2000-07-27[n年前へ]
■突撃実験室
スゴイ! メールをもらったのも本当にうれしいが、内容にはホントーに驚きだ! スーパーマンが集まってるんじゃないのか、あそこ! 以降、私はあの会社を有限会社MISSION IMPOSSIBLEと呼ぶことにする。
■エジソン式コップ蓄音機
「針先が壊れているために、良い音が出ていないのだろう」との開発者の方からメールを頂く。ハイ、私は学研の科学のファンです。とてもミーハーなのでうれしい。なにはともあれ、あの素晴らしい「大人のおもちゃ」に悪いことをしてしまった。というわけで、近日中に「エジソン式コップ蓄音機 リターンズ」に挑戦する予定。
2001-07-27[n年前へ]
■SIRCAMと技術教育
今回のSIRCAMはもう頻繁に色々なところから送られてくる。だが、だからといって「マイクロソフトのメールツールは使用しないことが、重要かと思います」という発言は思考停止だと私は思う。
少なくとも、今回はメーラーの種類は関係ないみたいだし、それに例えばそれは「刃物は危険だから使わないことが、重要かと思います」っていうのと近いものも感じるし。それでは技術教育とは矛盾するんじゃないのかなと思ったり、それはもしかしたら、生徒のほうが判っているんじゃないのかな、と思ったり。
2002-07-27[n年前へ]
2003-07-27[n年前へ]
■お絵かきディスカッション netmat
お絵かきをして、ディスカッションができるnetmat。
2004-07-27[n年前へ]
2005-07-27[n年前へ]
■ヒント!?編「死刑か無罪」のクジを引く
実際にやってみると自然と納得してしまいそうですが、ポイントの一つが
さて、この次の瞬間、あなたはどうすべきだろうか。の「この次の瞬間」というところでしょうか。つまり、ここまでの物語が生じてしまった後に確率がどうなっているか、という辺りでしょうか。つまり、この物語は「この瞬間」から話が始まっていて、この物語にあてはまらない物語は別の世界の物語、ということになります。
また、ツッコミされた方に感謝を込めつつ(ありがとうございます)、(実は今回の物語では神=ストーリーテラーの私が彼の運命を決めていて、彼は必ず死刑を選ぶのだ)という一文を挿入しておきました。なんと、その人の…恐ろしい運命なんでしょうね?というわけで、明日くらいまではどんどん文章が書き換わるかも?
さてさて、というわけで、
元の「全てを知ってる司会者」を「全てを知ってる私が動かすアセった被告人」にしたのは無理があったなぁ、とは思ってます。司会者の話だとちょっと興味を持たれにくいかなぁ、と思って変え始めたらちょっとはまってしまいました。今度、ハマった箇所などを解説編こんな実験編ここがマズった!!編などなどでまとめていきますね。
■問題編「死刑か無罪」のクジを引く
昨日、同僚や他社の仕事仲間が「(彼らが)今ひとつ納得できないという確率の話」をし始めました。それは、割に有名な話なのですけれど、ちょっとアレンジしてみるとこんな話になります。
あなたは裁判の被告人で、「死刑」か「無罪」かを決められようとしている。
なんとも恐ろしいことに、その裁判では「死刑」か「無罪」を三本のクジで決めるのである。そして、二本のクジには「死刑」と刻まれていて、残りの一本には「無罪」と書いてある。つまり、1/3の確率であなたは「無罪」になるが、残りの2/3の確率であなたは「死刑」になってしまうのだ。あなたは一本クジを選び、そしてそのクジがあなたが「死刑」になるか、「無罪」になるかを決めてしまうのである。
ついに、あなたは運命を天に任せ、一本のクジを手に持つ。そして、そのクジを引いて何と書かれているかを知ろうとした瞬間、残りの二本のクジの一本を横から他のアセった被告人が引いてしまった。そして、そのクジには「死刑」と書いてあり、そのアセった被告人は死刑台へ連れていかれていった(実は今回の物語では神=ストーリーテラーの私が彼の運命を決めていて、彼は必ず死刑を選ぶのだ) なんと…恐ろしい運命だろう。 さて、この次の瞬間、あなたはどうすべきだろうか。
