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2008-03-01[n年前へ]

日本語変換再び 

 Perlで何かを作ったのは1年半くらい前が最後で、それ以降に使う新規作成するスクリプトはRubyを使うようになった。それとともに、ATOKの機能拡張ツールとして作ったAmetMultiも使わなくなっていた。

 AmetMultiは、スクリプト・バッチ処理などを「辞書登録」しておけば、ATOKというIME(日本語変換プログラム)を使って、色んなプログラム処理ができる、というツールである。IME経由で入力した文字列や、クリップボードにコピーした内容を使ったスクリプティングをIMEで駆使することができる、文字処理も、日付処理も、画像処理も、とりあえず、とりとめもない色んなことができる、というものである。

 最近ではWEB APIの速度も苦にならない程度になってきたので、久々にATOKとAmetMultiとRubyでも使って、何かツールを作ってみることにしよう。下のYoutubeリンクは。AmetMultiで画像検索や画像処理や文字処理(行番号付加)などを行っている例だけれど、WEB APIを簡単に使うことができ・その速度も十分速くなってきた今日この頃、それに応じた「スクリプト辞書」を作り直してみるのも面白いかもしれない。

2008-03-02[n年前へ]

「隣のおじさん落語」と「ジョニーBカップ」 

 「落語的笑いのすすめ」を読んで、あぁ「あの話」は色んなバリエーションの中の一つだったんだ…と気づかされた。

 おじいさんがいた。おじいさんの息子夫妻に子供ができた。その子供は初めて喋った言葉は「おかあさん」だった。すると、次の日…息子の妻が亡くなってしまった。
 そして、しばらくして、その子供は「おじいさん」と言った。翌日、おじいさんが亡くなった。
 数ヵ月後、子供がついに「おとうさん」と言いましたので、子供のおとうさんは「明日が自分の命日か」と受け止めた…。しかし、次の日になると、隣家の男が亡くなっていた。

 20年近く前、スキー場に向かうワゴン車の中で聞いたのは、「(それまで一人っ子だった)子供が、生まれたばかりの乳飲み子に嫉妬した。そこで、寝ている母親の胸にこっそり毒を塗った。すると、次の日、隣のおじさんが…死んでいた」という話である。趣向は少し違ってはいるけれど、これは全く同じ話だ。

 雪国へと走る車中で、「オカマのジョニーはBカップ!」とシャウトした「ジョニーBカップ」もみんな知ってるJohnny B. Goodeのコードで奏でられていたのと同じく、それを聞いて腹を痙攣させながら笑っていたあのクダらない話も、こんな「オチ話」を踏まえたバリエーションの一つだったんだろう。20才の頃に楽しんでいたのも、オチ語や古いロックンロールのバリエーションだったりしたんだ。

Go, go.
Go, Johnny go, go.
Johnny B. Goode.

2008-03-03[n年前へ]

「点字」というエンコーディング 

 エレベータに乗ると、階数が描かれたボタンには、必ず点字でも階数が刻まれている。いたる所に、当たり前のように、点字が刻まれたものがある。けれど、その読み方を知っている人は決して多くない、と思う。少なくとも、私は知らなかった。

 点字印刷機のパンフレットに、点字で五十音やアルファベットや数字などが羅列してあった。そのたくさんの点字を見ていると、そこには明らかなルールがあることが見て取れる。点字は、とてもわかりやすい「決まり」で表されている。

UTF-8,EUC, ShiftJIS…そんな文字コードに触れたことがある人であれば、「点字」というエンコーディングを眺めてみると、きっと全ての人がとても面白く感じると思う。たとえば、とほほの点字入門を見れば、その面白さがわかると思う。そう、あの「とほほ」氏だって、その点字の面白さにハマっているのである。

 「点字」というエンコーディングを眺めたとき、きっと「あぁ、こんなことができるかも」と何か新しいアイデアを思いつき・実現できる人は多いと思う。そして、もしかしたら、そんな風にして実現されたアイデアの幾ばくかは何かの形となって残っていくかもしれない、とも思う。「点字」というエンコーディングは面白いと思う。

