2000-10-08[n年前へ]
■睡眠薬を飲んだのに
夢の中でひどく狼狽したら、ホントに起きてしまった。夢時計を見ると1:30ちょうど。なんてことだ、一時間も寝ていないし、それよりなによりg-string divasを再放送している時間ではないか。しょうがないから、TVのスイッチを付けて、ぼうっと眺める。が、どうも夢の気分が抜けず、哀しい気分。いや、深夜に目が覚めてg-string divasを見ているというシチュエーションが哀しいと言われればそれまでか。
2001-10-08[n年前へ]
■金木犀
先日、「金木犀の匂いが流れて来ないですか?」と言われて、私は何も知らずに「トイレの中でしかしません…。箱根の辺りにも金木犀は咲くものなのでしょうか?」と答えた。
その夜、御殿場で飲んでいる時に、なんと「最近、会社の辺金木犀の匂いがとてもするよねぇ〜」と隣で話す声が聞こえた(隣だから聞こえて当り前なのだけれど)。な・なんと、そうだったのか…。
で、その夜の帰り、御殿場線を降りて、迷路のような街を迷いながら歩いて帰る途中に、「あれが金木犀、これも金木犀」と教えてもらった。「あぁ、確かにこれなら会社の辺りにも咲いていたなぁ」、と目からウロコ。
それはともかく、その夜の迷路のような街もちょっと不思議で良い感じだったなぁ。
■廊下に立たされた男…
テロの影響で某年中行事が中止なので、10月前半のいつもの東京出張は中止になってます。数年前の「まるで廊下に立たされている中学生のような」わき・ひがしペアーが懐かしいです
でもって、先週の「席替え」の結果、私の左隣「く」さん、右隣「い」くん、真後ろ「ロボすずき」さんになりました。ひがしさんは「ロボさん」の左二つ隣です。こんなカタチのご報告もアリですよね?本来なら、美少年でご報告したいどころなのですが、新鮮なうちにということで、ここで…。
とりあえず、色々動いた半年でしたが、なにはともあれありがとうございました。とはいえ、これでやっと"Starting Over"といったところです。
2002-10-08[n年前へ]
2003-10-08[n年前へ]
■MotoSk8
エンジンがついたインラインスケート靴。時速60kmって言われてもねぇ…。これはちょっと恐ろしすぎ。
■「はてなダイアリの同村指数」と「はてな」のベース
「おまえなんか訳してやる」の面白い考察。ところで、はてなの近藤さんは測地学研究室出身、ということは少なくとも測地学をしてみたいなと思ったことがあるわけです。というわけで、こういう色んな「地図」を書きたい・描きたいというのがはてなダイアリのそもそものベースに流れているハズ、というわけですね。
■「東京大学教育用計算機センターの真実」
内容あるいはその真偽については読む人各自が判断するべき、と断り書きをした上でリンクする「東京大学教育用計算機センターの真実」 個人的には「東大がiMacを大量導入/アップル原田社長に聞く」の記事を読んだときに、その中の「カリフォルニア・クパチーノの本社にも行ってもらって、弊社のデータセンターを見てもらいました」という辺りを読んでオリンピックの会場の誘致を連想したのである。
■電子コミュニティの歴史的変遷と社会心理学
「電子コミュニティの歴史的変遷と社会心理学 −日本型blogは匿名掲示板?それともWeb日記?−」のまとめのページ。
■今週末は原稿書きで
年末には日本画像学会のシンポジウムの講師を引き受けていて、年明けには精密工学会の講習会の講師を引き受けています。どちらの講習会も興味がある方がいらっしゃればご来場頂ければうれしいです。で、今週末はその二つの原稿を書かなければいけないので、連休が自動的に消えていきます。少し残念ではありますけれど、まぁしょうがないです。
あと、今年の予定といえば年末近くにまた「できるかな?」が本になる予定です。というわけで、色々と立て込んむ年末になりそうです。
■Tech総研の記事へのリンク
今日から公開のTech総研の記事。自分の名前を見るとなんだかすごく恥ずかしくなります。なので、前に本が出たときには名前を漢字でなくひらがなにしたわけです。ひらがなで自分の名前が書かれていてもあまり恥ずかしくないのですけれど、漢字だとそのものずばりなので恥ずかしくなってしまうのです。
そういえば、しばらく前に「何でオープンソースの人は名前の表記をひらがなにするのか?」という話が出ていたときに、やっぱり他にも「漢字からひらがなに変えれば自分の名前に見えなくて恥ずかしくないから」と思う人もいるんだろうか、そんな理由からひらがなにしている人が他にもいるんだろうか?と思ったりしたのでした、ハイ。
■常習者(ジャンキー)サイト@ネットランナー
受賞しました。何にせよ、とりあえずありがたいことです。とはいえ、何しろ「あの」ネットランナーです。ネトランに表彰されるのは果たして名誉なことだろうか?ともちろん首をひねったりはするわけですが、「直接的に何かの役に立つことはしないようにしよう」というのがモットーのhirax.netとしては、「あの」ネトランに表彰されるというのも、何だかそれはそれでうれしかったりするのです。だって、「あの」ネトランなんだもの。ウヒ。
2004-10-08[n年前へ]
■日常・男女の科学やニュース
Tech総研で、「水着 赤外線 透ける」で始まる日常・男女の科学やニュースが公開されています。
■wxWidgets でクロスプラットフォーム GUIアプリを作ろう
