hirax.net::inside out::11月15日

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2001-11-15[n年前へ]

YahooBBまたまた 

 今日もまだルーティングがおかしい…。けど、何かちょっと不思議。

世界がぐるぐる 

 ぐるぐるぐるぐる回ってるような…。

大人になったら… 

 「大人になったらカメになるらしい」と職場では噂されてる人もいる。大人になったら、何になろう?
 「大人になったら…」のそれぞれの答えを、色んな人達に聞いてみたいなぁ。

2002-11-15[n年前へ]

人間万事… 

 もうすぐhirax.netを作って4年になる。三日坊主のくせに、よくも飽きずに続いているもんだ、と思う。hirax.comがとられたりしなければ、焦ってhirax.netをとったりはきっとしなかったに違いないだろうし、それからちょっと時間が経ってから、「HEY!いい名前のドメイン持ってるじゃねーか!ナイスだぜ!」「オレもドメインが欲しくなったんだけどな!もーとられてるとはなー!ガッデム!」とヘビメタバンドのHIRAXのボーカルからメールが来るようなこともなかったに違いないのである。そして、ビクビクしながらも「HIRAX.ORGはまだ空いてるみたいです… と・とてもカッコイイと思いませんでしょうか?HIRAX.ORGって? いや、サイコーだと思うのですが…」とお返事を書くようなこともなかったのに違いなかったのである。

 ほんの数人に見せるためだけのハズだったのに、いつの間にか、ちょっと変なものを置いてみたりすると、「名無しさん」がどっかにチクリ電話をしたりする。体調が悪いなんて書いちゃったりすると、どんなに子供が年をとったにしても、やっぱり親が心配して電話をしてきたりする。どこぞの勤務先からはアクセス禁止のページに仲間入りしていると同時に、私の知らないどこかの部署ではアクセス許可申請書提出してを出して読んでいる人もいるようだ(申請書には理由と共に部長印まで必要なのに)。まぁ、いろいろだ。面白いと言えば面白い。

専門家アレコレ その1 

 2ちゃんねるを眺めるとよく不信感について考えたりする。マスコミであったりメーカーであったりあるいはライターであったり、ありとあらゆる対象への不信感がたくさん書かれている。これはこれで、それらの企業や個人にすれば貴重で有益な情報が数多く含まれているに違いない(もちろんそれより多いかもしれない無益な情報の中に)。
 そういえば、「政治家・銀行は国民の彼らへの不信・彼らに向ける視線の厳しさを自覚していない」と書く新聞記者達自身が、その新聞記者達自身に向けられている不信を自覚しないのは何故なの?と新聞記者の知人に聞いたことがある。読者からの電話を受ける役が必ず回ってきたりするというにも関わらず、そういう不信をあまり意識しないのは何故なの?と聞いてみたのだった。

2003-11-15[n年前へ]

誰がシッコの作法を教えるか? 

4歳児に教育してくれたのは園の(孫の居る男の)先生及び同期の皆かと。ホースというよりアーモンドなので右や左から出そうとも無理なのかと。あと、トランクスの子供用は前閉じなので窓デビューするには大人用をはける年頃になってからなのかと。
 いや、ホースを曲げて右や左から出すわけではないと思いますよ。イメージするのもイヤ〜な人も多いかもしれませんが。
子供のトイレットトレーニングはいつもいっしょにいる母親の役目です。だから男の子のトイレットトレーニング、それからもう少し大きくなってからトイレの使い方を教える時には本当に困っちゃいました。(笑)ちなみに私がブリーフを買ってくるのを、息子は別に何もいわずにはいています。でも男の子はブリーフがいいなあと思うのですケド。グレーとか、あわいブルーのストライプとか。
 どう困りながら教えたかを具体的に知りたいところですねぇ。ところで、「男」でストライプのブリーフを掃いていたらちょっとヘン…ではないですか?

