2001-04-22[n年前へ]
■先週発掘されたもの オルゴールの箱に入れたもの
これはずっと昔に「夜にちょっと考えごとをしながら散歩をする感じ」で作ったもの。作った時のメモをみると曲の仮タイトルは「夜歩く」になってるけど、ディクスン・カーじゃないのにね。
ところで、こんなオルゴールの箱をそっと開けてみると何が入っているのかな…(リンク)
■今日のメモ カノン・コード
こんなCanon Codeは良いのだけれどね。(リンク)
2002-04-22[n年前へ]
■扁桃腺炎
早朝会社へ行った後、やっぱりシンドイので休む。朝、ビックリするくらい膿が扁桃腺から噴出しビックリ。夕方、病院で「もっと早く来い」と怒られつつ、吸入器とマウスツーマウス・コースへ。で、その吸入器にはでっかく"MIDORI ANZEN"書いてある。ホントにこれ安全だろか?どうも大暴れしそうな名前なんだよなー。(リンク)
2003-04-22[n年前へ]
■下ネタ無しで
某高等専門学校で一年生を相手に「科学を好きになるような」90分間の授業をするという話が。しかし、「下ネタは困る」という指定アリ…。それだと喋ることがなかったりして…。
あと、「できるかな?」ネタは基本的に高校上級生から大学生以降の知識前提だったりするし、教育ママゴンもいるしなぁ…。
いや、もちろん「知識前提」ではないけれど、だけどやっぱり「知識前提」かも…。ヤング率のオチなんて、その前提知識がなけりゃ単なるシモネタになっちゃうし…。いや、あってもそうかもしれないけれど…。
高校一年生だと中学の知識だけをベースにして話をしなけりゃいけないもんなー。
2004-04-22[n年前へ]
■偽善者度診断
偽善者度診断をやってみる。半分をほんの少し越えるくらいの偽善者と診断になる。それはほとんど、私の行動の半分が「善」で半分が「偽善」ということだろうか。なんだか、とてもそんな自分がイヤになる。
【あなたは 51 % 〜です】あなたは少しいい人のふりをしています。あなたは若干疑い深い性質なので、見えない他人の心の中が気になって仕方がないのです。人に裏切られた苦い経験があなたをそんな風にさせたのかもしれません。他人の前で偽りの自分を演じて、時々自己嫌悪に陥ることがあります。もう少し自分の欠点を他人の前にさらけ出すことができれば、とても生きやすくなるはずです。どうぞがんばって下さい。
ところで、もしもいつも真実を言う人がいたならば、とても信頼できる人だろう。あるいは、いつも真実を言わない人がいたならば、それまた信頼できる人に違いない。半分真実を言い半分嘘を言う、それが一番困ってしまう。そんな相手をどう信じたらよいのだろうか。その判断は、いつも二択のサイコロになってしまい、信頼性がまるでおけなかったりするかもしれない。
「真実」も「嘘」も、あるいは、「善」も「偽善」も等確率であれば、それはシャノンが定義するエントロピーが最大であるということになるだろうか。どんな状況で「真実」もしくは「善」を吐き、どんなものに対して「嘘」もしくは「偽善」を吐くのか、そんな情報は確かに「その人」を表す情報量に違いない。もしかしたら、それこそが「その人となり」なのかもしれない。そして、人間はエントロピーを減少させる存在だとも言われるが、実はやはりエントロピーを最大にしようとしてしまっているの可能性もある。さらに、それこそが人間なのかもしれない。
であるとするならば、いつも「真実」「善」もしくはいつも「嘘」「偽善」の人間がいたならば、その人に対する情報量はいつもゼロになってしまうのかもしれない。そう考えてみるならば、「偽善者度診断」はあなたの人間情報量診断としても使うことができる。人間は決して「善人」ではないのだから、人間としての情報量が多いということは、決して良いことではないのだけれど。
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩くここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもないいい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもないfrom KLaxon - O.P. on HATENA
