2005-01-01[n年前へ]
■New Year's Day 2005
日本時間9:50。札幌では雪が吹雪いて少し薄暗い一日が始まったようです。香港やカラチでは元旦の朝が明けていくところ。その先の国では、まだ大晦日から元旦にかけての夜の中のようです。地球が回って、太陽が東から西へ地球を照らしていくようすがわかります。2005年の始まりです。





■「あいだみつを年賀状」と「手抜き年賀状」
送りつけてみたくなる「あいだみつを年賀状」(from 3年B組金八先生)を眺めながら、年賀状を作り始めました。例年のように、「届いた年賀状にのみ年賀状を出すシステム」を採用しています。このシステムは年賀状の作成作業が増大することがなく便利なのですが、「人間的にはいかがなものか」なのかもしれません。
今年は、白黒プリンタでの印刷なので、白黒版画つながりでエッシャーの「昼と夜」 - 夜から昼へ向かう鳥(酉年ですし)を「低」解像度(Resolution)で出力したイメージ - を採用してみようかと思ってます。
■New Year's Resolutions 2005
ブログの書き手たちの2005年の抱負(Resolution)を集めたNew Year's Resolutions 2005. はてなダイアリだったら今年の抱負という感じですね、きっと。
■160枚の写真の中の写真の中の…
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'95年3月21日にフランスで撮影したポラロイド写真。できあがったポラロイド写真を砂の上に置いて、もう一度撮影してみる。…そして、今度はそのポラロイド写真を世界の違う場所において撮影してみる…。一番新しく撮った写真は去年の11月で、Polaroid photography 160枚近くの写真が撮られている。
一番新しいポラロイド写真の中には、その前のポラロイド写真が写っていて、その中にはもう一枚前の写真が写ってる。160の風景の中の風景が繋がっている。 fromSLN:blog*
■Apple 2005
色んな言語のApple resolution.
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■「本当のスー・チー・ヌードル」
12月31日の朝日新聞の特派員メモと「asian tribuneのBusiness cashes in on Suu Kyi's nameを比較した本当のスー・チー・ヌードルは?」
2005-01-02[n年前へ]
■「自分を単純作業の機械にする」文化
void GraphicWizardsLair( void ); //の「PublishingSoftware 講談社はLightWayTextとInDesignで組版」から
「自分を単純作業の機械にする」という文化に激しく抵抗感があった。デザイン系の人は、手や指で反復作業をすることにあまり苦痛が無い人が多いのかも。デザイン系だけでなく、師弟伝承「ものつくり文化」はこの単純作業スパイラルに陥いりやすい。それが、特別に訓練が必要な作業であればともかくも、とりたてて特別なところのない(あるいは比較的容易な)単純作業の繰り返しに対してこの「単純作業スパイラル」が向けられることも多い。恐ろしいのは、教える側も教えられる側も、この「自分を単純作業の機械にする」という文化に心酔(あるいは他の文化を知らないのだろうか)していることが多いことだ。人間はロボットじゃないのになぁ…。
下記のリンクは、「ドラえもん〜ロボットらしく、ロボットらしくなく」「ロボットは安心を創造するか」「人を楽にする作業」です。
2005-01-03[n年前へ]
■キャラバンⅡ
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1975〜1980年にかけて、TBSテレビで朝の7:20(後に7:00)から放映されていた「おはよう720」(「おはよう700」)という番組が放送されていた。この番組の中の1コーナー「キャラバンⅡ」の影響で、旅をし続けることに憧れた人は多いだろう。リスボン→東京、アラスカ→フェゴ、アフリカ→東京…と、毎日車で旅をし続ける風景で一日が始まった人も多いだろう。少なくとも、ある世代には。
ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」もオリビア・ニュートン・ジョンもジョン・デンバー「カントリー・ロード」も、この番組とともに口ずさむ人も多いかも。
■何かが「ある」こと
アクティブにいきたいねと思いつつ日記 「どこまでもアジアパー伝」
何かが「ない」ことを証明するのは、何かが「ある」ことを証明するよりも、ずっとずっと難しいことである、と一般に言われる。それは真実なのだろうが、人間の感覚は理屈と違って、この法則に縛られない。つい軽率に「ない」と口に出してしまいがちで…
■?Immagin a/e ?