wxWidgets でクロスプラットフォーム GUIアプリを作ろう。UNIX USER誌 2004年8月号 に掲載された高林哲氏による記事の元原稿。
■「西暦 vs. 安打数」散布図
西暦 vs. 安打数の散布図。作成日記はここ。 from れれれの日記
■テキストデータを取り込める電子辞書
カシオ計算機、パソコンからテキストデータを取り込める電子辞書“エクスワード データプラス”『XD-DP1000』を発売. 使いようによってはかなり便利かも。
2005-10-08[n年前へ]
■メキシコシティ
成田へ行く前に、10mm 程度のレンズを買っておくか、EOS 5Dを買っておけば良かった。中年のイージー・ライダー風珍走団が驚くくらいたくさんいて、沼津みたい。これは何かの走行会? ちょっと光化学スモッグ気味で目が疲れながら、ウォームビズについて色々調べる。ちなみに、大学時代に受けた教育は「…地球温暖化?来るべき氷河期に備えるためには悪くないかも?アルベド効果だってよくわからないんだし」という感じだったような。
■「好きなようにやるって、そんなにいいこと?」
「自由に、好きなようにできる」ということは…みんながそれを望んでいるんだろうか。自分に自信があるとか、やりたいことがはっきりしているならばそれもいいのだろうけれど、そんな人って何人もいるものなんだろうか。少なくても私は、そういう人じゃない
2006-10-08[n年前へ]
■状態を伝えるアナウンスは「対応を選べる」タイミングで
Tech総研ブログ 平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女 に『状態を伝えるアナウンスは「対応を選べる」タイミングで』を書きました。
JRを使って移動する機会が多いので、JRが提供するものに対して「こうだったらいいなぁ」と思うこともたまにあるんですよね。とはいえ、そんなことは「たまに」ですから、実は結構満足しているのかもしれません。
「アナウンスされた情報を有効活用すること」ができなくなってしまっています。活用しえない情報では、すでに「情報」でない印象さえ持ったのです。
■「好きなようにやるって、そんなにいいこと?」
from n年前へ.
「自由に、好きなようにできる」ということは…みんながそれを望んでいるんだろうか。自分に自信があるとか、やりたいことがはっきりしているならばそれもいいのだろうけれど、そんな人って何人もいるものなんだろうか。
■エンジニアが「スルー力」欠乏症なのは当たり前…だから
「スルー力関連の記事」を読みながら、(IT関連に限らず)エンジニアが「スルー力」欠乏気味なのは当たり前だよなぁ…と考えた。何かを作り上げようとするなら、「作り上げるものがどんなものか」「どうやって作るか」といったことを考えることになる。そのとき、「よくわからないこと」が満ちている。どうやれば良いのか、他の人はどう考えているのか…そんなことが確かになっていないと、なかなかものを作り上げることはできないに違いない。そんな話題に対して、「スルー力」を発揮されたら、ちょっと困ってしまいそうだ。下手に「スルー力」を獲得してしまうと、エンジニアではなくなってしまうような気さえする。
だから、エンジニアの(重箱の隅をつつくようなス)「スルー力」不足症は職業病みたいなものなのだろう。とはいえ、そんな職業病に四六時中苛(さいな)まれるのは、とても大変そうだ。多分本人も大変だし、周りも同様に大変に違いない。
…だから、贅沢を言えば、話題に応じて気分・性格のモード切り替えができれば良いのだろう。けれど、そんな器用なことはなかなかできない。だから、エンジニアは「スルー力」欠乏症を抱えつつ、その「スルー力」欠乏気味の自分を自覚していれば良いのかもしれない。長所や短所は表裏一体の「もの」なのだから、その「もの」と折り合いをつけていくしかないのかもしれない。
■「止めない」
「 止めない」
悩んで足が止まることもある。迷走することもある。 …休んでもいい。さぼってもいい。だけど絶対に止めない。そういうものがひとつあれば、人生案外どうにかなっていくものだと、私はそう考えています。
2008-10-08[n年前へ]
■「たむらけんじ」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」
地域・国ごとの文化の違いを見てみたい、とよく思う。できれば、とてもくだらないように思える地域ごとの、けれどそれはとても身近でもある文化の違いを眺めてみたいと思う。メディアの力で地球上どこでも同じような文化かというと・・・やはり、そんなことはないだろう、と確信している。何の根拠もないけれど、未来永劫そうなのだろう、と思う。
ふと、「たむらけんじ(たむけん)」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」を見てみたくなった。・・・というわけで、まずは、「あなたがイメージする”たむけん”はどっち?」アンケートを作ってみた。こういうアンケートを「雑誌流行マップ」と同じように、アクセス元地域でマッピングしたならば、「たむらけんじ」という一人のイメージからから、「東西」や「日本列島に描かれた現代の蝸牛考」をも眺めることができて、とても面白いかもしれない。
2009-10-08[n年前へ]
■使えそうだけれど役に立ちそうにないモノは捨てる…!?
