hirax.net::inside out::07月03日

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2000-07-03[n年前へ]

ドリームキャストのコピープロテクトは破られた 

個人的にはコピープロテクト自身の適法性の方がむしろ気にかかるところ。(リンク)(リンク

論文の略歴 

ここまで変な組み合わせだと笑ってしまう。接点は一体どこに? そのナゾを知りたい人には、メールで対応のココロだ。

うれしいなっ、と。 

お笑いパソコン日誌再開。実は私のポータルサイト。(リンク

2001-07-03[n年前へ]

富士ゼロックス、触覚を伝えるマウスを開発 

 商売になるかは難しいとは思うが、面白そう。すごく、欲しい。以前、わきさんから聞いた現代アートの何かを思い出すなぁ。(リンク

Google Image Search BETA 

 以前、見に行った時は動作がおかしかったけど、今はマトモ。とても、面白い。"hirabayashi"で検索をかけると、hirax.netの中の画像データももちろん出てきた。が、父親のデータや顔写真が出てきたのにはまいったなぁ。こういうのは本人はビックリだろうなぁ。(リンク

人物行動認識技術 

 この手のものは前から挑戦したいのだけれど、良いサンプル動画がないんだよなぁ。(リンク

2002-07-03[n年前へ]

今朝の水滴 

 朝、職場の駐車場で。最近は、毎日のように濡れた芝生と戯れるワタクシ。(リンク

厚木 

 昼休み後、厚木へ。車で一時間ナリ。近いナリ。飛ばしたナリ。

2004-07-03[n年前へ]

青春18きっぷは定義式 

 今年の春の青春18切符のコピー

       √a = 18旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。
に対してのツッコミ
ちなみにこの公式には”落とし穴”があり、普通に解くと「a=324」と答えが出てしまいます。誰がどのような旅をしても心の中ではいつも18歳、と伝えたいのでしょうか。
を見る。

√a = 18  それは、"="の定義次第に違いない。このコピーの作者は実は数式処理系に堪能で、"="は、いわゆる等号"=="ではなく、代入の"="かもしれない。つまり、「√aというものは全て18が代入される」という手順を意味しているというのも自然かもしれない。
 そして、さらにこの式は"√"という演算子(もしくは関数)を定義する式であって、(例えばMathematicaなら)この式は
root(a_) := 18
なんていう内容を書いてある、とも自然に読むことができるだろう。すると、これは「ルートをとるとどんなaも全て18になる」という定義だ。もっと素直に言い換えれば、それはコピーそのままの「旅路(ルート)の中では、人は誰でも18(age)になる」である。そういう処理を行わせるものこそが「旅路(ルート)」というものなんだ、と高らかに定義・宣言する式である。

girls=evil そして、(「女の子=悪」の証明風に言うのなら)「人のルート(root=根底にあるもの)はそんな18才の頃のようなものだ」とさらに想像してみるのはどうだろうか。青春18きっぷのポスターに書かれた小さな式は「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが人の根底にあるものなんだ」という言葉だと勝手に想像してみるのだって面白いはずだ。

 青春18きっぷの公式から"a=324"なんてなんだか少しツマラナイ答えを導いてしまうのではなくて、もっと色んな想像をして色んな答えを導いてみるのも良いのじゃないかな、と思う。答えが(自分の知識の範疇で想像できる)一つだけなんていうのは「青春18きっぷ」には似合わない。もっと、色んな期待とともに線路の先を眺めた方が、きっと面白いことを見つけられるに違いない。

ソニー・ロリンズ 

 St. Thomas.

