hirax.net::inside out::04月22日

2001-04-22[n年前へ]

今日のメモ カノン・コード

 こんなCanon Codeは良いのだけれどね。(リンク

北山 修

 この間の話は間違いで、所属大学は九州大学教育学部でした。ただ、東京近辺でも講演会はあるようですね。知らない人のために書いておくと、元フォーク・クルセダーズ。(リンク

先週発掘されたもの オルゴールの箱に入れたもの

 これはずっと昔に「夜にちょっと考えごとをしながら散歩をする感じ」で作ったもの。作った時のメモをみると曲の仮タイトルは「夜歩く」になってるけど、ディクスン・カーじゃないのにね。
 ところで、こんなオルゴールの箱をそっと開けてみると何が入っているのかな…(リンク

2002-04-22[n年前へ]

扁桃腺炎

 早朝会社へ行った後、やっぱりシンドイので休む。朝、ビックリするくらい膿が扁桃腺から噴出しビックリ。夕方、病院で「もっと早く来い」と怒られつつ、吸入器とマウスツーマウス・コースへ。で、その吸入器にはでっかく"MIDORI ANZEN"書いてある。ホントにこれ安全だろか?どうも大暴れしそうな名前なんだよなー。(リンク

2003-04-22[n年前へ]

下ネタ無しで

 某高等専門学校で一年生を相手に「科学を好きになるような」90分間の授業をするという話が。しかし、「下ネタは困る」という指定アリ…。それだと喋ることがなかったりして…。
 あと、「できるかな?」ネタは基本的に高校上級生から大学生以降の知識前提だったりするし、教育ママゴンもいるしなぁ…。
 いや、もちろん「知識前提」ではないけれど、だけどやっぱり「知識前提」かも…。ヤング率のオチなんて、その前提知識がなけりゃ単なるシモネタになっちゃうし…。いや、あってもそうかもしれないけれど…。
 高校一年生だと中学の知識だけをベースにして話をしなけりゃいけないもんなー。

2004-04-22[n年前へ]

偽善者度診断

 偽善者度診断をやってみる。半分をほんの少し越えるくらいの偽善者と診断になる。それはほとんど、私の行動の半分が「善」で半分が「偽善」ということだろうか。なんだか、とてもそんな自分がイヤになる。

【あなたは 51 % 〜です】あなたは少しいい人のふりをしています。あなたは若干疑い深い性質なので、見えない他人の心の中が気になって仕方がないのです。人に裏切られた苦い経験があなたをそんな風にさせたのかもしれません。他人の前で偽りの自分を演じて、時々自己嫌悪に陥ることがあります。もう少し自分の欠点を他人の前にさらけ出すことができれば、とても生きやすくなるはずです。どうぞがんばって下さい。

 ところで、もしもいつも真実を言う人がいたならば、とても信頼できる人だろう。あるいは、いつも真実を言わない人がいたならば、それまた信頼できる人に違いない。半分真実を言い半分嘘を言う、それが一番困ってしまう。そんな相手をどう信じたらよいのだろうか。その判断は、いつも二択のサイコロになってしまい、信頼性がまるでおけなかったりするかもしれない。

 「真実」も「嘘」も、あるいは、「善」も「偽善」も等確率であれば、それはシャノンが定義するエントロピーが最大であるということになるだろうか。どんな状況で「真実」もしくは「善」を吐き、どんなものに対して「嘘」もしくは「偽善」を吐くのか、そんな情報は確かに「その人」を表す情報量に違いない。もしかしたら、それこそが「その人となり」なのかもしれない。そして、人間はエントロピーを減少させる存在だとも言われるが、実はやはりエントロピーを最大にしようとしてしまっているの可能性もある。さらに、それこそが人間なのかもしれない。

 であるとするならば、いつも「真実」「善」もしくはいつも「嘘」「偽善」の人間がいたならば、その人に対する情報量はいつもゼロになってしまうのかもしれない。そう考えてみるならば、「偽善者度診断」はあなたの人間情報量診断としても使うことができる。人間は決して「善人」ではないのだから、人間としての情報量が多いということは、決して良いことではないのだけれど。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩くここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもないいい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない
from KLaxon - O.P. on HATENA

『囚人である』 ことと 『オフィスで働く』 ことの違い

 日本とは少し違うかもしれないけれど、の『囚人である』 ことと 『オフィスで働く』 ことの違い

2005-04-22[n年前へ]

「修正できない」という前向きの感覚

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 ライブを止めてスタジオ録音だけをするようになったことで解散したバンドの例をひきながら、