今、手に持っているクジをそのまま引くべきだろうか?それとも、手に持っているクジから手を離し、残っているもう一本のクジを選ぶべきだろうか?それとも、アセった被告人が存在しようがしまいが、残った二本の文字が書き換わるわけではないのだから、その二本のどちらを選ぼうがあなたの運命が変わるわけもなく、あなたは1/2の確率で「死刑」か「無罪」かが決まるのだろうか?というわけで、とりあえず問題編を新幹線の中で書いてみました。問題の主人公の気持ちになって、あなたなら「どんなクジの選び方」をするかを考えて決めてみましょう。「死刑」か「無罪」かのクジを選んでみましょう。さてさて、
■実験編「死刑か無罪」のクジを引く
始まりは、問題編「死刑か無罪」のクジを引くです。
解説編の前に、まずは問題の主人公の気持ちになって、あなたなら「どんなクジの選び方」をするかを考えて決めてみましょう。「死刑」か「無罪」かのクジを、下の表で試しに10回選んでみることにしましょう。まずは、クジ1クジ2クジ3のうちのどれか一本を10回選んで印をつけてみて下さい。
それでは、「今、手に持っているクジをそのまま引く」人の運命を調べてみよう。実は、クジに書かれた運命はこのようになっていた。あなたの「無罪」の確率はどの程度だっただろうか?あるいは、死刑になる確率はどのくらいだったろうか?
それでは、次に「手に持っているクジから手を離し、残っているもう一本のクジを選ぶべき」と答えた人の運命を調べてみることにしよう。(あなたが選ばなかった)各回の残り二本のクジの中から「死刑」のクジをアセった被告人に引かせます。そして、さらに残った一本があなたの運命を決めるクジです…。さて、あなたの「無罪」の確率はどの程度なったでしょう?あるいは、死刑になる確率はどのくらいになったでしょうか? 試しに何回かやってみます?
■解決編「死刑か無罪」のクジを引く
まずは問題編「死刑か無罪」のクジを引くを読んでみてください。あなたはどの選択肢を選んだでしょうか?
今、手に持っているクジをそのまま引くべきだろうか?あなたの運命はどうやら「死刑」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、手に持っているクジから手を離し、残っているもう一本のクジを選ぶべきだろうか?あなたの運命はどうやら明るい「無罪」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、アセった被告人が存在しようがしまいが、残った二本の文字が書き換わるわけではないのだから、その二本のどちらを選ぼうがあなたの運命に大した違いがなく、あなたは1/2の確率で「死刑」か「無罪」かが決まるのだろうか?という人がもしいたら…、そんな人のための解説編はまた後ほど…。
2006-07-27[n年前へ]
■自分が目指す価値基準
下に引用した部分より、むしろ『自分(達)のやっていることが学校の中だけの価値基準で判断されることに強く反発していたのは覚えている。「しょせん高校の部活動、 3年間楽しんで、卒業したら懐かしい想い出」、そういうのがすごく嫌だった。未熟ではあっても、それが「大人」が本気でやるような「本物の仕事」に連続的に接続しているものであって欲しかった』という部分を眺めた『「ハッカーと画家」を訳していて、唯一ピンと来なかった章が "Why nerds are unpopular" だった』
それこそがNerdの特質なのではないか。特定集団内の相対的人気度ではなく、外にある問題を自分がどれだけ解けるかという絶対的な尺度にこそ価値を見出す、っていう
■W-ZERO3 es は使えるか!?