おさけとほほの点字入門






2008-03-04[n年前へ]

「ルイ・ヴィトンのモノグラム」を見てみよう 

 アクセサリーサイズの計測器を持ち歩いている。10円玉くらいの圧力分布計測器や、非接触温度測定器や…つまりは、小さなサイズのオモチャをいつも持ち歩いている。といっても、それは持ち歩いているだけで、実際に使う機会に恵まれることはあまりない。けれど、そんなものをいつも持ち歩いている。

 メモ書きをしていると、ルイ・ヴィトン(モノグラムの6穴リング手帳を使っている人がいた。ルイ・ヴィトンがそんな文房具まで作っていることに驚き、その手帖の"LOUIS VUITTON"というブランド名"LV"の部分を15倍の小さな顕微鏡で眺めてみた。すると、少し奇妙に感じた。よくある普通の”ビニールへのハーフトーン印刷”にしか見えなかったからだ。こんな風に革に印刷することがあるものだろうか…何か変だ。

 右上の画像は、15倍の小さな顕微鏡をさらにケータイ電話のカメラ機能で写したものである。安紙に印刷した雑誌と同じような印刷がされていることが見て取れる。これでは、まるで子供ようのビニール財布だ…と思ったら、ルイ・ヴィトンのモノグラムの素材は「革」ではないという実は、キャンバス地にビニール加工した素材だということであるらしい。だから、"LOUIS VUITTON"というブランド・ロゴの部分が普通の”ビニールへのハーフトーン印刷に見えるのも当たり前の話だった…というわけである。

 革や木と見分けをしづらいプラスチックが溢れていることはわかっていても、よく聞く有名ブランドのルイ・ヴィトンなどもビニール・コーティングされたものを作り・売っていたのだとは知らなかった。ブランド品に興味ある人であれば常識であることに違いないが、特に興味もなく眺めることも少なかったものなので、「ルイ・ヴィトンのモノグラム」を拡大して眺めた結果は、何だか面白く・意外だった。

2008-03-05[n年前へ]

「広重」と「ゴッホ」について書いたこと 

 いくつかのものを並べて眺めてみたり、あるいは、まとめて平均して眺めてみた時、ようやく浮かび上がり見えてくるものがある。たとえば、安藤広重の「名所江戸百景 大はし阿たけの夕立」とゴッホが描いた"Bridge in the Rain (after Hiroshige)"をを眺めてみれば、江戸とパリで時間と距離を隔てて描かれた、けれど不思議なくらい線が重なる景色が見えてくる。そう思う。

 広重とゴッホが描いた景色をモーフィングさせた時、その景色を眺めたとき、そのモーフィング画像の中に一体何が見えるだろうか。色の違いだろうか。それとも橋の設計の違いだろうか、それとも、歩く人の気配だろうか。顔料を通して見えてくる静謐感や躍動感だろうか。

 並べて眺めることで、初めて見えてくるものの一つが「立体感」だ。ゴッホ(など)の絵画などの絵画を並べて眺めることで、立体的にゴッホが眺めた景色を私たちも見ることができたり、する。不思議なくらい、立体的に見えてきたりする。

 広重「名所江戸百景」を3Dで再現しようという、"CG"名所江戸百景を眺めてみたり、114年前にゴッホが眺めた満月を眺めみるたび、とても不思議な気持ちになる。何しろ、空間や時間を、まるで透明人間のように、自由に行き来できるように(自分が眺めることができない、けれど、他の誰かが眺めている)景色を眺めることができるのだから。

 「左下」の画像は広重の東海道五十三次の中の「由井」で、「右下」が「由比」でいつの日かに見た景色だ。長い年月を隔ててはいるけれど、多分、ほとんど同じような場所で眺めた同じような景色だ。たぶん、コンピュータで相対的な色ヒストグラムで解析でもすれば、きっと同じような景色に見える。けれど、人が眺めたら、全然違う時代の景色に見える。地形は同じだけれど、自体は全然違う景色に見える、きっと、そんな写真だと思う。
東海道五十三次今日