■『囚人である』 ことと 『オフィスで働く』 ことの違い
日本とは少し違うかもしれないけれど、の『囚人である』 ことと 『オフィスで働く』 ことの違い。
2005-04-22[n年前へ]
■「修正できない」という前向きの感覚
鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 ライブを止めてスタジオ録音だけをするようになったことで解散したバンドの例をひきながら、
まさかミスしないだろうと思う所で人間はミスするのです。で、相手を責めているうちに自分もミスをして、結果、お互いはお互いのミスを受け入れ、そして、それはつまり、相手の存在を受け入れることになります。そして、自分を受け入れるのです。「WEB」上の、掲示板やBlogやWEB日記や色んなものを「スタジオ録音 <- -> ライブ」軸に並べてみるのも良いかも。
■元気になれる「おいピータン!!」
主人公(という割にはいつもいるわけでもないのだが)がとても格好いい(見てくれはデブ・ハゲ・メガネだけれど…)、おいピータン!!をコミックで読んでみる。(読んだことがなかった)最初の頃のコミックを読んでみると、少し意外なことに内田春菊っぽい内容だ。で、ほんの少し けらえいこ。本当はもっと けらえいこ なのかもしれないけれど、そういう部分を私が読み飛ばし気味なのかもしれない。
内田春菊のマンガから「主人公の(女性の)強さ」を少し抜き、その代わりに「大森さんの強さ?」でを足すことで、「人生が思うようになってない」と思う登場人物たちの弱った気持ちに元気をつける感じが おいピータン!! ちょっとお勧め。
2006-04-22[n年前へ]
■Open source GPS
「GPSの受信機をオープンソースで作ろう・そのための勉強をしてみよう」という話が書かれたOpen source GPS.
■livedoor Reader
WWWCからlivedoor Readerに乗り換えた。乗り換えた理由は、記事を打ち留めておく「ピン」機能がとても便利そうだったことと、Geekだけでなく私のようなオールドタイプにも気持ちよく使えそうだからだ。
気になった記事に印を付けておく「ピン」機能はソーシャル・ブックマーク・サービスも兼ねているんだろう、と勝手に思いこんでいた。だから、たくさんピン付けをし、後でじっくり読もうと考えSleipnirを閉じだ。しばらくしてから、Sleipnirを立ち上げ直してピン情報がサーバで保存されていないことに気づいた。…うぅ。ピンを打ったページどこだっけ…。
2008-04-22[n年前へ]
■桜が散っている小さな神社の景色を描く
「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」と同じようにして、桜がずっと散り続けている小さな神社を描いてみる。そんな古い道沿いの景色をなぞってみる。
2009-04-22[n年前へ]
■コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」
「異文化コミュニケーション」という研修を受けたことがある。その時、自分自身がどのような考え方をし・どのように判断・行動するタイプであるか、また、自分の周囲は平均的にどのような集団か、日本は他諸国は…というようなことを診断シートから判断してみたり、参加型の実習を通して学んだりした。
いくつもの面白く、かつ、納得させられることを教えられたが、コミュニケーションで「言葉自体が占める割合・重要性」「コンテクスト(背景・文脈など)に依存する割合」を考えた、「低コンテクスト文化」と「高コンテクスト文化」という2つの文化の違いについても、実に興味深いことのひとつだった。(エドワード・T. ホール著「文化を超えて 」や「沈黙のことば 」参照のこと)
もちろん、実際にはそのふたつの文化に2極化するわけでなく、その2つの文化の中間的な場所のどこかに自分、あるいは他者はいるわけである。ちなみに、「高コンテキスト文化」から「低コンテキスト文化」まで、高コンテキスト順に(つまり、高コンテキスト→低コンテキストという順番で)各国を並べると、以下のようになる。
