2000-06-04[n年前へ]
■hnfのインストール
ハイパー日記システム(リンク)mail2nikki.pl 、Namazu v2 for hns は持ち越し。
■Site Mapper 2000の動作
付属のjre13.exeでは動かないので、Sunから別途入手。
2002-06-04[n年前へ]
■オッパイ大好き…?
「平林さんがこのおっぱいシリーズをこうした数学的なアプローチで真面目にやっていく原動力、モチベーションや面白さは何ですか?」
ワタシにはこの質問への答えを職場で電話で答える勇気はないのである。危ないところだ…。が、結局この答えを職場でお隣に座るレディ相手に喋っているワタシはもしかしたらセクハラ野郎なのだろうか…?
で、この答えに対して『公式やら、それらしいグラフは「一応テクノサイトというための"おまじない"的なもので、本質的には「単に張りがあって、プリプリしたおっばいがダイスキ」「すけべ根性」「巨乳好き」という「しごく単純明快」なキモチが原動力となって私を突き動かすのであります。えっへん。』と勝手に想像している意見も頂いているが、そんなことはない…と思う…。別に、巨乳じゃなくてAAカップでも可愛いと思いますよ、ハイ。
2003-06-04[n年前へ]
■はてなダイアリ
はてなダイアリで読んだこんな言葉。
今、ここにいる私は、20代の私の'残りかす'ではなく、未来の私の'苗'なのだ、そう思って新しい季節へと向かいたい。何歳でもずっとそうなんだろうな、と同じ年代の私は強く頷いてみる。
■ソフトウエアの違法コピー率、日本は35%
という記事を見て思い出した。先週の日曜日に秋葉原に行ったのだけれど、日曜日の秋葉原は久しぶりだった。すると、チチブ電気から続く通りに電気関連の屋台がイッパイ出ていて、結構雰囲気が面白かった。
そしてまた、携帯電話を持った中国系らしいお姉さん達がコピーソフトをなかなかリーズナブルな値段で売っていて、それもまた面白かったのである。アキハバラというカオスの街っぽくて、何だかとても新鮮だったのである。
■インテル歴代プロセッサが並ぶ迷路
インテル歴代プロセッサが並ぶ迷路をゴール目指して進むというインテルプロセッサの歩みゲーム。面白い。
■The Zero Blaster
5m近く煙の弾を飛ばすというFog Ring Shooter 。
■今日のちょっと「えっ?」
「さてみなさま、学会も来週に迫っていますが、やっぱり英語で資料は作成してくださいな」というメールが今日着いた。 …そんなこんなで計算外にむちゃくちゃ忙しいぞ、と。
2004-06-04[n年前へ]
■お茶の水で
前夜から自宅のYahooBBのネットワークが落ちて、しかもNiftyのアナログ接続もうまくいかなかった。唯一アクセスできるのが、携帯のPacketOne経由の接続。とはいえ、会場近くは電波全然入らず。というわけで、しょうがないから昼過ぎにお茶の水でノートPCを接続できるインターネットカフェを探して走り回る。走り回りつつも、携帯電話で写真を撮ってみる。撮り終わったら、やっぱり走る。
しかし、結局。時間切れ。PacketOne経由で接続したから、通話料がコワイかも。
■早稲田・新大久保・新宿
ふと気づけば、お茶の水からタクシーで早稲田。早稲田大学の古い校舎の中で打ち合わせをした後、「何だか面白い」という新大久保経由で新宿へ。歩いていると、周りの声も匂いもなんだかアジアの何処かの国みたいだ。確かに、これはとても面白く、気持ちが良い。本当に気持ちがよくなる。
2005-06-04[n年前へ]
■裾野
EOS 1/1.6一眼レフ・デジカメのための立体アダプターを…使おうと、思ったらもう夜になっていた休出日。そこで、撮ってみたのは「今日の車窓から」 通り過ぎていく光や目の前の光が、四次元の立体空間の中であなたに迫る? とうわけで、平行法でご覧下さい。
■40年前と後の鉄腕アトム
1963年に谷川俊太郎が綴った「鉄腕アトム」と、2003年に谷川俊太郎が綴った「百三歳になったアトム」を並べて読んでみる。
空をこえて 星のかなた行くぞアトム ジェットのかぎり街角に 海の底に今日もアトム 人間守って 谷川俊太郎 「鉄腕アトム」19631963年は三井三池炭鉱爆発事故が起こり、ケネディ大統領が銃弾を受け暗殺された年。その年から放映され始めたのが「鉄腕アトム」 同じ年に放映されていたのは鉄人28号やエイトマン。
現実の世界で空飛ぶマイクロ・ロボットが登場し、マンガの中では鉄腕アトムが誕生した2003年に書かれたのが、「百三歳になったアトム」 2003年にあった他のことは、こんな感じ。
人里離れた湖の岸辺で、アトムは夕日を見ている。
ぼくには、魂ってものがあるんだろうか。
どこからか、あの懐かしい主題歌が響いてくる。
夕日ってきれいだなあと、アトムは思う。
だが、気持ちはそれ以上どこへも行かない。
