2001-03-22[n年前へ]
■種ともこ
「いっしょに、ね。」 「10円でゴメンね」のかっこよさといったら。
「みんな愛のせいね」 一種独特の雰囲気を感じるのは私の気のせいではないはず。このアルバムは、CDになって入れられた「お茶の間で Dance」はひとまず除いておいて、全体での雰囲気を楽しむのが良いかも。
「CheChe-ByeBye」 まるでベストアルバムのような一枚。「タイムドライバーは仮免」はどっかのサブタイトルでも使ったような?
「ベクトルのかなたで待ってて」 これもサブタイトルに使ったような?
「O-HA-YO」 「Triangle On The Pavement」の時間の浮遊感覚はとても哀しいかなぁ。
「うれしいひとこと」 ラストの「うれしいひとこと」は、矢野顕子の「ひとつだけ」と同じくらい名曲だと思うんだけどなぁ。
「感傷」 ちょっと飛ばして、このアルバムのラストの「はい、チーズ!」の最後を聴いているといつも泣きそうな気持ちになるのは私だけじゃないはず。(リンク)
2002-03-22[n年前へ]
■Photoshopでこんなことってできる?
「Photoshopでこんなことってできる?」とKさんから聞かれる。で、「2・3分待ってもらえたら、ちょちょいとそんなプラグインを作りますよ」
で、作った。「2・3分で作ることができた」理由は、…実はちょうどそれを包括する機能のプラグインを別の人から作るよう脅されて、昨日作っていたのだった。こういうことって多いような気がする。
2003-03-22[n年前へ]
■ウィルス感染速度も「ムーアの法則」に忠実
「一万台の端末がウィルスに感染するまでにかかる時間と端末数」というネットワークアソシエーツからのグラフ。
なんだか、「WEBの時間、サイトの寿命」をちょっと思い出すのである。「今日の必ずトクする一言」が休止してしまう今日この頃、「色んなムーアの法則」を考えてみたいものなのだ。
■ファミコンの謎の一つが今明らかに
色々なシミュレーターを見かけることもあるし、自分で作ることもある。が、このシミュレーションというかエミュレーションには「目から鱗」だったのである。というわけで、その「目から鱗」のエミュレーションがこの「ファミコン"カセットずらし"をエミュレートしてみる」
「電源が入ったままのファミコン本体からカセットを少しだけ引き抜いて、マリオを地中奥深くに落としたり、見えていないはずの金塊の場所が判ったり、ドラクエでまだ行ったことのない場所に移動できたり…」といったナゾの発生過程を実証したモノなのである。素晴らしいのだ。
■宮嶋茂樹 in バクダッド
テレビ中継にフリーカメラマン宮嶋茂樹というテロップと共に、不肖・宮嶋茂樹が登場していた。いや、勝谷誠彦が綴る本ではないから、カメラマン宮嶋茂樹と言った方が良いだろうか。ぜひぜひ、レンズの向こうの色んな景色を写し取ってきて欲しいものなのである。
■ウォーリーを探せ・インク・リフィル編
この中の一人はフランシス・ドレイクのような元海賊なのである。でもって、また違う一人は海賊対策の武器を作る武器職人であったこともあったりするのである。世の中は色々と微妙なのである。
■少しの失望
「渡米は安全上のリスクが高い」からって渡米せず、アカデミー賞の授賞式に出席しないって何だ…?ほんの少しでもいいから存在感を訴えていくことが後の何かに繋がっていくんじゃないだろうか、と思ってしまうのは素人考えなのだろうか?自分達だけでなくて、後に続く人達にも何か及ぼすモノがあると思うのは素人考えなのだろうか?
