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2000-12-26[n年前へ]

「読者が選ぶ2000年の10大ニュース」の不思議 

 はがき票などでは得点の低い雪印事件が、何故かインターネット票では朝日・毎日・読売ともに一位との話。確かにすごく不思議。このインターネットでの集計、いかにも何かトリックがあったりしそう。ログが見たいぞ見たいぞ見たいぞ、と。from 天声人語。(リンク)(リンク

2001-12-26[n年前へ]

春夏秋冬 

 東京駅、美少年に行くがいっぱい。で、危うく八重洲口難民になりかけるが、駅ビルの中の「どんなときも、どんなときも」入れる(はいれる、でなくて、いれる、と読むのが正しい)あの店で飲む。
 やっぱり、とても、さみしいな。

東京駅 丸の内口で 

 本当は東京駅でミレナリオの下を歩きたかったのだけれど、今日はとても残念なことに、歩けなかった。
 丸の内口で空を見上げるととてもキレイ。月と高層ビルと駅ビルとがとてもキレイ。ほんとうに、とてもキレイ。(リンク

Akihabara 

 ぷらぷらと歩いてみた。秋葉原の中で新鮮なものを見つける感覚を取り戻さなきゃ。(リンク

2002-12-26[n年前へ]

散歩をしたい気分 

 午前裾野で昼過ぎに武蔵小杉へ。というわけで、武蔵小杉で眺めた景色。散歩をしたい気分だなぁ、と思ったら十五分程時間ができたので、写真を撮ったりとぼとぼ歩いてみたり。
 知らない何処かへ行ってみたいな。

散歩をしたい気分






2004-12-26[n年前へ]

図書館のビデオコーナー 

 夕方近く、図書館に行ってみる。3階に上がり、ビデオ・CDコーナーを眺める。「モーレツ!科学教室」のビデオが11巻揃っていることに気づく。他にも演劇や美術のビデオも結構ある。正月前に、こういったビデオを何本か借りてゆっくり眺めてみることにしよう。



図書館のビデオコーナー図書館のビデオコーナー






沼津千本浜 

沼津千本浜沼津千本浜沼津千本浜沼津千本浜沼津千本浜






スミア防止の二重撮り 

合成写真二枚目の写真一枚目の写真 カメラ付き携帯電話で写真を撮ることが多い。あるいは、デジタルカメラを使うにせよ、小さくて安いものを使うことが多い。そして、普段の生活がら、昼の南の海や夕方の西の海の景色を撮影することが多い。すると、カメラ付き携帯電話や安いデジタルカメラでは「スミア」が派手に出てしまう。青い海の上の、青い空に輝く太陽の景色が、途端に陳腐な景色に変わってしまう。

 そこで、カメラを回転させて二回撮影を行い、その二枚の画像を合成することにした。例えば、(右に示す写真の左側二枚のような)二枚の写真を撮っておく(特許風に言えば、二枚に限るものではなく、むしろ三枚以上撮影した方が合成画像の画質は良くなるので好ましい)。それら二枚の写真はスミアの方向が異なるわけで、その二枚の画像を適当に合成してやればスミアの影響のない綺麗な画像ができあがる(一番右の写真)、というわけである。というわけで、そのための専用アプリケーションは適当に仕立てて、近日中にアップ予定。

携帯扇風機バーサライタ 

携帯扇風機バーサライタ携帯扇風機バーサライタ携帯扇風機バーサライタ 先日、携帯扇風機バーサライタを買った。コンビニなんかでよく見かける小さな持ち歩きようの扇風機のプロペラ部分にLEDが付いているモノである。回転させると、色んなパターンでLEDが点灯し、多種多様なパターンを描き出す。見ていると、自然と楽しくなる。

 500円位だったので迷わず買ったのだが、今思えばもっとたくさん買っておいても良かったかも。プレゼント用とか改造用とか自慢用とか…。

世界で最小のギターアンプ 

 世界で最小のギターアンプJamPlug - World's Smallest Guitar Amp. from バクオン
世界最小のギターアンプ|バクオンJamPlug - World's Smallest Guitar AmpJamPlug Miniature Guitar Amp Now Shipping  @ Music Gear Review

「科学と技術と社会」 

The evolution of man? 「2001年宇宙の旅」では、道具としての骨が宇宙ステーションにまで至る進化を示されていた。そんな道具と人間社会の進化・変化を解説するScience, Technology & Societyの授業。こんな動画やこんな動画で授業のようすを眺めてみるのも面白いかも。あるいはこんな画像だけでも眺めてみると面白いかもしれない。
 そういえば、このスライドに載っている「イラスト」のTシャツをこの前買ったばかり。すごい偶然。


