21世紀COEプログラム 「超高齢社会における人とロボット技術の共生」 日時・場所 2004年2月7日(土) 13:00〜18:00 早稲田大学文学部38号館AV教室 懇親会 18:00〜20:00 文学部カフェテリア 講演者 ・Prof. Rodney A. Brooks (MIT) ・Prof. Paolo Dario (Sant'Anna) ・谷江 和雄 先生 (AIST) ・幸田 昭一 様(東京都福祉局) ・笠木 伸英 先生(東京大学) 参加費・懇親会費 無料 http://www.waseda.jp/prj-rt/
2005-01-24[n年前へ]
2006-01-24[n年前へ]
■「あなたが一番したいこと」
from mixi の 『他者の金儲けの途中でお金をとる「鵜飼い」業種』の原型.
これから、興味があること楽しいことが、たくさん見つかるのかもしれません。そんな「たくさんのもの」の中から、自分でどれを選んでいくんでしょうね?何が、「一番のお気に入り」になるんでしょうね?
うーん、「一番のお気に入り」って何でしょう? 私は多分、ずっと、その場その場で気に入ることをするのかもしれません。そして、もしも飽きたら、新しいところに行きたがるんだろうなぁ、と思っています。 どうでしょ?
私も「ずっと、その場その場で気に入ることをする」感じかもしれません。 自分が一番気に入ることを続けた結果、一番最後に浮かび上がってくるものは(今の自分自身には)まだよくわかりません。…けれど、もしかしたら、他の人から見れば、かすかに見えていたりするのかもしれません。
「浮かび上がってくるもの」は、「他人から見た自分」のような感じがしますね。それは、もしかしたら、死ぬまで自分では見えないかもしれない。 けれど、でもその「浮かび上がってくるもの」が、どのような気持ちで描かれているかとか、どうやって描いたのかを知っているのは自分だけ。 それは、不便なような、だけど、面白いような。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたらそれで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの 種ともこ@どこかの学園祭
2008-01-24[n年前へ]
2009-01-24[n年前へ]
■斎藤美奈子の「本の本」
本の本―書評集1994-2007 人はパンのみにて生きるにあらず、というけれど「生きることを支えるパン以外のもの」の一つが本だと思う。本を読んでいくことで感じること・得られることはとても多い。
本を読むことで得られるものはとても多いけれど、その一方、本自体の数もとても多い。だから、本屋や図書館でどの本手に取ろうか・・・と思い悩んでしまう。そんな時、誰かの書評があると、あまり悩まずにその本を手に取り読むことになる。
そういえば、私は斎藤美奈子の書評を頼りにして、そしてその書評を念頭に置きながら本を読むことが多い。
本を読む行為は基本的に孤独です。しかし、そこに一篇の書評が加わると、世界は何倍にも膨らみます。同じ本を読んだはずなのに、あまりの受け取り方の違いに驚いたり、その本の新しい価値を発見したり、ときには書評のおかげではじめて意味がわかったり。自分とは違う感覚で、自分よりも圧倒的に多い読書量にもとづいた書評は、自分の読書とは異なる見方を教えてくれる。確かに、書評は読書を立体的に眺めることを可能にしてくれる。
(中略)
もしこういってよければ、書評は「読書を立体的にする」のです。
斎藤美奈子 「本の本」
上に引用した文章は、斎藤美奈子の「本の本―書評集1994-2007」の最後に書かれた節だ。この本は単行本サイズなのに6cmの厚さを持っている。そして、厚さに比例したたくさんの本への書評が書かれている。それは、まるで、たくさんの本が詰まっていて、親切丁寧で、だけどサイズは小さな魅力的な図書館のようだ
2010-01-24[n年前へ]
■ビデオゲームの「歴史」と「文化」と「未来」の展示 (初出:2005年10月05日)
