2000-10-30[n年前へ]
■しょんべん小僧
表面張力により、逆流する現象も無視できないのではないかとのウワサ。う〜む、これは「お笑いパソコン日誌」の-猛烈に寒い朝、寝ぼけ眼でオシッコをしようとして、なぜか逆流した経験-と通じるのだろうか?表面張力を無視できないような場合を考えてみるに(以下略)。また、雫が落ちても簡単にふき取れるように、普通の小便器にはつるつるの「汚垂れ石」が装備されているはずとのウワサ。 from mail. Thank you.(リンク)
■しょんべん小僧 その2
便器からの反射が怖くて便器に近づける距離に制限があるのではないか、とのウワサ。これ、面白い。 from mail. Thank you.
2001-10-30[n年前へ]
■今日見た景色 扉ノムコウ
輝いてる感じ。(リンク)
■AcuLaserC2000
あれっ、出た時には気にしてたハズなのに、magicolor2200のことすっかり忘れてた。というわけで、エプソン版のAcuLaserC2000(LP3000の海外版)を今日見かけて、ちょっと新鮮。(リンク)(リンク)
2002-10-30[n年前へ]
■掌の上のハワイ・ハナウマ湾
ともゆきさんが撮影したハワイ・ハナウマ湾のパノラマ写真を私が「掌の上の水晶玉の世界」にしてみたもの。「ブルーハワイ」を掌で転がして、水平線の向こうに指を伸ばしてみることができる。あの水平線の向こうには何があるのかな。背伸びをしたら、何かが見えてくるかな?掌の上で転がしてみれば、水平線の向こうはもしかしたら見えてくるのかな?
少なくとも、ハワイの海は見えてくるのだった。(リンク)
■Hirax朝鮮半島へ行く
来週、私の両親は来週いっぱい朝鮮半島に行く。VLBI Symposiumとやらで韓国 慶州にいるはずなのだ。不肖の息子の狼藉のとばっちりが及ぶかもしれぬ「北の楽園」でなくて良かったのである。いや、ホントなによりなのである。(リンク)
2003-10-30[n年前へ]
■MIDORI SUN
今日飲んだカクテル。甘いけど、口の中でちょっと暴れる。
2004-10-30[n年前へ]
■SWING GIRLS
沼津では一日一回しかSWING GIRLSの上映はない。隣の三島はというと、上映すらされていない。それが田舎の生活なのかもしれない。15:00に映画館へ行くと、ビルの4Fの小さなホールには中学生と高校生が数人づつ。
■グライダー能力
グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。…ただ、悲しいかな、(グライダーは)自力で飛ぶことができない。学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間は作らない。グライダー専業では安心していられないのは、コンピュータという飛び抜けて優秀なグライダー能力の持ち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。この言葉は1983年に刊行された外山滋比古の「思考の整理学」冒頭の言葉だ。20年以上前に書かれた言葉だ。
■巫女さん
hnsのマスコット巫女さんは少し苦手なのだけれど、Tech総研にも巫女さんがいることに気づく。世の中にはそんなに巫女さんが満ちているものなのだろうか?巫女さんがそんな日常のモノとはとても思えないのだが。それとも、非日常だからこそ何か惹かれるものがあるのだろうか?
私は今のところ非日常の「巫女さん萌え」にはなれないようだ。日常の「めがねっこ」には惹かれないこともないのだが、巫女さんを置いておく位置が私のアタマの中にはどうやらないらしい。といいつつ、篠有紀子のマンガ「高天原に神留坐す」の主人公の禰宜さんは好きなんだけど…。禰宜さんと巫女さんの間に何か違いでもあるのだろうか?
