2000-11-21[n年前へ]
■いつまで続けるプロジェクトX
もう、事件記者コルチャックの終わりの頃のようだ。いつまで続けるつもりだろう?関係ないが、アメリカンヒーローのビデオ等の入手方法の情報求む。
2001-11-21[n年前へ]
■今日見た景色 花と空
昼休みに。(リンク)
2002-11-21[n年前へ]
■gridMathematica
MathematicaのParallel Computing Toolkitとカーネルのみのライセンス提供。Mathematicaで複数同時計算を行う人向け。
■車の中から見かけた景色
朝見かけた、「自転車と木の影」と帰り道に見かけた「ススキと黄色い花」と「青い空」です。写真はどういう風に貼り付ければ、レイアウトが自然なんだろう?
写真を三枚も貼り付けて、しかも文章が少なかったりすると、レイアウトがどうしても狂ってしまう。もう少し後で文章は入力してみることにして、今しばらくレイアウトは狂ったまま、かな。ちょっと不便。
■人間ベンチマーク
- PCが処理した内容をそのPCを使っているユーザーがー「処理」するところまでを含めたベンチマークテスト - というものをするべきじゃないか、とよく思う。「結局のところ人間が使う文房具代わりのPC」の使い勝手判断には、「PCが何かの処理をし終わるまでの時間」だけでなくて、「その結果を人間がさらに処理・判断するまでの時間」も含めたベンチマークを行うべきだと思うのである。
例えば、100桁の何かの数字を「99秒の沈黙の後にいっきに表示するシステム」よりも「1秒に1桁の数字を順々に表示し、その結果100秒後に100桁の数字を表示し終わるシステム」の方が、その後の人間の処理も含めれば上に違いない、と思う。後のシステムであれば、その100秒経った瞬間には人間の処理もほぼ終わっているわけだからだ。前者のシステムであれば、99秒後にいきなり100桁表示されても人間がその数字を処理するにはさらに時間がかかるに違いないのである。だから、この場合「PCの処理時間」だけでベンチマークを行うのは「文房具のPC」としては間違いであると思うわけだ。
人間の作業で例えるならば、「一人で黙々と作業を続けて、10日後にその作業の結果を他の人に見せる」よりも、「結局は作業自体に11日かかっても、1日毎に作業の経過を他の人に見せてている」場合の方が共同作業の中では良いことが多い、というのと同じだろう。
で、なんでそんなことを思ったかというと、ゲームとかは別として、最近ではCPUの速度よりもメモリーの速度、メモリーの速度よりも人間の速度の方がボトルネックになることだって多いということを考慮に入れていない評価も多いんじゃないだろうか、と思ったのである。特に、マルチスレッドの評価、マルチCPUの評価、その辺りのハンドリングの評価、という辺りでそんなベンチマークの結果を特に知りたい今日この頃、なのである。
ボトルネックになる人間の部分を以下に上手く気持ちよく動かせるかが一番重要だったりするのかも、と思ったりするのである。
■Windows2000サーバー
自宅で、常時稼働のWindows2000サーバーをやっと立ち上げ。というわけで、不定期気味だったサムネイル更新ももう一度ちゃんと始めました。サムネイル・アンテナも立ち上げようと思う今日この頃。アドバイスなど募集中です。ちなみに、hirax.netのサーバーのマシンを移転する年末頃に、作業をする予定です。
2003-11-21[n年前へ]
■ 一つのニュースを一つの画像で眺めてみよう
一つのニュースを一つの画像で表現しているNews-Images.com。やはり写真画像というのは一目瞭然で判りやすい。
ところで、もし写真が無いニュースがあったとしたら、どんな画像(あるいはそれ以外の何か)で表現するのが良いと思いますか?少しばかり似たようなものを作るときに、そんなシチュエーションがあって「どうしようかな?」と思っているところなんです。
2004-11-21[n年前へ]
■Mathematica体験版
今日初やっとMathematicaに体験版があることに気づいたので、とりあえずメモ。Mathematica Trial版。ダウンロードには、Mathematicaフォーラムに会員登録する必要がある。
ちなみに、昨夜・今朝はMathematicaで作業。その作業結果は、近日中にhirax.netと(それにさらに手が加わりパワーアップしたものが)もうひとつの場所で公開できると思います。
■ダ・ヴィンチの「鏡文字」と左右反転したモノリサ
「(文字を裏返しに書いた)ダ・ヴィンチのスケッチは鏡に映して眺めて見ると、奥行きが感じられる」という話。「(モナリサを鏡に映して眺めて見ると)中性的で冷たい表情だった顔が、突然、あたたかい女性的なものになる。胸も、豊満に見える」 布施英利 「マンガを解剖する」 ちくま新書
■Webブラウズの足取りを記録・表示するWeb Map
「不思議のダンジョン」シリーズや「ローグ」のように、Webブラウズの足どりをオートマッピングの要領で二次元的に記録・表示し、ビジュアルな履歴として利用可能にするWeb Map 。
■「お笑いパソコン日誌」「とりあえず」復活