模様替え準備 

 blosxom starter kitに付いていたスタイルシートをそのまま使うようにしながら、現在のhnsの模様替え作業中。とりあえず、これまでのTableによるレイアウトはやめて、CSSで設定するようにjikenbo+を書き換え中。今のデザインは暫定的な動作チェック用(CSSってよくわからないし)なので、デザインは(これまでのような)白背景に変えると思います。とりあえず、これでツール引っ越したい病は消えるかも。

 CSSはtDiary・はてなに合わせ直した方が使い回しが効いて楽かな?それとも、MovableTypeにでも合わせておくのが良いのかな…? …うーん…まだまだ動作がおかしいな…。ちなみに、右は(昨日に引き続き)Flash貼り付けの動作チェック用です。

2007-12-26[n年前へ]

冬の日差し 

植物植物植物植物植物植物植物植物海海海海川海と街






我入道 

 いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。 毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。 けれど、何かのタイミングが合ったときに、自然とそういった場所に辿り着いてしまうのである。

 そんな場所の一つが、我入道にある大山巌の別荘跡だ。 我入道海岸の端に海に面して急峻な小山がある。 牛が伏せているように見えることから名付けられた、牛臥山の中央海沿いに大山巌の別荘はあった。 牛臥山の隅を切り通して別荘跡に行く道は封鎖されているため、そこにたどり着くためには海側から行くことしかできない。 かといって、牛臥山の海側斜面も断崖絶壁が続いているから、海沿いを歩いていくこともできない。少なくとも、普段は、そこは岩を波が洗っているような場所だから海沿いを歩いていくのは不可能だ。

 しかし、干潮時に牛臥山の崖下に行くと、その岸壁の足下に浜が現れる。 そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺道を進んでいくと、別荘跡にまで歩いていくことができるようになる。 大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。 三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。

 潮が満ちてくると街に戻れなくなってしまうから、そんな陸の孤島を散策することができる時間は、それほど長くはない。 潮が満ちてくる時間には、みるみる間に波が高くなってくる。そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺が消えていく速度はとても速い。 いつも生活している街と不思議な空間を繋ぐ道があっという間に消えていくのも、何だか「らしい」感じだ。

 我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。 日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。 考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。 そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。 我入道の先にある別荘跡まで、偶然繋がる浜道の景色を思い出しながら、ふとそんなことを考える。


拡大地図を表示

我入道我入道我入道我入道我入道我入道我入道我入道






2008-12-26[n年前へ]

任意ファイル(場所)からコマンドプロンプトを出してみよう 

 スクリプトを使ってデータ処理等をする場合、「任意のフォルダからコマンドプロンプトを開いて」処理作業をすることが多いものです。「任意のフォルダからコマンドプロンプトを開く」のはWindows レジストリにキーを一個追加すれば良いだけですから、この「任意のフォルダを起点としたコマンドプロンプト」を使っている人も少なからずいることでしょう。

 ところで、そんな人たちの何割かは、「任意のフォルダを右クリックしてコマンドプロンプトを出すのではなく、任意のファイルを右クリックして、そのファイルがいるフォルダを起点としたコマンドプロンプトを出したい」と思うことがあるのではないでしょうか。フォルダウィンドーを開いて作業しているときに、そのフォルダでスクリプト処理などをしたくなってコマンドプロンプトを開きたくなっても、(左にツリービューが表示されたエクスプローラでないと)1階層だけ上に戻らないと、コマンドプロンプトを開くコンテキストメニューを表示させることができないからです。

 そこで、任意のファイルを右クリックすることで、そのファイルがいるディレクトリを起点とするコマンドプロンプトを出すスクリプトを作ってみました。

 作ったといっても、RubyやPerlといったスクリプト言語をインストールしている人であれば(Windowsデフォルトの機能だけでもできそうですが)、90秒もあればスクリプト書きも設定作業もすべて終わるほどの簡単なものです。どのようなものかというと、送る("SendTo")メニューに「コマンドプロンプトを立ち上げ、送りつけられたファイルがあるディレクトリに移動する」という処理をするスクリプト(バッチファイル)へのショートカットを入れておくわけです。

Ruby で書くなら

system 'cmd.exe /k "cd '+ARGV[0].sub(/\\[^\\]*?$/,'')+'"' 
という具合のスクリプトを書き、(たとえば)cmdfromanywhere.rbといった名前で保存した上で、
ruby cmdfromanywhere.rb %1
という内容のバッチファイルを作り、そのバッチファイルへのショートカットを"送る"="SendTo"ディレクトリ(Windows Vistaの場合には、"送る"="SendTo"ディレクトリは " C:\Users\ユーザ名\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\SendTo"になります。また、それ以外だと"C:\Documents and Settings\ユーザ名\SendTo"辺りです)に置いて、バッチファイルへのショートカットを”コマンドプロンプト”という名前にでもしておけば良いのです。