- 日本
- 韓国
- サウジアラビア
- 中国
- インドネシア
- タイ
- フランス
- イタリア
- イギリス
- チェコ
- アメリカ
- オランダ
- ドイツ
- スイス
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比較として、「言葉」を重要視するのが、低コンテキスト文化であるから、低コンテキスト文化では”説明責任”が重視される。すなわち、コミュニケーションでは「話し手(書き手)/聞き手(読み手)」のうち、話し手(書き手)の責任が大きい。その逆に、状況(文脈)の中で「コミュニケーション・理解」が行われる高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)が責任を負う。この違いは、とても大きく、とても重要だ。
たとえば日本のような高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)は話し手(書き手)の言わんとするメッセージを(言葉・表現に曖昧さが多くとも)解釈しなければならない。逆に、低コンテキスト文化では、誰もが理解できるようにメッセージを話し手(書き手)が明確なメッセージ・言葉を話し(書き)、伝える必要がある。
自分は、コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」で、どこに属しているか考えてみると面白いと思う。中には、自分が話し手(書き手)の場合には「高コンテキスト文化」=相手に内容を読み取る責任があると考え、自分が聞き手(読み手)の場合には「低コンテキスト文化」=相手に逐一説明する責任がある、という、トンデモ的コンテキスト文化に属していたりするかもしれない。
2010-04-22[n年前へ]
■タンポポの花は、夜閉じる
昼間、道を歩いているとタンポポの花が満開に咲いていた。思わず、太陽の光の下で黄色に輝くタンポポの一群を写真に撮った。
ところが、夕方、同じ場所を歩いていると、あれだけ強烈に景色を彩っていたはずのタンポポが見当たらない。
これは一体どうしたことだろうか…と思いながら、その辺りの草むらを、よくよく眺め直してみる。すると、そこには花をキュッと蕾(つぼ)めて閉じたタンポポたちがいた。
昼間あったはずのタンポポの花が消えたのではなくて、ただ満開に咲いていた花たちがその顔を隠していただけだったのだ。
タンポポの花は、夜閉じる。花びらを閉じて蕾のような状態で眠る。タンポポの花は朝になると咲き、夕方近くになるとそっと閉じる。そして、花が咲き終わり時間が経つと、白い綿毛を輝かせ、それを飛ばす。
タンポポの花は、2から3日間咲き続けます。しかし、夕方になると、次の朝まで花を閉じます。
今までずっと、こんな不思議で魅力的なことに気付かないまま過ごしてきた。…もしかしたら、こどもの頃はそんなことを当たり前のように知っていたのかもしれないが、それなら、いつの間にかそんな秘密を忘れていたのかもしれない。
気付かないだけで、そういうことが実はとても多い、のかもしれない。
2011-04-22[n年前へ]
■ナニコレ珍百景 JR相模線「海老名駅」近くの大歩道
「ナニコレ珍百景」と言えば、日本列島(もしかしたら世界全体)が抱える「奇妙奇天烈(キミョウキテレツ)」な風景・景色を指す言葉です。
下の写真は、今週眺めた「ナニコレ珍百景」です。東京・横浜の近くの田舎町、JR相模線の海老名駅の北には、畑の中を「大歩道」が通っています。限りなく狭く細い車道の横に、これ以上ない広さの歩道が作られているのです。「歩行者通路」と白い塗料で太く・大きく記された歩道の横には、人が歩くのにも狭く感じる車道があります。私たちがよく眺める車道と歩道の主従関係が逆転し、しかもそれが畑のどまん中にある…という実に不思議な景色です。
広〜い畑の中を、日本一整備された・日本一太い「歩行専用道路」が貫く奇妙な景色…それがJR相模線「海老名駅」近くにある「ナニコレ珍百景」です。
2012-04-22[n年前へ]
■(競技場の)明るさをJIS規格で比べてみると、明るさ選手権は「格闘技の舞台」がナンバー1!
