2001-05-26[n年前へ]
■今月号のUNIX MAGAZINEの特集
UNIX MAGAZINEの「最近の新人へ向けた特集」にとても同感するぞ、と。
2002-05-26[n年前へ]
■「ブラックエンジェル」松尾由美
松尾由美「ブラック・エンジェル (創元推理文庫)
」を夜読む。「自分が少なくとも表面的に目指していることを叶え、他のことは忘れていく」という推理?小説。それにしても創元推理文庫は懐が深いなー。いしいひさいちも入ってるもんなー。
それはともかく、モラトリアム系中年層には案外面白いかも。
2003-05-26[n年前へ]
■イベント・コンパニオンのヒミツ!?
というわけで、帰りの新幹線の中で書いてみた「ミニか否かはハイヒール次第」です。PCの環境移行が一段落するマデは解析関係は今ひとつどころかふたつもみっつもツライのです…。
といいつつ、7月に入れば余裕も出てくるかも、というところで、あと一回で三百回。記念企画か何かでも考えてみようかな、あるいは淡々と気が向いたときに更新してみようかな、どうしようかなどうしようかな。
■講談社文庫色占い
行きの新幹線の中で週刊文春の堀井憲一郎の「ホリイのずんずん調査道」を読む。すると、ちょっと豆知識のことがら書いてある。何でも、「講談社文庫の背表紙の色は著者が選ぶ」というのである。ナルホド、そうだったのか。いくつか、眺めるとなるほどー。~
茶色 蔵前仁一、下川祐二、阿部穣二灰色 京極夏彦、高村薫、森博嗣明るいオレンジ 赤川次郎、栗本薫、東野圭吾藤色 黒柳徹子、永六輔、宮本輝緑色 藤沢周平、井沢元彦、司馬遼太郎桃色 田辺聖子、平岩弓枝、山村美砂若草色 本田勝一、田原総一郎、大前研一空色 内田康夫、原田宗典、伊集院静明るいオレンジ 北方謙三、宮部みゆき、大沢在昌黄色 東海林さだお、椎名誠、村上春樹はてなのヘッダ色占いではないけれど、作家を確かに分類できるようなー。
■講談社文庫 v.s. はてなダイアリーヘッダの色占い
じゃぁ、というわけで、講談社文庫の作家達を「はてなダイアリーヘッダの色占い」してみました。さてさて、どんな対応になっているでしょう…。
蔵前仁一、下川祐二、阿部穣二 →頑固で古風な一面を持つあなた。 あるひとつのサブカルチャーに強いこだわりをみせる 傾向があるようです京極夏彦、高村薫、森博嗣 →厭世的なあなた。ついつい後ろ向きなことを書いて しまう。けれど独自の着眼点が多く、ありがちなことを 言わない傾向藤沢周平、井沢元彦、司馬遼太郎→達観したあなた。大人の意見で悠々自適。 後ろ向きというほどではないけれど、日常での「グチ」を こぼしやすい本田勝一、田原総一郎、大前研一→人から大人びて見られるあなた。風雅で知的で、ちょっと 自省的な面があるようです。他人との関係に悩みすぎて いませんか?この色のほとんどの方が、戦争について 書かれています。内田康夫、原田宗典、伊集院静 →理知的なあなた。好奇心旺盛で、それをうまく人に伝える のがお上手です。見出しのつけかたが適切で、知らない人 でも何が書いてあるのかわかりやすくなっています。田辺聖子、平岩弓枝、山村美砂 →かわいらしいあなた。ネットの上では幸せな空間を作って いきたいとお考えの方が多いようですし、 だいたい成功しています。東海林さだお、椎名誠、村上春樹→ひかえめなあなた。「自分の日記がそれほど面白いはずも ないし、マイペースで行こう。」そういうスタンスが、 いい方向に出ています。見る人がみれば面白いとか、 ためになる日記が多いようです。 きっと私生活でもひそかに頼られる存在なのでしょう。当たっている当たっていないはさておき、面白いかも。
■巨人がイッパイ
出張の帰りで新横浜の駅が何かヘン。何か変な雰囲気の人達がワラワラワラワラ。と、思ったら読売ジャイアンツの選手が集団で居たみたい。で、その周りに何十倍もの人達がいた、と。とはいえ、今の巨人の選手を全然知らないワタシなので、いまひとつ…かな。
2004-05-26[n年前へ]
2005-05-26[n年前へ]
■「PowreRiserでリンダリンダ」
