2002-02-09[n年前へ]
■海は青くて、波は白い
とてもキレイ。
2003-02-09[n年前へ]
■トンネルを抜ければ
トンネルを抜ければ、そこは一体何処だろう?とりあえずこの先に眺めた景色はアニメーションGIFで見ることができる。
念のため、雪道のトンネル出口の片手運転デジカメ撮影は危険なのでしない方が良い、と一言ここに書いておくのである。
■瞳を閉じて
昨日、諏訪湖の上を静かに動いていくボートを眺めて、松任谷由実の「瞳を閉じて」を思い出していた。海じゃないのに、何故か「風がやんだら、沖まで船を出そう」なんて鼻歌を歌っていた。そうしたら、夜にその曲がテレビで扱われていて、少し驚いた。こんな校歌も良いかもね。
2004-02-09[n年前へ]
■「人を楽にする作業」
「人を楽にする作業」って何だろう?「仕事」って何だろう?という話です。
この間も、いつもパートさんにして頂いている作業をAutoMouseで自動化しました。勝手にパソコンの画面の中でマウスが動いてキーボードを叩いてボタンをクリックする様をみながら、パートさんたちをまとめているマネージャーと一緒に、「私たちにとって、パートさんたちにとって、仕事って何なんだろうね。この作業が自動化されたのをみて、パートさんは喜ぶんだろうか、悲しくなるんだろうか」としみじみとしてしまったのでした。そんなことを思い出してしまいました。from Sさん。
「ただの単純作業は機械に任せて、人間は人間のセンスが必要な作業へ進んでいくんだろうな」とはもちろん思う。ただ、そういう新たな作業へ移行していくことを喜ぶ人もいるだろうけれど、そんな移行を辛く感じる人もきっといるだろうと思う。色んな人がいるのだから、新しい作業に適応していく人もいるだろうし、そうでない人もいるだろうと思う。それが、Sさんの「パートさんは喜ぶんだろうか、悲しくなるんだろうか」という疑問なんだろうか。
私よりも年をとっているかもしれないこのパートさんたちに向かって、「じゃぁ次は機械にはできない作業をして下さいね」とはとても言う気にはなれないです、ね。
人間は、決してあきらめてはならない「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック
■ビジュアルプログラミング
AutoMouseの元になっている「ビットマップに基づくビジュアル言語に関する研究」とか「ビットマップに基づくビジュアル言語」なんてとても面白い論文集。
2005-02-09[n年前へ]
■ノリモノランドおもしろ博物館
「手のひらに乗りそうなオートバイ」「エンジン付ローラースケート」「100万円ナリのポルシェ・スピードスター」「エンジンホッピング」「50ccのスーパーセブン」等々、面白そうなものがたくさん揃っている「ノリモノランドおもしろ博物館」
今買うことができて、ちょっとは使うこともできそうな「ファットボーイ」でも買ってみたい。
2006-02-09[n年前へ]
■「人を楽にする作業」
from n年前へ.
「私たちにとって、パートさんたちにとって、仕事って何なんだろうね。この作業が自動化されたのをみて、パートさんは喜ぶんだろうか、悲しくなるんだろうか」
人間は、決してあきらめてはならない「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック
2008-02-09[n年前へ]
■合成されたドコモ・コマーシャル「国境を越えて」
瑛太と蒼井優が、日本の駅やバス停のベンチで、オーストラリアの荒野を走る道の上から、あるいは、マレーシアの川を走る船に乗って、ケータイ越しに会話を続け、最後にパリの凱旋門前で運命的に出逢う、というストーリーのNTTドコモのコマーシャル「DoCoMo 2.0「国境を越えて」篇(ロングバージョン)」には、(ロケでなく)合成撮影も使われているという話が、鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」に書いてあった。CMのメイキングを見てみると、確かにニューヨーク・マンハッタンのビル屋上シーンなどで合成撮影をしていることがわかる。
ねぇ。…なのかな?
