2000-08-26[n年前へ]
■恋の力学
そう言えば以前referer_logを解析したときに、「恋の力学 -恋の無限摂動 - (1999.12.21)」をほとんどそのまま流用して大学に提出するレポートに仕立てたものを見かけたなぁ。
■「六の宮の姫君」
「芥川の「六の宮の姫君」、あれは玉突きだね・・・いや、というよりキャッチボールだ」という言葉の謎を追いかけていく話。そう言えば、この北村薫の言うような「玉突き」はWEB上の文章では特に多くみかける。HIRAX.NETの話の中にもどこか他の文章に共感したり反発したりしたことがきっかけになったものも多い。そんな色々な文章が影響されて発生していった様子を図示してみたいものだ。
■A Gateway To Life
北村薫の創元推理文庫「六の宮の姫君」に別の横文字タイトルもつけられていたとは気付かなかった。確かに、こんなタイトルの本なんだな。
2002-08-26[n年前へ]
■Google toolbar
某さんに聞かれて、少し興味を持ってちょっと調べてみた。この掲示板ではGoogle toolbarについて色々と面白い情報交換がなされていて面白そう。(リンク)
■ちょっと真面目にClearType
少し真面目にClearType関連で遊んでみることに。とはいえ、興味がある人がいるか判らないので、とりあえずトップからリンクはせずに、更新部分をここで告知。(リンク)
2003-08-26[n年前へ]
■一年間の日本の景色
日本に一年いたカナダ人が撮った400枚の「一年間の日本の景色」。餞別代わりに、そんな写真で作った「一年間の日本のモナリサ」
「何だかお馬鹿な写真も多いなぁ」「だから、モナリサが笑っているんじゃないの」「なるほどね」
2004-08-26[n年前へ]
■松崎町
近所の松崎町をスケートで滑る。ちなみに、ここは「世界の中心で、愛を叫ぶ」のロケ地(その番組は観ていないのだけれど)。だから、カメラを持った人達にちらほらと出逢う。パックを蹴りながら滑っていると、時にはこんな田舎の街中でキスを交わしている恋人達もいる。
ふと気づくと、一人の例外もなく彼らが首からかけているのはカメラ付き携帯ではなくて、一眼レフカメラということが何だかとても面白い。
2005-08-26[n年前へ]
■韓国語版「できるかな?」出版…!?
この本を出した当時、周囲から一番言われた台詞が「北朝鮮対策は大丈夫か?」でした。北朝鮮と日本の問題が大きくクローズアップされていた頃で、しかも本の内容は北の国に関する内容も含まれていたので…そんな心配をされました。「海岸沿いの散歩が好きだっていうけど、掠われないように気をつけろよ」などとよく言われたものです。
そんな本に、「韓国語に翻訳して出版」というオファーがきました。お隣の国は大丈夫なんでしょうか…?
■「心の中が見える装置」
平林 純@「hirax.net」の科学技術と男と女に「心の中が見える装置」を書きました。自分が疲れてなかなか言葉が出てこないとき、他の誰かが疲れているように見えるとき、こんな装置を使ってみると良いかもしれません。ちょっと装置にラクガキをして、自分の口の近くに持って行ってみます。そして、相手に見せてみましょうか。そうですね…、例えばこんな感じで装置を使ってみるのはいかがでしょう?