というわけで、今日買ったばかりのウィルコムの新携帯 W-ZERO3 esをネタに、平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女にウィルコムの新携帯 W-ZERO3 es は使えるか!?を書いてみました。この手のものを買ったのは、"PalmPC"以来です。"PalmPC"は、その後、出世魚のように名前が変わり続けましたが、あんまり「出世」していない気がするのは、私だけ…でしょうか。
今日のお題は、日本の政局をも動かす偉大な「北の国から」の首領様です
■W-ZERO3 es
今日発売されたウィルコムの携帯端末、シャープのW-ZERO3 esが届きました。というわけで、Windows Mobile SDKのお勉強をしてみようと誓った今日この頃です。
2007-07-27[n年前へ]
■異文化コミニュケーション
今日、「異文化コミニュケーション」の話を聞き始めた時、講師の一人の声を知っていることに気づく。この「英語で説明する内容に、ところどころ日本語が混じる話し方」は聞いた覚えがある。確か、TOEICかTOEFLか何かのテキストで聞いたことがある。
内容は実に面白かった。忘れないうちに、アウトラインだけでも、もう一度整理し直しておこうと思う。その話を聞きながら、連想したのはこんな言葉だ。
「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」
2008-07-27[n年前へ]
■懐かしい景色と懐かしい音
港で運動した帰りに銭湯に行った。
大正浪漫を感じさせるようなレトロな建物だけれど、明治12年創業と聞けば、そんな佇まいも至極当然に見えてくる。
引き戸の入口をから中に入れば、そこは何十年も違う時代に見える。体重計には数字の横に「貫」という文字も刻まれていて、あぁ、1貫は4kgで、百貫デブは400kgのことだったんだということに気づかされる。
さらに浴室の中に進むと、その中はまるで古い教会のようだ。狭いけれど三角屋根の高い天井に、音が響く。声を出せば、パイプオルガンが教会に響くように声が残り、丸い浴槽の中に漬かっていると、外から聞こえる排気音が、ダイハツ・ミゼットの音にしか聞こえなくなってくる。
ここに入ってくる新しいものは、ガラスビンから缶に変わったコーヒー牛乳と、ほんの少しづつ、微かに入れ替わっていく「人」自身だけかもしれない。
コダクロームで撮影したような、不思議に濁った色合いの日暮れを見た後に、港に流れる川沿いを歩き、道沿いに座る。すると、人々のざわめきと花火の爆音が響いている。音が、街の「通り」の四方八方から違う周波数とタイミングで響きわたり、空気を震わせ続けてる。
懐かしい景色と懐かしい音が、目の前に心地良く広がっている。
2009-07-27[n年前へ]
■雰囲気のある「ステーキ・プレート」風の弁当容器
インライン・スケートで滑っていると、道の片隅にお弁当のプラスチック容器が転がっていた。この容器には見覚えがある。確か、これはハンバーグ弁当の容器だったと思う。
その容器をなぜ覚えていたかかというと、ハンバーグ弁当を食べた時、安っぽい「ステーキ・プレート風」のプラスチック容器の割には、不思議なくらい「料理皿っぽい雰囲気」を出してくれることに驚いたからである。少なくとも、よくある「白い容器」と比べると雲泥の差を感じたように思う。そして、ハンバーグを載せた容器を見ながら、なぜか「付加価値」という言葉を強烈に連想したのだった。
世の中には、「何とか風味」のプラスチックが溢れている。木工細工風味のプラスチック、革風味のプラスチック、金属風味のプラスチック…一体、どういうものを私たちは「安っぽく」感じ、どういうものを「ありがたみ」があるように感じるのだろうか。
2010-07-27[n年前へ]
■シャボン玉の”炭酸ソーダ風カクテル…はちょっと不気味!?
スーパーでドライアイスをもらったので、冷えた涼しい感じのことがしてみたくて、透明なグラスにドライアイスを入れてみました。そして、グラスの底にカラカラと転がっているドライアイスに、シャボン液をカクテルを作るみたいな気持ちで上から振り掛けてみたのです。「シャボン玉の炭酸ソーダ風カクテル」をグラス一杯作ってみたのです。
すると、グラスから白く不透明な泡がムクムクと出てきました。綺麗な立体幾何学図形を連想させ、また、当初の目的通り涼しげな感じでもあるのですが、…怪獣の幼虫のようにも見えてしまい、ちょっと不気味なさまに感じられます。そういうわけで、背中に少し汗をかき、冷えた涼しい感じを味わったのでした。
2012-07-27[n年前へ]
■電車のLED表示板に「アート風表示」をさせてやる!?
