2005-06-01[n年前へ]
■「美しくなりたい?」歴史のニュース
Tech総研の「科学と技術と男と女」コーナーで「美しくなりたい?」ニュースが公開されています。それにしても、女性の多くが「美しくなる」ため?に、「化粧」をしたり、華やかに装ったりする行為の数々には、膨大なエネルギーがかけられているような…?そのエネルギーは結局どこに辿り着くんでしょうね? やはり、単なる熱エネルギーに変わる、とか?
■マルチ・メディア曼荼羅と印刷曼荼羅
懐かしの和久井孝太郎氏による「マルチ・メディア曼荼羅」を眺めてみる。過去や現代や、さらに未来のメディア曼荼羅をFlash辺りで作ってみたいところ。ちなみに、曼荼羅と言えば、印刷曼荼羅なんていうものもある。
■絶望?希望?
わたしの初恋は、「仮面の忍者・赤影参上」の赤影さんでした。18歳のとき、赤影さんがポルノ男優になり、スポーツ新聞にひたすらエロを書き連ねて生計を立てているのを知ったとき、全てに絶望したような気がする。不潔よっ。なんだか、絶望どころか希望が湧くような気もしてくるのは…私だけでしょうか?「全52話うち、素顔を出したのは4話ほど」でも、「番組終了後はそのイメージが強すぎて、仕事に恵まれなかった」んですってね。「一時は赤影と呼ばれることを嫌い芸名を変更したこともあったが、久留米に戻ってからは『赤影から逃げられないのだったら、とことん赤影でやっていきたい』と話していた」というんですから、なんだかそこに「希望」「未来」を感じます。
MagMell Diary 2005年5月31日(火) 「萌えとワタクシ」
2005-06-02[n年前へ]
■恋愛物理学の法則
借力さんの恋愛物理学の法則「男女二人が歩いた場合には、(その二人の間の)好意ベクトルの方向に二人は進む」 つまり、A男さんがB女さんを好きならば、A男からB女さん側に向かう方向へと二人は進んでゆく、という法則。なるほど…、なんだか格闘技みたい。
カップルが歩くとき相手がどちら側にいた方が自然に感じるか…、その相性もありますよね?あぁ、これもなんだか格闘技…みたい。
■ガードレールに「金属片」
ガードレールに「金属片」というニュース。"白装束集団"パナウェーブ研究所による「毒毒電波回避」のための何らかの避雷針?なんて一瞬思ってしまったのは、絵に描いたような偏見?
■「トランプ・カード透視術@SIGGRAPH 2005」
SIGGRAPH 2005で発表された「真向かいの人が持っているトランプ・カードを透視する方法(動画)」 from BOX HEAD ROOM
2005-06-03[n年前へ]
■ロボットや白馬に乗った王子さま
Tech総研で「ロボット(人はそれを玩具と呼ぶ)や白馬に乗った王子さまのニュースなど」が公開されています。
野球盤の「消える魔球を実現するための苦労話」は有名です。「巨人の星」連載当時、「巨人の星」の消える魔球に関して「物理学的に解析すると…」という話がよくあったと聞きます(あるいは当時の書籍でそんな話を見かけます)。大リーグボール1号で「ラプラスの悪魔」を論じ、大リーグボール2号で「パラレル・ワールド」を論じ、(その頃未だ出現していなかった)大リーグボール3号は「量子力学」で説明することができるはず、という話が一番面白かったような…。
■数学とソフトウエア
「数学とソフトウェア」は、教育用の資料がとても大量に提供されている。「数学大好き」というわけでなくても、結構楽しめる。何ていったって、「マスオ博士の気ままに数学」なんていうコーナーもあるくらいだし。
ライフゲーム・暗号・折り紙・フラクタルなんていう言葉に惹かれる人は「数学のかたち」を読むと、嬉しくなるかも。
■Command Prompt Explorer Bar
「エクスプローラにコマンドプロンプトがくっつき、フォルダ移動はコマンドプロンプトとエクスプローラが連動する」というCommand Prompt Explorer Bar.
2005-06-04[n年前へ]
■裾野
EOS 1/1.6一眼レフ・デジカメのための立体アダプターを…使おうと、思ったらもう夜になっていた休出日。そこで、撮ってみたのは「今日の車窓から」 通り過ぎていく光や目の前の光が、四次元の立体空間の中であなたに迫る? とうわけで、平行法でご覧下さい。
■40年前と後の鉄腕アトム
1963年に谷川俊太郎が綴った「鉄腕アトム」と、2003年に谷川俊太郎が綴った「百三歳になったアトム」を並べて読んでみる。
空をこえて 星のかなた行くぞアトム ジェットのかぎり街角に 海の底に今日もアトム 人間守って 谷川俊太郎 「鉄腕アトム」19631963年は三井三池炭鉱爆発事故が起こり、ケネディ大統領が銃弾を受け暗殺された年。その年から放映され始めたのが「鉄腕アトム」 同じ年に放映されていたのは鉄人28号やエイトマン。
現実の世界で空飛ぶマイクロ・ロボットが登場し、マンガの中では鉄腕アトムが誕生した2003年に書かれたのが、「百三歳になったアトム」 2003年にあった他のことは、こんな感じ。
人里離れた湖の岸辺で、アトムは夕日を見ている。
ぼくには、魂ってものがあるんだろうか。
どこからか、あの懐かしい主題歌が響いてくる。
夕日ってきれいだなあと、アトムは思う。
だが、気持ちはそれ以上どこへも行かない。
ちょっとしたプログラムのバグなんだ、多分。
そう考えて、アトムは両足のロケットを噴射して、
夕日のかなたへと飛び立って行く。
谷川俊太郎 「百三歳になったアトム」2003
■A Walk Through Time
「時間に関する歴史」の色々を眺めてみる"A Walk Through Time"
2005-06-05[n年前へ]
2005-06-06[n年前へ]
■どんな「腸内菌」になりたい?