 静岡県 由比にある「東海道広重美術館」の入り口には「版画体験コーナー」がある。「広重の東海道五十三次の「由比」を青・赤・黒の三色の版画で再現し、三色重ね刷りすることで、浮世絵の版画(世界初のカラー印刷技術)を体験しよう」というものだ。
 色毎の位置合わせは、手でやるにせよ、機械がやるにせよ、とても難しいことだから、(色あわせに祖失敗した)「見当違い」の版画になってしうことも多い。少なくとも、私はそんな見当違いの版画を作ってしまった。けれど、そんな風に版画を作る体験はとても楽しかった。

 カラープリンタが割に一般的になった現在、プリントゴッコで浮世絵を作ったりするのも新鮮で良いと思う。消しゴム版画で浮世絵を作ったりするのも、とても面白いと思う。
一色刷二色刷完成






2008-03-06[n年前へ]

「変わらないもの」と「変わるもの」 

 「あの写真を載せるという判断」が理解できない。が、そういう新聞を買い続ける人がいるのもまた確かか。

 僕は偉そうに人に意見する人がすごくイヤなんです。…だから、なんかの主張をがなりたてるよりも、普通の人たちの日常を歌にする方がいいと思うようになった。

 魔夜峰央が長く続くのは、最前列(近く)にいたけれど一番手には一度も立ってないからだよね。一番手を続けていたら、なかなか十年は持たないからね。

 もしかしたら、自己決定の先にあるのは「わたしに構わないで欲しい」ということであり、自己責任の先にあるのは「あなたのことなんか知らない」ということになってしまうからではないだろうか、とか思う。つまり、あなたとわたしの関係性の放棄。

 折田先生像は日独伊三国同盟が結成された年に建立された。そして、イラク軍がクウェートに侵攻したその年に折田先生は初めて「怒る人」に姿を変えた。それからは毎年のように氏は私たちに何かを伝え始めるようになった。米国がイラク侵攻を行った年には、彼はゴルゴ13の姿で何かにライフルを向けた。

 人が何を望み、そして、それを叶えていくには どういった技術が必要なのか。そして、どのようにそれが幸せに繋がっていくのか、そういうことを真面目に考えつつサービス・技術の提供をして行きたいのです。

2008-03-07[n年前へ]

「ゲーム」と「名言」 

 濃縮され蒸留されている、と感じる言葉を聞くたびに、それをノートに書き留める。昔の人、今の人、さまざまな人の言葉を書き留めている。

 少し前に聞き取ったのは、こんなことだった。ゲームを心から愛する人が語ったこんな言葉だ。

 少なくとも男性を動かす動機の根本にあるものは、多くの場合、金か女性だ。しかし、そうでないものが、数は少ないけれど確かにある。極めれば極めるほど、そんな一般的な動機からは外れていくものがある。しかし、そういったものこそを、「真実の趣味」と呼ぶべきである。
 そして、そんなものは「(遊戯ソフトなどの)ゲーム」しかない、と思う。あえて、…さらに一つ付け加えるならば、それは「鉄道」というものだろう。

 きっと、ゲームや鉄道以外にも、そんな「真実の趣味」があるのだろう。とてもくだらなく流れていきそうでもあるこの言葉は、なぜかとても素敵な言葉だと感じ、書き写したのだった。

2008-03-08[n年前へ]

「藤本有紀」と「藤本義一」と「徒然草」 

 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の脚本家「藤本有紀」が「(放送作家・作家・司会などで有名だっの)藤本義一」の長女だろうかという話が、あった。「ちりとてちん」が上方落語を実に旨く濃縮した味になっているのだから、その作り手はきっと”あの”藤本義一の娘に違いない、という話があった。上方落語家の半生を描いた「鬼の詩」で1974年に直木賞を受賞し、上方文学の研究を続けている藤本義一の娘ではないか、という話がされていた。