 これで任意のファイルを右クリックし、コンテキストメニューから”コマンドプロンプト”に「送る」と、そのフォルダを起点としたコマンドプロンプトが立ち上がるようになります。

コマンドプロンプトスクリプトコマンドプロンプトスクリプト






「田舎の湾」と「西原理恵子」と「寺田寅彦」 

 山に囲まれた場所に住んでいると、その山の高さや存在感を強く感じる。空を囲む山々が見せる色の変化で、季節や日々の時間を感じる。そして、海辺に住んでいると、海の色や空の色、あるいは、海の向こうに霞んで見える山の色から、そんな移ろいを感じる。

 西原理恵子のマンガには、よく高知の浦戸で見ただろう海の景色が描かれる。時には言葉で、時には淡いけれど鮮やかな色の絵で、浦戸の景色が描かれる。

おねえちゃん、今日の船、
誰か知ってる人のってんの?
ねえちゃんとボクは手をふった。

西原理恵子 「ぼくんち

 そんな浦戸の海の景色を、寺田寅彦も同じような言葉を綴る。寺田寅彦と若くして結婚し、浦戸湾口の種崎海岸で療養していた夏子を思い浮かべながら、同じようなことを書いている。船の上からの視点で、こんな言葉を書く。

種崎の方の岸に見ておるらしき女夏に似たり

寺田寅彦 日記 明治34年11月25日
浜を見たけれど、約束の人見えず

寺田寅彦 日記 明治35年1月19日
 寅彦自身が療養していた須崎と高知の実家を、寅彦が船で行き来する時には、浦戸湾先の海岸にいる夏子に手紙を書いて知らせ、手を振り合ったという。



 海と山に囲まれている町に住んだりすると、寅彦が書く文章や西原理恵子が描く景色が、写真以上に写実的に見えてくる。そんな浦戸の海辺の景色をいつか見に行ってみたいと思う。太平洋に面した広い海原と、穏やかな湾の水面を眺め、海と空と岬の色を眺めてみたい、と思う。

船からは
みかんの花みたいにちいさい手が
ぴらぴらするのがみえて、

みんな自分の一番好きな人と
まちがえてるんだろうと思う。

西原理恵子 「ぼくんち
  

2009-12-26[n年前へ]

「テレビニュース」=「私たち自身」 

 ふと、今日は、以前書いた文章を見直し、清書してみることにしました。

 私は新聞記者が「起きた出来事を一人でも多くの人に一秒でも速く届けるという役割」を重視する姿勢はあまり価値があるとは思っていません。「起きた出来事」を明らかにするには時間がかかる以上、「起きた(と思われるが、その確からしさは決して高くない)ことを多くの人に速く届けてしまうという自らの判断」の必要性・危険性を「その書き手」はいつも疑い・考え続けるべきだと思います。そして、その必要性・危険性を考え続けながら、それでも、長い時間をかけて事実を明らかにしていく、というやり方が大事だと思っています。どれだけ、長い時間をかけても、です。

 新聞記者たちが、そんな期待に応えてくれているかどうかどうかは疑問に思っています。少なくとも、長い時間をかけてみても、コストパフォーマンスが低ければ、仕事にはならないからです。

 とりあえず、私たちの中にある(少なくとも私の中にある)刹那的な野次馬根性に対して、記者たちは私たちの野次馬根性・期待に対して100%以上の仕事をしていると思っています。

 さて、次は新聞ではなく、テレビの話です。ただ、基本的には多少の差はあれど、とても似ている話です。

 以前、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケート結果を流すTVを見ました。その時、「テレビニュース」というものに対する(私たちの)イメージは、すべて自分たちの上に降りかかってくるに違いない、と確信しました。私たちのイメージの中にある「テレビニュース」という言葉はすべて「ぼくら自身」と全て置き換えられるに違いない、と思いながら「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケートへの答えが、刻々とTV画面に流れるようすを知人宅で眺めました。

「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い
「テレビニュース」は信用できる -> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとって
  なくてはならないものですか? -> Yes

 最後の質問まで眺め終わったとき、「テレビニュース」という言葉は、すべて「私たち自身」という言葉で全て置き換えられる、と確かに判断したのです。

2010-12-26[n年前へ]

「未来や道具」は「自分で作る」 

 「自分が欲しいと思えるデジタルカメラ」を作りたくてコードを書いています。自分が欲しいデジタルカメラというものを言い換えるなら、「(自分が持ち歩く道具を)自分ならこう作りたい」と思うようなものです。