走り書き2005から、「必読」シリーズを読む。森山氏の
で。僕はそれで食べて行かなくちゃいけないライターなわけだから「理系の人がどこを面白がっているかについて書く」ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない、ということですかね。という二年前の文章(及びその前後)に感銘を受ける。感銘のあまり、何回も繰り返し読んでみた。
そういえば、「2ちゃんねる研究」が終了した頃、「新聞のニュースインデックス」に関して、こんな感想を書いた。文体が気に入らないので、ちょっと変えてみるとこんな感じになる。
私は他人の褌は嫌いだ。他人が作ったニュースインデックスは少なくとも、他人のものに違いない。「他人の作ったニュースをたれ流しすることで商売したり」するのは実につまらないと思う。 もっとも、それが新聞社や記者のものかと問われれば、そもそも「そのニュースは誰のものか」ということを考えるべきだ、と思う。「他人の作った人生で商売をする」というのはどういうことなのか、もう少し考えて欲しい、と思う。 人間誰しも寄生虫なのだと思う。そんな寄生虫、あるいは、腸内菌にだって色々あるに違いない。どんな腸内菌になるかは、…その人次第だと思う。私は、話題の発端となったサイトは今回も読んでいない。だから、その、今日思ったことは、「『理系の人がどこを面白がっているかについて書く』ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない」という言葉から、「どんな腸内菌になるかは、その人次第」と思った時のことを思い出した、というだけである。
2005-06-07[n年前へ]
■下丸子・裾野・三島
そういえば、「題名=添付写真を撮影した場所」では必ずしもなかったりします。例えば、今日の写真は最初の二枚が大井町付近で、三枚目の写真が三島広小路近く、です。だけど、今日見た景色は「下丸子・裾野・三島」と書いちゃうわけです。単なる通過地点は地名を書かずに、長く過ごした場所を書いちゃう、という感じですね。というわけで、いずれも平行法です。
■立体写真の左右画像サイズ調整方法
「立体写真の画像が大きすぎて、「左右の画像距離」が「自分の左右の目の間隔」より長すぎて、平行法でなんか眺められないよう〜」という言葉を頂いています。そんな場合は、ブラウザの機能を使って画像の大きさを調節して頂けますでしょうか。例えばインターネット・エクスプローラなら、ウィンドーの大きさを変えれば画像サイズが調整されることでしょう。また、他のブラウザーでも(もしくは何らかのプラグイン機能を用いれば)きっとそんなことができるだろう、と思います。
そういえば、私がまだ学生だった頃、大学の教官が何かの学会で地形図を立体写真で見せたことがありました。巨大スクリーンに投影したわけです、もちろん平行法で。左右の画像が数メーター離れていたのですけれど、それほどに左右の目が離れている人なんかいないわけです。というわけで、その立体地形図は誰も立体的に眺めることはできなかったのでした。テリー伊藤だったら、もしかしたらちゃんと見ることができたのかもしれないですね。
2005-06-08[n年前へ]
■ヤオイにおける「女体化」現象
腐女子が好きな、「オトコとオトコのやおい的関係」で、「受け(役)」を女性の身体で描くという「女体化」という現象…。オトコがオンナでオンナがオトコで…???
■「組立式12面体迷路」
LIMG http://www.forest.impress.co.jp/article/2005/06/08/moripri36.html r /site_thumbnails/20050609053202s.jpg 窓の杜 - 【杜のプリント工房】第36回:立体迷路を自分で組み立てて自分で解く「組立式12面体迷路」 「血管のように重なり合い、まるでマスクメロンの表皮状の迷路の通路を通ってゴールまでたどり着こう」という、正12面体の表面に白黒の迷路が描かれた「組立式12面体迷路」
■「研究環境をデザインする」
ある大学院生
最近どうも院生室の環境がひどくなってきててね.
鈴木
ほう,どんな風に?