一時、ネットを駆け巡ったPowerRiserがテレビ等にちらほら出てくるようになった。PowreRiserを使って、ブルーハーツ風に跳びまくるのも面白いかも。
2008-05-26[n年前へ]
■ハードディスクに「手動でデータを書き込んでみる」
ハードディスクが動かなくなった。動作音を聞いていると、ヘッドが動こうとしてはいるけれど動くことができない……そんな感じの音だ。仕方がないので、このハードディスクを使うことはもうあきらめて、ディスクの覆いを開いた状態でどんな風に動いているかを眺めて見ることにした。それが、この下に貼り付けた動画である。
ハードディスクの動きを眺めているうちに、ふと、ただ眺めているだけではつまらないような気がしてきた。そこで、ハードディスクに手動でデータを書き込んでみることにした。ホワイトボード用のカラフルなペンを手に持ち、高速で回るハードディスクの表面にデータを書き込んでみたのである。
そのようすが次の動画である。まるで「ろくろの上で回る陶器に色付けをしている」ような具合になった。意味あるデータを書き込むことはできそうにないが、素早く回るハードディスクにラクガキをするのはなかなかに綺麗で新鮮だ。
2009-05-26[n年前へ]
■「静電気体質」を「衣服生地と人体皮膚の摩擦帯電系列」から眺めてみよう
もうすぐ梅雨が始まります。私のような静電気体質の人は、湿気を感じる季節になると、ちょっと気楽になったりします。それは、湿度が高いと摩擦帯電しにくくなるからです。などと書くと、「静電気体質」って何だろう?という疑問が湧いてきます。
床や靴裏が摩擦され合うと、摩擦帯電が生じて、片方が+(プラス)にもう片方が-(マイナス)に帯電したりします(たとえば右上の写真は、そういったことを防止するための静電気帯電防止機能付きカジュアルシューズ です)。あるいは、来ている服と座っている椅子などの間でも摩擦帯電が起きたりします。「静電気体質」というのは、そういう靴や服選びによるものなのでしょうか?
「新しい衣服衛生 」の頁をめくると、「衣服生地と人体皮膚の摩擦帯電系列」のデータがありました。そこに書かれていた内容を大雑把に図・グラフにしたものが、下図になります。
意外なことに、人体皮膚は(人によっても違うようですが)およそ羊毛からテトロンの間に広く分布していることがわかります。それぞれの人の、その時の状態によるのかもしれませんが、ひとことで同じ「皮膚」といっても、帯電性には人それぞれ差があるようです。摩擦帯電系列上での、来ている服と皮膚との関係にもよりますが、服と皮膚間の摩擦帯電では、摩擦帯電しやすい人、しにくい人という「体質」がある、のかもしれません。
さて、とりあえずは、皮膚と衣服の摩擦帯電をさせたくない、と思う「静電気体質」の人は、自分の皮膚と衣服生地の摩擦帯電序列を合わせてみるのはどうでしょうか。つまり、ビニロン・やレーヨンや羊毛あたりと皮膚を擦り合わせてみて、静電気が発生しない組み合わせを探し、それを(摩擦帯電的に)自分にあった生地・繊維と覚えておくのです。そして、服を買いに行った際には、その生地や繊維で作られた下着や服を買うようにすることで、「静電気体質の人に優しいファッション」ができる、というわけです。
もちろん、服と服、あるいは服と他の生地、あるは靴裏と床・・・といった他の摩擦帯電の方が、あの痛い「静電気のバチッ」を作り出している、のでしょう。けれど、自分の皮膚と他の人の皮膚を触れ合わせてみた時に、片方がプラスに、もう片方がマイナスに摩擦帯電する、なんて考えてみると、何だかとても面白いような気がします。
2010-05-26[n年前へ]
■「陰日向に咲く」
ずっと観たいと思っていたけれど、ずっと観ないでいた、「陰日向に咲く」を観た。
物語というのは、こういうものなのかと思う。そして、映像というものはこういうものなのか、と知る。
文字を綴(つづ)った文章で、描かれる対象が小刻みに入れ替わってしまえば、その意味を追うことができないものになってしまいそうだ。しかし、それが映像ならば、私たちはそこに写る映像の印象とともにそれを見分けつつ、そして、それと同時に、それをひとつに溶け合った大きな物語として感じることができるようになる。