学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツに『(競技場の)明るさをJIS規格で比べてみると、明るさ選手権は「格闘技の舞台」がナンバー1!』を書きました。
ためしに、「この明るさ(照度)にしなさい」という決まりを、競技場の(一番明るい場所を)明るい順番にトップ5を並べてみると、つまり「明るさ選手権」を開催してみると、こんな具合になります。 ちなみに、プロ野球など向けには、内野や外野…など場所によって「明るさの決まり」は違っています。 (たとえば、プロ野球の外野は”内野よりかなり暗い”1200ルクスと決められています)
2018-04-22[n年前へ]
■Python(Pythonista)でiOSカメラを自由自在に使ってみる
iPhone/iPadなどの機器のカメラは、焦点位置や露光時間や感度など、わりと細かく制御することができます。そうした撮影処理を使って、露光時間を変えた撮影を何枚もして画像(ハイダイナミックレンジ:HDR)合成をしたり、焦点位置を変えた撮影から焦点合成(フォーカススタッキング)を行ったりすると、意外に楽しいものです。とはいえ、そんなコード遊びをするのに、毎回Objective-C(やC++)でコーディングするのは少し面倒です。
というわけで、今日はiOSで動くPython ( Pythonista ) で、iOSのカメラをマニュアル撮影的に使うコードを書いてみました。それが下に貼り付けたPythonコード例です。この例では、焦点制御を無効化した上で、最近接位置から無限遠までのレンズ位置を0.0〜1.0の任意位置に制御しつ、撮影を行うことができます。
「開発用マシンでコードを書いてビルドした上で、スマホに転送して動かす」というような手間を掛けずとも、スマホ上で比較的短いコードを書いて、それをスマホ上で瞬時に動かして「自分だけの特殊撮影マシン」を仕立てて遊ぶことができるのは面白いものです。…今回貼り付けた撮影処理部分は全くPythonっぽくないコードですが、ひとたび「ライブラリ化」してしまえば、こんなコードを見る必要もなく、やりたいことだけをPythonから気楽に実行することができるようになります。…となれば、色々遊んでみたくなる人も多いのではないでしょうか。
# coding: utf-8 from objc_util import * import time AVCaptureSession = ObjCClass('AVCaptureSession') AVCaptureDevice = ObjCClass('AVCaptureDevice') AVCaptureDeviceInput = ObjCClass('AVCaptureDeviceInput') AVCapturePhotoOutput = ObjCClass('AVCapturePhotoOutput') def manualCapture(device, output, focusDistance, fileName): def captureOutput_didFinishProcessingPhotoSampleBuffer_ previewPhotoSampleBuffer_resolvedSettings_bracketSettings_error_( _self, _cmd, _output, _photoBuffer, _previewBuffer, _resolveSettings, bracketSettings, _error ): photoBuffer = ObjCInstance(_photoBuffer) jpegPhotoData = ObjCClass('AVCapturePhotoOutput' ).JPEGPhotoDataRepresentationForJPEGSampleBuffer_ previewPhotoSampleBuffer_( photoBuffer, _previewBuffer) jpegPhotoData.writeToFile_atomically_(fileName, True ) # delegate CameraManualPhotoCaptureDelegate = create_objc_class( 'CameraManualPhotoCaptureDelegate', methods=[ captureOutput_didFinishProcessingPhotoSampleBuffer_ previewPhotoSampleBuffer_resolvedSettings_bracketSettings_error_ ], protocols=[ 'AVCapturePhotoCaptureDelegate' ]) device.lockForConfiguration_(None) device.setFocusModeLockedWithLensPosition_completionHandler_( focusDistance, None) device.unlockForConfiguration() time.sleep(1) delegate = CameraManualPhotoCaptureDelegate.new() settings = ObjCClass('AVCapturePhotoSettings' ).photoSettings() settings.AVCaptureFocusMode = 0 output.capturePhotoWithSettings_delegate_( settings, delegate ) time.sleep(1) delegate.release() @on_main_thread def main(): session = AVCaptureSession.alloc().init() device = AVCaptureDevice.defaultDeviceWithMediaType_('vide') _input = AVCaptureDeviceInput.deviceInputWithDevice_error_( device, None) if _input: session.addInput_(_input) else: return session.startRunning() output = AVCapturePhotoOutput.alloc().init() session.addOutput_(output) time.sleep(1) manualCapture(device, output, 0.0, 'sample.jpg') time.sleep(1) session.stopRunning() session.release() output.release() if __name__ == '__main__': main()