Outlook 2003 

 Outlook ExpressからOutlook 2003に乗り換えた。乗り換えた理由はOutlook 2003が見た目と使い勝手がOutlook expressとほぼ同じで、なおかつSPAM自動振り分けができるから。
 で、ふと気づくと「はてな」からの「質問」転送メールがSPAMと判断されて、「迷惑メールフォルダ」に直行している。設定を追加したから直ったけれども、内容からだと確かにSPAMに見えるかもね。

2005-11-15[n年前へ]

「ATOKでMathematica」 

 12月16日は、某社 武蔵溝ノ口で開催される「初級 Mathematica講習会」でちょっと話をすることになっています。で、いくつか実践的なものを振り返った後に、(それだけでは、もの足りなくなって)「ATOKからMathematica使う」とか、「ExcelとMathematicaで計算ルーチンをシームレスに使う」なんていうネタを作りました。興味有る某社関係者は、いかがでしょうか?
 …で、そんな内容が果たして「初級 Mathematica講習会」にふさわしいかどうか、不安に襲われます。MathematicaとExcelを使うユーザが重なり合うのか?とか、Mathematicaを使ったことがないユーザにATOKからMathematicaカーネルを使うなんていうトリックが面白いかどうか、首を捻っている今日この頃です。【捻りすぎとは、おれカネゴン】

2007-11-15[n年前へ]

「喉越し過ぎるビールの速さ」と「ポタージュスープのトロみ」を味わう 

 料理の美味しさについて調べていたとき、結局のところ「違い」が美味しさを生んでいるんだ、という言葉を聞いた。 それが、居酒屋でビールなら、ジョッキに注がれた黄金色のビールと上に乗る白い泡の違い、飲むうちに変わっていく味や食感のグラデーション・移り変わり・違いがビールの美味しさの大きな要素になっている、なんていう話を聞いた。

 「ビール」「違い」「美味しさ」と言えば、尾崎邦宏氏の「レオロジーの世界」を読んでいるときに、一番気に入ったのが「人が飲み物を飲むときの、液体の粘度と飲むときの速度(抵抗)の関係」を示すグラフだった。 それは、流れの速度で抵抗が変わる非ニュートン液体を被験者に飲ませ、被験者たちが「どのくらいの速度(また、それに応じて変わる抵抗)で飲み物を飲んでいるか」を確かめた結果である。 面白いことに、飲み物の飲み方に関して被験者ごとの違いはなく、誰でも飲み物の粘度に応じて「同じような飲み方」をしていたという。

 粘度が10Pas以上の高粘度の飲み物、たとえばポタージュスープのような飲み物は、10 s^-1 程度の定速度で飲み込む。 非ニュートン液体は流れの速度で抵抗が変わるから、それは、スープの粘度の違いを「飲むときの抵抗の違い」として味わっている、ということになる。 トロトロしたポタージュスープを飲む時はポタージュが喉の中を伝う強い抵抗を味わい、サラサラとしたスープを味わう時には軽めの抵抗を楽しむ。

 その一方、粘度が0.1Pas以下の低粘度の飲み物、たとえばビールなどを被験者たちが飲むときは、飲むときの抵抗値が一定になるように「飲み物の粘度に応じて飲む速さを変え」飲んでいた。 つまり、粘度が低い液体は早い流速で飲み、粘度が高めの液体は若干遅く飲んでいた、ということである。 ジョッキの中のビールを飲み込むときには、人は、そのビールがどのくらいの流速で喉の中を駆け抜けていくかを味わいの「違い」として楽しんでいる、ということになる。

 空気の振動も、それがひたすらに一定単調だったなら、それはただの「音」に過ぎない。 しかし、音の高さが次々と変わっていくとき、それは音楽になる。 口に入れた途端に溶けていくアイスクリームの食感や、舌の上で甘みや辛みや苦みのバランスを複雑に変えていく味噌の味や、渓流下りのように速度を大きく変化させながら喉の奥へ落ちていくビールの喉越し、色んな違い・変化が「美味しさ」や「楽しみ」を作り出している。 色んな物理単位を鍵にして、食感の違いや、味の違いや、喉越しの違いが語られているのを見ると、何だか少し面白い。 そんな物理単位を「味の違い」として眺めることができるようになれば、理科年表を見るだけで思わずよだれが出てくるかもしれない。 そういう人に私はなりたい!?