物語の縦糸を紡ぐのは、人と人とが出会うことの奇跡。偶然オレオレ詐欺の電話に出た老婆と心を通わせ、自らの過去と向き合うことになるシンヤ。寿子は、シンヤと共に母のかつての恋を追う過程で、自らの殻を破っていく。鳴子は雷太との、リュウタロウはモーゼとの出会いをきっかけに、新しい生活に足を踏み入れる。そして、みゃーこを一途に応援し続けるゆうすけにも、思いがけない「再会」が…。
小さな出会いが重なり合い、やがて忘れかけていた家族の絆や初恋の切なさが浮き彫りになっていく。そして、彼らが明日への一歩を小さく踏み出す瞬間に見せる清々しい表情。そこに待ちうけるのが必ずしも「日向」でないことはわかっていても、人生に無駄な出会いなど決してないと、深くうなずかされるはず。
2011-05-26[n年前へ]
■「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張
「おっぱいは粘弾性として扱うべきではないか」という議論が、ここ数ヶ月参加している「シミュレーション勉強会」で話題になっています。
これまで、「おっぱい」という物体は「弾性体」として取り扱うことが多かったような気がします。それは、年と共に変化する「ヤング率」という弾性パラメータを導入すると、比較的広い範囲のことを説明できるからです。(といっても、それは「年をとるとおっぱいが垂れる」という一点を説明できるということに尽きるのですが)
時には、(数値計算でなく)解析的な解を求めたくて、「理想液体+表面膜」として扱って取り扱ってみることもありましたが、それはごく例外的な取り扱いだったように思います。おっぱいを私は弾性体として、取り扱ってきたわけです。
けれど、「おっぱいは粘弾性として計算するべきだ」という主張には説得力を感じます。弾性体は元の形状を100%記憶しているわけですから、外部からの力がなくなれば、元の形に必ず戻ります。…けれど、「おっぱいは元の形に戻らない」というのが世の通説です。そうでなければ、「形状維持のためにブラジャーをしよう!」といったような広告が打たれるわけがありません。
おっぱいが弾性体であれば、どんなにブラジャーで締め付けても「おっぱいが記憶している本来の形状を未来永劫変えない」はずですし、「無重力空間に行けばどんなおっぱいも元の形状に戻る」はずです。…けれど、現実のおっぱいは、それとは少し違う性質を持つように思われます。
現実のおっぱいが「元の形に戻らない」もの(らしい)ということを考えるならば、背理法的に「おっぱいは弾性体のみとしては取り扱うことができないものである」という結論が得られるわけです。
「弾性体」に力をかけて形を変えたとしても、そのエネルギーは一時的に蓄えられた上で、100パーセント戻ってきます。けれど、それが「粘性体」であれば、それらのエネルギーは熱に変わります。…おっぱいに力をかけて変形を生じさせた後に時に起きる現象を考えてみれば、おっぱいは「弾性体」と「粘性体」を足して割ったような性質を持っているように思われます。
「弾性体」と「粘性体」を足して割ったような性質を持っているということは、「おっぱいは粘弾性を持つものとして扱うべきだろう」という主張が出てくるのももっともです。おっぱいに力を与え・エネルギーを与えると(何かしら)熱に変わる、だとすれば、それはすなわちおっぱいは粘性体であるという証拠なのです。
さて、おっぱいを粘弾性体として取り扱うと、意外に深く面白いことが見えてくるように思われます。おっぱいの生体分子を反映する、その材料力学に近づこうとするばらば、粘弾性体としてのモデルを構築した方が良いのかもしれないと思う今日この頃です。
2012-05-26[n年前へ]
■続々「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張