に始まる研究(居室)環境に関するダイアローグの「研究環境をデザインする」
■ThinkPad X41 Tablet発表
ThinkPad X41 Tablet発売とその記事。この発売を待ちきれずに、先週PORTEGE M200を買った。けれど、ThinkPad X41 Tabletも比較用に買う…か。
2005-06-09[n年前へ]
2005-06-10[n年前へ]
■品川
コクヨホールへ。「電子写真の光沢と形状」というアリガチな煙幕を張りつつ、「強引に電子ペーパーまで繋いだ未来」にたどり着けたかどうかは、…怪しいところです。とはいえ、良くも悪くも他の人にはやれない(単に「やらない」ともいう)タイプの報告ができたのなら良いな、と思っています。そして、それが何かしら楽しんでもらえたのであれば嬉しい限りです。
というわけで、一番右の画像中の*は
*As tilt detection and image display software, VR-Display (provided by hirax.net) is used.という注意文です。ラストから4枚目にあたる「As “HANDHELD PRINTS” System」と題したスライドの一部ですね。
ちなみに、ついでに会場で見せた立体ディスプレイを見ながら、「俺は下から(スカートの中を)覗きたいな」と言っていたのはR社のI氏。ロゲルギストの今井功(=I2)氏の御子息です(あっ、イニシャルで隠した意味がない…)。草葉の陰で泣いているんじゃないでしょうか、お父上が…。
■一眼レフ用超小型蛇腹レンズ
「レンズ一枚が蛇腹で繋がっているだけ」のLensbaby 2.0.
2005-06-11[n年前へ]
■「本の雑誌社 8年振りの社員募集」
本の雑誌社が8年振りに社員募集する。
■立ち小便器@女子トイレ
何と、最近の女子トイレには立ち小便器があったとは…。幼児用とはいえ、ちょっと新鮮かも。女性の常識が、男性には摩訶不思議だったり、男性の常識は女性の非常識だったり、というような例ですね(知らなかったのは私だけ?)。
■「WILLCOM 通話無料携帯 父娘篇」
「田舎を後に、東京へ元気に上京していった娘 (MPEG)」と田舎の父親の電話を介した会話を描いた「通話無料携帯 父娘篇 60秒バージョン(WILLCOM ギャラリー)」 ほんの710KBのファイルなのだけれど、後ろで流れるピアノ曲とともに、25秒過ぎからのリフレーンが心に染み入ってくるように感じる人も多いかもしれない。
■「Mac for intel」と「スティーブ・ジョブス@開発現場」
「intelのCPUへの移行」を発表したApple WWWC 2005のKeynote speechビデオを眺めていて、クパチーノのApple社内で行われていた移開発作業のようすを想像し、先日聞いたNeXT STEP 3.0の頃の開発現場に現れるスティーブ・ジョブスの姿の話を思い出した。
それは、製品出荷日が近づいてきて、開発メンバーの疲労が極限値に達している頃、「よれよれの服」と「無精ひげ」と「疲れた顔」で「リフレッシュコーナー」に現れると、「おれもガンバルから、おまえも頑張れ」としみじみ語る、という話である。そして、その言葉とジョブスの姿を見た(精神的にも肉体的にも)疲れた(単純な)社員たちのやる気は(単純に)180 % アップしたという。
ふと周りを見ると、ここは機械が林立する実験室。今日見た景色は「霧の箱根山中の実験室」 もちろん、ジョブスはこに現れれることはない…。さてさて、コーヒーでも飲んで、カフェインの力でやる気を(強引に)180 % アップさせようか。
2005-06-12[n年前へ]
■「やおいの距離感」
「やおいの距離感」
エロゲは「この世界を自分の欲望のままに生きたい」というある意味「健全」な話だが、やおいは「この世界で生きたくない」という話なのだ。 …この違いの根本を突き詰めると…
2005-06-13[n年前へ]
■下丸子 → 渋谷
10年くらい前の今頃、渋谷でコピー機セールスの実習をしていた。二月弱ほどの短い期間、道玄坂から円山町そして鉢山町の辺りを一軒一軒「飛び込み」の営業をして廻っていた。バブルも終わり、「田舎へ戻る」というデザイナ達も多かったように記憶しているし、マンションの中にある小売業者や不動産業のオフィスも、静かで誰もいないところも多かった。そのエリアをしらみつぶしに廻るので、自然とその辺りの道やビルやその中の入居状況を覚えてしまった。
今日、10年振りに渋谷を歩いた。渋谷駅から鉢山町の方へ向かうと、やはりまだ頭の何処かがその辺りの道を覚えていることに気づく。不思議なことに、今日の風景を見ながら、10年前の景色が頭の中に浮かび、実際に眺めている風景と二重に重なって見えることに気づく。
■"The Musical Baton"
「音楽に関する質問に答え、その質問に答える責任を次の5人に廻す(pass the baton)」という"The Musical Baton"というのを渡されたようだ。 指揮棒と(リレー)のバトン(=責任)を掛けているのだろう。次の人へ責任を渡すようでもあるし、次の人を指揮棒で指すようでもあるし、あるいは、「その瞬間は指揮者になったつもりで自分の音楽を語れ」という感じだろうか。つまりは、「はてなダイアリーが選ぶ名盤百選」みたいなものである。ただ、大きな違いが、100曲という「終了条件」が付属しているかしていないか、である。