不思議な画像や絵画を作り出している?Immagin a/e ?。
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■「あしたのジョー」が顔を向ける「左の未来」
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「夏目漱石の孫の」というより「マンガ評論家の」という方が自然になった夏目房之介の「マンガの深読み、大人読み」では、ジョーとホセの試合で彼らが右に位置したか、左に位置したかを、そして、その左右の位置がどう入れ替わっていったかを考察し、さらに次のように書く。
右から左方向へと読む日本のマンガ文法でいえば、基本的に右から左へと時間は展開し、事件がおこる場合には左方向へと人物が解決に向かう。逆に主人公が右方向を向くと「戻る」「引き返す」という意味をおびることが多い。つまり、挑戦する「未来」は、常に左方向にあるのだ。あの「真っ白に燃えつきた」ラストシーンで丈は、やはり左方向を向いてほほえんでいる。(中略)燃えつきた「あしたのジョー」が、微笑んで顔を向けていた「未来」に、今僕たちはいる。
■「左の未来」と「右の正義」
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「左の未来」で思い出すのは、「英語で右 = rightが-正しい-のと同じく、ドラマにおいて善玉は右・悪玉は左に立ち、ウルトラマンのスペシウム光線も仮面ライダーのライダーキックも、もっぱら右から左へ放たれる」と書く「ヒーローと正義」だろうか。それとも、「右目(right eye = 正しい目)」を失明し「左目(left eye = 残された目)」だけで眺める世界を描く「Right Eye」だろうか。
のこされた私と、のこされた瞳は今日もまた目の前のものだけを見る。君たちと右目の代わりに。それでも、のこされたものは、のこされた瞳でのこされた夢を見つづける義務がある、いや自由がある。あのカメラマンが、それでもシャッターを押したように。あの戦場の光の真下で、悠久の時へ向けて。 「Right Eye」
2005-01-04[n年前へ]
■広重美術館で「見当違い」

静岡県 由比にある「東海道広重美術館」の入り口には「版画体験コーナー」がある。「広重の東海道五十三次の「由比」を青・赤・黒の三色の版画で再現し、三色重ね刷りすることで、浮世絵の版画(世界初のカラー印刷技術)を体験しよう」というものである。
やってみると、二色目の赤の位置合わせに失敗し「見当違い」の版画になってしまった。しかし、久々の版画体験もなかなかに楽しい。カラープリンタが一般的になってしまった今日この頃、プリントゴッコで浮世絵を作るなんていうのも新鮮で良いのかも。



■「津波と人間」
新聞やテレビといった報道機関、あるいは、ネット上のさまざまなサイトでスマトラ沖地震に関する話をみる。「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ」というような言葉をよく見かける。来月の今頃は、そんな言葉をどのくらい見ることができるのだろうか。来年ならば、どうだろうか。再来年ならば、どうだろう。
1933年3月3日、三陸沖地震が起きた。3千人の命が消えたこの地震・津波の直後に寺田寅彦が雑誌に発表した文章が「津波と人間」だ。この文章中で、寺田寅彦は「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ、という論」を挙げた上で、「しかし、年月を経るうちに人はその災害を忘れ、世代も移り変わり、その教訓は容易には生かされないだろう」と書く。つまり、「地震・津波が次にやってくる時には、人は前回の教訓をすでに忘れている、だからこそ災害が繰り返し起きるのだろう」と書く。その寺田寅彦が繰り返し唱えた思想を、一言で言えば、「天災は忘れた頃に来る(天災は忘れた頃にやってくる)」ということになるのだろう。
「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ」というようなことは遙か昔から(寺田寅彦でさえ70年以上前だ)、何度も繰り返し言われたことだと思う。何度も繰り返し言われても、それは人はいつも忘れ続けるのかもしれない、と思う。「天災は忘れた頃に来る」という言葉、言い換えれば、「忘れなければ、天災は来ない」という言葉、は何度も繰り返し口に出されるべきだろうと思う。忘れさえしなければ、天災は来ないのだ。
LIMG http://www.wakaba-pha.co.jp/saikin_1510.htm#10/8_2 r /site_thumbnails/20050105001828s.jpg しかし、その一方で「忘れる」ということは人にとって自然で、何かしら生きて発展していくための原動力であるだろうとも思う。数ヶ月先、あるいは例えば来年に、地震や津波のことなんて忘れ去られ、今回の被害地が同じように人で賑わっているとしたら、それもまたとても自然なのだろうと思う。人が忘れることが「自然」であるならば、人が忘れることにより生じる災害はやはり「人災」でなく「天災」なのかもしれない。だから、「天災は忘れた頃にやって来る」のだ。
