hirax.net::inside out::2003年02月21日

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2003年1月 を読む << 2003年2月 を読む >> 2003年3月 を読む

2003-02-21[n年前へ]

新穂高ロープウェースキー場 


 朝一は極上のパウダースノー。雪が膝まであることも全然判らないくらい本当に軽い。2本目以降のゲレンデ下部では雪の重さを感じるようになって、三本目以降ではもっと重くなったけれど、とにかく嬉しくなるくらい気持ちの良い雪だった。

 山頂駅から第二ロープウェー乗り場まで15分で降りて、5分休んだ後すぐ次のロープウェーに乗る。1本/30分。全て新雪のおかげだけれど、やればできるのだ。もちろん、昼過ぎには温泉につかる。

新穂高ロープウェースキー場新穂高ロープウェースキー場新穂高ロープウェースキー場






「文字」というツール 

 よく、赤ちゃんが泣いていたと思ったらすぐに笑い出したりする風景を目にする。言葉を使うようになって言葉で物事を考え出すようになると、そうそうコロコロと泣いたり笑ったり瞬間的に変わったりはしないような気がする。少なくとも、小さな子供ほどに切り替わりが早くはないと思う。言葉で思考を組み立て始めるようになると、その思考を言葉で記憶しやすくなるから、比較的長い時間それを引きずってしまうのだろう。人間が言葉を覚えたおかげで、気分を深く追求できるようになったとも言えるだろうし、人間が言葉を覚えたせいで、気分の切り替えが困難になったと言えるのではないだろうか。

 だから、言葉をさらに濾過したような「文字」で何かを書いてしてしまうことにだって良いことと悪いことが対になってついてくるに違いない。ありとあらゆる道具には便利な点と不便な点が必ず備わっているように、「文字」のおかげで姿を現す-面白いこと-もあれば、「文字」のせいで姿を現してしまう-面白くないこと-だってたくさんあるだろう。気軽に打ち込める「文字」という手段が、それが気軽になればなるほど、それが広まれば広まるほど、そんな何かが色々と現れるのだろう。

 何か限定された目的のためだったら、道具はあくまで道具に過ぎないのだけれど、目的もないような曖昧な辺りでは私もツールやシステムが内容に影響すると思う。

十二の子文字でぱらぱら 

 誰かが十二の子文字でぱらぱらしてるとこ。