2004-03-22[n年前へ]
■「ポジティブな自分」と「ネガティブな自分」
補集合の補集合から連想し、「「社会学」の科学哲学」を読んでみた。
初めに、社会像の提示の仕方には、その論理形式に応じて二種類の方法論があることを確認しておこう。「何かである自分」がポジティブな提示による自分なら、「何かでない自分」はネガティブな提示による自分なのだろうか。そして、それが「何かになれる自分」や「何かになれない自分」などという提示なら、提示方法だけでなく内容的にもそのポジティブさだったりネガティブさはさらに増すに違いない【何かになれないおれカネゴン】。
まず、「社会とは・・・なものではない」という否定的表現による社会像の提示がある。つまり、明らかに現代社会的で「ない」社会を見つけることにより、現代社会をその「補集合」として言い表す、と言う方法である。
つまり「補集合」の「補集合」として−研究対象の社会像を浮かび上がらせるのである。
しかし、それは結局「否定の否定」という操作を行っている以上(このネガティブな提示は)トートロジー(同語反覆)であり、いったい「何が」現代社会的か、という疑問には答えるが、「何故」現代社会がそのような姿になっているのか、という疑問には答えない。
そこで次に求められるのは「社会とは・・・なものである」、という肯定的提示を行う「ポジティブな提示」であろう。しかし、それはネガティブな提示とは違い、一筋縄ではいかない。
つまり、社会とは「・・・なもの」として認識可能なものなのであろうか?社会は、ひょっとするとカント曰くの「物自体」や、ヴィトゲンシュタイン曰くの「語り得ぬもの」なのかもしれないのである。
そんな自分に少し迷ってしまうなら、いっそ「自分」を「他人でないもの」とネガティブな提示で表してしまうのも良いのだろう。そして、トートロジーの迷路の中で、果たして自分や他人が「語り得るもの」かどうか、右往左往しつつ迷ってみるのも一興だろうか。
と、一瞬迷いつつも、そんな自分は一言で「バカ」とカントもヴィトゲンシュタインも言い表してしまうに違いない、と何故だかポジティブに思い至る【たった二文字でおれカネゴン】。
2005-03-22[n年前へ]
2006-03-22[n年前へ]
■「自分の定義」
from n年前へ.
「何かである自分」がポジティブな提示による自分なら、「何かでない自分」はネガティブな提示による自分なのだろうか。そして、それが「何かになれる自分」や「何かになれない自分」などという提示なら、内容的にもポジティブさやネガティブさがさらに増すに違いない。
【何かになれないおれカネゴン】
そんな自分に少し迷ってしまうなら、いっそ「自分」を「他人でないもの」とネガティブな提示で表してしまうのも良いのだろう。そして、トートロジーの迷路の中で、果たして自分や他人が「語り得るもの」かどうか、右往左往しつつ迷ってみるのも一興かもしれない。
と、考えているうちに、カントもヴィトゲンシュタインもそんな自分を「バカ」と一言で言い表してしまうに違いない、と何故かポジティブに思い至る。
【たった二文字でおれカネゴン】
2008-03-22[n年前へ]
■JRチケットの磁気データを眺めてみる
ICカード化されているSUICAなどと違って、通常のJR切符などは、裏面の磁気データで管理されている。右に貼り付けたのは、JRの切符ではなくて領収書だけれど、基本的には通常のJR切符も、同じサイズであるし、同じような仕組みになっていると思う。
このJRが発行したチケットの裏面に書き込まれている磁気データを、磁気微粒子粉末で可視化して、2次元画像に変換してみたものが下に貼り付けた画像である。上下4行づつ、計8行の磁気データが書き込まれていることがわかる。この磁気データを眺めた時、興味深く・面白いことは、チケットの中心を軸にして、線対称に上4列と下4列に対して同じデータが書き込まれているように見えることである。
逆に言えば、磁気データは本来4列ですむのに、それを上下部分に同じように書き込まれているように見えるのである。これは、「磁気読み取りヘッド数を減らしつつカードリーダにチケットをどの向き(もちろん長短辺は一致している必要があるが)で挿入しても大丈夫なようにするために、そのような設計になっている」のだろうか。それとも、そんな単純な理由ではなくて、もっと複雑な理由によるものだろうか。
