2001-04-24[n年前へ]
■なにかあったら500円
わきめも(01/4/23)。サイコーです、ちょっと泣けましたが… だけど、私も発泡酒人生です。(リンク)
2002-04-24[n年前へ]
2003-04-24[n年前へ]
■64bitの世界
AMDのOpteronを使ったPCが発売されて比較的気軽に64bit PCも使い始められるようになったが、intelも「IA-32 Execution Layer」(コードネームbtrans)で、1.5GHzのItanium 2で1.5GHzのXeon MPとほぼ同じ速度で32ビットソフトを稼動させることが可能になる、とのこと。とはいえ、気軽さではAMDか、あぁだけどWindowsだとintelか…。
■文教堂が雑誌の実売部数をネットで公表
文教堂書店 が様々な雑誌の雑誌の実売部数をネットで公表。
2004-04-24[n年前へ]
■PostScriptと熟語アート
日本語TeX情報経由でPostScript の基本知識を眺める。
Post Scriptを手書きでプログラミングというのはこれが結構楽しかったりする。それに、何かの評価用チャートはPostScriptで書くと楽で便利だ(凝りすぎると、なにを評価しているのかわからなくなって、逆に役に立たなくなるのだが)。で、Postscriptで書かれたペントミノ(箱詰めパズル)解法プログラムを眺めて、そこからさらに熟語アートなんていうものを知る。これも結構面白いかも。
■「ふりだし」に戻る
「40才からの英語」とか「大人のための科学」なんていう本をよく見かける。もう一度、「ふりだし」に戻って、一から勉強してみるというのは結構楽しいものなのかもしれない。
いつだったか、何かの場で英語授業の話になった時にこんな話を聞いた。
英語とかって「積み重ね」が必要じゃないですか。それだと、一回授業がわからなくなっちゃうと、もうずっとわかんないの。だから、英語の授業なんてずっとつまらなかった。だから、数学の微積分とかって好きだったかな。それまでの数学がよくわからなくなったのは、ちょっと横に置いといて何だかもう一度ゼロから始めることができたような気がしたから。だから、難しいように思えても、数学の微積分とかって好きだったかな。そういうものかもしれないな、と思う。英語の授業じゃないけれど、たいていのことは「積み重ね」が大切で、もう一度ゼロから始めるなんてことはできなかったりするからこそ、色んな「ふりだし」に戻る、があるということも良いのかも。だから、人は「ふりだし」を探して遠くに行ったりもするのだろうけれど。
■zphotoのGUI版
フラッシュを利用したズーミング写真集を作るツールzphotoのGUI版のバージョン。バージョンも0.99に。
■New Version of My "Metaweb" Graph -- The Future of the Net
New Version of My "Metaweb" Graph -- The Future of the Net. 図の内容には何だかずいぶんと違和感がありますが、それでも面白いかな。 from 日曜プログラマのひとりごと
2005-04-24[n年前へ]
■「蒼い月」
昨夜はきれいな月だった。調べると今日が満月だとか。僕はよく月に寝転がって地球を眺める光景を想像する。 「わきめも」「青い地球」はよくあるけれど、「青い月」は滅多にない。青い月、Blue moonは暦の一月の間満月が二回あって、その二回目の満月のことなのだから。29.5日おきにやってくる満月が、30日くらいしかない一月の間に二回あるなんて滅多にない。長い間待たないとやってこない。だから、Blue moon = A relatively long period of time(長い間)という意味になる。
今年の暦を眺めてみても、残念なことにBlue moonは見あたらない。Blue moon calculatorで眺めてみると、次のBlue moonはグリニッジ標準時で 2007 June 1st 01:02だ。それまで、フランク・シナトラが歌うBlue Moonでも聞きながら待ってみることにしましょうか。
Blue moon, now I'm no longer aloneWithout a dream in my heartWithout a love of my own
■「人に何かを話す準備」
(よほど自分と関係ないものでない限り)来るもの拒まず、で講習会の依頼などを受けている。気づくと、去年の年末あたりから、11月 日本テクノセンター、1月 技術情報協会、2月 東大新領域、3月 機械学会分科会、4月 日本テクノセンター、6月 JH2005、7月 画像学会講習会…と、ほぼ毎月何らかの講演がある状態になっていた。その前後の、休日やら睡眠時間が確実に消費されてしまうから、これはシンドイ…。
…しんどいのも確かだけれど、人に何かを話す機会、正確には「話す機会」それ自体というより「人に何かを話すために、頭の中で話をまとめる作業」が非常に貴重で自分のためになる。まとめにくい話をまとめる作業というのは、とても辛い作業なのだけれども、その作業の中で自分にとって得ることがとても大きい。こういう作業をやり続けたなら、やらなかった場合とは雲泥の差が生じそうな気がする。
というわけで、今 25日の早朝もそんな作業の真っ最中。今回、とっても参加者少ないんだけど…。うぅ。
■世界ピンホール写真デー
今日は「世界ピンホール写真デー」
2008-04-24[n年前へ]
■「困ります、ファインマンさん」と「他人がどう考えるか一体何を気にしてるの?」の違い