人にはできないこともあるのですからだから一生懸命がんばったらあとは神様におまかせすればいいのです 「高天原に神留坐す」 篠有紀子
■ドクター中松もビックリのスペシャル・ジャンプ・ブーツ
買おうかな、このスペシャル・ジャンプ・ブーツ。ジャンプする動画はとてつもないし。怪我すること間違いなし、だけど。from ゲームは一日8bit
■ジャニーズ事務所のタレント画像の話
ジャニーズ事務所の写真嫌いに関して、ジャニーズ事務所がネット上のタレント画像扱いに厳しくなった頃の話が参考になる、と教えて頂く。
■太陽が空に描く8の字の軌跡
一年同じ方向を写真に撮って、太陽の動きを止めてみる。するとそこに見えるのは「太陽が空に描く8の字の軌跡」
2005-10-30[n年前へ]
■「携帯電話GPSスピード・メータ」を作る
忙しくしていた間に、perlがやっぱり顔文字にしか見えなくなってしまった。そこで、今日は自分用の「(au)携帯電話GPSスピード・メータ」を作ることにした。
「携帯電話GPSスピード・メータ」を作り始めた理由は他にもある。一つは、「今日見た景色」の地名入力をするのが面倒になってきたので、増井さんを見習って「自分がいる場所を24時間追跡」して地名を自動入力してみようか、と思ったのである。そして、他の理由の一つは、屋外でランニングなどをしている時に走っている速度を出力する機械が欲しかった、ということだ。ジムのトレッドミルのように、走っている速度を自動出力してくれる機械が欲しかったのだ。自分がどこにいるかはさておき、「自分が移動している速度を知りたい」と思うことが多かったのである。そこで、うらさんのperlスクリプトを眺めながら、自分用のスクリプトを作ってみた。
明日にでもパケット定額コースに変更すれば料金は気にならない。今の携帯電話なら、ネットに繋ぎっぱなしにしていても、メールを受けたり、電話を受けることもできる。とりあえず、来週は実験を続けてみることにしよう。自分が欲しいものを色々作ってみることにしよう。
2006-10-30[n年前へ]
■「携帯電話GPSスピード・メータ」「できないこと」「グライダー能力」
「携帯電話GPSスピード・メータ」「できないこと」「グライダー能力」 from n年前へ.
今日は自分用の「 (au)携帯電話GPSスピード・メータ 」を作ることにした。
人にはできないこともあるのですからだから一生懸命がんばったらあとは神様におまかせすればいいのです
(グライダーは)自力で飛ぶことができない。学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間は作らない。グライダー専業で安心していられないのは、コンピュータという「飛び抜けて優秀なグライダー能力の持ち主」が現れたからである。自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。
2007-10-30[n年前へ]
■"Rail is draw"
一月くらい前の日曜日、テキトーにRailsでコントローラを一個作って、mongrelプロセスを投げた。当初は、コントローラ名が"rails"だったというくらい、何の考えもなく作った。それが、ラクガキ画像検索&画像処理をする"rails"コントローラだ。
mongrelプロセスを投げる前に、「いくらなんでも"rails"という名前をテキトーに使うのは上手くないな」と思い、名前を"railis"と変えた。変えたといっても、やはり何の考えもなく、キーボードの"i"を押して"rails"に"i"を挿入しただけだ。虚数の"i"、虚実の「虚」を混ぜ、エイチ・アイ・ジェイ…の「アイ」、その時読んでいたRubyの教科書に従って言うなら、ほんの少しの「愛」を混ぜた。
mongrelを投げてから、ふとroute.rbを眺めると、"Rail is draw"というURLになっている。それは、まるで"私が進む線路は私が描く"というように見える文字列だ。「描いたイメージに自分がなれる…」というWEBアプリに、何だかとても似合う文字列になっている。偶然というのは、面白く楽しい。
2008-10-30[n年前へ]
■モグラ原っぱの跡地に住んでいた
どういうきっかけだったかは忘れたのだけれど、こどもの頃、古田足日の家に行ったことがある。何かのきっかけで、遊びにおいでと言われ、緊張しながら本を抱えて古田足日の家に行った。だから、実家の本棚のどこかには、古田足日に言葉を書いてもらった「宿題ひきうけ株式会社」と「モグラ原っぱのなかまたち」があるはずだ。
「モグラ原っぱのなかまたち」は、学校と、家と、そして雑木林の中や原っぱで遊ぶこどもたちを主人公にした話だ。「モグラ原っぱ」を見つけ、そこで遊び、そして「モグラ原っぱ」が消えるまでの話だ。
当時、古田足日の自宅近く、「モグラ原っぱ」の跡地にできた団地に住んでいた。だから、「モグラ原っぱのなかまたち」を読むときは、その前にあっただろう景色を想像しながら読んだ。今、あの場所は一体どうなっているのだろうか。
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2009-10-30[n年前へ]
■「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」
青春小説のようなシーンを交えながら、数学世界を解説していく「数学ガール (結城浩)」を読んで、少し前に読んだ万城目学の「ホルモー六景 」を連想しました。連作短編集「ホルモー六景」中の一話、京都市左京区を舞台に、一人の男子高校生が自分では気づかないうちに年上の女子大生に抱いていた淡い恋心と、デート風の(けれど決してデートではない)一日の散策を描いた「ローマ風の休日」です。
