hirax.net::inside out::2003年12月03日

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2003年11月 を読む << 2003年12月 を読む >> 2004年1月 を読む

2003-12-03[n年前へ]

ボーダーライン 

 いえ、Bカップが微乳同盟の入会資格かどうかのボーダーラインってわけではないのです。…けれど、自称BカップってニアリーイコールAカップ…というような先入観があって…。Bカップって微妙な位置なんじゃないか、と思ってしまうわけです。だから、私の頭の中では、Aカップの次はCカップで、その次は…もう巨乳というわけで、なんと三つの分類しか無かったりするのです。

そこでは誰が幸せになったのだろうか──。  

 私もこの文章と全く同じことを考える。この文章は目を通してみて、絶対に損はしないと思う。いや、ぜひ読んでみてもらいたい、と思う。特に、弱者ではない人達に。

見知らぬ人同士が共有する密閉された空間を、平和に維持できるのは、われわれが無関心を装っているからだ。驚くほどの美人がいて激しく気になっても、けっしてジロジロ見たりはしない。僕らはそういうふうにして公共空間を保ちながら生活している。
 例えば、絶対にリンクを張らないだろうサイトがあったりする。それは、とても素敵な短歌日記であるかもしれないし、それは好奇心に溢れたこどもの日記であるかもしれない。
 もちろん、遠慮無しに失礼なリンクも張ったりはすることもあるけれど、それでもリンクを貼らずにじっと眺めているサイトだって確かにある。
ネットは常に開かれているのだから、それは誰の目に触れてもいいということじゃないか、と。見てほしくないならネット上で公開などするな、リンクフリーという原則こそがこれほどまでにネットを発展させたのだ、と。それは、とても「正論」のように聞こえるし、ネットに明るくない僕にも、それはある程度間違っていない、とも思う。
 この文章が「カフェ」だというはてなダイアリで公開されていることを少し面白く思う。自然とリンクで結びつけられがちで、カフェだけど直接民主主義の実験まで始まってたりする「場所」でこういう指摘がなされていることをとても興味深く思う。
だが、結果としては、誰も幸せになっていない──僕がひとつだけ気になって仕方ないのはこの点だ。それを考えると、杓子定規に「ネットの理念」たるものに依拠することの正当性や「正論」にも疑問を覚える。

イッパツ換太くんキット 

 かつて少年探偵団に憧れた人達は必ず気に入る「イッパツ換太くんキット」光学式ホイール付ミニマウス、11種類のケーブルキットを持ち運びに便利なポシェットにコンパクトに収納したお買い得なキット。クリスマス限定プレゼント用包装サービスもあるし、あぁお買い得。

新しい言文一致体は当然横組み 

 「小欄のような縦書きコラムでは説明しにくい」と言われても、毎日新聞の読者ではない私が読むWEBの上での文章は(縦書きブラウザを使わない限りは)横書きだったりするのである。が、とりあえず屋名池誠の「横書き登場」という本は買おう、と決める。 from Reimy.com

Gnutellaの媒介となっているネットそのもののトポロジー 

 先日、インターネットの樹なんていうものを眺めたのだけれど、それを見て思い出したのがこのGnutellaの媒介となっているネットそのもののトポロジー。こういうのを眺めていると、Winniyの樹とかも眺めてみたいかも。