海の景色 

 説明資料作成の合間に千本浜へ。

海の景色






気になるひとこと 

 「考えることを要求する広告」というコンセプトの青春18切符のキャッチコピーは、「見る人に頭の中で考え想像させつつも、マイナスイメージを持たれない」のではないか、という考察を行った「一言の効果」から。

最近の日本の新聞には連日「沈没」「滅びる」「だめだ」の文字が躍っている。 今日も私たちは一言に一喜一憂しながら一日を過ごす。 もし言葉に何らかの力があるとすれば、こうしたマイナス表現を少し効果的な一言に工夫できれば、また違った明日が訪れるかもしれない。

青春18切符で見る景色 

寝坊したら、すごくソンした気がした。 荒木経惟が撮影していた頃の青春18切符のポスターやチラシが好きだった。「誰も私を知らない」「この町とヒミツをつくる」「この街で育ったら、どんな私になっていただろう」なんていうコトバと共に、そこに写る景色を眺めていた。今だって部屋の片隅を眺めると、「『出会い』なんてコトバ、古くさいと思っていた」なんてチラシが見える。

 そんな風にチラシやコトバを気に入った人達たくさんいて、そのコトバを写経するかのように書いてる人や、そのヒトコトを考察している人もいる

 写真に写る景色やチラシに書かれた言葉はきっと何処かで世相を映しているはずだ。そんなものを眺め返してみるのも良いかもしれない。知っている人達は懐かしく眺めて、もしも知らない人達ならば、それを新鮮に眺めてみるのも面白いはず。色んな景色やコトバを眺めて、あなたはどのコトバ・景色が気に入るでしょうか。 from カフェのひとのWebメモ。

色んな時計のFlash 

 なかなかシンプルなデザインの色んな時計のFlash。ページやデスクトップに貼り付けて、自分用に表示させるのも良いかも。 from カフェのひとのWebメモ。

「ピー」サイズ送信で景品を当てよう 

 「ピー」のサイズを計るためのカード。チェコのコンドームメーカー「ペピーノ」が配布しているもの。計った太さや長さ、つまりはサイズを計る。そして、そのサイズをカードに書いてある「クラス分け」をした後に、ペピーノにその結果を送信すると景品が当たる。あなたも財布に入れて持ち歩く?
計測カード

2005-07-03[n年前へ]

北千住 

北千住北千住北千住






加速度センサ@東芝Tablet PC 

加速度センサ@東芝Tablet PCVibro.NET : Making sense of the Tablet PC Accelerometer: WinGimcana 東芝が発売しているTablet PC上で、加速度センサの値を使用した例を探してみた。すると、Making sense of the Tablet PC Accelerometer: WinGimcanaというものが見つかった。このアプリケーション自体は加速度センサの値を得るようなことはしていないのだが、東芝のTablet PCに付属しているInputSyncというユーティリティを使って、PCの傾斜に応じて動くアプリケーションを実現している。
 InputSyncは傾斜に応じてカーソルを動かすユーティリティであり、任意のアプリケーションに対してそのカーソル駆動を適用させることができる。だから、アプリケーション側からすれば、単にカーソルに対する反応を記述するだけで、(結果として)加速度センサの値に応じた動きをさせることができる。
 しかし、InputSyncを使った場合には、東芝のTablet PCが搭載する6自由度の加速度センサの値のうち2軸の値しか活用することができないとか、高速度の値取得ができないなどの不都合な点がある。ユーザー・インタフェース用としては、高速度の値取得はできなくても構わないし、最悪2軸入力でも悪くはない。とはいえ、せっかくなのでもう少し調べてみることにする。

FPGApple 

  Xilinx Spartan3 FPGAによるAppleエミュレータのFPGApple(動作画面).

2006-07-03[n年前へ]

「青春18切符」 

 from n年前へ.