一冊の本の内容を短くまとめると、「あらすじ」になり、本の内容を限りなく短く一言で言えば、それは「タイトル」になる。
物理学者ファインマンの人生を描いた本というと、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」
「困ります、ファインマンさん」が思い浮かぶ。前者「困ります、ファインマンさん」という本の原題は、"What Do You Care What Other People Think?"だ。「他人がどう考えるか一体何を気にしてるの?」というタイトルと、「困ります、ファインマンさん」は何だかずいぶん趣が違う。
その違いがいつも気になってしょうがない。"What Do You Care What Other People Think?"という本の内容を一節の言葉にしたとき、それが「困ります、ファインマンさん」では、何だかとても違うようにも思う。「困りますねぇ」という言葉と、「他人がどう考えるか一体何を気にしてるの?」という言葉の間には、非常に大きな隔たりがある。言葉の力が持つ向きが180度違うように思う。
そんな具合で、この「困ります、ファインマンさん」というタイトルは好きではないのだが、そんなつまらない気持ち以上に、この本に描かれている内容は大好きだ。パラパラと楽しみながらページをめくることができるのが「ご冗談でしょう、ファインマンさん」であるならば、一行一行をゆっくり読み進みたくなるのが"What Do You Care What Other People Think?"だ。
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を思い浮かべて、「困ります、ファインマンさん」というタイトルの本を手に取る人も多いことだろう。けれど、そのタイトルをにアレルギーを感じて「逆に手に取らない人」も多いかもしれない。けれど、そんな人こそ、この原題"What Do You Care What Other People Think?"という言葉を、誰が誰に向かってどんな時に口にしたのかを知るためだけにでも、この本を手にとって見るのも良いと思う。その意外な答えは、きっと、あなたを勇気付けると思う。
"What Do You Care What Other People Think?"
2009-04-24[n年前へ]
■「リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法」を読む
「リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法 」を読んだ。 著者は、「アジャイルプラクティス 達人プログラマに学ぶ現場開発者の習慣 」「プログラミングRuby 第2版 言語編 」「プログラミングRuby 第2版 ライブラリ編 」といった本の著者の一人である、Andy Huntである。本の内容は、"Pragmatic Thinking and Learning "という原題がよく表している。つまり、「とても役に立つ”物事への思考方法と学習方法”」が書かれている。ただし、"Pragmatic"=「現実に役に立つ」でもあると同時に、本書を読んでいると時に、"Pragmatic"という言葉を「語用論的」という風にも捉えたくなる。本書のタイトルを、「状況(コンテキスト)を踏まえた思考方法と学習方法」というようにも捉えたくなる。それくらいに、この本では「コンテキスト」を意識した考え方というものの重要性が書かれている。
ビギナーにはコンテキストに依存しないルールが必要だが、達人はコンテキストに依存した直観を使う
p.30
コンテキストから切り離された客観性-すなわちコンテキストから切り離された後に客観的になろうとすること-には危険がつきものです。
p.31
そして、さらに、物事を考える際に「自分の考え方における偏り=認知バイアス」を意識することの重要性などが説明されていくことで、「問題に応じた適切な解決の仕方・問題解決の方法、そして、そういうことができるようになる学習方法」が解説されていくのである。
この本には、「自分自身の考え方・行動の仕方を知り、より適切な考え方・行動の仕方ができるようにするための方法」が書かれている。ひとことで言えば、そういう本である。そして、その中で「コンテキスト」「認知バイアス」といったキーワードが重要語句として、登場しているのである。
ここ何日か、コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」 「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」の違い「箇条書き」 と、コンテキストについて書いた。特に、日本人が「高コンテキスト文化」のトップ1に挙げられるような特徴・認知バイアスを持つ、ということを書いてみた。
それは、本書の感想を書くためには、まず私たち自身の「考え方・行動の仕方や偏り」をわかった上で、この本を読んだ方が・感想を書いた方が良い・そうしなければいけない、と感じたからである。「コンテキスト依存が強い私たち」が「コンテキストの重要さ」を語る本を読む場合には、私たち自身の思考・行動のパターンがコンテキスト依存度が高い(という認知バイアスを持つ)ことを意識して読むことが必要である。
自分自身や自分の周囲の人、あるいは「集団」が、「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」のどちらのタイプに属するか、あるいはどちらの傾向が強いか、を比較・自覚してみると面白いと思う。そうすることで、コミュニケーションの中で起こる問題が「あぁ、なるほど。これは必然的に起こることなんだな」と理解できたり、その対策をとることができたりもするかもしれない。