どうなんだろうね。
「最後にパリの凱旋門前で運命的に出逢うシーン」も合成撮影で作られていて、この出逢うシーンの撮影とケータイの会話の音録りが一番最初に行われており、瑛太と蒼井優が二人揃う共演はその初日が最初で最後だった、という。「最後に出逢う」シーンが、「最初に」合成撮影されていて、それが「最初で最後の一日」だった…ということを知ると、何だか少し面白い。
人に訊かれて、「たぶん」って答えた。
「たぶん」て何よ。
このコマーシャルを見ていると、その背後に「判断」とか「決定」とか「たぶん」とか、そして「運命」とか、…そんな言葉の流れが見えてくる。そんな言葉が地球の周りをグルグル電波に乗って回っている。コマーシャルは、社会を写している。
ねぇ運命って信じる?
たぶん。
また「たぶん」なんだ。
2009-02-09[n年前へ]
■「”もし”と”もしも”の違い」で「もしも明日が」を論理的に読み解く
「もし」と「もしも」は、似ている言葉だけれど、違う言葉だ。たとえば、新明解国語辞典 (第3版 )の頁をめくってみると、一番目にあるのは「もし:将来起こりうることのひとつを取りあげて言うことを表す」というものだ。それに対し、「もしも」をひくと「もしも:”もし”を強めて言う言葉。特に起こってはならないことを予測して言う言葉(もしもの事(=万が一の事。特に死)」とある。確率的に考えれば、「もし」の方が「もしも」よりもずっと可能性が高い、という具合である。
そんなことをしていた時、それなら、わらべが歌った「もしも明日が 」(下に貼り付けた動画)の歌詞の話になった。
もしも明日が 晴れならば… もしも明日が 雨ならば… もしも明日が 風ならば… もしも季節が 変わったら…この歌詞を素直に聞くなら、明日が万が一にも「晴れ」でもなければ「雨」でもないし、「風が吹くこと」もない。明日は必ず、「風なく雪が降る日」や「曇り日」なのだろうか。また、それと同時に、この歌の中では季節も変わることがない、のである。
だから、この歌の歌詞を素直に感じ取っていくと、「明日という日はない」という暗い言葉に聞こえてくる。「明日」という日がなければ、それは晴れにも雨にも風にもなりようがないわけである。そして、もちろん、季節も変わることがないということになる。
「もし」と「もしも」の意味の違いを考えてみると、「もしも明日が」という曲がいかに暗く切なく哀しい曲であるかが見えてくるような気がする。
「もしも明日が」は実に怖い曲なのである。
2010-02-09[n年前へ]
■「記憶の中の瞬間」と「スローモーション動画作成サービス」 (初出:2006年02月01日)
最近では、ビデオカメラを持っていることが普通になっているのでしょうか。
たとえば、結婚していて子供もいるなんていう方の場合、かなりの高い確率でビデオカメラがあったりするのかもしれません。生まれたばかりのお子さんが「小さな手を広げている姿」、「運動会でトラックを走っている勇姿」、そんな風景を撮影するために、ビデオカメラを買ったという方々ををよく見かけます。
少し前まで、といっても二十年近く前までは、「大事な一瞬をカメラで静止画として記録する」のが一般的でした。しかし、今は、動画記録可能なカメラも安く便利になっているために、「ちょっと良いなと思った景色を動画で記録する」ことも、ありふれた日常の1シーンになっているように思います。
それでも、(動画を記録する)ビデオカメラではなくて、一瞬を捉える静止画を撮影する(スティル)カメラを使い続ける人、動画より静止画を好む人も多いように感じます。そういった人たちがまだまだ存在し続ける理由は色々あるのでしょう。たとえば、そんな理由の一つがこんなことです。
それは、「一瞬ならともかく、ある程度の時間の”良い瞬間”を撮影するのは結構難しい」なんていう理由かもしれません。あるいは、「動画はデータ量が多くて扱いづらい」なんていう理由もあるかもしれません。…そして、理由の一つに、「人の記憶がそれほど”豊か”でない」ことがあるのではないか、と私は思うことがあります。