答が(自分の知識の範疇で想像できる)一つだけなんていうのは「青春18きっぷ」には似合わない。もっと、色んな期待とともに線路の先を眺めた方が、きっともっと面白いことを見つけられるに違いない。
今日も私たちは一言に一喜一憂しながら一日を過ごす。 もし言葉に何らかの力があるとすれば、こうしたマイナス表現を少し効果的な一言に工夫できれば、また違った明日が訪れるかもしれない。
荒木経惟が撮影していた頃の青春18切符のポスターやチラシ が好きだった。「誰も私を知らない」「この町とヒミツをつくる」「この街で育ったら、どんな私になっていただろう」なんていうコトバと共に、 そこに写る景色を眺めていた。

「地平線までの距離」 

THE EYE FORGET: Distance to the Horizon スライドShowTHE EYE FORGET: DISTANCE TO THE HORIZON リコーのデジタルカメラ RICOH GRD で地面近く・足下近くから、その先の景色を撮影し、「巨人の国」を蟻の視点から眺めてみよう、というという"DISTANCE TO THE HORIZON" その景色からは、確かに「地平線までの距離」を実感することができる。写真集のスライドショーページはこちら

実はその(本城直季の)撮影方法のアイデアは本城のオリジナルではない。昔からそのやりかたは知られていたし、実際は本城よりもずっとまえに同様の、写真集も海外で出版されていた。
多くの人が彼(本城直季)の写真に共感するのは、その撮影方法のアイデアがオリジナルかどうかではなく、かれが描きだしたビジョンが他の写真家より明確で、一歩進んでいたからだろう。

2007-07-03[n年前へ]

科学とオカルト 

 「科学とオカルト(池田清彦 講談社学術文庫)」を読んだ。

 オカルトとは元来「隠されたこと」を意味し、…シェパードによれば「通常の経験や思考ではとらえることのできない神秘的、超自然的な現象を信じ、これを尊重しようとする進行全般を示す概念であって」(渡辺恒夫・中村雅彦「オカルト流行の深層社会心理」)ということになる。 …この定義に従うと、ビッグバン仮説を信じている物理学者はオカルト信者となってしまう。なぜなら、百五十億年前、宇宙はゴルフボールぐらいの大きさだったと主張するビッグバン仮説は、通常の経験や思考ではとらえることのできない進歩的、超自然的な現象を信じることにほかならないからである。  「科学とオカルト」 P.17 第一章 科学の起源
 「水からの伝言」に関する記事へのブックマークを眺めるとき、そこには「オカルト」「ニセ科学」「科学」なんていうタグがついていることが多かった。それらのタグがどういうことを指そうとしているのか、そんな言葉にはどんな過去があるのかを考えてみたりした人たち、あるいは考えなかった人たちであれば、この 「科学とオカルト」を読むときっと面白いと思う。
 十六、七世紀の第一の科学革命の頃、業績評価というのは、もっぱら異端審問のためのものであった。…理論は所詮オカルトであり、背反する神学的信念のどれが正しいかを決める客観的基準などあり得ようはずはなかった。 十九世紀になり…さまざまなオカルト(個々の研究者の理論や実験結果)を平準化する必要が生じた。オカルトの大衆化あるいは民主化といってもよい。社会的に平準化されたオカルトは、公共性を獲得したのだから、もはやオカルトとはいえない。それでは何と呼ぶかというと、「科学」ということになったわけだ。実に科学とはオカルトの大衆化だったのである。  「科学とオカルト」 P.47 第二章 オカルトから科学へ
 アーサー・C・クラークは「十分に発達した科学は、魔法と区別がつかない」と書いた。科学の専門化・細分化・高度化が進む21世紀は、そんな科学と魔法が区別が付きにくい時代なのかもしれない。

2008-07-03[n年前へ]

「痛みは一瞬。映画は永遠」 

 "バック・トゥ・ザ・フューチャー"シリーズのメイキング・ビデオが結構面白かった。当時の技術で映像をどのように作っているか、ということも面白かったが、何より面白かったのが、マイケル.J.フォックスが語っていた話である。カンフー映画のジャッキー・チェンさながらに、転んだり・殴られたり・怪我したり……、とても痛いミステイクを数えきれないほど地検したマイケルは、監督ロバート・ゼメキスといつもこう言い合いながら、また次のテイクを再開したという。

