2000-08-09[n年前へ]
2001-08-09[n年前へ]
■消えたねこぢる
本屋で「消えた漫画家」の文庫版を見かけた。最初の本には入っていなかったねこぢるのことが書き加えられていた。締め切りを律儀にいつも守っていた、というのはかなり意外だった。そして、仕事で体を壊していたというのも。ファンならもちろん知ってる話なのだろうけど。
2002-08-09[n年前へ]
■猫まねき
をThinkpad T30にインストールして、右Shift(Winキーと交換)+({:"?)でHappyHacking風のダイヤモンドカーソルにした。これで手のポジションをほとんど動かさずにすむ、と。
しかし、これではShift+カーソル移動ができないのだった。
2003-08-09[n年前へ]
■今日見た景色
昨日は台風が近づく景色がp@hirax.net宛に送られてきて「今日見た景色」を飾っていました。今日は一体どんな一日になるでしょう?どんな景色でも、あなたの「今日見た景色」を送って頂けたらうれしいです。もちろん、「今日整理している昨日の写真」でも、「今日思い出しているずっと昔の写真」でも、そんなあなたの「今日見た景色」を募集しています。
■続々「美人化」連打物語
「じゃぁ、こうするのはどうです?」「撮影する前に美人化ボタンを押した回数分だけ、撮影した写真を美人化するっていうのは?」「相手に見えないように美人化ボタンを押してから撮影するっていうのは?」「あとは撮影直後に美人化自動変換がかかるっていのうは?」
「というと、相手の顔を見てから、撮影者が美人化ボタンを背後で連打してから撮影するっていうこと?」「その連打する回数は撮影者が勝手に判断するっていうこと?」「それも無茶苦茶失礼な話だなぁ」「だけど、相手がそれで満足する(仕掛けは知らずに)なら良いのかなぁ?」
「一体、デフォルトがその人の素顔なのと、美人化した顔なのとどちらが良いのだろうなぁ?」 (続く)
■与勇輝の「のりちゃん」
与勇輝の「のりちゃん」ちょっと小振りだけど意志の強そうな目が可愛い。まだ美人じゃないかもしれないけれど、なんだかとても可愛い。from 「N年前へ」
■「美人化」連打物語 第三回 - 記憶色・記憶顔編 -
「一体、デフォルトがその人の素顔なのと、美人化した顔なのとどちらが良いのだろうなぁ?」「やっぱり忠実にその人の顔を撮影するのが望ましいんじゃないの?」
「問題は、その忠実ってところが、何に忠実かなんじゃないのかなぁ?」「記憶色と同じで、記憶顔ってのもあるんじゃないのかなぁ?」「意識や記憶の中の他人や自分の顔っていうのは、必ずしも現物に忠実というわけじゃないだろうし、それを現物に忠実にしてしまってもマズイ場合もある、とかさ」「つまり、ちょっと美人化した位が記憶顔に忠実なんじゃいのかな」「少なくとも、携帯電話のカメラ機能とか、プリクラみたいな用途ならそっちの方が望ましいんじゃないのかな?」
「うーん、まさに思い出はみな美しくなり、現実は見えにくくなる だなぁ…」(続く)
2004-08-09[n年前へ]
2005-08-09[n年前へ]
2006-08-09[n年前へ]
■エンジニアという職業選択は合理的ですか?
「エンジニアのための経済学」に「エンジニアという職業選択は合理的ですか?」が掲載されました。小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、「経済学の視点から見た、理系エンジニアを職業として選ぶ理由」「“不況”や“失業者”を巡る二大経済学派の対立」「“理系の”小島助教授が経済学にハマった理由」といったことを聞いてみたのです。
想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の「こうあってほしい世界観」に近くて、憧れとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。 ところが、その魅力的な世界を…
2007-08-09[n年前へ]
■夏の日
蒸し暑く蝉の声が幾重にも響く、けれど、とてもとても気持ちの良い夏の日。 from n年前へ.
想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。
「 記憶色 と同じで、記憶顔ってのもあるんじゃないのかなぁ?」「意識や記憶の中の他人や自分の顔っていうのは、必ずしも現物に忠実というわけじゃないだろうし、それを現物に忠実にしてしまってもマズイ場合もあるとかさ」「つまり、ちょっと美人化した位が記憶顔に忠実なんじゃいのかな」
2008-08-09[n年前へ]
■KISSで「グレート・ギャツビー」を見る
…という具合で、色々な女性雑誌を、「これはどういう人が読むのだろうか」と想像しながら、あるいは、考えながら読んでいる。男性向け雑誌であれば、そんなことはわざわざ考えなくてもネイティブにわかる。けれど、女性向けの雑誌になると、これが全然わからない。
今日読んだのは、 Kiss 2008 8/15 だ。25~30代くらいの女性が読むマンガ雑誌なのだろうか。読めば、色々面白いもので、「本屋の森のあかり」のラストシーンに、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の終わりの言葉が書かれ、その言葉と重なるように絵が描かれていた。
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
Fitzgerald "The Great Gatsby"
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
村上春樹訳 「グレート・ギャツビー」
ふと、その「グレート・ギャツビー」に引っ掛かりながらKissのページを読み進めているうちに、KISSの中に描かれている世界が不思議に「グレート・ギャツビー」と重なって見えてくる。今の日本の25~30代くらいの女性が眺める世界は、ギャツビーが見る世界と、もしかしたら、重なっているのだろうか。
"Whenever you feel like criticising anyone, just remember that all the people in this world haven't had the advantages you've had."