2005-01-05[n年前へ]
■「未来(と科学と男と女)」のニュース
昨日辺りから仕事初めの人も多いと思いますが、1年の始まり・未来の始まりに合わせて、今年初めての「未来(と科学と男と女)」のニュースが公開されています。
ちなみに、某勤務先ではTech総研も今年1月1日より「祝 有害サイト入り」したといいます。リクルートのTech総研もついに「ドラッグや過剰な娯楽」と同じジャンル入りです。…あれ?…まさか、「男と女のニュース」のせいだったりはしないよなぁ…? バストや水着やアレのサイズやコレのヒミツとかのニュースがまずかったかなぁ…?うぅ。
■全自動立体コピー「ピエリモ」
複数のカメラで人を撮影し、こんな立体動画を生成してしまったり、あるいは「その人の可愛いフィギア」を作り上げたり、さらには「その人をガラスの中に閉じこめてしまったりする」全自動立体コピー「ピエリモ」。
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■動画解析による乳ガン検診の触診テクニック
SGIのIndyに繋がれた計測用ユニットがなんとも良いテイストを醸し出している"Finger Tracking for Breast Palpation Quantification With Stereo Color Cameras " 早期発見を行うためのテクニックを知るための…って書いても、白い目で見られるだけなのかも。
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2005-01-06[n年前へ]
■「ブログにしない理由」と「はてなのタイトル」
『有名サイト(例えば、イトイ新聞、また大手ポータルサイト)などにあるWEB連載やテキストサイトはどうしてブログ化されないのでしょうか。「面倒であるから」という理由以外に何かデメリットなど、ブログにしない理由を教えて下さい』というはてなの質問。
この質問の内容はさておき、初めて気づいたことは「このページのタイトルが質問全文そのまま」であったこと。そうか、はてなの質問ページのTitleは「質問文全文」だったのか…。これには少し驚いた。
■『グラフ計算機』の驚くべき開発秘話
現在販売されている全てのMacintoshに添付されている「グラフ計算機」は、失業中のプログラマ二人が、貯金で生活しながら、Apple社の警備をすり抜け、出勤してきた社員の後ろにぴったりついてApple社の敷地内に入り込み空き部屋で作業し、さらには自腹を切って下請けプログラマーを雇い、最後は、チェック担当と研究担当からなる開発チームに、自分のソフトウェアの改良を行なわせて開発したもの、 という話(オリジナルサイト)。
まるで「摩天楼はバラ色に(THE SECRET OF MY SUCCESS)」みたいな話。
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■Heliodisplay
Heliodisplay. from れれれの日記
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2005-01-07[n年前へ]
■「恋人から夫婦への3.3cm」など、人が繋がる・人の距離のニュース
Tech総研で「恋人から夫婦への3.3cm」など、他と繋がる・他との距離の三つのニュースが公開されています。『「恋人」から「家族」になりたい相手がいるなら、ほんの3.3cmだけ相手の方へ進んでみると良いのかも』なんていう無責任な感想付き、です。
「科学と技術と男と女」なんていうコーナー名にはなっていますけれど、私には「男と女の境界線」がよくわかりません…。「男」と「女」の違いって何?「男」と「女」の距離ってどのくらい…? (かつて地球物理学 測地学研究室に属していたわけで、距離とか位置関係とか境界線とかが気になるわけです…)
■理想の目元のプロポーション
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目の形やまぶたの立体感を分析し、理想的な目の形に仕上げる「理論と実践」 from ぽいんつさんのブログ (Pointというタイトルのページと、Residualというタイトルのページを完備している)
■「夫婦の間の距離」は「一寸 = ちょっと」
「恋人から夫婦への3.3cm」というタイトルが、「夫婦の距離は3cm≒一寸」に見えた、というツッコミが。さらに、「だから、夫婦の間の距離は近くて遠い」のかも、という指摘。