まさかミスしないだろうと思う所で人間はミスするのです。で、相手を責めているうちに自分もミスをして、結果、お互いはお互いのミスを受け入れ、そして、それはつまり、相手の存在を受け入れることになります。そして、自分を受け入れるのです。
 「WEB」上の、掲示板やBlogやWEB日記や色んなものを「スタジオ録音 <- -> ライブ」軸に並べてみるのも良いかも。

元気になれる「おいピータン!!」

Kiss on Line:インタビュー 主人公(という割にはいつもいるわけでもないのだが)がとても格好いい(見てくれはデブ・ハゲ・メガネだけれど…)、おいピータン!!をコミックで読んでみる。(読んだことがなかった)最初の頃のコミックを読んでみると、少し意外なことに内田春菊っぽい内容だ。で、ほんの少し けらえいこ。本当はもっと けらえいこ なのかもしれないけれど、そういう部分を私が読み飛ばし気味なのかもしれない。
 内田春菊のマンガから「主人公の(女性の)強さ」を少し抜き、その代わりに「大森さんの強さ?」でを足すことで、「人生が思うようになってない」と思う登場人物たちの弱った気持ちに元気をつける感じが おいピータン!! ちょっとお勧め。

PHaTPHOTOピンホールカメラ付録

 PHaTPHOTOピンホールカメラ付録.

2006-04-22[n年前へ]

livedoor Reader

livedoorへようこそ WWWCからlivedoor Readerに乗り換えた。乗り換えた理由は、記事を打ち留めておく「ピン」機能がとても便利そうだったことと、Geekだけでなく私のようなオールドタイプにも気持ちよく使えそうだからだ。
 気になった記事に印を付けておく「ピン」機能はソーシャル・ブックマーク・サービスも兼ねているんだろう、と勝手に思いこんでいた。だから、たくさんピン付けをし、後でじっくり読もうと考えSleipnirを閉じだ。しばらくしてから、Sleipnirを立ち上げ直してピン情報がサーバで保存されていないことに気づいた。…うぅ。ピンを打ったページどこだっけ…。

Open source GPS

 「GPSの受信機をオープンソースで作ろう・そのための勉強をしてみよう」という話が書かれたOpen source GPS.

2008-04-22[n年前へ]

桜が散っている小さな神社の景色を描く

 「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」と同じようにして、桜がずっと散り続けている小さな神社を描いてみる。そんな古い道沿いの景色をなぞってみる。

2009-04-22[n年前へ]

コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」

 「異文化コミュニケーション」という研修を受けたことがある。その時、自分自身がどのような考え方をし・どのように判断・行動するタイプであるか、また、自分の周囲は平均的にどのような集団か、日本は他諸国は…というようなことを診断シートから判断してみたり、参加型の実習を通して学んだりした。

 いくつもの面白く、かつ、納得させられることを教えられたが、コミュニケーションで「言葉自体が占める割合・重要性」「コンテクスト(背景・文脈など)に依存する割合」を考えた、「低コンテクスト文化」と「高コンテクスト文化」という2つの文化の違いについても、実に興味深いことのひとつだった。(エドワード・T. ホール著「文化を超えて 」や「沈黙のことば 」参照のこと)

 もちろん、実際にはそのふたつの文化に2極化するわけでなく、その2つの文化の中間的な場所のどこかに自分、あるいは他者はいるわけである。ちなみに、「高コンテキスト文化」から「低コンテキスト文化」まで、高コンテキスト順に(つまり、高コンテキスト→低コンテキストという順番で)各国を並べると、以下のようになる。

  1. 日本
  2. 韓国
  3. サウジアラビア
  4. 中国
  5. インドネシア
  6. タイ
  7. フランス
  8. イタリア
  9. イギリス
  10. チェコ
  11. アメリカ
  12. オランダ
  13. ドイツ
  14. スイス

 比較として、「言葉」を重要視するのが、低コンテキスト文化であるから、低コンテキスト文化では”説明責任”が重視される。すなわち、コミュニケーションでは「話し手(書き手)/聞き手(読み手)」のうち、話し手(書き手)の責任が大きい。その逆に、状況(文脈)の中で「コミュニケーション・理解」が行われる高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)が責任を負う。この違いは、とても大きく、とても重要だ。

 たとえば日本のような高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)は話し手(書き手)の言わんとするメッセージを(言葉・表現に曖昧さが多くとも)解釈しなければならない。逆に、低コンテキスト文化では、誰もが理解できるようにメッセージを話し手(書き手)が明確なメッセージ・言葉を話し(書き)、伝える必要がある。

 自分は、コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」で、どこに属しているか考えてみると面白いと思う。中には、自分が話し手(書き手)の場合には「高コンテキスト文化」=相手に内容を読み取る責任があると考え、自分が聞き手(読み手)の場合には「低コンテキスト文化」=相手に逐一説明する責任がある、という、トンデモ的コンテキスト文化に属していたりするかもしれない。