hirax.net::inside out::2005年12月29日

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2005-12-29[n年前へ]

「記録」によって「記憶」をなくした'70年以降生まれ 

昨日に続き、破り取ってポケットに入れたページの一つが、坪内祐三と福田和也の「これでいいのだ」

ポストモダン以前の'70年生まれくらいの人たちまでは、まだ「記憶」というものがわかるけど、それ以降に生まれた人たちにはわからない。 本来「記憶」はどんどん書き換えられていくものだけど、過去がビデオに残されていたら、それはいつまでも懐かしい「記憶」にならず、単なる「記録」のままでしょ。今の32〜33歳を境にした上下で、ものの感じ方に断絶があるのは、そのへんも一つの理由だと思うな。

「狼も王子様もいない」 

 次の言葉も、少し前に破り取ってポケットに入れたページ。中村うさぎの「オヤジどもよ! (Book of dreams) 」の中の「塔から飛び出たラプンツェル」から。 自分から「狼を食う」も「王子様を救う」ことも、ずっと昔は考えなかったと書く。

当時の私の頭の中の「男」は、大きくふたつのイメージに分裂していたようである。すなわち、隙あらば女の子を頭から食っちまおうと虎視眈々と狙っている「狼タイプ」、そして、そんな女の子を救ってくれる「王子様」タイプ。現実には、どっちもいねぇっつーの
しかし、こうやって考えてみると、相手が「狼」にしろ「王子様」にしろ、肝心の私の立場は常に受動的である。「食われる」か、「救われる」か。