 痛みは一瞬。映画は永遠。
 この二人が語った「痛み」は、クロード・モネの「絵を描くことは難しく、苦しい。絵を描いていると希望を失ってしまう。それでも私は言いたいと思っていることをすべて言ってしまうまでは、少なくともそれを言おうと試みた上でなければ死にたくない」という言葉の、「苦しく・希望を失ってしまう」ということと、少し似ている。

 あるいは、山田ズーニーが「おとなの小論文教室」書いていた「自分には紡ぎだせないものでも、それをイメージすることが人にはできる。それが、未知で・独特で・自分で作り出すしかないものだから、他人の水準のものでは納得できないものだからこそ、それを作ることに駆り立てられる。そして、自分が作らなければ「無い」ものだから、その過程で、時に絶望するのだろう」というような文章中の、「時に絶望する」という言葉とも似ている。

 それがどんな形の痛みでも、そんな痛みを感じていても、結局は、何かに駆り立てられものを作りつづける人たちなのだ。

 ものを作るのが好きな人たちは、ものを作り続けることが好きな人たちは、きっと「痛みは一瞬。映画は永遠」という言葉にうなづく部分があると思う。そして、実際には、その「映画」や「その人にとっての映画にあたるもの」は決して永遠ではなく、映画ができた瞬間を過ぎれば、またすぐに作り手も受け手も「次の映画」へと進んでいくということにもうなづくことだろう。そして、実は、それが結構好きなのではないかと思う。ものを作るのが好きな人たちは、ものを作り続けることが好きな人たちは。

 たとえば、苦しい思いをして山に登る人が、その苦しさが癒えないうちに次の登山を夢想しているように、あるいは、上手く動かない・思ったような結果が出ないプログラムと格闘し、なんとか動いた一瞬の喜びを糧に、また次のプログラムを(少なくとも最初の内は)喜々として書き始めてしまうような人たちがいる。それが、ものを作るのが好きな人たちなのだろう、と思う。

image






2009-07-03[n年前へ]

例題・説明文付き色処理・シミュレーションMathematicaライブラリ 

 Mathematicaで作った色処理関連の関数群・それらを使いさらにオブジェクト指向に書いた(モンテカルロ光伝播シミュレーション機能付き)クラス群のライブラリに例題や説明文を付けたものを作りました。そのライブラリを記述したノートブックを、ColorLib_amature_on_7.0_1.01.nb (5.6MB) として、サイト上に置いておきます。

 Mathematicaを持っていない方でも、Mathematica Playerを使えば、Mathematicaのノートブックを眺めることができます。ですから、もしも題材に興味がある方ならば、「なるほど、この処理はこんな風に書いているのか」「ここはこう直した方が良いんじゃないのか」など、きっとそれなりに楽しむことができると思います。

 たとえば、Mathematicaで書いたライブラリを他の言語で書き直そうとしたときに、書きにくいと感じる部分こそが、Mathematica「らしい」だろうと思います。もちろん、これはMathematicaに限らない、プログラム言語にも限らない「個性」ということに関する一般的な話です。

例題・説明文付き色処理・シミュレーションMathematicaライブラリ






2010-07-03[n年前へ]

エクセル 2010のグラフを綺麗にするRubyスクリプトを作る 

 先日、エクセル2003のグラフを綺麗にするアプリを作りました。しかし、Excel 2010に対して動かしてみると、どうしてもエラーが出てしまうのです。そこで、今日は、Borland C++ Builder 6.0でコードを書くのは止めて、とりあえず、Rubyでエクセル2010のグラフを綺麗にするスクリプトのスケルトンを書いてみました。その実行結果例が下に張り付けたものになります。透明度も調整できますし、近似色が使われることもなく、なかなか良い感じです。

あとは、このスクリプトに機能追加&EXE化を行った上で、色指定などを行うインターフェースから適当にその実行ファイルを読んでやれば良さそうです。そういった辺りは、また後程してみようと思います。