「Game On! ビデオゲームの歴史と文化と未来( The History, Culture and Future of Videogames )」という企画展が、いわゆる"シリコンバレー"の中心街であるサンノゼ市の技術革新博物館( The Tech Museum of Innovation )で9月30日から開催されていた。そこでは、各種ビデオゲームの歴史や、それを支えた技術・マーケッティング戦略、そして音楽やデザインの文化など、多岐にわたる内容が展示・解説されていて、これが信じられないくらいに素晴らしく面白かった。
たとえば、各種ビデオゲームの歴史では、(DEC PDP-1上で動作する)1962年に生まれたSpacewar!から始まり、膨大な数のアーケードゲーム・TV(ビデオ)ゲーム・携帯ゲームが展示されている。そして、何より素晴らしいことに、(Spacewar!以外の)展示ゲームのほぼ全てを実際に自由にプレイして楽しむことができた。もちろん、ゲーム音楽を解説してる一角では、当然のように好きなゲーム音楽を自由に聴くことができるのである。
実際に私が懐かしくプレイしたゲームをいくつか挙げてみると、商用ビデオゲームの草分けのATARIのPONG、あるいはベクタスキャンのCRTを使って信じられないくらいのスピード感を実現していた懐かしの”STAR WARS”や、はたまた携帯型ゲームの草分けであるゲームウォッチ、もちろん日本中の喫茶店の景色を変えたSPACE INVADERSも…といったような具合だ。
実際のゲーム筐体を前に、こういった懐かしいゲームをしていると数時間くらいはあっという間にたってしまう。しかも、ゲームをするのにお金がいるわけではないから、それはつまりいくらでも楽しい時間がタダで過ごせる(ミュージアムの入場券は買う必要があるが)、ということになる。
日本の国立科学博物館でも、似たような「テレビゲームとデジタル科学展」という企画展が開催されたことがある。。しかし、そこでは古いゲームマシンは展示ケースの中にただ並べられているだけだった。それは、実際のところ「面白くて楽しかったとは言い難い」ものだった。
しかし、この展示会は違った。「過去40年から100以上のゲームを展示し実際に遊ばせ、そしてゲームがどうやって作り上げられていくかを見せる」という謳い文句を確かにそのまま体験することができたのだ。Game On!のような形態のイベントを、日本でも開いて欲しいと切実に願う。
2011-01-24[n年前へ]
■「HDR写真」と「現実」
ハイダイナミックレンジ合成写真(HDR写真)は、とても不自然に見えます。そして、それと同時に、HDR写真からは一種独特の空気感を感じます。右の写真は、一年近く前に撮影したHDR写真です。水鉄砲を手にするこどもが遊ぶ横を、本物の銃弾を撃つことができる銃を持つ人たちが歩いていたりします。日が真上から差すこの時間には、大人は日陰で休んでいるので、通りの中心はまるでこどもたちが支配している世界であるかのようにも見えたりもします。戒厳令が出ている街とは思えない景色です。
HDR写真にしないと、日向と日陰とのコントラスト、陰と陽のコントラストを滑らかに映し出すことはできません。かといって、HDR写真にしてしまうと、現実味が欠けた景色にしか見えないのも、また事実です。
肌にまとわりつく熱い空気と折り合いをつけながら歩いていると、ビルの壁に張られた大きなドラえもんと目が合います。重要個所を守る警備員が本物の銃と共にドラえもん銃も持っているのを眺め、こどもやその家族が同じようにドラえもん水鉄砲を抱え遊ぶ姿を眺めていると、自分の目で眺める景色のコンストラスとが全然わからなくなります。そんなとき、目の前にある景色が、まるで、ハイダイナミックレンジ合成写真(HDR写真)であるかのように感じられたりもするのです。
2013-01-24[n年前へ]
■シュワルツネッガー・ファインマン…あの有名人(の顔)曲線を、検索エンジンWolfram Alphaで描いてみよう!