ちょっとしたプログラムのバグなんだ、多分。
そう考えて、アトムは両足のロケットを噴射して、
夕日のかなたへと飛び立って行く。
谷川俊太郎 「百三歳になったアトム」2003
■A Walk Through Time
「時間に関する歴史」の色々を眺めてみる"A Walk Through Time"
2006-06-04[n年前へ]
■Mathematicaでマリリン・モンロー
今週、「Mathematica 初級・入門コース」で90分程度の実演講師をするので、実演用テキストを作ってみました。Mathematicaを使ったことがない人を対象にしている…ということで、難しい機能を使わずに、画像入出力と三次元レンダリング動画とクラスタリングによる減色…といったような内容を扱っています。作った資料は、画像も入ったPDF版(3.2MB)・画像を削ったMathematicaのノートブック(26kB) といった感じになります。
2008-06-04[n年前へ]
■64GB ソリッド・ステイト・ドライブ 7万円
1.8インチ 8mm厚もしくは、2.5インチのハードディスクベイ用として使うことができる「ThinkPad 64GB ソリッド・ステイト・ドライブ」がサイト限定で、7万円でモニタ販売されている。ハードディスクを2台詰めるノートPCであれば、そして、開発アプリケーションなどの容量が大きいアプリケーションを入れる必要が無ければ、起動用のディスクとしてはSSD(ソリッド・ステイト・ドライブ)を使い始めても良いのかもしれない。
読み書き速度は、「ランダム・セクター・リード:80MByte/Sec」「ランダム・セクター・ライト:30MByte/Sec」なので、普通のノートPC用ディスクからすれば、(読み込み時間にほぼ支配される)起動時間は半分近くになる 。データ書き込みが遅い分は、データなどを2台目のハードディスクに置いておけば、SSDへの書き込みを減らすことができる、という具合である。1スピンドルマシンではそういったことはできないが、2スピンドルマシンでHD×2台搭載という使い方をしている人も多いだろうから、そういう人はそろそろ人柱になってみても良い頃なのかも。
2009-06-04[n年前へ]
■Windows VISTAとXPの「バッチファイルの動き方」の違い
Windowsでファイルを加工するスクリプトを作り、処理するファイルをドラッグアンドドロップして使うことができるように、バッチファイル(*.bat)を書いた。つまり、たとえば、こんなようなバッチファイルを書いた。
perl hoge.pl %1ところが、こんなバッチファイルを使おうとすると、Windows VISTA では意図した通りに動くのに、Windows XPでは動かないのである。
その原因を追いかけてみると、バッチファイルを起動したときの挙動がWindowsのバージョンによって異なっていることが原因だった。あるいは、コマンドプロンプトのカレントディレクトリがどうなっているかを、私が意識していなかったことに原因があった。
どういうことかと言うと、Windows VISTA では、バッチファイルをダブルクリックした時には、そのバッチファイルがあるディレクトリを「カレントディレクトリ」として起動したコマンドプロンプト内でバッチファイルに書かれた内容が処理される。ところが、バッチファイルにファイルをドラッグアンドドロップすると、そのバッチファイルは「ドラッグアンドドロップしたファイルがあるディレクトリ」をカレントディレクトリとして、コマンドプロンプトが起動し処理が行われる、という挙動になる。
しかし、Windows XP では、『バッチファイルをダブルクリックすると、そのバッチファイルがあるディレクトリを「カレントディレクトリ」として起動したコマンドプロンプト内でバッチファイルに書かれた内容が処理される』というところまでは同じなのだが、バッチファイルにファイルをドラッグアンドドロップした場合には、そのバッチファイルは"C:\Documents and Settings\ユーザ名"をカレントディレクトリとして起動したコマンドプロンプト内で処理されるのである。そういう違いがVISTAとXPのバッチファイルの間にはあった。
先のバッチファイルの場合、バッチファイルから呼ばれるスクリプトが、「バッチファイルがあるディレクトリがカレントディレクトリである」ことを前提としていたので、Windows VISTA では動くのに、Windows XPでは動かない、ということが起きた。
いつものように、「思い込み」は危険だと思うと同時に、コマンドプロンプトやバッチファイルの沼も結構奥が深そうだ・・・と今さらながら感じたのである。このコマンドプロンプトやバッチファイルの「沼」に足を踏み入れてみるべきか、あるいは近寄らないようにするべきか・・・それが問題で思い悩んでいる。