1人から次の5人という広がり、すなわち、5のべき乗を順に書いていくと「1 人 → 5 人 → 25 人 → 125 人 → 625 人 → 3,125 人 → 15,625 人 → 78,125 人 → 390,625 人 → 1,953,125 人 → 9,765,625 人 → 48,828,125 人 → 244,140,625 人 → 1,220,703,125 人 → 6,103,515,625 人」となる。13世代で世界のインターネット人口を突破し、14世代では地球の人口を突破することになる…。ということは、ほんの10世代程度遡れば、源泉に辿り着けるかと思ったのだが、あいにく途中で挫折してしまい、辿り着けなかった。というわけで、その目的を知らないままに、適当に書いてみる。
Total volume of music on my computer:
- 数MB
The last CD I bought:
-SHOW WA!-バラエティー・レボリューション: 「河内のオッサンの唄」はウルフルズにカバーして欲しい。
Song playing right now:
-BUMP OF CHICKEN 「車輪の唄」
Five songs I listen to a lot, or that mean a lot to me:
- Police "So Lonely"
- Men At Work "Overkill"
- The Beatles "We Can Work It Out"
- ユニコーン 「すばらしい日々」
- 種ともこ 「うれしいひとこと」
Five people to whom I'm passing the baton:
-Felice san, しまけん san, kaco san, 杏葉 san, ぽいんつさん
2005-06-14[n年前へ]
■「リアリズムとファンタジー」
週刊SPAに連載されている、鴻上尚史のドン・キホーテのピアスを読みました。
いい作品は、人生に対するリアリズムとファンタジーが同居しています。リアリズムだけでは苦しすぎるし、ファンタジーだけでは納得できないのです。 リアリズムは「人生をちゃんと負けた人間が感じるリアリズム」です。ファンタジーは「人生、やがて勝つという根拠ない確信に満ちたファンタジー」です。 この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです。この後は、「けれど、これからはリアリズムとファンタジーを選び、自分なりに同居させる必要がある。それがいい人生にするコツかも」と書かれています。そういえば、前に「強弱」の定義について書いたことがあります。今日は、(日替わりメニューのように)こんな「強弱」定義をしてみることにしましょうか。それは、「リアリズム」と「ファンタジー」の両方を持っている人が強い人、という定義です。「リアリズム」と「ファンタジー」のどちらか片方だけしか持ち合わせていない人は少なくとも、強い人ではないという定義です。そんな人は「強い人」かもしれないし、「弱い人」かもしれないし、あるいは弱い人なのかもしれませんが、強い人ではない(と今日はしてみる)のです。
すると、「いい人生にする」ためには、結局のところ強くなるのが一番の近道だ、ということになります。そんなこと本当にできるのかな?と疑問に思うこともあります。「この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです」と書かれているくらいですから、それは簡単なことではないのでしょう。私も、(kaco (カコ)さんへの返事として)「強弱」の定義で
実のところ、私は「カッコがつかない強い人」というものをその言葉の意味も含めてよく想像することができません。意味すら想像できないのですから、そんな人が実在するのかどうかなんて、全然わかりません。もしも、そんな強い人というものが実在するのなら、それは「人じゃない」んじゃないか、とすら思ってみたりします。 つまり、もしも「カッコをつけなければ」人は全て弱いと思っているわけです。そして、それとは逆に「強い人」というのは、もしかしたら「自分にカッコをつけてしまっている」のかもしれない、とも思うわけです。なんて書いてみたりしたわけで、「リアリズム」と「ファンタジー」を兼ね備えた強い人がいるなんて想像することができません。だけど、それでも、一人の中にだけでなければ、何人かを集めてみれば、そんなものを同時に持つことができるかもしれない、と思うこともあります。やっぱり、わからなくなってしまうことも多いですけれど。
■裾野
外を歩きながら、ちょっと考えごとをする。「今日見た景色」をファインダーから覗きながら、
昨年の二月頃から、ほとんど毎日、その日眺めた景色を写真を撮ってきました。…どれも「今日見た景色」ではあるのですけど、今眺めてみるとどれも「昨日見た景色」になってしまいました。で始まる「少し前に書いたこと」を思い出す。
明日見る「今日見た景色」はどんな景色なのでしょうか?ずっと夢見てきたような景色が、そこには見えるのでしょうか。それとも、想像したこともないような景色を私は眺めているのでしょうか?
2005-06-15[n年前へ]
■MILLION DOLLAR BABY
"Tough ain't enough." で始まり、"Anybody can lose one fight." で幕が閉じるMILLION DOLLAR BABYを観る。夜の映画館にはほとんど人がいない。「強い」だけじゃ「十分」じゃないんだよ。というセリフを聴きながら、今日も「強い」「弱い」をふと考えてみる。 強い人なら、この映画を楽しめるのだろうか?