電車のLED表示板は一度に全LEDが点灯しているのではなく、時分割的に、つまりLEDが順々に順次点灯表示されています。人の視覚的には、残像により、あたかも全部の素子が光っているように見えます。
しかし、明るい太陽の下で、デジタルカメラのレンズを電車の表示板に向けると、全然違う映像が見えてきます。 明るい場合、デジカメはごく短い時間に「撮像素子が見た」さまを記録しますし、LED表示板が(時分割的に)順次点灯するのと同じように、デジカメの撮像素子も順次読み出しを行いますから、それらの周期・読み出しタイミングが干渉し、目で見たようすとは全然違う映像が記録されるのです。
下の映像は、JR中央線のLED表示板を、デジカメを回転させながら撮影した動画です。デジカメの読み出し方向とLED表示版の表示方向が干渉して、あたかもLED表示板がアート風アニメーションでも映し出しているかのように見えます。
こうした現象が上手く組み合わさると、『鉄道ホームから発車しようとする列車を撮影したら、「なぜか、(行き先や)列車名の表示が鏡文字になっていた」といった鉄分100パーセントなミステリ事件』が起きたりします(参考:鉄分100%ミステリー「列車LED表示の鏡文字のナゾを解け!」)。 駅のホーム、あるいは、日常生活の中でみる風景に、LED表示板を見つけたら、デジカメやケータイのレンズを向けてみると不思議な映像が浮かび上がってくるかもしれません。自分の視覚とは全然違う特性を持つ「人工的な目」が眺める風景は、見慣れた風景とは「少し違う」風景なのです。
2013-07-27[n年前へ]
■福本伸行漫画に登場するゲームで考える「ある分野の内容を、他のことに適用してみる」ということ
TV番組「アメトーーク!」 の「福本伸行先生に シビれた芸人っ・・・・・・・!」を観ながら、「ある分野の内容を、他のことに適用してみる」ということについて考えました。
福本伸行マンガに登場するオリジナル・ゲームには、他ジャンルのゲーム・ルールに基づいて作られたように見えるものがあります。
たとえば、麻雀牌の何割かがガラス製で、牌種が全員に見えた状態でゲームが行われる 鷲巣麻雀は、手札の一部が公開された状態で行われるスタッド・ポーカー(オープン・ポーカーを麻雀に応用したものに見えますし、あるいは、カイジに登場するゲーム「救出」 は、論理パズルの典型的な題材です。つまりいずれも、ある分野の内容を、他のこと(ゲーム種や物語展開)に適用し、とても面白いものとして調理したものでしょう。
スタッド・ポーカーはオープンなポーカーである。まず初めに各プレイヤーに何枚かの手札(枚数はポーカーの種類ごとに異なる)が裏向きに配られる。次に各プレイヤーに表向きにカードが一枚ずつ配られる。ここでまず一度ベットをする。…以下表向きのカード配布とベットとが交互に行われ、最後のベットが終わったら、全員最初に配られた裏向き札を明かし、勝敗を決める。
完全に新しいことなんて世の中にはほとんど存在し得ないし、どんなに新しく見えることも、他の何かの影響を受けて作られるのだよなぁ…と思いつつ、「ある分野の内容を、他のことに適用してみる」ことを、24時間365日、5年10年行ったとしたら、どんなものを形作ることができるだろう…と考えます。
世の中にあるさまざまな技術や芸術、言葉や行動といったすべてのものが、何に影響を受け・何を(他分野に)応用することで作られたかを示した系統樹を見てみたい、と思います。元あったものが、その時の状況・適用先に応じて変えられていたさまを眺めれば、そこにある「新しさ」をより強く感じられるような気がします。