2010-06-04[n年前へ]
■赤青メガネをかけて、iPhoneを立体ディスプレイにしよう
iPhoneやiPad(もちろん、いつも使っているタブレットPCも)を物体が画面から飛び出す立体ディスプレイにしたくなり、赤青メガネをかけて立体を表示できるプログラムを作ってみることにしました。共通のソースで動くようにしたいということで、OpenGL ES をいじってみることにしました。
まずは、地球を回転表示するOpenGL ESのサンプル・プログラムを、glFrustumを使うことで左右の目から液晶表面を介して見える画像を自然な見え方にした上で、両眼分の画像を作成し、さらに、アナグリフ(赤青メガネ)用画像として色変換をした上で、iPhone画面にアニメーション描写するようにしてみたののが、下の動作画面になります。
コードを書き、そして、ビルドしたアプリケーション走らせ、赤青メガネをかけて画面から飛び出す「立体的な地球」を眺めていると、何度もビルド&実行をさせたい欲望にかられます。
OpenGL ESでのプログラミングに慣れたなら、以前作った、「(加速度センサ対応)体感・実感バストシミュレータ」のC++ソースを流用し、モバイル用(加速度センサ対応)体感・実感"3D"バストシミュレータでも作ってみることにしましょうか。
2011-06-04[n年前へ]
■レンチキュラー・シートにサラダ油を振りかける
観光地に行くと、よくレンチキュラー・シートを使った立体絵画や立体写真を見かけます。「そんなレンチキュラー・シートにどんな映像が映っているか、そのシートを壊さずに調べてみよう」というクイズがありました。そのクイズを聞いた瞬間に考えたのは、「プラスチックに屈折率が近い液体、たとえば何らかの”オイル”をレンチキュラー・シートの上に垂らし、そして普通に上から撮影すればいい」というアイデアでした。そうすれば、レンチキュラー・シートはレンズでも何でもなくなり、ただの透け透け物体に変わるはず、というわけです。
「そんな答えが合っているかどうか」を確かめたくて、念のため、手元にあった「レンチキュラー・シートを使った”分子構造”の立体画像」に(家にある材料の中では屈折率がプラスチックに近い液体である)サラダ・オイルを振りかけて、顕微鏡で真上から撮影したのがこの写真です。プラスチック・レンズにサラダオイルを振りかければ、当たり前の話ですが、レンズ効果はどこか遠くに消え失せて、レンズの無効にどんな画像が描かれているのかを自然に眺めることができるようです。
「パズル」を解き、その答え・予想が合っているかどうかを確認する瞬間は実に楽しいものです。そして、答えや予想が間違っていたら「考え方・予想の仕方」にフィードバックをかけて、何らかの補正をかける、そして次の「掛け」をする…それもまた楽しい最高のギャンブルです。
2013-06-04[n年前へ]
■麻雀マンガの科学ー「バード 雀界天使vs天才魔術師」 ”偏光マーキング”は可能か!? 編
麻雀マンガの科学ー「バード 雀界天使vs天才魔術師」 ”偏光マーキング”は可能か!? 編 を書きました。
麻雀マンガ「バード」第2巻「雀界天使vs天才魔術師編」で、主人公の対戦相手である雀界天使 美人姉妹が、麻雀牌の背面(白い無模様の側)に「反射光が偏光するような塗料」で模様を付けておき・相手の麻雀牌の手を透視してしまう!というワザを使っていました。
さて、問題は「バード」で雀界天使 美人姉妹が使ったワザ、麻雀牌の背面(白い無模様の側)に「反射光が偏光するような塗料」で描いた模様を識別するというテクニック、…それは一体可能なのか?ということです。
ハイディンガーのブラシは、網膜黄斑部の繊維組織および色素が配列方向性があり、直線偏光に対して異方性(偏光方向成分に応じた光吸収差)を持つことによって生じます。…生じるのは、 網膜黄斑部の中心窩を中心とした2.5°程度(視角にすると1°程度)の範囲です。…
2017-06-04[n年前へ]
■江戸の町に鳴らされる「時の鐘」の同期手法の科学と謎
江戸時代、時間を知らせる「時報」があった。江戸城を囲むように配置された何カ所もの「鐘」を鳴らして、江戸の町にその時刻を知らせていた。最も最初に作られた「時の鐘」は、今の東京駅や神田駅にほど近くに位置した本石町にあり、「時の鐘」はその後、他にも上野寛永寺や芝増上寺など10箇所以上に作られた。この「時の鐘」が「鐘を鳴らす順番が決まっていた」という解説を読み、いくつか不思議に思うこと(そして興味を感じること)があったので書いてみようと思う。