 ちなみに、Rubyスクリプトの主要部(を簡単に示したもの)はこのような具合になります。オブジェクトの親子関係が入り混じっている箇所に、少し惑いました(LegendKey経由になっているのも、そんな戸惑いの影響になります)。

excel=WIN32OLE::connect("Excel.Application")
chart=excel.ActiveChart
legend=chart.Legend
count=legend.LegendEntries.Count
count.times do |i|
  entry=legend.LegendEntries(i+1)
  fill=entry.LegendKey.Format.Fill
  fill.ForeColor.RGB=255*i/(count-1)+
                          0*256+
                          255*(count-1-i)/(count-1)*
			  256*256
  fill.Transparency=TRANSPARENCY
  fill.Solid
end

エクセル 2010のグラフを綺麗にするRubyスクリプトを作るエクセル 2010のグラフを綺麗にするRubyスクリプトを作る






2012-07-03[n年前へ]

透け透け水着の物理学 ~iPhone4で「裏」ワザ 編 

 『iPhone 4を「赤外線カメラ」にする「裏」技テクニック』で「iPhone 4は、フロントカメラにカメラを使えば赤外線撮影ができる」と書きました。(参考:iPhone 4sはリアカメラ(いわゆる主カメラ)でも、赤外線撮影ができるようです)

 今朝、朝日が照ってきたことを(太陽からの強い赤外線照射がされたことを)これ幸いと、「透け透け水着の物理学」実験をしてみました。つまり、服の内側を「透視する」ことができるか確認してみました。

 まずは、iPhone4のフロントカメラに可視光カット・赤外線通過フィルタ(IRフィルタ)を貼り付けます。IRフィルタが(可視光に対しては不透明なので)真っ黒のこともあり、黒いiPhoneの前面に貼り付けると、右の写真のように、何の違和感もなく(まるで何の加工もされていないかのように)自然な具合になります。・・・そして、フロントカメラでは「赤外線だけを撮影することができる」ような状態になったところで、黒いシャツの中に「本」を持ち(左手で支え)、iPhone 4 赤外線写真を(右手で)撮影してみました。

 

 左上の写真が(可視光で眺めた)リアカメラ(背面の主カメラ)で眺めたようすで、右上の写真がIRフィルタを貼り付けたフロントカメラで撮影した赤外写真です。どちらの写真も、いずれの場合も、「位相数学入門」という教科書を、黒シャツの内側に差し入れています。

 …可視光では不透明な黒シャツも、可視光で見れば(ほぼ)透明です。赤外線で眺めると、黒シャツの中に「位相数学入門」が存在することが、丸わかりです。…眺める波長次第で、全然違う景色が見えるものですね。

透け透け水着の物理学 ~iPhone4で「裏」ワザ 編透け透け水着の物理学 ~iPhone4で「裏」ワザ 編透け透け水着の物理学 ~iPhone4で「裏」ワザ 編透け透け水着の物理学 ~iPhone4で「裏」ワザ 編






2018-07-03[n年前へ]

深層学習で「体が入れ替わってる!?」妄想カメラを作る! 

 発売中の「Software Design 2018年7月号」に、4p記事を書いています。題して『深層学習で「体が入れ替わってる!?」妄想カメラを作る!』です。深層学習とか機械学習といった仕事に役立つトピックというわけではなく、いわゆるひとつの「妄想カメラアプリの作り方」です。つまり、アレ。写真機=カメラというものは、現実の姿を写すのではなくて、「撮影者が写したい=あると良いな…と願った姿を写すべきだ!」という気持ちで作ったあのソフト作成方法です。つまり、"as it it is"ではなく"as it should be"な姿を描き出す妄想的な光画装置です。

 Vimファンのあなたに…じゃやなかった、プログラミングを始めようとしている中2男子なら、この記事を読んでみるのも面白いと思います。(今、気付いたけれど、そんな年齢層の読者がいない感じの雑誌だったかも)

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