■「3つの質問」
そういえば、少し前に「どんな作業をしたい?」「誰のために、どんなことをしたい?」「誰からお金をもらいたい?」という三つの質問を複数の人にしてみました。私が誰かに質問をしたわけなののだけれど、実際のところは「自分自身がその質問にどう答えるか」を知りたかっただけのような気がします。つまりは、その質問は自分自身に問いかけてみたかった質問だった気がします。私自身の回答はさておき、あなたならこの「3つの質問」にどう答えるでしょうね?【訊いてばかりはおれカネゴン】
2005-06-16[n年前へ]
■「虹を見たかい?」
たくさんの人たちが撮影した虹を眺めながら、『携帯電話が広まってからは、「今、綺麗な虹が出てるよ」と「電話越しの言葉」で誰かに伝えることができるようになった。カメラ付き携帯電話が広まってからは、「こんな綺麗な虹が出てるよ」と「眺めている景色を添付写真」で見せることができるようになった。そんな変化が起こっている』と書く、「虹を見たかい?」
「言葉」や「眺めている景色」を伝えてくれる新技術は、結局「気持ち」を伝えてる手伝いをしてくれるのだろう。「気持ちを伝えやすくすること」が良いか悪いかは、結局のところ気持ち次第というところだろうか。それが気持ち次第だというのなら、きっと「悪い」よりは「良い」の方が多いに違いない。
そして、この虹の景色はそんな「良い気持ち」をきっと増やすのだろう、と思う。
■The Music Batonの言及数の過去6日間の統計グラフ
はてなダイアリのMusical Batonの言及数の過去6日間の統計グラフを眺めてみると、急激に増加してはいるが、5のべき乗の爆発的増加ではないようだ。やはり、インターネット・ワームの増加のグラフとよく似ている感じ、だろうか。他にも色んなデータが見えそうで、とても面白い。
■「どーでもいいような人間学」
「揉め事の基本は女性中心だ」「よーするに女の嫉妬ですよぉ」という「どーでもいいような人間学」【男ばかりのおれカネゴン】
2005-06-17[n年前へ]
■スクロールバーに見る「未来の予感」 その1
このページのレイアウトは、左側に本文、右側にタイトル一覧や種々のメニュー類が配置されています。こういうレイアウト(を出力するモジュール)を選んだのは、「タイトル一覧や種々のメニュー類」はマウスで操作されることが多く、マウスが右手で使われることが多い以上、右側に配置されている方が自然だと考えたからです。もちろん、同様の発想で右側に配置されているスクロールバーの近くに配置されていることがその自然さを増している、とも考えてもいます。
しかし、その一方で「スクロールバー」や「タイトル一覧や種々のメニュー類」が左側に配置されている方が自然だという考え方もあります。先日、NeXTのGUIの話をかつてNeXT内でNeXT STEPの日本語化作業をされていた方と、そんなGUIの話をしていました。ご存じの通り、NeXT STEPでは「スクロールバー」は左に配置されています。「全体の内のどの場所なのか」というアウトライン的な内容を示すものは「上手に配置すべき」という考え方も、やはりとても自然です。英語では上手は眺める側から言って「左側」ですから、左に「スクロールバー」や「タイトル一覧や種々のメニュー類」を配置すべきだ、と言うわけです。
また、そんな「左手=上手」の言葉で書かれた文章を読む人は、左側から視点を移動させていきます。そして、文字を左から右に書く言語においては、文字はウィンドウの左端に偏って配置されています。ユーザの目は左側に注目しているのに、ウィンドウをスクロールするためだけにマウスポインタを(何も書かれていない空白地帯を越えた先にある)右端に移動させなければならないなんて不便だ、というのも至って自然な考え方です。
「どういうものが自然か?」ということを考えるとき、対象物を広く一般化してしまうと、話が単純に見えやすくなることが多いようにも思います。「論じたいモノ以外のモノたち」にも視野を向けることで、とても単純にその「自然」が見えてくることがあります。(続く)
■「3つの質問」その2
■「どんな作業をしたい?」
他の人にはできない、って言える(自慢とも言う)ような作業
■「誰のために、どんなことをしたい?」
基本的には、自分の喉にビールを飲ませてあげたい、といつも思っている。本当にたまに、誰か(誰でもいいかも)が辛いとき、そんな誰かに「ほんのちょっとだけ」気持ちが軽くなるようなことを見せたり教えてあげたりしたいと、ほんの一瞬思うこともある。逆に言うと、そんなことを誰かがしてくれたら良いかもと願うことがある、ということだと思う。
■「誰からお金をもらいたい?」
よくわからない…。ただ、沢山持っているところからは大量に欲しい、かも。小さなこどもが掌に握ってる50円玉のお金(を私が眺めたときの)の(私が感じる)重さだと、ちょっと重すぎるので安くしたくなるかも。
■"ガッツで手作業"Musical Baton樹形図
The Musical Batonの流れを追いかけた"ガッツで手作業"のMusical Baton Tree. 何だか、鬼気迫るくらい迫力がある樹形図。ここから流れてく系列は、ロゴも手渡しされていっているんだなぁ。
■不思議な立体感