「大丈夫ですか?無理しないで下さいね」
「ありがとう。大丈夫です」
2007-08-26[n年前へ]
■夏の終わりの浜辺の音楽
湿度が高いけれど、涼しくなってきた夏の終わり。風が吹く浜辺沿いでは、昨日は浜茶屋だった場所で、ビールやカクテルが売られている。夏の最後の風と、少しのアルコールと、流れる音をを楽しんでいる人たちは、とても心地よさそうだ。
風吹く浜辺では、気持ちよい音楽を体で感じることができる。少し離れたところでは、アコーディオンとバイオリンの音が、ウッドベースの音に支えられながら流れている。
2008-08-26[n年前へ]
2009-08-26[n年前へ]
■「赤い救急車」と「青い空」
空をただ見上げると、その綺麗さに見とれることが多い。だからといって、忙しい毎日の中では、空をただ見上げ続け。見とれ続けるということはないのが普通だ。
以前、救急車に乗った。あの時、ストレッチャー(担架)から瞬間的に見上げた青空は、とても綺麗に透き通っていた。
そういえば、救急車から担架に乗って出た瞬間、目の前の青空が綺麗だなぁ、と思ったことは覚えている。そして、その瞬間に頭の中でブルーハーツの「青空」が流れたのはいいけれど、それは「バス」じゃなくて「救急車」だし、「運転手さん」じゃなくて「救急隊員さん」だし・・・
昨日、また救急車に乗った。額から出る血を押さえながら、歩道で上を見上げて倒れている間に見た空は、ほんの少しだけ茜色が混じり、夕方の訪れを感じさせてとても綺麗だった。そして、「真っ赤な(消防車風)救急車」が来てから、ストレッチャーの上で首や頭、そして体中を固定される間に見上げ続けた空は本当に美しかった。頭も首も動かせないのだから、視界の中には青い空にしかない。青空を、ただただ眺め続ける時間は、こういう時にしか手に入らないのかもしれない。
今日の再確認できたことは、「車に轢かれそうになった時は、車のボンネットの上に乗り上げれば、衝突のショックが大幅に減る」ということだった。そして、できるなら、「受け身」もきちんとするべきだ(そうそうできるわけもないが)ということである。それにしても、ボンネットがある車で良かった。これが「バス」だったりしたら・・・考えるだけでも恐ろしい。
運転手さん そのバスに僕も乗っけてくれないか
行き先なら どこでもいいまぶしいほど 青い空の真下で
THE BLUE HEARTS 「青空」
というわけで、手足が生えた歩く”白い”マスクメロンとなっている。道路に横たわる影だけを見るならば、まるでモヒカン男かチョンマゲ侍が歩いているようだ。実に情けない格好だ。
2010-08-26[n年前へ]
■青空のレイリー散乱を眺めて、太陽の場所を感じとろう!?
空に浮かぶ太陽の方向に対し直交する方向の青空を眺めれば、レイリー散乱で強く偏光した太陽からの光を見ることができます。だから、青空を偏光板を通して仰ぎ見ると、太陽の方向から90°の向きの青空を、偏光板を回して眺めると、明るくなったり暗くなったりします。
けれど、人の目は「明るくなったり・暗くなったりするもの」には、それほど敏感ではありません。だから、「偏光板を回して眺める」というやり方では、どの方向に偏光板を回した時が一番暗くて、どの方向に偏光板を回した時が一番明るいなんていうことは、結構わかりにくいものです。
人の目は「明るいものと暗いものが隣り合わせにある」場合には、結構敏感に感じ取ることができます。人間の目は、空間的な差異にはとても敏感で、いわば一種の微分器のようなものだからです。
だから、下の動画や右の写真のように、偏光版(の偏光方向)を直交するように配置して貼り合わせたものを作り、それを通して青空を眺めてみると、偏光の方向がとてもわかりやすいものです。貼り合わせ偏光版を回転させてみれば、隣り合う箇所の明暗が一番強くなる向きはすぐわかります。
ちなみに、偏光版を使わずとも、実はヒトは偏光の有無や偏光方向自体を眺めることができます(ヒトは電磁波の振動方向を見ることができるか?)。だから、コツをつかんだ人であれば、太陽を中心に90°の円を描く領域を黄色く感じ取ることもできるかもしれません。
残暑が続く毎日ですが、青空のレイリー散乱を眺めて、太陽の場所を感じってみるのも、少し面白いかもしれません。
2011-08-26[n年前へ]
■秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?