昨年の今頃(というか、昨年の今日)、「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張という記事で、こんなことを書きました。
「おっぱいは粘弾性として扱うべきではないか」という議論が、ここ数ヶ月参加している「シミュレーション技術勉強会」で話題になっています。議論を重ね、解析・各種実装を行った結果、今では私も『オッパイは「粘弾性体」として扱うべきだ』と考えています。(私たちが日常生活で目にする)オッパイにまつわる種々の問題は、単なる流体というわけではないけれど、弾性体ではなくて、それを粘弾性体として扱うなら「さまざまな(広い範囲の)事実を解明することができそうだ」と思うようになったのです。
…というわけで、そんな・こんなの「粘弾性体としてのオッパイ変形と制御工学視点からのオッパイ制御」という研究報告を近日中に書いてみようと思います。
…と、ここまで書いてから気づきましたが、今回のタイトルは『続々「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張』ですが、「「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張」の続編、『続「おっぱいは粘弾性体として取り扱うべき」という最近の主張』を書いていなかったことに気づきました…。というわけで、この記事「続々」ですが、実は数字で言うと「2回目の記事」になります。・・・うぅ。
(なお、上に貼り付けたラクガキは、来月放映予定の「タモリ倶楽部」というTV番組向けに描いたものです)
2014-05-26[n年前へ]
■赤い血が流れているはずの血管が青く見える理由
「青筋を立てる」という言葉で表されるように、皮膚上から見た血管は(周りの色と比べると)青色に見えます。「皮膚部分はメラニンスペクトルを反映し、静脈部分は皮膚部分と血液スペクトルの掛け合わせになるとしたら、静脈部分は近傍より(近傍を基準としても)赤く見えそうなのに、なぜ相対的に青く見えるのか」というのは、少し不思議に思えるはずです。
この赤い血が流れているはずの血管が(血管の無い周囲部分よりも)青く見える理由を説明するために、以前書いたモンテカルロ光計算コードで、赤色光と青色光の軌跡例を計算してみました。下の図は、上から皮膚に差し込む光があると、青色光は皮膚内で(短波長の光は散乱しやすいので)すぐに散乱して・方向を変えまくり皮膚外部へ出て行ってしまうけれど、赤色光は皮膚内奥部まで侵入してから、皮膚の内部を長くさまよってから(ようやく)皮膚外へ出ていくという計算結果を表しています。
こんな風に、青色光は皮膚内部にはほとんど侵入しないので、皮膚奥にある太い血管部分までは、実はほとんど到達しません。だから、血管がある(下部に)部分からも、血管がない部分からも、同じくらいの強さの(青色の)光が返ってきます。
しかし、波長が長い赤色光は皮膚奥部まで侵入します。すると、皮膚下部に血管がある部分では、血管にまで到達し(血液が赤色をしているといっても、完全に透過するわけではないので)血管中で赤色光は減衰してしまいます。…そこで、皮膚下部に血管がある箇所では、青色光は他の部分と同じだけれど・赤色光は他の部分よりも暗い(少ない)というわけで、皮膚の上から見た血管部分は(近傍周囲と比較すると)青色がかって見えるわけです。
皮膚の上から見た血管の(相対的な)色を決めているのは、実は血液の色ではなくて、その上にある皮膚の光散乱の波長依存の具合なのです。
2018-05-26[n年前へ]
■オレの周りのすべての世界,スマホで3Dデータにしてやろう!
今週発売された「Software Design 2018年6月号」に、4p記事を書きました。あまりに普通過ぎる内容であるような気もしていますが、題して「オレの周りのすべての世界,スマホで3Dデータにしてやろう!」です。…つまり、平成最後の年を迎えた今日この頃、誰もがやってる普通の作業の話です。具体的には、スマホ撮影画像からColmapを使って3次元復元をする手順解説です。