2004-01-16[n年前へ]
■マイナスを探してしまう自分
「自分でいろんなことを解決して、前向きにがんばる人はすばらしいと思う。そうなりたいと思う。でも、その人の言葉を聞いてもあまり共感できないのはなぜなんだろう。文章に、苦しみ、悲しみ、嘆き、迷いなどのマイナス面が含まれていたほうが、素直に共感できる気がするのだ。
…
活躍しているからこそ、前向きな人だからこそ、その裏が知りたい。悩み苦しんだ時期を知りたい。弱さが知りたい」 from 「マイナスを探す自分」
■安原製作所「業務終了のお知らせ」
「写真のデジタル化による急速な銀塩市場の減少…は、思っていたより少し早く訪れました」という安原製作所の業務終了のお知らせ。世界最小のカメラメーカーの『カメラ技術者として「やりたいこと」と「やれること」を総てやり尽くせたのではないか』という言葉が清々しい。最後に、引用されている良寛の句を読みながら、たった一人のカメラメーカーの形見を折に触れて眺めてみることにしましょうか。「秋月」は安原製作所が残したレンジファインダー・コンパクトカメラです。
形見とて 何か残さむ 春は花夏ほととぎす 秋月の蒼
■日記の本を開いてみたり、閉じてみたり。
本屋に行けば、色んな種類の「白紙のマイダイアリー」がたくさん平積みになっている。自分史を出したいという人も多いらしい。だから、自分の日記が一冊の本になるという「はてなダイアリーブック」のようなものはとても自然に違いない。日記のおまけならそれはあってもいい、に違いない
ところで、自分の日記を本にして、いつかその本を開く時には一体どんな気持ちで開くものだろうか。懐かしい気持ちで眺めるのだろうか、それとももっと違う気持ちで眺めるのだろうか。あるいは、その日記を閉じる時はどんな気持ちだろうか。そのかつての一年を閉じるような気持ちだろうか。そしてまた、日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、どちらが一体多いのだろうか?
と、車を運転しながらふと考えた。だけど、次の瞬間に気づく。考えてみれば「日記の本を開く回数」と「日記の本を閉じる回数」はほとんど同じだ。その本を開く回数と閉じる回数は、せいぜい一回しか違わない。その本を三回開いたならば、その本を二回か三回閉じることになる。七回転べば、六回か七回は立ち上がっているのと同じだ。日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、はたかだか一回の違いしかない。それはほとんど同じニアリー・イコールだ。
■自分の日記が一冊の本になる「はてなダイアリーブック」
■ この一年の思い出を本にしませんか?□ 自分の日記が一冊の本になる「はてなダイアリーブック」も登場♪はてなダイアリー一周年を記念し、これまでに書いた日記を書籍にできる「はてなダイアリーブック」作成サービス(有料)をまもなく開始します。自分の日記が一冊の本になり、手元にいつまでも残しておける「はてなダイアリーブック」。from はてな「お知らせメール」
■アシタノアタシ
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。"Connecting Dot" from n年前へ.