日常生活を支えているシステムはたくさんあるけれど、それらが動いている仕組みがちゃんとわかるものは、ほとんどないように思える。そういったシステムの裏側をミステリの謎解きのように想像してみるのも、結構楽しい。
2009-03-22[n年前へ]
■デジタルがアナログに追いつく日
こう言うと「冗談」だと思われることも多いのですが、私はコンピュータを扱うのが本当に苦手です。何か資料を作るときは、ハサミと糊でマニュアリー(手作業)でコピー・ペーストをしながら、仕上げることが多いくらいです。
先日書いた「論理的にプレゼンする技術 」の特長はとてもイラストが使われていることです。そのイラスト・イメージは、駅中の喫茶店で、いつも持ち歩いている小さなホワイトボードに絵を描きながら「イメージ」を編集者に伝えました。「こういうことを伝えたい」という絵をホワイトボードに描き、そして、それをケータイで撮影して記録していくのです。
そんな携帯用ホワイトボードに描いた、ラクガキの例が下の画像です(あるいは、さらにその下に小さく張り付けたような「まとめ」用イラスト例になります)。本書のページを本屋で手にとって、一枚一枚めくってみれば、こんな稚拙なラクガキを元に綺麗に・わかりやすく描き直されたイラストを、必ずどこかに見つけることができるはずです。
ところで、手書きで「言いたいこと」を描くよりも、コンピュータを使って資料を作る方がずっと時間がかかるように思います。しかも、プレゼンテーション・ソフトウェアで図を作ったりした日には、「考えていること・言いたいこと」がメリハリがつかなくなり、わかりにくい資料になってしまうことが多いようにすら思うのです。不思議なような気もしますが、そう私は感じています。
デジタルがアナログに追いつく日は、まだまだ来ないのではないでしょうか。それは、単に「私が追い付いていない」だけなのかもしれません。けれど、やはり、デジタルがアナログに追いつく日は、まだまだ来ないのではないか、と思うのです。
2010-03-22[n年前へ]
■「Mathematica からRuby on Railsのモデルを使う」のメモ
以前、「Mathematica からRuby on Railsのモデルを使う」でメモした、Mathematica User Conference 2009の資料、 Using Ruby on Rails Models with Mathematicaの内容を簡単にメモ書きしたので、ここに書いて(貼り付けて)おきます。
この資料は、大きく分けて次の4つの内容からなります。
- Rubyの紹介
- Ruby on Railsの紹介
- Mathematicaから直接SQLデータベースにアクセスする実践例 1つと、Ruby on RailsのActive RecordをMathematicaから使う実践例2つ
- MathematicaからRailsアプリで作成したWEB APIにアクセスする実践例1つ
ちなみに、1の例は、RubyスクリプトからActive Recordを使い、中間ファイルを作り、そのファイルを介してMathematicaでActive recordモデルのデータを読み込む例で、3の例は中間ファイル無しに(けれど、原理的には1と同じやり方でSQLサーバ内のARモデルにアクセスするものです。
データを管理するのはSQLサーバで、(そのデータに対して)演算処理を行うのはMathematicという役割分担、そんな処理分担を使って作業してみたい人は、特に「そんなことをしてみたいけれど、よくやり方がわからない人」は一回眺めてみると良いと思います。とても、わかりやすい資料で、「技術紹介資料は、かくあるべし」とすら感じさせる資料です。とはいえ、この資料を楽しめるのは、MathematicaもRubyもRailsも、そのいずれをも少しはかじったことがある人に限られるのかもしれません。
こういう資料を眺めていると、この実践例は、MathematicaからRuby on Railsのactive Record モデルのデータを使う場合ですが、その逆に、Ruby on Railsのactive Record モデルにMathematicaの機能をメソッドとして実装した実践例も作りたくなりますね。
2011-03-22[n年前へ]
■カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法!?