モノがたまってきたので、使いそうにないものは、どんどん捨てています。そんな時、悩むのが「結構使えそうだ」と思い集めたけれど、結局使わなかったもの、しかも、とても役に立ちそうにないモノです。
たとえば、20メートル近く激流が飛ぶ超強力水鉄砲。これは、結構使えそうなのですが、なかなか役に立つシチュエーションがありません。そこで、駐車場でスケートをしている時に、試しにスケボーを載せてくれた親子連れにお礼にあげてしまいました(押しつけたとも言う)。
あるいは、たとえば、こんなスヌーピーのハンドベル食玩。PICでも使って、このハンドベルで自動演奏器(ハンドベル・オルゴール)を作ろうと考え、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シと集めたのですが、このハンドベルが実にホンキートンクな音程がズレかたをしていたり、工作作業がなかなかできなかったりして、今では単なるゴミと化しています。
あるいは、イチローのバッティング食玩なども、そのひとつです。これは、回転する円の上にイチロー群を貼り付けて、回転速度に合わせてストロボを光らせれば、何人ものイチローが素振りをする…という「リアル立体アニメーション・アート」を作ることができる、と考えたわけです。しかし、これも、そんな趣味の工作をする時間がないままに、ガラクタ箱の中に放り込まれています。
そんな、使えそうだけれど役に立ちそうにない小道具がたくさんあります。「少年探偵セット」「不思議な手品カードセット」「日光写真カメラキット」「いつの間にか回転方向が逆になる謎の石」「コウモリの声が聞けるバッド・ディテクター」
そんなガラクタ箱の中を見るたびに、さてさてどうしたものか・・・と悩みます。使えそうだけれど役に立ちそうにないモノを捨てるか、捨てないか…それが目下の問題です。
2011-10-08[n年前へ]
■日本にジャコビニ流星群が訪れる夜
今日(10月8日)の深夜、明日の早朝には、「ジャコビニ流星群」改め「10月りゅう座流星群」が夜空を飾る、と言われています。りゅう座は北の夜空に浮かんでいるので、今夜は北の空を駆け抜ける流星たちを探してみたくなります。
ジャコビニ流星群は、10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群である。 国際天文学連合 (IAU) による公式名称は10月りゅう座流星群。母天体はジャコビニ・ツィナー彗星。
…と、そんなことをつぶやくと、「ジャコビニ流星打法といえば宇野球一」という声が聞こえます。宇野球一(宇野球児)と言うと、伝説の地獄死闘野球漫画「アストロ球団」の主人公です。なぜ、「伝説の」と書くかと言えば、それはもちろん「単行本にして全20巻(連載期間5年間)という長丁場でありながら、その展開ゆえに試合描写が長く、作中では僅か3試合しか行われていない」という”キャプテン翼も足下にひれ伏す”ストーリー展開であるからです。
様々な魔球や必殺技が乱れ飛び、スポーツ漫画でありながら試合の中でデスマッチを繰り広げ、死者や廃人が累出するなど、異様ともいえる展開であり…
あなたは「ジャコビニ流星群」をご存じでしょうか?「ジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)」はおおよそ「十数年おき(13年おき)」にしか現れませんから、高校生以下の若い人であれば「そんな流星群なんて聞いたことがない」というはずです。また、20〜30代の方であっても知っている人はほとんどいないだろう、と思います。そんな「十数年に一度しか訪れないジャコビニ流星群」が、なぜアストロ球団という人気漫画に登場していたのでしょうか?