なぜ液体はドロドロ・サラサラしているのですか?粘性とは液体の粘度と拡散ビールジョッキ






2008-11-15[n年前へ]

Ruby版 Win32GuiTest クラスを作りました。 

 (この記事の続きが「続:Ruby版 Win32GuiTest クラスを作りました。」)になります。

 Ruby版 Win32GuiTest クラスを作りました。PerlのPerlのWin32-GuiTestと同じような機能を集めたものです。つまり、MoonWolf さんのWin32::GuiTestと同じようなものです。

 夕方からPerlのWin32::GuiTestの関数リストを見て、それと同じようなものををつらつら書いていき、私自身が使いそうにない関数・機能が続き始めた辺りでやる気が下がってきたので、とりあえずソースコード(guiTest.rb)をここに置いておくことにします

 (コードにも入っていますが)サンプルコードは下記のようになります。これは、「ワードパッドを立ち上げて、ウィンドーを全面に持ってきて、適当に文字を入力して、その文字をコピーして数回ペーストした後に、保存せずに終了する」という具合に動きます('RichEdit20W'の部分は、クラス名からの子ウィンドゥ検索を示すために入れたので、実際にはなくても構わない部分だと思います)。

  gui=Win32GuiTest.new
  gui.run('wordpad.exe')
  sleep 2
  gui.setForegroundWindow(
    gui.findWindowLikeName('ワードパッド').first[0] )
  gui.setFocus( 
    gui.findWindowLikeClass('RichEdit20W').first[0] )
  gui.sendKeys('This is a sample.{ENTER}',1)
  gui.sendKeys('^a^c')
  5.times do |i|
     gui.sendKeys("#{i} ...{ENTER}")    
     gui.sendKeys('^v')    
  end
  gui.sendKeys('%f',2)    
  gui.sendKeys('x',1)    
  gui.sendKeys('n',1)
 VMware上で作業をしていることもあり、動作未確認の部分(マウス操作・ホイール操作)もあるのですが、「キーボード・マウス・ウィンドウを操作する」というGUIの基本三点セット処理にはそこそこ使える・・・と良いな、と思っています。

DLWin32API






2009-11-15[n年前へ]

樹の下のテントに暮らす 

 春の終わりに京都大学に行き、夕方過ぎの時計台の下で、カフェの窓際の席に座りワインを飲みつつ食事をした。少し不思議な繋がりを持ち合う3人の人と会い、そして、数時間多岐にわたる話をした後に別れた。たぶん、もう会う機会も時間もないのだろうな…とわかる、そんな不思議で珍しい集まりだった。ある先生がこれまでの研究生活を振り返り、自分が教えた学生のうちある3人を呼び寄せた、というものだった。一人は、理学部を経て経済学部へ転身した人で、一人はカメラマンを経てベンチャー企業の社長へ転身した人で、もう一人は、中途半端を画に描いたようなやつである。

 その時、食事を共にした人たちに対して失礼にあたるくらい、私は窓の外を何度も何度も眺めていた。それは、夕暮れに映える時計台前の樹がとても綺麗だったことと、その夕日に照らされた木の下にテントが張られ・(多分)立て看板が存在感を主張していたからだ。その時は、「あぁ、懐かしい景色・文化だなぁ」とただ感じながら、眺めていたような気がする。あまりに綺麗で、そして懐かしくて、夕暮れの木の下にカメラ向け、シャッターを押したようにも思う。

   水月昭道「アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ) 」を読んでいて、それが「首切り職員村」「くびくびアイランド」「くびくびカフェ」というものだったと知った。確かに、東大路通り沿いにも、そんな立て看があったような気もする。

 今は、あのテントはどう姿を変えているのだろうか。一度、あの「竜宮城」(に思える吉田寮)に住んだことのある人たちが過ごしているというあの小屋は、今はどうなっているのだろう。

2010-11-15[n年前へ]

アニメ・マンガの「めがねっこ」は実はみんな伊達メガネ 

 めがねっこが大好きです。だから、こんな感じの文章を「めがねっこ大好き。」と称して書いたことがあります。

 たとえば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。プレハブ住宅を支えるのが壁であるように、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、力強くそそり立つ鉄筋コンクリートのごとく、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型を守り抜く心を持つのである。
 だから、たとえば、理系は女子高生の制服が大好きなのである。ありとあゆる個性を持つ女子高生たちをセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができる、それが理系なのである。
 「このアイドルがなんとなく好き」という素直で曖昧模糊とした衝動で動くのが文系であるならば、「このアイドルがめがねっこだから好き」という確固とした意志を形にしたもの、それすなわち理系なのである。