Fitzgerald "The Great Gatsby"
2009-08-09[n年前へ]
■「後悔しない意思決定」を決める「合理性」と「非合理性」
「後悔しない意思決定 (岩波科学ライブラリー) 」を興味深く読んだ。この本には、なるほどと強く納得させられる部分と、何かひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分、そんな相反する2つの「感じ」をともに強烈に感じさせられた。
はじめに、「ひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分」を書けば、たとえば、こんな部分
本書は合理的とは何かを問い、合理的に生きることによって後悔しない意思決定を推奨する本である。
本書では、人は合理的であることを前提としています。そして合理的であろうとすれば主観的期待効用モデル(「最適な決定は、効用の値をもっとも大きくする選択肢を選」という考え方にもとづくモデル)にもとづいて決定すべきであると主張しますが、・・・という辺りだ。こういったことを前提として、「合理的に」本で書かれていることがらを読み進めていけば、当然のように納得できる。けれども、人が「どうしてか」少なからず合理的に考えられないことがある以上、上に挙げたような前提・言葉を受け入れるために必要な「何かワンクッション」が足りないようにも感じてしまう。
だから、たとえば、本書冒頭の言葉、
本書は、意思決定をする際にさんざん悩み、しかも、決定した後で悔むような人のための指南役を目指すものです。に惹かれて頁を読み進めていくとき、「合理的に考えるとこのようになる」といった解説・解決策を提示させられたとしても、論理的でない部分で(端的に言えば感情的な部分で)胃にもたれてしまうのだ。合理的に考えれば納得できるのだだろうけど・・・と感じてしまい、なかなか納得した気持になれないのである。
とはいえ、「合理的に考えるべし」ということを「公理」として受けれ入れて、この本を読むならば、示唆に富むこと/アドバイスが実にわかりやすく書かれている。だから、論理的にはとても納得できる・役立つだろう本で、人に勧めたくなる。ただし、非論理的な部分(のために足りない何か)を補う「あともう一冊」を適当に選びたいとも思う。・・・たとえば、それはどんな本だろう?もしかしたら、たとえば、それは小説家のエッセイ辺りだったりするのだろうか。
2010-08-09[n年前へ]
■テクノロジーとラブレター
もう10年以上、LaTexを使っていません。20年近く前は、何を書くにもLaTeXを使っていたような気がします。どんな文章も、MIFES風のキーコンビネーションにカスタマイズしたVZ EditorとLaTeXで書いていました。論文を書くときも、予算申請書を書くときも、あるいは、ラブレターを書くときだって、タイプしたテキストをTeXでコンパイルし、その結果をプリンターから出力して、そして、切手を貼った封筒に入れて郵便ポストに投函したのです。
ラブレターというものは、まだこの世に存在しているのでしょうか?想いを伝えるだけなら、直接声で伝えるのがほとんどで、文字で伝えるというようなことはもうないのでしょうか。
それとも、文字で伝えることはあるけれど、それはPCで読み書きする電子メールであったり、あるいは、ケータイの画面に浮かぶ言葉だったりするものでしょうか。…最近の恋文事情は全然わかりませんが、LaTeXでスタイルファイルを書いて、テキストを書き、ラブレターをコンパイルして…なんていう面倒なことをしている人は、もうほとんどいないような気がします。
技術進化は、生活のディテールを大きく変化させます。テクノロジー変化にともない、生活のディテールが変化していくことは確かでしょう。けれど、その基本的な部分を俯瞰して眺めてみれば、意外なほどに変化していなかったりするかもしれません。
かつてLaTeXのスタイルファイル作成方法やコマンドの書き方をまとめた資料をFTPサーバからダウンロードして真似して使っていた記憶があります。今の時代なら、ケータイ・メールに関して、似たようなことがされていたりするのでしょうか。
2011-08-09[n年前へ]
■「WOLFRAM CDF(Computable Document Format,計算可能ドキュメント形式)」と「既存の".nbp"ファイル」の違い
WOLFRAM Researchから「CDF(Computable Document Format,計算可能ドキュメント形式)」が発表されました。「計算のための新しいインタラクティブなドキュメント形式」…というわけで、何だかとてもワクワクします。それは、21世紀のTeXもしくはLaTeX形式なのだろうか?…などと期待しながら、発表資料を眺めています。しかし、発表されて間もなく・情報が少ないために、CDF形式と(これまで使われていた)"Wolfram Mathematica Player"用の再生専用ファイルである ".nbp"ファイルとの違いがまだよくわかりません。