人の記憶の中では、「長い動画を保存しておく」ことはできなくて、せいぜい「一瞬の風景を記憶しておく」ことしかできないのではないか。だから、「長い動画」を見たとしても、記憶の中の景色とは一致させることはできないのではないだろうか。そして、「一瞬の画像」では、「今イチ感」もあるけれど、「一瞬の風景」の方が(動画よりも)むしろ記憶の中の景色と一致して「懐かしい感じ」を強く呼び起こすのではないだろうか?と思ったりするのです。
そんなことをふと思い出したキッカケは SONY BRAVIAのコマーシャル映像です。「サンフランシスコの坂の景色を背景に、数え切れない色とりどりのスーパーボールが弾み駆けていく、坂を跳ね降りていくスーパーボールや、一緒に飛び跳ねるカエル、建物の影からボールたちを振り返る男の子などが写されたスローモーション映像」を眺めたせいです。
ほんの一瞬の風景が「スローモーションの走馬燈のように長く見える景色」になる、それは「記憶の中の景色」と実に良く似ているのではないだろうか、と思ったわけです。「記憶の中の景色」は動いてはいるけれど、それは普通の「時間が普通の”速さ”で動いている動画」とは少し違って「”ほんの一瞬の時間”が長く引き延ばされたような動画」なのではないだろうか、と思ったのです。
だから、それはビデオカメラで撮影された動画よりも、まだ(静止画像を撮影する)スティルカメラによって記録された写真の方に近いのではないだろうか、とふと妄想をめぐらせてみたのです。だから、スティルカメラを好む人も多いのではないだろうか、と考えてみたのです。
だとしたら、「スローモーションの走馬燈のような景色」を撮影することができるビデオカメラがあったら、「記憶の中の景色」と同じような景色を撮影することができるかもしれません。つまりは、「高速度に風景を撮影し、それをゆっくりと再生することができる」高速度カメラがあったとしたら、記憶に忠実な景色を撮影することができるかもしれない、とふと思ったのです。…とはいえ、高速度カメラなんてそうそう買えたものではありません。安くても、普通は100万円くらいのお値段になってしまいます。それでは、そう簡単に買えるわけがありません…。
しかし、最近「普通のビデオカメラで撮影した動画や通常のビデオ動画などから、スローモーション動画を作る」というサービスを知りました。 例えば この動画(.wmv形式) から こんな品質のスローモーション動画(.wmv形式) を作成するようなサービスです。こんなサービスを使えば、値段が高い「高速度カメラ」を使わなくても、記憶に忠実な景色を再現することができるかもしれません。生まれたばかりのお子さんが「小さな手をゆっくりと広げていく瞬間」や、「お子さんが運動会で地面を蹴って走っている瞬間」のスローモーション動画を作成してみるのはいかがでしょうか。
もしかしたら、それはまさに「記憶の中の瞬間」と同じ景色になるのかもしれません。
2011-02-09[n年前へ]
■M&M'sチョコレートで絵を描く
「色んなチョコレートを量り売りする」という店を覗くと、女子学生たちが楽しそうに袋にチョコを詰め込んでいます。とても嬉しそうに選んでいますから、自分で食べるためのようにも思えますが、その熱心さを見ると、あるいは、人にあげるためなのかもしれません。
M&M'sのチョコレートコーナーに行くと、大きな透明ボトルの中にカラフルなチョコが詰まっています。「このチョコレートを使って大きな絵を描く」のが私の夢です。時間をかけてチョコレートを一個ずつ並べる、その途中で時にはチョコを少しかじりコーヒーを飲んで、最後には1つの大きな絵を描く、そんなことをしてみたいのです。
絵を描くのに「少なくともこれくらいは必要だろう」と思える量を見積もり、そして値段をレジで訊ねてみれば、「十万円は超えそう」という答えでした。・・・当たり前ですが、チョコレートで絵を描くのには、それなりの資金力が必要になる、というわけです。
M&M'sチョコレートで色鮮やかな絵を描いてみたり、マーブルチョコレートでパステル調の絵を描いたいものです。チョコレート向け画像処理、いつでもお引き受けいたします。いかがでしょうか、製菓会社さま。
2013-02-09[n年前へ]
■「エアロ」が売りな自転車は"空気抵抗(圧力)分布例"をカタログに載せて欲しい!?