なるほど、確かに「夫婦への距離」は「一寸(ちょっと)」なのかもしれませんね。「一寸(ちょっと)」が近いのか遠いのか…、難しくてよくわかりませんけど、「近くて遠い」っていうようなものなのかもしれませんね。試しに辞書を引いてみると、二つの意味が書いてあります。一つめは「ささやかなわずかなもの」、二つめは「最高級とは言いかねるが、とるに足りないものではない、相当のもの」…。奥が深いですね…。素晴らしいツッコミ&指摘です。どうもありがとうございます。
『一寸』1 物事がわずかで、大げさでないさま。 ささやかな。わずかな。 例 「ちょっとした用件」2 最高級とは言いかねるが、とるに足りないものではない。 かなりの。相当の。 例 「ちょっとした腕前」 国語大辞典(新装版)小学館 1988
■ロックのスター・プレイヤー評価チャート
各楽器(ボーカル含む)につき五項目評価の「ロックのスター・プレイヤー評価チャート」
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2005-01-08[n年前へ]
■PhotoshopCSの通貨偽造防止機能
PhotoshopCS搭載の通貨偽造防止機能を試してみた。結果は「新札(新しく発行されたデザインのお札)は検知されるが、旧札は検知されないかった」ということ。
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■BACK TO THE 80's
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コマーシャルで見かけたBACK TO THE 80'sを買う。2枚のCCDと1枚のDVDで、懐かしい80年代の32曲のビデオ・クリップと音楽が蘇る。クイーン、カルチャークラブ、ポリス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド…、あの頃の懐かしい音楽と映像が入ってる。バグルスの「ラジオスターの悲劇(こちらはパロディ版)」もしっかり入ってるのもうれしい。Comodore 64で作られたオープニングで始まったミュージック・トマト・ジャパンやベスト・ヒットUSAを観ていた人は、必見かもしれません。
■「整数と小数」と「言葉と感情や雰囲気」
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「元々はそんなに意味がなかった」という、"point"と"residual"という名前を見て、一番最初に思い浮かべたのは「円周率は約3でいいか(2000/9/28 AM 11:05辺り)」でした。円周率πと(πの小数点"point"以下を切り捨てた、あるいは、円周率πを一番近い整数に整えた"adjust")3の間には、無限に続く少数で表される残差"residual"があるわけですが、この「円周率や誤差」辺りの話を読んで感じたこと(それをなかなか言葉で言い表せなかったりするのですが…)を思い出しました。
点"point"で指し示しされたものと本来の何かとの残差"residual"や、小数点"point"で切り捨てられがちな残り"residual"の何か、あるいは、「厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気」といったものを思い出したわけです。
むしろいとうせいこう氏のような(数式を言葉とみなせない)文科系作家は、言葉の厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気といったものを表現していくのが主たる仕事ではないんだろうか。 お笑いパソコン日誌 「円周率は約3でいいか」
■「二十年後の未来」
「つくば科学万博クロニクル」という本を買った。今から二十年前に開催されたつくば科学万国博覧会についてかかれた本だ。二十年前のあの頃を懐かしく思い出す人たちはもちろん、二十年前の過去に描かれた未来を知らない人たちも一度手にとってページをめくってみると良いと思う。例えば、高さ42メートル幅48メートル、(閉会式後に)2000インチ超大型ディスプレイの「ジャンボトロン」で"We are the world."を上映した「関係者10人だけの閉会式」の話など、「二十年前に描かれた未来の舞台裏」は間違いなく読む価値がある。
そういえば、つくば科学万博が開催された二十年前の1985年に発行された本が「科学技術を考える」だ。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」という書き出しで始まるこの本には科学技術の(その当時の)現状や未来(特に科学技術が人に対して何をなしていくか)が描かれている。
この本の中で、坂村健は「新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」と言う。つまり、その当時の新技術が今現在2005年の世界を支えている(あるいは近い未来に支えていく)ことになる。科学技術の発展はそんなに速くない。科学技術を作っている側も使っている側も速いように思えるかもしれないけれど、実はそんなに速くない。車輪の再発明でない新しいことがたくさんあるわけではないのだから、二十年前の過去の未来を眺めてみると、今の未来が見えてくるかもしれない。二十年前に作り出された夢を振り返ってみると、自分たちの未来の方向が蜃気楼のように(だけど明瞭に)見えてくるはずだと思う。