それは、漫画が連載され始めた1972年の日本に、タイムマシンに乗って、戻ってみるとわかります。
1972年に(ジャコビニ流星群による)大流星雨が予想された際は、日本でも大きなブームとなり、その予想が外れたことは新聞、テレビのニュースでも取り上げられた。これをモチーフとした曲として、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」(1979年、アルバム「悲しいほどお天気 」に収録)がある。また、1972年から1976年にかけて連載された少年漫画「アストロ球団」では、「ジャコビニ流星打法」という必殺技が登場する。1972年、山本リンダが「どうにもとまらない〜」と歌い、青い三角定規が「太陽がくれた季節」を歌った頃に、日本ではジャコビニ流星群を人々は心待ちにし、しかし、流星はほとんど見られず、アストロ球団宇野球一(宇野球児)のジャコビニ流星打法は「空振り」に終わったのです。
…ところで、流星が夜空に線を描いたとしても、離れた場所にいる人は、なかなか同じ”流れ星”を見るということはできません 。同じ流れ星を見ることができるのは、とても近くにいる人たちだけなのです。 …そんなことを思う時、「同じものを見るという「奇跡」と「幻」ということについて、私はいつも考え込んでしまいます。
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
今年、2011年10月8日から9日の夜、日本にジャコビニ流星群は訪れるのでしょうか。私たちの真上には、たくさんの流れ星が降り注ぐのでしょうか。今年、私たちはたくさんの流星を・同じ流れ星を共(とも)に眺めることができるのでしょうか。
'72年10月9日、
あなたの電話が少ないことに慣れていく。
わたしは一人待った。
遠く横切る流星群。
寂しくなればまたくるかしら、光る尾を引く流星群。
「ジャコビニ彗星の日-The Story of Giacobini's Comet-」
2012-10-08[n年前へ]
■バンコク Bang Kachao(バーンガチャオ)へ自転車に乗って行ってみよう
バンコクを航空写真で眺めると、バンコク中心部から南東部に巨大な自然が広がっていることに気づきます。右の写真はバンコク中心部の航空写真ですが、右下(南東)部分に広く「みどり」が広がっていることがわかります。
その場所、数十年昔から緑保全が行われている領域、チャオプラヤ川に四方を囲まれたBang Kachao(バーンガチャオ)と呼ばれる場所に自転車を持って行ってみました。
Bang Kachao(バーンガチャオ)へ行くのに一番楽な(簡単過ぎるくらいの)方法は、バンコク中心部から地下鉄に乗って数駅のKhlong Toei駅で降り、RAMA Ⅳ通りからNA RANONG通りを経て、SUNTHON KOSA通りからKasen Rat通りに入り船着き場(突き当たりの港の右、セブンイレブン・寺院を右に見つつその先にあります)から渡し船に乗るという行き方です。この道のりで横断歩道を活用すると「道を横断する必要すらない」というお気楽・超安全コースです。自転車で走れば、(Khlong Toei駅から船着き場まで)実質10分弱くらいのアプローチ・コースです。
渡し船は”人+自転車”で20バーツで、人が普通に活動するような時間帯にならいつでも船着き場から、「向こう岸に行きたい」と言えば(意思表示すれば)船に乗って川を渡ることができるのです。しかも、この船が極限まで水面への近さを感じさせてくれる小さいボートで、この船に乗ってチャオプラヤを渡るということだけでも、かなり魅力を感じさせてくれます。
また、Bang Kachao側の船着き場にはレンタサイクル(確か1時間50バーツで・1日100~200バーツくらいだったと思います)もあるので、他の乗り物に乗って船着き場まで行き・船に乗って川を渡ってから、自転車を借りて乗るのも良いかもしれません。
そして、山手線に囲まれた領域と同じくらいの面積の「緑の領域」は、樹木に覆われ水面上を縦横無尽に走る木製の道や、森の中を真っ直ぐ伸びる舗装道路が走っていて、ゆっくり走るような自転車の乗って散策すると、なんだかとても素敵です。
2013-10-08[n年前へ]
■空に浮かぶ氷プリズムが見せる「幻の7色太陽」
午後、「幻日 (げんじつ)が出てますよ!」と言われ、南空を眺めると、本当に大きな幻日 (げんじつ)が浮かんでいました。
雲中にある六角板状の氷晶が(落下の際の空気抵抗のために)地面に対し水平に浮かぶと、氷晶が頂角60度のプリズムとして働き、氷晶により屈折した太陽光が幻日を作り出す。上空の温度と、風の状態と、そして太陽の差し込む条件が重なり生み出された幻灯が写す風景は、少しばかり綺麗です。
ここ数年、可能な限り、11月の満月の夜はチェンマイで過ごすことに決めています。その夜は、お祭りが開かれて、たくさんの灯籠が上空へ浮かび流されて行き、その祭り景色を眺めてる瞬間は「何だか、今この瞬間なら、向こうの世界に行っても後悔しないかも…」と考えたりします。逆に言えば、そんな景色を見ることができなかった年には、あの景色を(来年)眺めるまでに何かあったら地縛霊になってやる~と思ったりします。