 「落語いうのはな、人から人へ伝わってきたもんや。これからも、伝えて行かな、あかんもんや」

    藤本有紀 「ちりとてちん」

 「藤本有紀」は「藤本義一」の血を受け継いだ娘ではないようだけれども、藤本有紀は確かに藤本義一が伝えたいと願ったもの・そういったものの流れの中に、いる。

 何百もの時空を生きて現代に伝わる古典には、それだけの深い理由があるのだと伝えてやらなくてはいけない

    藤本義一 「徒然草が教える人生の意味」

 「ちりとてちん」の主人公が好きなのが「徒然草」で、弟子入りした先の落語師匠は徒然亭の徒然若だ。「徒然」の語源は「連れ連れ(つれづれ)」で、「繋がっていく・続いていく」ということだ。時間や人や社会の流れの中で、同じようなものが、ほとんど変わらずにずっと続いていくことを意味している。

 文化はバトンタッチで引き継がれていくものだと知り、自分もナニかのバトンを手にしようと考えるだろう。それは、なにも文学だけではなく、音楽であり、絵画であり、科学への志向に繋がっていくように思う。

    藤本義一 「徒然草が教える人生の意味」

 そんな「連れ連れ」を、退屈に感じ、あるいは、ひとり寂しくやりきれなくも感じ、時に鬱屈しつつひとり物思いに沈んでしまったりもする。「徒然」という言葉はそんな印象の言葉でもある。けれど、こういう言葉もある。

落語はひとりでやるもんと違う

    藤本有紀 「ちりとてちん」
 それが、つまりは、「連れ連れ(つれづれ)」だ。私には、まだ、よくわからないけれど、そういうものがもしかしたら歴史や人や社会といったものなのだろうか。
 「お前も、その流れの中に、おる」

    藤本有紀 「ちりとてちん」

2008-03-09[n年前へ]

TVコマーシャルを立体視する 

 テレビ・コマーシャルを眺めていると、左右に景色や人が動いていく映像が多い。そういった、左右方向に動く画像は、容易に立体画像として眺めることができる。 たとえば、試しに、「資生堂マキアージュのコマーシャル映像」を使い、時間差画像を左右に並べて表示してみると、平面的なコマーシャル映像が下のような立体画像(平行法)に姿を変える。



 これは、「左右に動く映像」から、「時間差画像」を抽出すれば、それは「左右の視差」を持つ画像としても扱うことができるからである。

 あるいは、このコマーシャルを「片目サングラス状態」で眺めれば、やはり、コマーシャルの中のビルは画面から後ずさりして、登場人物たちは相対的に前へ浮かび上がってくることになる。
 それは、画像の明るさ・暗さで私たちが画像を知覚する速さが異なるため、片方の目に暗いフィルターをかければ、左右の目で眺める画像間に「時間差」が生まれ、それが結果として左右視差になるからである。いわゆるプルフリッヒ効果(錯視)"The Pulfrich Illusion"が生じるからである。

「商品を浮かび上がらせること」がコマーシャルの目的の一つであるならば、プルフリッヒ効果(錯視)を使った立体コマーシャルが作られたりすることもあるかもしれない。雑誌の付録などで、片目サングラスを配布して、商品やキャッチフレーズを視聴者にテレビ画面から差し出してくるコマーシャルが登場したりすることも、あるかもしれない。

立体視画像






2008-03-10[n年前へ]

ガソリン割引のヒミツ…というほどじゃなかった編 

 また、ガソリンの価格が高騰している。 当然、安いガソリンスタンドを探し、その店に行くことになる。 私が行く店は、一万円のプリペイドカードを買うと、ガソリン価格が1リットルあたり2円くらい安くなる、という仕組みになっている。 このシステムはガソリン価格が安い頃も、ガソリン価格がどんどん高かくなっている今も全く変わっていない。

 そんな「1リットルあたり2円引き」というキャッチコピーを見て、「ガソリンの仕入れ値も高騰しているだろうに、以前と同じディスカウントサービスを続けるなんて、苦しいだろうし大変だろうなぁ。エライなぁ…」などと感じたのだった。