2005-01-09[n年前へ]
■津波から逃げきれないときの対処法
ARTIFACT経由で「巨大津波と避難行動ー奥尻島青苗地区で何が起こったかー北海道南西沖地震調査報告(PDF)」を読む。これは「奥尻島で生存者に聞き取り調査」を行ったものだが、生存者たちの行動を自分の普段の行動・生活に置き換えて読んでみると良さそうだ。
ところで、第一に「とにかく津波が来たら高台へ避難する」のは当然だが、津波の危険を察知してから津波が来るまでの時間がほとんどない場合もあるだろう。そんな時は、「地面にしっかり固定されているものにしがみつき、(衝撃の強い)津波が通り過ぎるのを待つ」のが良い、という。
これは、アリューシャン津波に関する米国の報告や三好寿らによる「日本海中部地震での津波死者たちを検死した医師と助かった人たちへの聞き取り調査(1985)」から導き出されたものであり、「津波による最終死亡原因は体をコンクリートや岩などの固い地面に打ちつけられたことによる内臓破裂が多い」ため、「海岸で津波に追いつかれて逃げ切れないと判断したときには、自分から地面に伏せ、できれば固定した何か(鉄筋の先なぞ)につかまって、体の上を津波が通り過ぎるのを見送ることにより衝撃を緩和するのが生き残るのに有効である」とされている。少なくとも、日本の地理形状・地震発生状況を考えれば、日本では有効かつ知っておくべきことだと思われる。
「とにかく津波が来たら高台へ避難する」のは当たり前だが、「瞬時に訪れる津波から逃げ切れないとき」はどうするかの考察も風化させるべきではないだろう。
2005-01-10[n年前へ]
■NEWS
カリタテルを読む。この文章中で語られていることと直接は繋がらないこと、単に連想したことを、脈絡なく以下に書いてみる。だから、何かまとまった話ということでは全くない。
私は新聞記者が「起きた出来事を一人でも多くの人に一秒でも速く届けるという役割」を重視する姿勢はあまり好きではない。「起きた出来事」を明らかにするには時間がかかる以上、「起きた(と思われるが、その確からしさは決して高くない)ことを多くの人に速く届けてしまうという自らの判断」の必要性・危険性を「その書き手」はいつも疑い・考え続けるべきだと思う。そして、新聞記者たちがそのような期待に応えて続けているかどうかは疑問に思っている(そう思う一方で、他人のことを気にする繊細な神経の持ち主は記者を続けることは到底できないだろう、とも思っているのだが)。もちろん、私たちの中の野次馬根性に対しては、記者達は期待以上に応えてくれていると思っている。
ところで、毎日新聞というと署名記事の割合が他に比べて多い新聞社だという印象がある。私は社説というものの存在意義がよく理解できておらず、逆に意味もなく署名記事が好きなので、毎日新聞に対しては比較的良い印象を持っている(西原理恵子の毎日かあさんが連載されているからではない、多分…)。先の理系白書の書き手も書く文章の内容はさておき、その自らの名前の元に書く態度に対しては非常に好印象を持つと同時に尊敬している。また、「書く文章の内容はさておき」というのも、勝手な期待・勝手な理想を新聞に重ねてしまうせいで、そんな風に(勝手な)基準を高めてしまっているのだとも思う。そういう期待がなければ、眺めるだけで終えておけば良いだけなのだろうから(「理系白書ブログ」に関しても「毎日新聞『理系白書』の記者が作るページです」と書いてなければ、きっと何の反応もしなかったと思う)。
以前、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケートを見たときに、それをとても強く感じたのだが、もしかしたら(私に限らず)時に新聞記者に対してぶつけられる「(皮肉で書かれる)期待」の裏には、「(勝手な高い)期待」があるのかもしれない、と思う。その「期待」をどう眺めどう応えていくかは、その人(記者や私たちの)それぞれに違うのだろうけれど。
「テレビニュース」というものに対する(私たちの)イメージは全て自分達に降りかかってくるに違いない。(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は「僕ら自身」と全て置き換えられるに違いない。そう思いながら、刻々流れる質問への答えを眺めている。 「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い 「テレビニュース」は信用できる -> No 「テレビニュース」はあなたの人生にとって なくてはならないものですか? -> Yes。
■月光天文台
「月光天文台」はその名前がとても素敵で、建っている場所もその名前に名前に負けない。スペースシャトルの大きさは後ろの建物と比べて眺め、望遠鏡の大きさはその後ろのスペースシャトルと並べてみると、わかりやすいかも?