「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」の違い「箇条書き」
私たちが持つ認知や考え方の傾向を念頭に置いた上で、それと違う文化の人が書いた本書を読むと、きっと役に立つと思う。 「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」 という。すなわち、「背景・状況=コンテキスト」を知り、自分自身を知れば、成功する確率がとても高まる。この本を読むときには、この本で書かれていること=「自分自身の考え方・行動の仕方の傾向」を知った上で、読んでみると良いと思う。「自分自身の考え方・行動の仕方の傾向」を知った上で読んだ方が良い、と思う。
2010-04-24[n年前へ]
■続 エクセルにおける循環参照時の計算順序
「エクセルにおける循環参照時の計算順序」で書いたような反復計算がおこなわれるのは、あくまで「循環参照」がされているセルに対してである。この「循環参照がされているセルに対して」ということは、えてして忘れてしまいやすい。つまり、シートの一部に「循環参照」がされているセルがあれば、シート全体が反復再計算されるのだ、という勘違いをしてしまいやすいように思う。
反復計算がされるのは、あくまで「循環参照」がされているセルだけ、である。「循環参照」がされているセル群だけが反復計算の対象になり、それらのセル群の(前回計算結果との)変化量が所定値以下になるまで、それらのセル群に対して再計算を(前回記事のような順番で)行うことになる。
シート上で「循環参照がされていないセル」に関しては、再計算されることはなく、初回の計算時の値がそのまま使われる。だから、たとえば、どこかのセルに乱数値を返すようなものが含まれていたとしても、つまり、計算ごとに明らかに変化するようなセルが含まれていたとしても、(循環参照がされていない限りは)そのセルの値は初回の計算で決まり、変化することはない。考えてみれば、当たり前の話だが、油断するとその当たり前を忘れてしまう。
えてして、反復計算が行われる時には、シート全体が再計算されるという勘違いが頭の中に忍び込むことがある。そして、その間違った先入観のもとに、エクセルでプロトタイピングをしたりすると、思ったような計算がされず、ラピッド・プロトタイピング、すなわち、素早くたたき台を作とうと思ったはずなのに、多量の時間を費やす羽目になってしまったりする。
エクセルの基本的な機能だけを、しかし、その基本的な機能を深く解説した本を読んでみたい。
2012-04-24[n年前へ]
■「"稼ぐ力"」と「(機械が働き)人が働かずに暮らせる未来」
フリーペーパーR25に、日本は莫大な所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い、という論調の経済解説記事が載っていた。
…「日本の”稼ぐ力”が弱くなった」と悲観的な論調が目についた。貿易がダメだと日本は稼げない、と言わんばかりだった。
(中略)2005年から、貿易以上に日本が稼いできたものがあったのだ。それが「所得収支」である。海外に投資をすることによって得た、利子や配当などのリターンである。
(中略)本当に「日本はもう稼げない」などと悲観しなければいけないことだったのか。
…農場では機械が農作物を作ってる。農場で作られた麦からは、工場で機械が自動作業でビールを作り、人はビールを飲みながら、本を読んでいる。つまりは、機械が人間の代わりに働き、そして、人間は”働かずとも優雅に過ごす”ことができる世界である。
今、日本の工場では、たくさんの機械たちが働いている。ただ、こどもの頃の想像と大きく違ったのは、自動機械(ロボット)が働いても「自動機械の持ち主(それは”お金持ち”だ)」にお金が入ってくるだけだ、ということだった。そして、自動機械の持ち主でなく、働いていない種類の人類には「タダでどこからかビールが運ばれてくる」わけではなかった、ということだった。
「所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い」という解説を読んで、こどもの頃に想像した「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」を思い出した。
70年代、こどもが想像した未来像は間違っていた。「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」は、「機械を持つもの」にだけ当てはまる世界だった。そして、もちろん、働かなくて良い世界を夢見た(怠惰な)こどもは、機械を持つ側ではなかった。
2016-04-24[n年前へ]
■「かぐや」が眺めた月の姿を眺めてみよう!?
「かぐや」が撮影した画像データを使った月球儀コントローラがとても面白かったので、(国土地理院のドローンヘリが撮影した動画映像から、阿蘇大橋近くの3次元地形図を生成してみたのと同じように)かぐや撮影画像(©JAXA/SELENE)からphotogrammetry的に3次元メッシュ生成して表示してみました。WEBサイト(ソフト)で公開されている3Dレンダリングソフト画像をもとにして、月の表面に刻まれた、過去の月表面への衝突が作り出したクレーターの凹凸地図を今や誰でも描ける…というのは不思議な気分です。
空の声が聞きたくて、風の声に耳すませ、
海の声が知りたくて、君の声を探してる。
「海の声」 篠原誠