 そんな気持ち「めがねっこ大好き。」な気持ちを、ずっと変わらなく持ち続けています。・・・その一方で、アニメ・マンガの「めがねっこ」を見るたびに、何だかとても納得できない気持ちになるのです。なぜかというと、それはアニメ・マンガの「めがねっこ」は実はみんな伊達メガネにしか見えないからです。アニメ・マンガに描かれているメガネは、どれも光を曲げるという機能を持たない・・・つまり、まったく眼鏡の機能をなしていない伊達メガネに見えるのです。

 たとえば、ドラえもんの「のび太」さんを見てみましょう。・・・しまった、「のび太」のメガネは「メガネは顔の一部です」状態で、伊達メガネうんぬん以前の問題です。それなら、スラムダンクの小暮さんならどうでしょう。・・・ほら、小暮さんの眼鏡の無効に見える顔の輪郭も、目の輪郭も、眼鏡を通す・通さないに関わらず、少しも変わらず同じように見えています。そう、スラムダンクの小暮さんは、伊達めがねくんなのです。そして、他のアニメ・マンガ・キャラたちを眺めてみても、みなが「光が少しも曲がることがないメガネ」をかけているのです。これは、「骨から組み立てていく」理系的には、少し難があるのです。それでは、本当に「メガネ」ではなくて、ただの伊達眼鏡にしか思えないのです。

 「これはすごい!」と感心するぐらい忠実なメガネを描いたアニメ・マンガの「めがねっこ」があれば、とてもハマりそうな気がします。「そうか、この主人公は右目のディオプトリーがマイナス2.5Dで、左目はマイナス2.75Dで少し乱視が入っていて、そのお母さんはちょっと老眼気味のプラス2.5Dの可愛い眼鏡の奥にどんぐりまなこの目が隠れている・・・という具合に、見事なくらいに律儀に設定された「めがねっこ」たちを眺めることができたら、たぶんものすごく魅力的に感じるに違いない、と妄想が炸裂する今日この頃です。

2011-11-15[n年前へ]

航空チケット発券の「なるほど、そうだったのか!」的知識 

 航空券の「値段」や「日程・便などの変更可否」について全然知らなかったので、航空券について詳しい方に「個人授業」をして頂ました。その授業中にとったノートの一部が下の画像です。走り書きなので、省略箇所や間違っている箇所は多々あるかと思います。

 個人授業の中で「なるほど、そうだったのか!」「これは学べる!」ととても納得したのは、「YとかY2発券というのは、国際航空運送協会(IATA)が(各経路に対して)取り決めている正規共通料金なので、航空券を購入した後に他航空会社便にも変更(エンドース)することができる」ということでした。…なるほど、そういう説明を聞いてみれば、実に当然な仕組みです。

 航空券チケットの発券種など、複雑怪奇な記号ばかりの奇々怪々な世界に思えていましたが、そういう世界でも「わかりやすい説明」を聞いたら、結構面白そうだな、と個人授業を受けながら感じさせられたのです。

航空チケット発券の「なるほど、そうだったのか!」的知識






2013-11-15[n年前へ]

BS朝日「ジュリアス・シーザーの叫び」のお手伝い 

 BS朝日で11月17日に放送される「ジュリアス・シーザーの叫び」で「エンジニアリングの結果生み出された面白いもの」を眺めてみようという内容が扱われます。その狂言回し的なお手伝いをしてきました。

 「エンジニアリングの結果生み出された面白いもの」は(自分が眺めてみたいばかりに、急遽 @GOROman さんにデモをお願いした) Oculus Rift や、○×な△□といったグッズです。そんな何かに興味がある人は、少し眺めてみると面白いと思います。

 あるいは、そんなグッズを題材に、東京03がどんな即興コントを繰り広げるか…というあたりも、ちょっと楽しいかもしれません。

BS朝日「ジュリアス・シーザーの叫び」






2014-11-15[n年前へ]

「10年振りのスキー」と「新穂高ロープウェイスキー場のリンク集」 

 10年くらい前、新穂高ロープウェースキー場が閉じた頃から、スキーで滑ることをしていなかった。今日、静岡県の裾野・御殿場市から富士山に向かう麓にあるスキー場「イエティ」に行って実験撮影をした。実験撮影の隙間の一瞬に、ブーツを履いて・板をつけ、数十秒だけ、極短ゲレンデを2本滑ってみた。…そして、実験作業に戻るため、リフト乗って景色を眺めつつ考える。あぁリフトから景色を眺めている瞬間って、こんなにとても楽しい「ひととき」だったんだな。