 たとえば、最近のケータイやデジカメは、CMOS方式のものが多いように思います。静止画像を撮影するにはCMOS方式はメリットが多いですが、こと動画を撮影するとなると(多くのCMOS方式のカメラでは)「動きの速いものを撮影すると、グニョグニョ曲がってしまう」というデメリットが生じます(もちろん”それとは異なる”メリット、も多いわけですが)。たとえば、下の動画のような撮像素子がCCDのビデオカメラとCMOSのビデオカメラで撮影した動画を眺めてみれば、そんな違いがわかると思います。

 自分で使う道具なら、そんなデメリットを適当に自分で直したくなります。たとえば、カメラが動いてしまうことで撮影対象がグニョグニョ曲がってしまうなら、カメラの動きを加速度センサや撮影画像から推測することで、適切な画像補正を行いたくなります(CMOSの読み出し順がわかっているのですから、比較的簡単に補正をすることができるでしょう)。あるいは、撮影動画の動き(オプティカルフロー)から、撮影対象が動いている確率が高いと判断されるなら、その推定された対象物の動き方をもとに「グニョグニョ現象」を直したくなります。

 いつかどこかでこんな言葉を眺めました。

誰かが未来をつくってくれると思ったら、
大間違いです。
そうだよな、と思います。「未来」なんて大層なもののことはよくわかりませんが、少なくとも「自分が使う道具のひとつくらい」は自分で作ってみたいな、と思います。

2011-12-26[n年前へ]

「おっぱい」と「愛」 

 「おっぱいとお月さま(La Teta y la Luna) 」という映画を見ました(ニコニコ動画へのリンク)。1994年に公開されたスペインの映画です。「おっぱいとお月さま」のあらすじ・概要を書くと、こんな具合です。

 カタロニアの少年、9歳のテテは、生まれたばかりの弟にママのおっぱいをとられてしまう。 じぶんだけのおっぱいを見つけようと決めたテテが眺める、周りの人たちの喜怒哀楽を、そして愛を、心地良い歌 声と音楽とともに写しだし…そして、テテはおっぱいを手に入れる。
 ところどころ「ん?」と思う言葉が入っているかもしれませんが、それは映画を見た私の視力と文章力が良くないせいです。 …とにもかくにも、こんなある決意をした男の子テテが、想像力・妄想力たくましく眺める「愛」が描かれた映画です。
ぼくだけのおっぱいがほしい。
ぼくだけのおっぱいを見つけることにした。
 「おっぱいとお月さま」という映画は人を選ぶ、いえむしろ人によっては「おっぱいとお月さま」という映画を選ばない、と言った方が良いかもしれませんが、この映画を大好きになる人は、私以外にもきっとたくさんいるだろうと思います。呆れたり、笑ったりしているうちに、何だか少し人が愛おしくなるように感じる、そんな映画です。

 この映画を見る前に、ある感想を読みました。その中の一文が、私にはとても新鮮に感じられました

 少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新。 いや、男のコってのは、永遠におっぱいがきっと好きなのだ。テテ(主人公)と同じくらいのおっぱい星人の息子を持つ私には、可笑しくてしかたなかった。

「おっぱいとお月さま」
新鮮に感じたのは「少年が成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新」という部分です。 「そうか、普通は”乳離れ”するというのが世間一般の常識だったのだな!」と目からウロコが落ちて、そんな発見に新鮮さを感じたのです。

 ところで、この「少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない」という一文を読んだとき、「男の子は皆バカでヘンで、そして、そのまま大きくなる」という、あるお母さんのこんな名言を思い出しました。

 男の子は皆バカでヘンです。ちなみにそのまま大きくなるので、オトコという生き物も基本的にバカでヘンだと思って間違いありません。ちなみに、女の子は意地悪。男女両方を育ててみての感想であり確信です。バカと意地悪が共に暮らす人間社会。いろいろあって当たり前ですね。

「男の子はバカでヘン」「女の子は意地悪」
 「バカと意地悪が共に暮らす人間社会、いろいろあって当たり前」…なるほど、それは確かにその通りに違いない、と思わされます。

 そしてまた同時に、こんな疑問も浮かびます。バカ(男)が意地悪(女)を好きになるのはわかるにしても、なぜその逆のこともあるのでしょうか? 意地悪(女)が、よりにもよってバカ(男)を好きになるなんて、これは一体どういうことなのでしょう。

 …愛って難しいな・何だか難しくてよくわからないな、と9歳のテテのように首をかしげつつ、「おっぱいとお月さま」中のあるシーンで、力強く・切なく・限りなく愛おしく響く歌声にただ聞き惚れるのでした。 

愛する人よ
こんなに愛せるなんて

叫びたいほど
こんなに愛したのは初めて

今日 愛の言葉を
愛の言葉を 繰り返す

別の人に 繰り返す
愛を込めた 言葉を

たくさんの 愛の言葉を
あり余るほどの 言葉を

…あふれる言葉を
愛の言葉を 繰り返す