秋葉原と御徒町の間に、知る人ぞ知る至高の銭湯「燕湯」があります。金閣寺が放火により焼失した1950年に建てられた燕湯は、国有形文化財にも指定されている趣がある古い建物で、第二次大戦後から今に至る歴史を感じながら湯につかり、そして、風呂上がりの汗を風に飛ばすことができます。
真夏の蒸し暑い日暮れ時、吹きだした汗を流し落とすために燕湯に行きました。その帰り道、町歩きのために掲げられている「現在の地図」と「1856年(安政3年)の周辺地図」を見つけました。1856年ということは、燕湯が建てられるよりさらに100年前、桜田門外の変が起き・日本が多くの大地震やコレラの大流行に襲われていた頃です。
今から150年以上前、今では幕末と呼ぶ時代が始まりつつあった安政3年に、燕湯がある場所はどこだったのだろう?と古地図を眺めてみました。すると、「下谷長者町 東叡山領」という辺りに燕湯は建っているように思われます。東叡山は、つまり、(京都の鬼門を叡山ー延暦寺 延暦寺ーが封じているのと同じく)江戸の鬼門を封じるために、南光坊天海が上野に建てた寛永寺です。・・・そんなことを考え始めると、燕湯の建物や湯の中に「数百年の歴史」が溶け込んでいるように感じられてきます。
燕湯は、早朝6時から夜の9時まで営業していて、もちろん、貸しタオルもありますから「いつでもぶらっと歴史の湯を堪能する」ことができます。汗が体中から噴き出す暑い夏、あるいは、手足が冷えてしまう冬の寒さの中で、上野から秋葉原近くで時間があったなら、銭湯「燕湯」に入り・歴史を感じてみるのはいかがでしょうか。
2012-08-26[n年前へ]
■ガリバー旅行記に由来する「有名なコンピュータ用語」とは!?
『ガリバー旅行記に由来する「有名なコンピュータ用語」とは!?』を書きました。
このガリバー旅行記で登場した造語「ビッグ・エンディアン(大きい端っこ派)とリトル・エンディアン(小さい方の端っこ派)」が、いつしか、コンピュータの「(多バイト)データの並べ順」を表す言葉として使われるようになりました。コンピュータ内部の「動き方」を表す用語、ビッグ・エンディアンとリトル・エンディアンは、ガリバー旅行記に由来していた、というわけです。
2014-08-26[n年前へ]
■[今日見た景色] 日本の分水嶺で、太平洋と日本海に向け、生き別れた立ちション"のゆくえ
野辺山天文台の公開日を観た帰り、野辺山高原から山を越えて平沢集落に向かいます。…そこは、この野辺山に暮らしていた頃に、遠足で必ず登った(登る途中にあった)場所で、そこにある獅子岩(ししいわ)近くにある「日本の分水嶺」では、男の子はみな立ちションをして、そのオシッコが日本海と太平洋へと分かれて行くさまを誰もが見た…といいます(これはけれど100%ホントの話)。
2016-08-26[n年前へ]
■中国 深圳にある大芬油画村に行ってみた。
香港近く、中国 深圳にある絵画制作を盛んに行っているという大芬油画村に行ってみました。港鉄(MTR)東鉄線最終駅の羅湖駅から 深圳に入り、深圳の地下鉄1号線に羅湖駅から乗り、さらに3号線を乗り継いだところにある大芬駅まで行き、駅から歩いて10分弱の距離にある大芬油画村を散策してみました。
通りを歩くと、名画を絵葉書片手に油絵の具を使った複製作業をしている人もいれば、大判のインクジェットプリンタで印刷した下絵に色重ね作業をしているグループもいます。また、香港や世界各地の風景を描いた画を描いている人たちもいます。制作している絵画を眺めていると、人が欲しがりそう=買いそうな絵を刻々と生産しているように見えて、その需要と供給を結びつけているビジネスネットワークの仕組みを知りたい…と思わされました。「コピー絵画」というキャッチフレーズを付けられることも多い一角ですが、需要に応じたカンバン方式な絵画生産がされていそう…などと考えたりします。たとえば、香港の名所を描いた25号(803x652mm)くらいの油絵が、香港屋台で1000円ちょっとで売られていたりして「これは絶対売れるに違いない!」と思います。
ちなみに、油画村で見かけて約300円ほどで手にした油画をコンパクトデジカメで撮影し、遊びがてらリアリスティックに3次元化してみたのが右の画像と下の動画です。キャンバスに塗られた絵具の凹凸を眺めていると、リアルな「モノ」として手に入れてみたくなったりします。