 十数年前、万座温泉スキー場で「15年ぶりくらいに、子供が大きくなり・手を離れ、万座へ来た」と語る女性とリフト上で話した覚えがある。そんな風に、今度は自分が十数年ぶりにスキーをする側になって、久々にリフトから白い雪景色を眺めてみるのも良いのかもしれない。

 そんなことを思い出しながら、懐かしく「新穂高ロープウェイスキー場のリンク集」を作ってみる(…リンクすべきURLを教えて頂ければ幸いです)。新しいことを知りたくて、色んな世界に行ってみたい…と思っているけど、かつて眺めた・かつてあった(好きだった)世界を、も一度書き留めてみても良い時期なのかもしれない。

  1. 奥飛騨へ滑りに行こう!(この伝説の斜面”フィニッシュバーン”まで読むと最高)
  2. 新穂高ロープウェイスキー場
  3. (山スキーではないですが)新穂高スキートレーニング
  4. 新穂高ロープウェイ
  5. 新穂高ロープウェイスキー場(岐阜県高山市):追憶のゲレンデ
  6. 岐阜の消えたスキー場のおもひで (2006/07/20) の記事画像
  7. 新穂高ロープウェイスキー場(hirax.net)

「10年振りのスキー」と「新穂高ロープウェイスキー場のリンク集」






2016-11-15[n年前へ]

空に浮かぶ雲の大きさから、雲の高さや地球の大きさを推定する方法 

 青空に浮かぶ白い雲を眺めながら、こんなことを訊かれたことがある。

「たとえば、南の空に浮かぶ、天頂からちょうど40度くらいの角度の雲までの距離や高さを、眺めた景色から計算することができる?」

 雲の高さやその雲までの距離、それらを一体どうやったら知ることができる?という質問だ。もちろん、気象に詳しい人なら、たとえば「あれはひつじ雲で、近くの山の高さと比較すると、多分高さは3千メートルくらいだろう」という具合で、雲の種類や見え方から、雲の高さを知ることができるかもしれない。そして、雲の高さがわかってしまえば、雲までの距離を計算するための式は幾何的に導出することができる。それは、雲の高さをr、天頂からの角度をαとし、地球の半径6371kmをRとしたこんな式だ。

 実際のところ、雲の高さや距離は、どちらか片方がわかってしまえば、もう片方は自動的に求まる性質のものだ。前述の「雲までの距離」を計算するための式は、雲の高さr、雲の天頂からの角度α、地球の半径Rという3つのパラメータを用いたものだから、天頂角度α、地球半径Rがわかっている限りは、雲の高さか雲間での距離のどちらか片方がわかってしまえば、残りひとつの未知数は単純に計算することができる。たとえば、雲の高さを地上から2000mに固定すると、雲が見える方向(天頂からの角度)に応じた雲までの距離は、次のようなグラフとして描くことができる。

 けれど残念なことに、その時のぼくには、雲や気象に関する知識がほとんど無かったので、「一体どうすれば雲の高さや距離を知ることができるのだろう?」と考えながら、ただ黙っていた。

 目の前の景色から雲の高さと距離を知る方法を尋ねられてから何年も経った今日、バンコクの空に浮かぶ雲を眺めながら、こんな「空に浮かぶ雲の高さと距離を推定する方法」をふと思いついた。それは、こんな考え方だ。

 雨季から乾季を迎えたバンコクの青空には多くの「わた雲」が浮かんでいる。このわた雲たちはどれも同じ物理現象の結果生じたもので、いずれもとても安定な状態で空に浮かんでいるのだ。だとしたら、きっと似たような大きさをしていると考えるのが自然だろう。そしてまた、大気気象的には、どの雲の底面も地上からの高さはほぼ同じになっているはずだ。

 そして、雲の「天頂からの角度」と「見た目の大きさ」は、眺めた景色から知ることができる。だとすれば、雲までの距離は雲の見た目の大きさに(比例係数をsとして)反比例しているという関係を使って、上述の式に、雲の「見た目の大きさと天頂からの角度」を既知(わかっている数値)として代入すれば、雲の高さrと比例係数sを2未知数とした方程式ができあがる。それはつまり、距離が異なる2個以上の雲の大きさを観察して、その雲の大きさや場所を代入した連立方程式を解けば、雲の高さや距離がわかる、ということになる。