"Wolfram Mathematica Player"用の再生専用ファイル( nbpファイル)というのは、基本的にはWolfram Mathematicaのノートブック(".nb" ファイル)と同じものです。Wolfram Mathematicaでしか編集することができない".nb" ファイルと、"Wolfram Mathematica Player"でもインタラクティブに再生することができる".nbp"ファイルが「一番大きく」異なるのは、".nbp"ファイルには「このファイルは”WOLFRAM WEBサイト"経由で出力したものですよ」という「暗号化された署名」がファイル末尾に付け加えられていること、です。その署名がなければ、Mathematica Playerはそのコンテンツを再生しない、という「仕組み」になっています。
今回発表されたWOLFRAM Computable Document Format(計算可能ドキュメント形式)というのは、”WOLFRAM WEBサイト"から出力するものではありません。その代わりに、WOLFRAM Mathematicaアプリケーションが単独で出力することができ、その出力と同時に「暗号化された署名」を行うというファイルフォーマットです。その”正しい”署名が添えられたファイルのみをWOLFRAM Mathematica ”CDF” Playerがインタラクティブに再生することができるよう制限されています。…つまり、WOLFRAM Computable Document Format(計算可能ドキュメント形式)というものは、Mathematicaアプリケーションでしか作成することができない(という制限を掛けた)、というフォーマットです。「”CDF”フォーマットのファイルに対してのみ使うことができる」という(Mathematica ”CDF” Playerの)制限は、「そのファイルはMathematicaアプリケーションで作ったファイルのみ開くことができる」という制限と”イコール”であり、それは"Wolfram Mathematica Player"が再生可能な”.nbp”ファイルの作成元を制限していたのと同じ仕組みです。
実際のところ、"Wolfram Mathematica Player"とWOLFRAM Mathematica ”CDF” Playerというのは、ほぼ同じものであるように見えます。たとえば、どちらのカーネル(計算・解析処理を行う中心部)へは、たとえば、.NETインターフェースから自由にアクセス・制御することができます。そして、どちらも、WOLFRAMの署名がされたファイル以外を扱うことは拒否します。
ビジネスの面から眺めれば、当然の選択にも思えます。…が、ワクワクすることがない選択であり・ワクワクしない宣伝文句にも感じられてしまいます。
Mathematica を売る会社 Wolfram Research の設立にあたって Wolfram はリチャードファインマンに相談している。これに対してファインマンは反対している。君にとっては回りのすべての人が馬鹿に見えるだろう。だがそのような人達を使わなければならなし、翻弄されることこの上なく君から科学的成果が出なくなってしまうようになるだろう。だから、やめたほうがよいというような内容。Wolfram は、未だ CEO として健全な経営をしている。しかし、確かに Wolfram の新規の科学的成果は聞かなくなったような気がするのは気のせいだろうか。
ファインマンの手紙
2012-08-09[n年前へ]
■「ジェンダー・チェンジャー」と書いて「オス・メス変換器」と読む
ジェンダー・チェンジャー…英語で「性転換器と書くと、んっ!?とビックリしますが、つまりはオス・メス変換器です
オスとオス、あるいは、メスとメスを「接続」するために使われるこのジェンダー・チェンジャー…「内部はストレート全結線」とパッケージに書いてありますが、それは果たして本当にストレートなノンケなのだろうか?……と悩んだり、あるいは一体全体ストレートと言われても、オス×メスなのかメス×オスなのか?と腐女子的にカップリング問題について考えてしまったりします(そんなわけない)。
ところで、写真を撮ったこの「ジェンダー・チェンジャ」は、果たして本当に性転換器なのか?いや違うんじゃないか?という話も出ています。
これだと、ジェンダー・チェンジしてないのでは?
@cozykaz
「確かに!」と思いつつ、パッケージを裏返してみると、このジェンダー・チェンジャーは「オス・メス変換」をしてません。…だとすると、これは(「性転換器」でない)一体どういう名前で呼ぶべきものなのでしょうか?
@hirax
2014-08-09[n年前へ]
■関東を中心にした地震発生分布地図
先週に引き続き、Mathematica 10 で追加された機能を確認しています(Mathematica 10で東京タワーとスカイツリーから見渡せる地域を眺めてみよう!?)。扱うことができる(自動で取り込むことができる)データが増えていたので、使用例を読みながら、関東を中心にした地震発生分布地図を描いてみました。
地震発生分布地図を眺めてみると、「なるほど、確かにTVでよく見かける地震速報の震源地と一致するな(当たり前だけど)」と感じさせられます。たとえば、「震源地は千葉」とか「震源地は茨城」といった地震速報はよく見かけるけれど、確かに(すぐ近くにあるのに)東京の下で起きる地震は(関東内での相対比較では)少ないんだな…という風に見えてきます。