 ガソリンを入れて、車を走らせてから気がついた。 1リットル100円のガソリンを2円安くするのと、1リットル150円のガソリンを2円安くするのでは、「1リットル150円のガソリンを2円安くする」方が、単純には、苦しさの程度は小さくなりそうだ。比率的には、「1リットル150円のガソリンを3円安くする」で、ようやく比率的には「1リットル100円のガソリンを2円安くする」と同じになる。

 ウサギとカメの徒歩競争や、カメやツルの足の数の計算であれば、小学校の勉強のせいか直感的にできるような気がする。けれど、こんな「ガソリン価格のディスカウントがどれだけ安いのか」といったことは、私の直感は外れまくる。

ガソリン価格






2008-03-11[n年前へ]

高層ビル消滅(消灯)マジック 

 誰でも簡単に「高層ビルを消すマジック」をすることができる。少なくとも、あなたが合図するだけで「高層ビルの灯がいきなり消えてしまうように見せかける」テクニックがある。といっても、コツさえ知っていれば、それは本当に誰でも起こせる「超自然現象」の一つだ。その種あかしはこうだ。

 東京駅の西南に見える大きな高層ビルは、いつも夜10時、つまり、22時ピッタリに多くの階の灯りが消える。もちろん、このビルでは22時ちょうどに、(おそらく)省エネのために照明が消える、というだけのことである。しかし、そのことを知ってさえいれば、22時ピッタリにそのビルを指差すだけで、まるで指先から不思議な波動が放射され「高層ビルの灯りが消えていくように見える」というわけだ。22時ちょうどに、そのビルを撮影した動画が下に貼り付けたものである。パタパタと灯りがいきなり消えていくようすがわかるだろう。


 「正確な時計があれば、あとはその高層ビルを指差すだけ」の手品だし、当然すぐにネタはバレて(想像されて)しまうわけだが、それでも「ビルの明かりが次々に消えていく」瞬間にはビックリする人もいると思う。

 面白いのは、消灯した後に、バラバラなタイミングながらも、灯りが再び点いていくことである。きっと、残業している人たちが、暗い中であたふたしながら、電灯のスイッチを入れているのだろう。そういった、夜の高層ビルの「なかのひと」のようすを想像してみたりしても、何だかとても可笑しい。そんな景色は、22時にだけ見ることができる。

2008-03-12[n年前へ]

私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」 

 (高層ビルを消したり・出現させたりすることができる、という)「高層ビル消滅(消灯)マジック」を読んだ人から、メールを頂きました。そこに書かれていた風景・その人 たちが見た出来事がとても素敵だったので、そのメールを(許可を得て)書き写させて頂きます。

 「高層ビルを消すマジック」を読み、不思議なほどそれと似た景色を眺めたので、その出来事を書かせて頂き ます。
 私たちは、ライブ(Live) R35という コンサートを、名古屋から東京国際フォーラムにまで見に行きました。1990年代初頭のヒット曲を集めたコンピ レーションアルバム R35 のヒットを記念して行われたコンサートを見に行きました。
 1990年代初頭、つまり、15年くらい前の曲が詰まったR35は私のiPodにも入っています。
 開演時間が過ぎても、空席もあちらこちらに見える中、深くリバーブがかかったストリングスと堅い音色のシ ンセサイザが奏でるclassの「夏の日の1993」の前奏が鳴り出しました。東京国際フォーラムという大きな会場で したが、一人の観客も立ち上がったりしませんでした。私もそうでしたが、音楽を聴きながら・その時代を感じ 、そこで立ち上がる必要も、立ち上がることもできなかったのだと思います。何しろ、R35=35歳以下禁止の、あ の時代を共有する人たちですから。

 中西圭三がWomanを歌い始めた頃には、空席も既になくなっていました。そんな席は、仕事場から駆けつけた背広姿の人たちや、急いで駆けつけたことが目に見える女性たちが、そんな席を埋めていました。そして、ステージの上の人たちも会場に座る人たちも、あの頃の唄を歌っていました。当時、中西圭三は久保田利伸に似ていたような気がするのですが、今では「オーラの泉の人」にそっくりになっていました。
 私も、当時は中西圭三と久保田利伸との区別がよくわからなかったような気がします。それにしても、「オーラの泉の人」似というのは本当でしょうか。「まるで別人のプロポーション…」ですね。
Woman
君が探してる未来は
君の中にあるよ