 ためしに、バンコクで眺めた雲の位置と大きさの関係をデジカメ撮影画像から算出して、散布図にしたのが下左図だ。天頂から離れた「遠い」雲ほど小さいという単純な関係だ。この雲の位置と大きさを観察した関係から、雲の高さrと比例係数sを「手動で」フィッティングしてみると、たとえば、雲の(底面)高さが500mの場合で、下右図のような対応となる。この数日が真実と近いのか・遠いのかはわからないけれど、こんな風に、原理的には、大きさが同じ雲の位置や大きさがどのように見えるかを調べてやれば、雲の高さや雲までの距離は知ることができる…かもしれない。

 …「原理的には」「かもしれない」と書いたのは、前述の式は、雲の高さrを求めるには精度が低い式だからだ。式自体は「”地球の半径+雲の高さ”を半径とする円」と「雲を見上げた視線の直線」の交点から導かれる方程式で、雲の高さが地球半径に比べて遙かに小さいために、精度良く雲の高さや雲間での距離を求めることは、おそらく難しいからだ。

 地球の半径に比べて雲の高さが遙かに小さいから、この方程式を使っても雲の高さを求められない?…だとしたら、頭上から地平線近くまで散らばる雲の大きさとこの連立方程式を使って地球半径を計算してみるのはどうだろう?この方程式は、雲の高さr、雲の天頂からの角度α、地球の半径Rという3つのパラメータを結びつけるものだから、たとえば「雲の天頂からの角度αは見たままに、わた雲の高さrは気象の知識や周りの山などの比較から地上500mとする」というように考えれば、あとは雲の大きさから地球半径Rを求めることができるかもしれない。

 ためしに、上に使ったデータで最小二乗フィッティングを行ってみると、地球半径R=約6万2千kmという結果になった。教科書に載っている地球の半径約6千3百kmと比べると、10倍ほども大きい巨大な地球になってしまった。良い結果を得ることができたとは全く言えない。

 その理由は、地平線近くの遠い雲といっても、自分を中心にした数十km程度の距離しかないので、その見え方から直径にして1万2千kmもの地球の大きさを計算するにはとても無理があるからだ。

 けれど、青空に広がる雲を眺め、雲の位置や大きさがどんな風に見えるかを調べて、地球の大きさを求めてみることができるかもしれないと考えると、何だかとてもワクワクさせられる気がする。

空に浮かぶ雲の大きさから、雲の高さや地球の大きさを推定する方法空に浮かぶ雲の大きさから、雲の高さや地球の大きさを推定する方法空に浮かぶ雲の大きさから、雲の高さや地球の大きさを推定する方法






2017-11-15[n年前へ]

毎年の月齢12番目の月、その満月の夜を過ごす場所。 

Chiangmai Loy Kraton  ある頃から、毎年の月齢12番目の月には、その満月の夜、タイのチェンマイに行き続けている。人の顔も名前も全く覚えることができないくらい記憶力が悪く、かといってWEB日記(死語)にマメに記録を残すわけでもない(あえて書かないことも、もしかしたら多かったのかもしれない)ので、WEB日記を読み返してみても、もう全く思い出すことができないのだけれど、どうやら十数年前から、11月の満月の夜には、その辺りにいるようだ。

 毎年の月齢12番目の月、その満月の夜をいつもそこで過ごし始めた理由は、とても単純だ。…端的に書けば、その景色がとても心地良く、「その景色を見た後なら、いつかの瞬間に死んでも、何だか後悔しない気」がするからだ。逆に言えば、そこに行かない一年があった時、その一年の間に死んだら「心残りで地縛霊になってしまいそう」にも感じたりする。

 その日眺めた「今日見た景色」、その瞬間には書き残すことが面倒だとしても、もしかしたら後で記憶を振り返るには「少し面白いもの」だったりすることもあるに違いない。あるいは、書き残すデメリットを、書き残したことでの何かのメリットが(後になってみれば)上回ることもあるかもしれない。

 というわけで、駄文を適当に気楽に書いてみることにしよう。WEB1.0な人たちが、今も不思議に(まるで地縛霊のように)あがき続けているように、成長しないままだったとしても、記憶を補うためにWEBノートを書いてみることにしよう。