紙カップにコーヒーが注ぎ込まれるタイプの自動販売機、いわゆるカップ自販機でコーヒーを飲もうとして、思わず考込んでしまいました。何に悩んでしまったかと言うと…コーヒー自販機にありがちな「濃い(濃くする)」とか「薄い(薄くする)」というボタンは「一体どんなことをしてくれるのだろうか?」と悩んでしまったからです。
その悩みを言い換えるならば、こんな疑問になります。つまり、自販機のボタンを押して「目一杯濃いコーヒーにした」時と、「薄〜いコーヒーにした」時と、紙カップに注がれるコーヒーの量は一体どうなっているのか?という疑問です。
たとえば、ひとつの答えは「使うコーヒーのエッセンスが同じ量なので、濃くすると、液体の量としては少なくなるし、薄くすると液体の量は多くなる」といったものです。そして、それと異なる答えは「濃くしても・薄くしても、紙カップに注がれるコーヒーの量は同じ」といった具合になりそうです。
というわけで、今日は「濃い」「薄い」ボタンを連打して、「目一杯濃くしたコーヒー」と「限りなく薄くしたコーヒー」を買ってみたのです。そして、紙カップに注がれたコーヒーの量を量ってみるという実験をした結果が右の写真です。
これは、「紙カップのどこまでコーヒーで満たされているか」「コーヒーが紙カップのどこまで注がれたか」を薄いコーヒー(左)と濃いコーヒー(右)で比べてみた結果です(左:一番薄くなるようにボタンを押して設定したコーヒー、右:一番濃くなるようにボタンを押して設定したコーヒー)。
少なくとも、今日実験したコカ・コーラの紙カップコーヒー自動販売機では、濃くしても・薄くしても、驚くほど正確に「同じ体積のコーヒー」が注がれていたのです。…ということは、たとえばあなたが薄味のアメリカン・コーヒーを飲みたかったとしたならば、あなたにとって『カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法』はこんな具合です。
1.目一杯「濃い」ボタンを連打して、一番濃いコーヒーを注文する
2.紙カップに注がれたコーヒーにお湯を注いで、増量された「アメリカン・コーヒー」を作り出す
なぜかと言えば、それはもちろん「濃くしても・薄くしても、紙カップに注がれるコーヒー液体の体積は同じだからです。だとすれば、コーヒーのエッセンスが密度高く入っている方を選び、濃いコーヒーが好きならばそのままで・薄くしたければお湯でさらに割る」という注文が一番お得、ということになるわけです。
今日のコーヒー好きな方に送る実験結果は、70円のコーヒー×2杯=140円ナリの予算でお送りする『カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法』です。
2012-03-22[n年前へ]
■「”クジが見える”よっちゃんイカ」と「”クジが見えない”チョコバット」の違い
「くじ付 チョコバット」のクジ印刷を調べてみた。チョコレート駄菓子のチョコバットは、ビニール包装の裏の「チョコバット」の「ト」の文字右上部に、クジが印刷されている。そこにホームランとかヒットとかハズレ…と書いてある。
まずは印刷を顕微鏡で眺めてみた。すると、包装外側の最下部にオレンジ色の中間調で「クジ」印刷がなされ、その上が白で塗られ、さらに黒など他色の印刷がされている。内側からは、印刷された「クジ」は何の苦労も無く見えるけれど、外側からは全く見えないという仕組みになっている。
よっちゃんイカのアタリ・ハズレは内側に光が入るようにしてやると外側から見ることができる(参考:(参考:よっちゃんイカのアタリ・ハズレを袋を開けずに見る方法 )。しかし、チョコバットは、包装の内側から光を当ててみても、クジ印刷は全くといって良いほどに見ることができない。