「これまでのスタイルのものは存在価値がほとんどなくなっていることは確かなので、違ったスタイル模索中」という「お笑いパソコン日誌」復活。スタイルを変えても何であっても、続けることはきっと「いい」に違いない。
2005-11-21[n年前へ]
■図解「「WEBコンテンツの変化」
LINK Tech総研ブログに図解「「WEBコンテンツの変化」を書きました。
■「よくわかりません」
> 「問題」の指摘されているモノにたいして「そーだよねそーだよね」と> いうのは簡単ですが、そこに陽を当てようとする「優しさ」も「らしい」> ですし、そのモノの可能性を「信じる」ところも「らしい」です。 さてさて、「優しい」のかどうかは…自分ではよくわからないです。なぜかというと、「陽を当てれば」良いものは生き残っていくだろうし、悪いものは消えていくだろう、と考えることもあります。それが、対象物に対して「優しい」のかどうかはよくわかりません。 また、「悪くないものになるためには、残っていかなければならないんだ」「それは、(それを残していきたいとか、なくしていきたいとか願い考える)当事者や周り次第なんだから」良くなるも悪くなるも(当事者や周りの)人次第だ、という風に「信じる」のは「優しい」かどうかは…よくわかりません。案外、「信じる」って厳しいんじゃないのかな、と思うこともあります。 例えば、いわゆる「(男の子に対する)母親の優しさ」ではないですね。「(男の子に対する)父親の優しさ(=厳しさ)」に似ているかもしれない、と思ったりもします。もしかしたら、「(女の子に対する)母親の優しさ(=厳しさ)」とも似ているのかもしれません。「こども」は一人で歩いていく力を身につけるべきだ、と考えるか、他者が守ろうとするか、という感じの違いがそこにはあったりするのかもしれません。 さて、誰しも…いえ違いました、少なくとも私は「最後の審判」が来るその日まで、自分が思う「良い」とか「悪い」とを考えながらジタバタするしかないのかもしれません。
2007-11-21[n年前へ]
2008-11-21[n年前へ]
■Googleで(((0.2 * 11) - 2) * 11) - 2...
Excelで計算した「0.2×11-2 = …?のヒミツ」と同じことを、Googleで(((((((0.2*11-2)*11-2)*11-2)*11-2)*11-2)*11-2)*11-2)*11-2を計算(検索)してみるとどうなるでしょうか。・・・やっぱりそれは同じ結果になります。この計算結果を眺めてみれば、色んな「仕組み・仕掛け」が、かいま見えてきます・・・よね。
やっぱり、それってとても楽しいと思いませんか?
■「ニューシネマパラダイス完全版」と女と男
20年前に作られた映画「ニューシネマパラダイス」を、何度目になるのかわからないけれど見ました。見たのは、劇場版でした。エンディング近くでは、完全版で描かれた風景を思い浮かべながら、これも何度目かわからないくらいに泣いてしまいました。
この映画は本当に男性泣かせの映画だと思っています。どうして、男性泣かせだと感じるかというと、女性にはきっと「当たり前」のことが(特に完全版では)描かれていて、そんな当たり前のことが、私たち男にはわかりづらいからなのかもしれない、と想像しています。だから、その当たり前のことに泣くのかもしれない、とふと思います。
この映画は手に入れた者の映画ではない。手に入れることができなかった人間の映画だ。
しかし大多数の人間は何かを失って生きてきた。むしろその離別や喪失の後にその場所に固執せずに、いかに歩みを進めることができるかが、人の成長ではないか。この映画はそれを淡々とつづっているような気がする。
from ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 スペシャル・エディション [DVD]
エンディングシーン、エンディングロール、そして、 その間にはさまれる"FINE"の文字は、劇場公開版と完全版では、ずいぶんと違う印象になります。エンディングシーン、エンディングロール、その間の"FINE"の文字、そのどれも強く否定のしようのないものに変わります。
もしも、20年前に映画館でニューシネマパラダイスを見た人がいたら、20年の時を経て、またもう一つ別の物語を完全版で見ると・・・また違うものが見えてくることと思います。ラストシーンでスクリーンに映し出されるフィルムと、そのフィルムを見る主人公の表情を見ながら、そんなことを考えたりします。
2009-11-21[n年前へ]
■消費者物価指数とポジティブ・フィードバック
景気の変化をわかりやすく眺めてみたくなったので、 日本の消費者物価指数(CPI)のグラフを張り付けてみた。このグラフは、右下部にある小さなボタンを押すことで、表示する内容を切り換えることができるものである。
このグラフには、1ページ目に「主な消費者物価指数(前年同期比)の推移」が、2ページ目に「主な消費者物価指数の推移」が、3ページ目に「消費者物価指数と前年比の推移」が収録されています。
2ページ目や、3ページ目を眺めると、ここ2,3年は、実に単調に消費者物価指数が低下し続けていることがわかる。この消費者物価指数低下が続くことの要因は、一体どんなものがあるのだろうか。新聞記事をしっかり読んでいれば、その要因分析結果などが解析・解説されているのだろうか。