「地球のを回る月」や「送電線」の写真は平行法で眺めてみれば、立体的にその姿がわかると思います。空に漂う雲や空に張られた送電線や、畑の向こうの林の向こうの鉄塔が、立体的に浮かび上がってくるはず。函南町の山村中の小さな公園にある地球の周りを回る月を、三次元空間の中で眺めることができるはず。
2005-01-11[n年前へ]
■『死語大辞典 第二版』の初版との変更点
『死語大辞典 第二版』の初版との変更点。これを読むと、「ぞっこんlove」とか「ナウなヤングにバカウケ」といったフレーズを使いたくなるかもしれない。
そういえば、時折自分の若さ?を強調したい時、「スイカに塩」で甘さを強調するのと同じように、「ボクのようなヤングは…」と言いたくなることがある。あっ、「恋の方程式」なんていう言葉(死語)はhirax.netで使ってそう…。
2005-01-12[n年前へ]
■電子写真技術のシミュレーションに関する講習会
以前紹介した、日本機械学会 情報知能精密機器部門主催で3月22,23日に開催される「電子写真技術のシミュレーションに関する講習会」ですが、リンク先には「受講料:会員30,000円 (学生員10,000円), 会員外40,000円, 一般学生20,000円 教材:会員4,000円,会員外5,000円」と書いてありますが、実際には「受講料:会員20,000円(学生員4,000円), 会員外30,000円, 一般学生6,000円 教材:会員3,000円,会員外4,000円」です。二日間で、しかも内容がぎっちり詰まっていてこの値段というのは格安です。特に、会員外の一般企業参加で30,000円というのはビックリするくらいに安いかも。(別に宣伝して得するわけじゃないんですけどね…)
そういえば、いつの間にやら来週開催予定の「技術者・研究者のためのすぐに役立つプレゼンテーション技術」講座もよろしくお願いします(申し込みはきっとまだまだ間に合うかと思います)。本屋に溢れてる「プレゼンテーション本」とはひと味違う内容で「わかりやすく」「楽しく」「なおかつ提示するストーリーが明解」を目指した「テクニカル・プレゼンテーション」への近道はを探してみますし、ね。
■スィング・バイ
「wikipediaのスイングバイの記述がどうしたものかという指摘」(及びそのリンク先)を読んで、ふと「SEXYタレント売り出し術 - または恋のフライバイ -」なんて、(リンク先にある)
1. 役には立たないが邪魔にもならないもの 2. 他にまわせば役に立つ資源を浪費することで、間接的に有害なもの 3. 実害のあるもののどこに該当するのか考てしまう…。1?2?…それとも…3? うぅ…。
2005-01-14[n年前へ]
■両手を広げた小さなキリスト像
阪神大震災の時に有名になったカトリック鷹取教会の両手を広げた小さなキリスト像のいくつかの話
「何が奇跡だ。あんなのは、ただのデク人形だ」「奇跡(なんていう言葉)よりも、(キリスト像の足下には)ずっと中身の濃いものが詰まってるんだ」(両手を広げた小さなキリスト像の)台座にはタイムカプセルが埋まっている。中身は(ボ−ト・ピ−プルだった)信者の子供が書いた作文や、(信者たちの)ボ−ト・ピ−プル当時の写真だ。
■SoftPear
The SoftPear Project aims to create compatibility software between the IBM PC and the Apple Macintosh architecture.