「軽~い自転車が欲しい」と思ったりする時、「おいおい、自分の体重(脂肪)を減らす方が効率いいだろ?」という声が聞こえます。そしてまた、「一切ムダの無いエアロ形状」なんて謳った宣伝文句に目を奪われた時には、「自転車はエアロでも、そこにまたがってる”ボディ”がエアロじゃないから!」というツッコミが聞こえてきます。
数値計算フレームワークのOpenFOAMのチュートリアル、走るオートバイの空気抵抗を求めるサンプルを動かし、バイクの各部分が受けてる空気抵抗(圧力)を眺めてみると、空気にぶつかっていく先端部分に(空気抵抗は)ほぼ集中しているよなぁ…と感じさせられます。たとえば、上の画像はバイクや乗員が受ける圧力を色で示し、さらに空気が流れる流線を重ねたものですが、空気を切り裂く先端部分に圧力がほぼ集中していることがわかります。
「エアロ形状」を売りにする自転車などは、こんな"空気抵抗(圧力)分布例"をカタログに載せるといいのではないかと思います。そんなデータを眺めれば、自転車・乗員含めた上での「この風に・こんな程度(量)、空気抵抗が低減できているんですよ(こんな体型・姿勢の人ならね)」といったメリットがわかりやすくなるような気がします。あるいは、メリットがあまりなさそうであれば、買ってから後悔することも少なくなるように思います。
2015-02-09[n年前へ]
■実は(まるで左利きのような)少数派で不自然な「自転車の右側ブレーキ=前輪」セッティング!?
サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman's Wharf=漁師の波止場)に行くと、左利きの人たち用のモノを売るお店 Lefty's, the Left Hand Storeがあった。なるほど、たとえば、ほぼ全てのカメラのシャッターボタンが右側に位置しているように、多くの商品は右利き用に作られている。右利きの私は、その便を享受しているが、少なからずいる左利きの人たちは、もっと左利き用の商品もあったら良いのに…と思うに違いない。
Lefty'sを眺めつつ思い出したのが、米国で自転車を借りるとき、「左が前輪ブレーキで、右側が後輪ブレーキだ。英国から来た人が、間違えて、右側で急ブレーキを掛けて、大変なことになったからな」という説明を受けたことだ。売られている自転車のブレーキのセッティングが右側=前輪・左側=後輪なのは、英國や日本といった比較的少数の国で、他の多くの国では逆のセッティングになっている。
だから、(日本国内向けのみに製造されているものを除けば)世界市場を視野に作られている自転車は、右側ブレーキ=後輪・左側ブレーキ=前輪用に作られている。実際、普段乗ってる自転車を撮影してみると、本来の設計とは左右逆に取り回されたブレーキワイヤーが異常な曲がり方になってしまっている。たとえば、持ち手の左側ハンドル根元から出たブレーキワイヤーは、急激に曲がった後にフレーム本体の左側に回されているし、右側ハンドルの根元から出たブレーキワイヤーも前輪右側に急カーブを描いている。物理的には、不自然極まりないワイヤーの取り回しだ。
普段意識することはないけれど、日本で(世界向けに作られた)自転車に乗っているということは、右利き用製品を左利きの人たちが使うような状況だ。日常生活で身の周りにあるモノたちが、意識せずとも多数派だった自分たち向けに作られていることもあるが、実は少数派の自分たちが不自然な使い方をしていることもある。円グラフの「多数派」「少数派」どちらに自分がいるかを意識してみるのも、結構面白いものだ。