「じゃあー少しだけ、僕とデートしてくれませんか?」
鴨川の始まりである出町柳辺りから、御池大橋までを舞台に、オイラーが解いた「ケーニヒストベルグ橋の問題」を題材にして、ローマの休日風な素敵で切ない数時間(と数ヶ月)を描いた一話です。見事なくらいに、微妙な心の機微と数学の世界が一体化した素敵で少し切ない短編です。
午後四時になってもまだ陽の高い、京都の休日へ繰り出した。
実際には、「ケーニヒストベルグ橋の問題」を解くという口実の(体力的に疲れそうな)デートに、付合ってくれる女性は少なそうな気がします。・・・とはいえ、この「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」の一話、「ローマ風の休日」はとても楽しめる話です。
「ローマ風の休日」は「ホルモー六景 」だけでなく、何人かの小話を集めた短編集である「きみが見つける物語 十代のための新名作 休日編 (角川文庫 あ 100-103) 」にも収録されていますから、中高校生、あるいは、モラトリアムな大学生(社会人)は一度手に取って読んでみると面白いと思います。
ケーニヒスベルグの橋とは、プロシアの首都ケーニヒスベルグ(現在はロシア領カリーニングラード)を流れるプレーゲル河に架かる7つの橋のことである。この7つの橋を全て一度だけ渡り、元の場所に戻れるか、という議論によって有名となった。さて、鴨川源流を舞台にした「ケーニヒスベルグの橋の問題」はどのような答えになるでしょうか。ノートの上で手と頭で解いてみても良いですし、京都の街を自転車で走り、この数学の問題を足と体で解いてみると面白いと思います。そんな「理系風デート」があると・・・さらに、楽しいでしょうね。
ケーニヒスベルグの橋の問題は1736年に、数学者オイラーにより、地図を線と点で表現し、その図形を一筆書きできるかの問題と整理されて考えられた。その結果、一筆書きできない、すなわちケーニヒスベルグの7つの橋を求められた条件の下に渡る道順は無いとして、解決された。ケーニヒスベルグの橋は、グラフ理論とトポロジーの起源であると言われている。
ケーニヒスベルグの橋
彼女ははそれから、いろいろな数学の話を聞かせてくれた。
2012-10-30[n年前へ]
■未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」
お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。
たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。
自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。
グライダー能力
今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。
「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。
そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。
自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。
広義のプログラミング
そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。
ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。
近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。
そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。
人間は、決してあきらめてはならない。
「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック
2013-10-30[n年前へ]
■「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です!?
正方形(あるいは長方形)の紙を目の前に置き、筆記用具を取り出して、紙の中央に印を付けてみます。その上で、(紙の対角線を折るなどして)本当の紙中央を調べると、「私たちが真ん中だと思う場所」は本当の真ん中より、少し左上に位置することに気づかされます。実際、私が何人かにこのテストをしてもらった結果では、1/2~1/3くらいの人たちが(本当の真ん中に対して)左上辺りを「ここが真ん中だ!」と指差します。
「真性活字中毒者読本―版面考証/活字書体史遊覧」に、こんな「人の錯覚例」とともに、だからフォント(書体)を描く時には、線が真ん中にあるように見せるためには、横線なら数学的な座標中心よりも上に線を配置し、縦線なら少し左に寄せるように作る、そういうことを書体デザイナーは意識的・無意識的に行っていると書いてありました。
試しに、ヒラギノ明朝で「闇」という字を描き、門構えと音という部分、つまり「3本の横線が引かれている部分」を眺め・横線の間の感覚を計ってみると、確かに3本線の真ん中に引かれた線は少し上に寄っています(横線の間に間隔比を数字で表してみました)。数字を眺めてみると、おおよそ5パーセントほど「中央線」が上に寄っていることがわかります。
真っ当な書体は、人の錯覚を意識して「文字が自然に見える」ように人工的な作為を凝らしている…という話など、書体に込められた工夫がとても面白く感じます。