・・・それにしても、と思う。経済社会はどう考えても、制御工学的にはポジティブ・フィードバックの不安定極まりない世界に思えてならない。少しの外乱が、大きな変動を生み、その変動がさらに激しい波を生むようにみえる。もしかしたら、そこには結構長いムダ時間があったりして、意外にセンシティブではないのかもしれないが、やはりポジティブ・フィードバックの不安定な状態に見える。かといって、安定を実現するネガティブ・フィードバックでは、永遠に一定で変わらない世界になってしまう。おそらく、それでは何の発展もなく進化さえしない世界になってしまうかもしれない。
ポジティブ・フィードバックからは安定な状態は生まれない。上がり続けるか、下がり続けるかで、結局は「発散」してしまうことになる。
次に平積みされる本が、もしも「節約ライフ」的な本だとしたら、景気にはまさにポジティブ・フィードバックが働いていることになる。それらの書籍は、不況への後押しをするポジティブ・フィードバックである。「ポジティブ」という名前が付けられた、しかし、それは同時に不況への案内図なのかもしれない。
以前は途中で挫折したが、もう一度、経済学の教科書に書いてあることをMatlab/Simulinkで実装しつつ、学んでみよう。
2011-11-21[n年前へ]
■「日米修好通商条約で”関内”が開港地に選ばれた地形的な理由」と「”関所”の内側だから”関内”という理由」
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関するニュースを聞いた時、約150年前の日米修好通商条約を思い出しました。そして、「日米修好通商条約」を連想した直後、さらに思い起こしたのが「日米修好通商条約を受けて、江戸幕府が横浜の関内を”開港地”として選んだ理由」です。
東神奈川(神奈川宿)辺りの港でなく、関内の辺りを開港地として選ばれたのは、山に囲まれ東海道を通る人たちから、”外国”が見えないから。今の横浜港、関内の辺りは、つまりは一種の「出島」です。他の場所とは隔離されて、外からは見えない・見られない、そんな場所だったのです。
地形図を見ながら考えた
「出島」に行き来するためには、もちろん「関所」を通らなければなりません。だから、「関所に囲まれた”内側”を指して”関内”と呼ばれることになりました。そして、当時は、その外側が”関外”と呼ばれていた、というわけです。横浜の山下公園の「港」に続く「関内」の街の名前は、「関所の内側」から来ていたのでした。
海と運河と川に囲まれた横浜に入るために…橋が架けられました…幕府はこの橋の畔に関所を設けました…これより内側の”横浜区域”は”関内”とよばれ…
神奈川宿と横浜
地形図を見ると「なるほど!」と納得できる「歴史(過去の判断と結果の積み重ね)」があったり、「歴史」や「地理」を知ることで自然に納得できる「名前(地名)」もあったりするのです。
(twitter から)
2012-11-21[n年前へ]
■「北海道は果たして日本固有の領土なのか?」「大戦後の日本分割統治案に沿っていたら日本を支配する国々は?」
中華料理屋で「ご自由にお持ち下さい」という張り紙と共に無料で配られている「網博週報」という週刊新聞を、毎週楽しく読んでいます。中国視点の記事が、とても新鮮だからです。
最近は、「北海道は果たして日本固有の領土なのか?(戦国時代に遡ってみれば、そもそも北海道は日本の領土と言えるのか?)」「第二次大戦終直後の日本分割統治案に沿っていたなら、日本の各地域はどの国が統治する?(どの地域を各国・中国が統治しているのか?)」というシリーズが面白いです。なるほど、東京・大阪という2大都市は、複数の国による統治になっていたり、なぜか四国は中国統治だったりしたのか…と「日本の歴史再入門」といった具合です。
2013-11-21[n年前へ]
■マダガスカル象鳥の卵10kgなら、卵1個から「卵焼き83人分」が作れます!?
「数値でみる生物学(生物に関わる数のデータブック)」を読んでいると、カイチュウの染色体数が「たった2個!」だとか、ゾウの妊娠期間が660日(2年弱!)といった、驚くべき・面白い数字が並んでいます。そんな数値の中に、マダガスカル象鳥の卵は「重量が10kg」というものがありました。…10kgと言われても、何だか実感が沸きません。そこで、日常の生活で食べる「鶏の卵」の大きさを基準にして、マダガスカル象鳥の卵の大きさを体感してみることにしました。
M サイズの卵は「パック中の鶏卵1個の重量が58グラム以上、64グラム未満であるもの」となっています。つまり、一個約60グラムです。ということは、10kgのマダガスカル象鳥の卵なら(通常の鶏卵基準にすると)167 個分になります。たとえば、卵焼きを「鶏卵2個/1人前」で作るなら、(マダガスカル象鳥の卵1個から)83人分の卵焼きを作れることになります。
とはいっても、マダガスカル象鳥の卵で卵焼きを作るには、当然「それ相応に大きなフライパン」が必要になります。卵焼きの厚みを5mmくらいとして、卵の比重を大雑把に1グラム/cm^3としてみると、83人分の卵焼き(10kg)はおよそ直径160cmくらい。
…といった、「数値でみる生物学(生物に関わる数のデータブック)」を眺めていると、色んな想像をしてみたくなります。