何故か不思議に立体感がある"Forward Motion"のCDジャケット。ぼーっと眺めていると、レンチキュラーの立体のように見えるところがナゾ。この立体化現象は、きっと偶然でなく脳内処理からくる必然に思える。この不思議な立体感は、私だけではないですよね。
2005-06-18[n年前へ]
■「3つの質問」その3
何人かの「3つの質問」への答えを拝見させて頂きました。ドラえもんタイプ・ブラックジャックタイプ・笑うセールスマンタイプ…、色んなタイプがいらっしゃいますね。
■「第59回日本画像学会技術講習会」
第59回日本画像学会技術講習会「高画質化するイメージング技術の基礎と最新動向」が一月後に迫ってきました。講師なんかを努めさせて頂くので、宣伝をさせて頂きます。「シミュレーション講習」は残念ながら既に定員に達しているので、次の機会にということになるそうです。
2005-06-19[n年前へ]
■スクロールバーに見る「未来の予感」 その2
というわけで、「視線の移動」という視点からは、「スクロールバー」類はその言語の「上手」に位置するのが自然です。つまり、左から書き始める言語を表示している際には、本文などよりもスクロールバーが左側に位置する方が自然に思えます。
その一方で、右手でマウスを操作する感覚からすると「スクロールバー」類は本文よりも右手に位置する方が自然に思えます。Tablet PCを操作し始めると、そんなことを実感します。
液晶に(ペンで)触れることにより操作できるTablet PCは、WEBページをぼーっと眺めたり、メールをつらつら(書くのではなく)読んでみたりする分には、とても自然に気持ち良く使うことができます。「文中のリンクを選んで、そのリンクページに進む」というような作業をペン(=自分の指)で直接していると、「マウスで操作する」という作業はやはり「自分の腕や指を使う作業」のフェイク(偽物)であったんだなぁ、と思います。「モドキ」だったんだなぁ、と思います。ハッキリとした現実そのものというわけではない「モドキ」だったから、現実と違って「位置関係の効果」も曖昧に見えてしまうのかもしれない、と思ったりします。
Tablet PCを使う際には、(右利の私には)「スクロールバーが右に位置」していないと、とてもじゃありませんが耐えられません。もしも「スクロールバーが左に位置」していたとすると、スクロール中に、「移動させているページ内容」が自分の腕に遮られて見えなくなってしまうからです。否応なしに、「どんな役割のものがどこに位置するか」ということの制限・効果を実感せざるを得ないのです。視線の移動や手の移動といった作業の自然さ・不自然さが、とてもわかりやすくなるような気がします。(続く)
■Tablet PCを使う
Tablet PCを使い始めました。といっても、Tablet PC一本にしたわけではありません。もしも、Thinkpad T42 の(もちろんキーボードも併用可能で&軽量な)Tablet版があれば、Tablet PC一本にしてしまったかもしれませんが、残念ながらそのような製品はありません。Thinkpad X41 Tabletでは、(私の用途では)RAMと表示能力が致命的に小さいですし、Portege M200では、キーボードとポインティング・デバイスが(私には)今ひとつです。そこで、結局 Thinkpad T42 + Portege M200 という組み合わせで使っています。
せっせと作業をする時には、Thinkpad で作業をして、ちょっと曖昧な作業や考え事をする時には Portege を前にしたりする、という感じです。そして、急に Thinkpad の能力が欲しくなった時には、Portege経由でWindows XPのRemote Desktopを使ってThinkpadを操作したりします。Thinkpad T42 は14.1インチのSXGA+ (-1400ピクセル x 1050ピクセル) のディスプレイで、Portege も同じSXGA+(サイズは12.1インチですけれど)ですから、何の違和感もなく手元のPortegeをThinkpadの代わりに使うことができるわけです。もちろん、キーボードとトラックポイントには違和感があります。とはいえ、なかなか便利なこともまた確かです。
2005-06-20[n年前へ]
■自分の力と自分の個性
色川武大の「自分の力で生き残るためには、ずば抜けて優秀であるか、絶対に取替えの利かないユニークさか、そのどちらかが必要」という言葉をひき、おれカネゴン先生が書く。
もしかすると個性とかユニークさというものは、生活が満ち足りたついでに空しさを埋めるためにカルチャースクールで習うような余興ではなく、優秀さという必殺の武器を持たない者が生き延びるために最後にすがらざるを得ない、非常に厳しいものだったのかもしれない。「優秀さという必殺の武器」(言い換えるならば、「力と速さを兼ね備えた能力」)を持たない人が持つ「個性という武器」というもののはやはり「容易には手に入れることができない(得るためには大いなる努力が必要な)力」ではないか、と思う。
本流で勝てず、本流では生き残っていけない人が、どこか独特の場所で生き残っていこうとするならば、その位置に立ち続ける力がいる。その位置に価値があると信じ、その自分が立つ位置を高めていく力が必要だと思う。「盲目的にその場所に意味がある」と思いがちな「本流」と違い、「その場所に意味がある」と素直には言えない場所を選ぼうとするならば、そんな粘り強さが必要だと思う。