そもそものきっかけは、以下の解説中の「①時の鐘は順番に鳴らされ、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるように配置されていた」「②捨て鐘という前振りを行うことで、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにする」という記述である。この解説だけでなく、他の書籍などでもこの記述は見かけるのだが、まずはこの2点に、技術的な興味と少しの「引っかかり」を感じた。技術的興味というのはとくに②について、そして「引っかかり」は①についてである。
時代によって設置場所と個数には変化がありますが、最初の9ヶ所は、①本石町②上野寛永寺③市ヶ谷八幡④赤坂田町成瀬寺⑤芝増上寺⑥目白不動尊⑦浅草寺⑧本所横堀⑨四谷天龍寺で、この順番で前の鐘の音を聞いて順序よく鐘を鳴らしていたのです。
江戸では「捨て鐘」と呼ばれる撞き方があり、時刻を告げる時打ちの鐘を撞く前に、先ず注意をひくために三度撞き鳴らしていました。これは、一つ前の順番のお寺の「捨て鐘」を聞いたら、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにするための知恵でした。江戸の「時の鐘」は、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるような位置関係に有ったようで、誤って遅速した場合の罰則はかなり厳しいものでありました。
江戸時代の暮らしと時間
上の解説には、「①時の鐘は順番に鳴らされ、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるように配置されていた」と書かれているが、浦井 祥子氏の博士論文を元にした書籍「江戸の時刻と時の鐘 (近世史研究叢書 (6))」によれば、順番に鳴らされていたことがわかっているのは、史料からは
- 上野寛永寺
- 東円寺(市ヶ谷八幡)
- 赤坂成満寺
- 芝切り通し
鳴らされる順番がわかっている時の鐘に番号付けをした上で、他の時の鐘とともに地図上に描いてみたのが下図だ。ちなみに、名前を黄色背景としたところは「時計」を備えていたことがわかっている「鐘」である。
こうして眺めてみると、当たり前のことだが、比較的高い土地に設置されていることがわかる。そうした場所に、高さ8m程度の建物の「時の鐘」を設置したというから、見通しよく鐘の音が伝わったのだろうとは思うが、「上野寛永寺と東円寺(市ヶ谷八幡)の4kmほどの距離」は少し気になる。この距離だと、梵鐘の鐘の音が届く限界距離に近く、現代より自動車音などや音波を遮蔽するビルなどが無いにしても、鐘の音を聞き取りにくい時も生じてしまうように思えてしまう。
それに対して、東円寺(市ヶ谷八幡)から赤坂成満寺や芝切り通しへの「鐘の音リレー」は1.5km程度の間隔となっていて、こちらはとても自然だ。
フジテレビ「トリビアの泉」で、梵鐘をヘリで吊して、高度100メートルから落下させたとき鐘の音が届く距離を調べる実験や梵鐘が聞こえる距離実験をしていて、その結果で鐘の音が聞こえる距離が1km前後だった(梵鐘を落下させたのでは、固有振動を最大限にすることは難しそうですが)。江戸の街は現代の東京よりも遙かに音が聞こえやすい…といっても、いつもきちんと伝えるのは難しいように思えてしまう。 当時、鐘の負担金を「聞こえる範囲」の300町〜400町(約3〜4km)の町人が負担したというが、果たしていつも「きちんと聞こえた」のだろうか。
ところで、秒速340mほどの音速を考えると、上野寛永寺から芝切り通しまで「時の鐘」を伝えるためには、どんなに早くても約30秒掛かる。そして、こうした時の鐘が2次元上に配置されていることを考えると、それぞれの鐘の打ち手は一体どんな鐘の音シーケンスを聴いていたのを知りたくなる。
「②捨て鐘という前振りを行うことで、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにする」については、「江戸の時刻と時の鐘)」によれば、まず最初に鳴らされる「捨て鐘」は3打から構成され、1打目の後少し間を空けたあと、2打連続して撃ったという。つまり、モールス符号の「D-・・」のようにして撃つ作法だったという。そして、時刻を知らせる鐘は、時刻の数だけの鐘を「最初は間隔を長く、そして徐々に間隔を短くして」撃ったという。
梵鐘を撃つ時、鐘を打つ橦木をスイングバックする必要があることを考えると、この打ち方をすることで、「捨て鐘」は「最初の鐘が大きく響き、後の2鐘は小刻みに小さな音で鳴る」ということになる。そして、時刻を知らせる鐘も同じように「音がだんだん小さく・小刻みになっていく」ことになる。この鳴らし方は、鐘の順番や数を聞き分けるために役立つような気もするし、単なる省略的な打ち方にも感じられる。
何はともあれ、江戸の町に鳴らされる「時の鐘」の同期手法の科学を考えてみると、とても面白そうだ。江戸の町にどんな風に鐘の音が響いていたかを考えてみると、何だか江戸時代にタイムトリップしたような気になってくる。