クジを外側から見ることができる「よっちゃんイカ」と、外側から見ることができない「チョコバット」の違いは、クジ印刷の仕方である。よっちゃんイカは白色印刷自体で「クジ」を印刷し、チョコバットは(白色印刷部をクジ印刷には使わず)クジの文字を印刷するためにさらに一色増やしている…という違いが、「”見える”よっちゃんイカ」と「”見えない”チョコバット」という違いを生んでいる。…クジ印刷も、追いかけていくと意外に深く面白いものかもしれない。
2013-03-22[n年前へ]
■心惹かれる「アスキー女性編集者の平均顔」
3月23日発売のアスキーPC 5月号が届きました。この号に掲載されている記事(「ぐるぐるサイエンス」)中で、「アスキー女性編集者の平均顔」を作り・眺めました。…その顔が、ひどく心惹く面立ちなのです。「平均顔」ということは、実際には「そんな顔の人は、実際にはどこにも存在しない人」です。まるで、おおた慶文のイラストレーションのような「ドングリまなこの女の子」…どこかにいそうでいて、けれどどこにもいないような漢字の…柔らかそうでいて・けれど内心とても気が強そうな…何だかひどく魅力ある顔立ちです。
この顔を眺めたくなったら、アスキーに行ってみると良いかもしれません。もちろん、実際には存在しない人ですから、頭の中で平均合成する必要があります。
…けれど、やはり何だか魅力的ですよね。
2015-03-22[n年前へ]
■「迷路」を画像処理ソフトで解いてみよう!…の理屈とは!?
「迷路」を簡単に画像処理ソフトで解くことができるよ!(Solving maze using Photoshop, Gimp, Paint or any other software)という話題がありました。画像処理ソフトで、領域選択を2回するだけで、迷路を正しく通り抜けるコースが浮かび上がってくる…というものです。
この「迷路」を画像処理ソフトで解く仕組みが一体どういうことかというと、それはおよそこんな具合です。もしも、解かなければいけない迷路が「壁に片手をつけて壁に沿って歩いて行けば、いつかゴールに辿り着くことができる」タイプの迷路なら、「スタートからゴールまでの壁は、”右手に位置する壁”と”左手にある壁”の2つの壁しかない」ということになります。そこで、画像処理ソフトの領域選択機能で、スタートとゴールの間にある壁を「右手」「左手」の2種類として塗りつぶしてやれば、迷路を十輪受けることができるコースが色で浮かび上がってくる…というわけです。
2016-03-22[n年前へ]
■続:北風が吹く初春には、秋葉原愛三ビル前交差点辺りがスカートがめくれやすい危険地帯です!?
北風が吹く初春には、秋葉原愛三ビル前交差点辺りがスカートがめくれやすい危険地帯です!? で行った秋葉原の街中に吹く風の流れを計算した結果を、同じ視点から・同じ構図で見たGoogle Earth(Google Map)の実写画像に重ね合わせてみました。実写風景に重ね合わせながら、コンピュータの中で計算された風の動きを眺めてみると、風の気持ちや心の動き…ならぬ流体の動きが一目瞭然に見えてきて、面白いものです。
そして、下記のような質問メールの状況における、「危険地帯」が見えてくるような気がします。
数ヶ月に一度くらい「スカートがめくれやすい場所や日時を教えて下さい」とTV番組の(しかもまだ企画中の)ディレクタさんからメールが届いたりします。…そんな時のFAQとして、今日は、日本が誇る電脳都市である秋葉原を例にして、その回答例を書いてみることにします。
北風が吹く初春には、秋葉原愛三ビル前交差点辺りがスカートがめくれやすい危険地帯です!?
こんなふうに、見慣れた街並みの日常風景に(秋葉原を見慣れてる…のは一般的ではないのかもしれませんが)、直接それを見ることはできないけれど・間接的にしかその存在を知ることができないようなものを、実際に眺めることができるようにしてみると、少し新鮮に感じます。
さまざまな現象をリアルタイムにセンシングして、その計測結果を使ってリアルタイム物理計算を行い、そのシミュレーション結果を実写に重ね合わせつつ表示してくれるVR/AR/MR的な電脳メガネは…あと何年くらい待てば手に入るのだろう?と考えたりします。