数式処理ソフトMathematicaの開発元であるWolframが提供している検索エンジンWolfram Alphaでは、「有名人(の顔)曲線」を眺めることができます。たとえば、 Albert Einstein curveと検索すると、アルバート・アインシュタインの顔をパラメータ曲線として描いたグラフ画像を眺めることができます。
今日は、そんな「有名人(の顔)曲線」の一覧を作ってみました。どの顔が「誰であるか」がわかるでしょうか?あるいは、どこかに隠れているはずの「アーノルド・シュワルツネッガー」を見つけ出すことができるでしょうか?
ちなみに、登場している人(曲線)たちは、Justin Bieber-like curve,Silvio Berlusconi curve,Wolf Blitzer curve,Charlie Chaplin curve,Anderson Cooper curve,Tom Cruise curve,Dalai Lama curve,Ellen DeGeneres curve,Paul Adrien Maurice Dirac curve,Albert Einstein curve,Richard Feynman curve,Bill Gates curve,Goethe curve,Che Guevara curve,Adolf Hitler curve,Angelina Jolie curve,Kim Jong Un curve,Lady Gaga curve,Jay Leno-like curve,David Letterman curve,Abraham Lincoln curve, curve,Marx-Engels-Lenin curve,Angela Merkel curve,Barack Obama curve,Barack Obama (with hair) curve,Conan O'Brien curve,PSY curve,Vlamidir Putin curve,Srinivas Ramanujan curve,Mitt Romney curve,Arnold Schwarzenegger curve,Josef Stalin curve,Stephen Wolfram curve,Howard Stern curve,John von Neumann curve,Oprah Winfrey curveといった具合です。そして、この画像群を作るためのMathematicaコードは
list = WolframAlpha["Person curve", "Result"]; result = Table[ a = (WolframAlpha[#, "PodCells"][[2]]) &@ (list[[#]]) & @@ {i}; Export["temp.jpg", a]; ImageCrop[Image@Import["temp.jpg"], {210, 210}, {Right, Bottom}] , {i, 1, Length@list}]といった具合です。
2014-01-24[n年前へ]
■慶長19年10月の大阪冬の陣の真っ最中…大阪城周りの橋を一筆書きで一周できるか!?
今日の「ケーニヒスベルクの橋渡り問題」は、(となりのトトロのモチーフ?)鶴巻温泉旅館「陣屋」で眺めた「慶長19年10月大阪城陣」です。 古地図をつらつら眺めてみると、大阪城はずいぶん海に近くて、その周りの辺りには水路が縦横無尽に走り回っていたんだなぁ…などと感じます。こういった川と橋が数多く存在する地図を見れば、「街を流れる川に架かる橋を、一筆書き状にすべて渡り、(どこでも良いから)スタート地点に戻ってくることができるか?」を考えてみたくなります。
というわけで、今日眺めたケーニヒスベルクの橋渡り問題「慶長19年10月の大阪冬の陣」です。…しかし、当時、大阪城を色んな陣営が取り囲み・睨み合う大阪冬の陣の真っ最中、何の意味もなく「一筆書きウォ≒-キング」をしていたら、あっという間に殺されてしまいそうです。
天才オイラーが解き明かした「バルト海沿いにあるロシアの街ケーニヒスベルクで、街を流れる川に架かる7つの橋を、一筆書き状にすべて渡り、(どこでも良いから)スタート地点に戻ってくることができるか?」という”ケーニヒスベルクの橋渡りの問題”」は、私たちが日々過ごす街にも溢れています。
ケーニヒスベルクの橋渡り問題
2020-01-24[n年前へ]
■『ステレオ撮影で切り取った「立体・質感情報」を、ブラウザやThe Looking Glassで リアルに豊かに表示する!』を誰でも読めるようにしました。
(普通基準を見失っていた)ソフトウェアデザイン'19年7月号『ステレオ撮影カメラで 「立体的で質感豊かな世界」を記録する!』…のさらに冷静さ無い続編『ステレオ撮影で切り取った「立体・質感情報」を、ブラウザやThe Looking Glassで リアルに豊かに表示する!』を誰でも読めるようにしました。