たとえば、「自分の能力がほんの少し高まったからといって、本流に惹かれてしまわない強さ」や「自分の能力に不安を感じ、自分の立ち位置に不安を感じて、本流の裾へと流れてしまわない強さ」がいる。少し言い方を変えるならば、「(本流を選ばずに)典型的な何者かにならないという道」を選んだ場合には、「(その人の)能力」でなく「(その人の)存在意義」が問われることになるに違いない。そして、その(自らの立ち位置、存在位置を問う)辛い問いに答え続ける力、あるいは、その問いを軽く聞き流し続けるドン・キホーテのような奇跡的な力が必要になる。それは、もしかしたら「心の強さ」というようなものであるのかもしれない。そんな心の強さは、確かに「非常に厳しいもの」に違いない、と私は思う。とはいえ、きっとそんな「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、とも想像してみたりする。
幅広い心を、下らないアイデアを、
軽く笑えるユーモアを、上手くやり抜く賢さを、
大げさに言うのならば、
きっとそういうことなんだろう。
誇らし気に言うのならば、
きっとそう言う感じだろう。
「イージューライダー」 奥田民生
■東芝のTablet PC上で動くMacOS X for intel
(非常に疑わしい)東芝のTablet PC上でMacOS X for intelを動かしている、という話。
2005-06-21[n年前へ]
2005-06-22[n年前へ]
■立体顔表情ロボット
表情豊かに喋る顔の様子を立体表示してくれる、というロボットです。表情が豊かで自然なので、人に与える印象が優しい、というわけです。…しかし、結果として、このロボットを見た人が受ける印象は恐怖以外の何者でもありません。「リングの貞子」もビックリのまるでホラー映画です。というわけで、見かけた場所は東京ビッグサイトで開催中の産業用VR展示会で。
2005-06-23[n年前へ]
■「3つの質問」その4
「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」「同世代の企業人を見つめて悩んでしまうこと」を眺めながら「3つの質問」を思い出す。そして、「カッコがつかない…?いやきっとつく。」も思い出す。私が「3つの質問」を、ふとしてみた相手ははてなの方々だったが、「カッコがつかない…?いやきっとつく。」の文章を書くきっかけになった、「愚者の楽園」もやはりはてなという会社を眺めた時の感想だった。
一見対極的に見えるものを、その両方を兼ね備えたものがもしもあるならば、それはとても素晴らしいと思う。その逆を言うならば、いずれか片方だけのものはなんだか少し寂しいと思う。対極的なものとして、「強さ」と「弱さ」を例にするのであれば、「強さ」と「弱さ」を兼ね備えたものの方が私は好きだ。
2005-06-24[n年前へ]
■気温と肌の露出度の関係
今日締め切りの原稿のために、こんなグラフを作ってみました。世界各国の色んな都市の色んな季節の「気温とその時期の肌の被覆率」の関係です。もちろん、色んな都市があるわけですが、右のグラフではとりあえず全部一緒にしてプロットしてみました。都市別の違いもわかるグラフはまた後で出すことにしましょう。
なお、服は何枚も重ね着されたりするわけですから、肌の被覆率は100%以上にもなることがあるわけです。また、「肌の被覆率」を算出する際には、小さな下着(トランクスとかブラジャーとか…)は数に入れてません。そんな小さな面積は誤差の範囲でしょうし…。そんなこともないでしょうか…?
2005-06-25[n年前へ]
■正規表現の心象風景
Perlの本を読んでみる。やはり、私にはファニー文字が顔文字にしか見えません…。正規表現が加わると、もう2ちゃんねるにしか見えなくなります。モナーがどこにいるのか探したくなるのです…。
というわけで、これが今日の正規表現の心象風景です。「本を真面目に読んでみたけれど、よくわからず頭の中にハテナマークが浮かび上がり、いつの間にかこめかみで血管がピクピクしていて、ついにちゃぶ台をひっくり返していた…」という感じです。うぅ。
ちなみに、右の画像がhirax.netのトップページの顔?文字ですね。
■他の誰かが眺めた景色
二年近く前に書いた文章をもう一度さらってみます。
ずっと頭の中に残っている言葉というものがいくつかあります。その一つが、かつてお笑いパソコン日誌で書かれていた
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。 それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。という言葉です。それから4年経った今でも、私の中に強く残っている言葉です。
それでも、何処かの誰かが眺めた景色を見てみたい、と思うのです。それは、私には見ることができない、だけど誰かには見ることができる何処かの景色を眺めてみたいからかもしれないし、もしかしたら私が眺めている景色と同じ景色を眺めている人がいるかも、と思ってしまうからかもしれません。もしかしたら、誰かが「いい感じだな」と思った景色を同じように「いい感じかも」と思ってみたいとか、そんな風に思ったりしたのです。
■「遠くの景色」