■カメラ付ケータイで天体写真
カメラ付ケータイで天体写真, from Random Note
2005-01-15[n年前へ]
■「上京ものがたり」
西原理恵子の「上京ものがたり」の編集者は「ぼくんち」と同じ八巻氏。「ぼくんち」とほぼ同じような1話1ページで連なっていく、イラストレータ・マンガ家の小さなタマゴの話。ホントのようで全て大ウソのようで、どこかにかすかにホントのことも隠れてそうな絵本のようなマンガ。最後に何回か繰り返される「ちょっと」に色々思いを馳せてみるのも、味わい深いかもしれない。
つかれているひと。かなしい ひと。くやしい ひと。そして それをぜんぶ ずっとがまんしているひと。なにをかいたらしんどいひとはわらってくれるかなあ。ちょっとだけ みてちょっとわらってもらえたらすごくうれしいです。ちょっとだけ今 そんな仕事をやれてうれしいなあ 私。ちょっと。その「上京ものがたり」の(紀田伊輔による)書評を週刊新潮で読む。
読者の心をちょっとでも癒せたなら嬉しいという意味のことを「私」が語っていて…(中略)…が、彼女の作品を愛好する者ならば「でも頑張るのはあんた自身だよ」という言外のメッセージを読み取るはずだ。 紀田伊輔 希望と挫折の「やさぐれたメルヘン」週刊新潮 '05.1.20
■WEB日記の言葉削除依頼
日記のエントリーについてのメール. ふと、(C-MagazineでC++や開発環境の連載を担当したこともあり)東映テレビの特撮ヒーローもののプロデューサーの白倉伸一郎の「ヒーローと正義」の一節を思い出す。現在の仮面ライダーは「改造人間」になったり(手術前後の子供を不安にさせたり、手術をする側を職業差別すると捉えられる可能性のあること)、「(道具の力を借りたものではない)自分の肉体能力としてのキック力」を備えたりすること(そのような能力を備えていない人の「足を踏む」可能性のあること)はできなくなっている、と書きつつ下のように言う。
「足を踏まれた者の痛みは、踏んだ者にはわからない」よく言われる言葉である。…(中略)…足を踏まないために、もっとも確実なのは、近寄らないことなのである。…(中略)…<踏まれた痛み>原則にもとづくかぎり、…あらゆる媒体から「被差別者」とされる存在は抹消されていかざるをえない。「こっちに来て」という声があっても、だれかの足を踏みそうな場所に足を踏み出すことは許されない。「足を踏まれた者の痛みは、踏んだ者にはわからない」のだから。 白倉伸一郎 「ヒーローと正義」 子どもの未来社
■東京大学大学院 基盤情報学 出前講演?
来月、2月27,28日に開催される東京大学大学院 新領域創成科学研究科基盤情報学専攻の(博士課程の学生たちによる)研究成果発表会にまぎれて、2月28日の午前中に「オッパイ星人プレゼンツ・イッツ・ア・基盤情報学(ウソ)」の講演(というより発表)をしてくる予定になりました。本郷キャンパスでなく、柏キャンパスというわけで、気分的には仕事の出張と区別が付かないかも…。
話す内容はまだ全然決めていませんが、発表自体は(多分)やることになるだろうと思います。さて、どんな話をしましょうか。
■コクヨ「復刻版キャンパスノート」

コクヨ「復刻版キャンパスノート」初代(1975年発売)、2代目(1983年発売)、3代目(1991年発売)までの「キャンパスノート」の懐かしいデザイン3柄を復刻し、現行の4代目(2000年発売)の特別メタリックカラー・アレンジをセットにした4冊パックし、546円で販売。サイズはB5で、普通横罫(7㎜)と中横罫(6mm)の2種類。
…この表紙デザインのノートPC(用化粧板)が欲しいかも。あるいは、ジャポニカ学習帳のものも欲しいかも。















