たださんの日記の写真を眺めた。この写真の画角の少し外、右の外に私はかつて6年間住んでいた。写真の右後ろに見える「丸山」の頂上まで歩いて5分で行ける、そんな場所に住んでいた。「丸山」の頂上までは5分ぽっちなのに、ランドセルを背負って通っていた分校までは歩いて1時間かかる、そんな場所だった。信じてもらえないかもしれないけれど、小学校に入るまでは蒸気機関車が唯一の公共交通機関であるような、そんな場所だった。テレビはもちろん、NHKしか入らなかった。ガチャガチャとチャンネルを廻す必要なんかなくて、スイッチが一つあればいい、そんな場所だった。
山の下からほんの1, 2分で登ることができる丸山の頂上は、景色も良くてとても気持ちが良かったけれど、赤蟻の巣がところどころにあって、気をつけて寝ころばないと泣きたくなるくらいに痛く噛まれてしまうそんな場所だった。空は藍色のように蒼く、蒼くない空があるということを知ったのは、10歳の時に東京へ引っ越してからだった。冷たくない水道水がある、ということを知ったのも東京へ越してからだ。
きっと、今頃の高原野菜の出荷シーズンの畑の中や、その一帯で数軒しかない店先には、あの頃の同級生達がいるに違いない。他の学年と違って、1学級に「11人もいた」あのクラスの同級生達が何処かにいるに違いない。きっとあそこに今もいるんだ、と何故だかとても信じてみたいような気がする。そこにいなくても、きっとみんな何処かにいるんだ、と考えてみたいような気もする。
2005-06-26[n年前へ]
■「読む人の力を信じる」という秘訣
ずっと頭の中に残っている言葉のこれまた一つが、下の言葉です。言葉を書く上で、可能な限り他人(自分以外の人や未来の自分)に伝わるように的確に書く、というのは当たり前のことです。しかし、その当たり前のことをもちろん承知の上で、この秘訣をいつも頭の中に浮かべています。 from n年前へ
わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高に持った人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。 「からーふぃくしょん」
■「ブームはどう始まり どう終わるのか」
中川右介氏が中古カメラのブームを振り返りながら書いた「ブームはどう始まり どう終わるのか」を読んだので、(私が興味深く感じた)流れを三枚のスライド資料としてメモしてみる。何か流行っているものがある時には、このスライドを眺めて「何が何に対応するか」を考えてみることにでもしようか。
上の流れでは割愛したが、'50〜'60年代生まれの第一オタク世代までは「みんなと違うモノが欲しい。珍しいモノが欲しい」という志向だが、'70年代以降の世代は「みんなと同じモノが欲しい」「売れているモノが欲しい」という志向が強い、という一節も面白い。
2005-06-27[n年前へ]
■「おろかもの」の正義論
小林和之の『「おろかもの」の正義論』(ちくま新書) 多数決という必要悪を伴う民主主義、「頭をかち割る代わりに頭(数)を数える」という民主主義を選ぶかどうかは、次のような信念の問題に行き着かざるをえない、と書く。
あなたは人間が好きだろうか。仲間を信じられるだろうか。
2005-06-29[n年前へ]
■「はてな入社」
Tech総研の記事冒頭の「ひとこと」にも書きましたが、「はてな」にも入社して働いてみることにしました。「にも」とは書いていますが、今の「気持ち」としては50:50くらいの感じです。もちろん、Perl(+正規表現)は顔文字にしか見えない私ですし、WEB技術自体も全く知らないので(「これくらい読んどけっ」と言われた本をせっせと読んではいますが…)、クビになる日も近いかもしれません。
そんな私ですから、はてなが次々と出す新機能を消化することができないまま、オチこぼれてしまっています。時折、はてなは意図的に(オチこぼれ組には)理解不能にして、「キミたちとはサヨナラさ」と(私たちオチこぼれ組に)言わんとしているんじゃないだろうか?なんて被害妄想を抱くことすらあります。 …そんなオチこぼれ組の一員として、「はてな」に入社して働いてみることにしました。オチこぼれた自分のために、せっせとノートをとって理解して、仕事ができるようになれば良いな、と思っています。もしも、「オチこぼれ組」の私が理解できれば、「オチこぼれ組」に何かを戻せるかもしれませんし…。もちろん、あっという間に「キミのようなPerlがわからないヤカラとはサヨナラさっ」とあっさりクビになるかもしれませんが…。
というわけで、10年前に歩き回った渋谷を、もう一度同じような気分で歩いてみよう、と思っているところです。また、少し前にmixiに「メモ」していたものの一部をhirax.netのindexへと数日前に移動させました。
■「ガッツでガンバル」4つのニュース
Tech総研でガッツでガンバル4つのニュースが公開されています。「データ追跡・整理をする"ガッツ"」や「性的絶頂感を与える?ための"ガッツ"」や「脳内処理"ガッツ"」「カフェインで"ガッツ"」など、とにもかくにも気合いで"ガッツ"なニュースを集めてみました。何より、自分自身のために、「ガッツでガンバル」ものを集めてみました。
…あっ、もちろん「性的絶頂感を与える?ための"ガッツ"」はさておき、ですよ。