  中西圭三 Woman
 ライブの最後は、槇原敬之でした。彼が、
 ぼくが唄の好きなところの一つは、”唄は変わらない”ってことだと思うんだよね。時代が、歌う人が、色ん なものが変わったように感じられても、唄は変わらないじゃない?それって、すごいことだと思うんだよね。そ んな変わらない唄に、僕は励まされたりして、だから、唄を歌おうって思うんだよね。
と(あぁ高槻出身だなぁ)と感じさせる関西弁で喋っているのを聞きながら、その少し前に演奏された中西圭三 作曲のChoo Choo TRAIN、ZOOやEXILEが何度かヒットさせたChoo Choo TRAINの興奮が蘇りました。
 35歳以上の会場の人たちが、みんな立って手を叩いたり、体を揺らしていた瞬間を思い出しました。ヒットした時代も、それを歌う人も変わったりもしつつ、けれど、やっぱり、変わっていないものもあるのかもしれない、と思ったのです。
 30代後半、40代の人たちといっても、みんな、若い頃にChoo Choo TRAINを聞いているんですものね。それにしても、Choo Choo TRAINは、中西圭三が作曲されていたとは知りませんでした。
Fun Fun We hit the step step
同じ風の中 We know We love Oh
Heat Heat (The) beat's like a skip skip
ときめきを運ぶよ Choo Choo TRAIN

   Choo Choo TRAIN
 確かに、Zooが歌うChoo Choo TRAINや、同じ風や、一言で言えば、同じ時代を私たちは歩いてましたね。
 槇原敬之が、
 このコンサート・このアルバムは「あの頃に帰りたい」というものじゃ決してない、と思ってる。「あの頃と同じように前に進んで行こう」というものだと、思ってる。ねぇそうだよね?
というようなことを言って、コンサートの最後の最後は、全員による「どんなときも」で終わりました。
 本当に、「どんなときも」のイントロが流れてくると、当時のカラオケボックスを思い出しますね。「あまりにも、バラード過ぎて」歌いづらかったような気もしつつ、それでもやっぱり歌ってしまったりもしたあの頃を思い出しますね。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから

  槇原敬之 どんなときも
 名古屋に戻るために、私たちは東京駅へ急ぎ、名古屋行きの最終22:00発「ひかり」433号に乗り込みました。乗り込んだ席は、1号車の向かって右側の席です。一言で言ってしまえば、ライブ(Live) R35が行われていた東京国際フォーラムが見える方の席です。余韻を感じたかったので、そんな席を選んだのです。
 そして、最終「ひかり」433号が発車するベルが鳴り始めました。そして、その発車ベルが鳴り終わった瞬間に、不思議なことが起こりました。もうおわかりだと思いますが、目の前の高層ビルが消え始めたのです。そして、不思議に消滅した後に、チラチラと再び点灯し現れるビルの光に送られながら、新幹線は走り出しました。私は正確な時計も、ビルの消灯時間も知らなかったわけですが(記事を読む前でしたから)、偶然にもその「魔法」を素晴らしいタイミングで見ることができたわけです。
 今、調べてみると、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は最終の名古屋行き「ひかり」433号だけなんですね。高層ビル消滅(消灯)マジックに合わせて鳴るアラーム・同時に発車する列車は広い東京駅でもただ一本だけなんですね。しかも、その先頭(の方の)列車の右窓側シートでないと、きっとあの消滅マジックを見ることはできないでしょうね。それはまるで、松本清張の「点と線」のような、ほんの一瞬の「そこだけで起こる魔法」ですね。
 その後は、すぐに寝てしまったこともあり、終点の名古屋に着くまでの記憶はありません。名古屋に着く直前に流れたチャイム音、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!を聞いて目が覚めたのですが、何だかそれはライブ(Live)の続きのような、あるいはライブ(Live)の最後のようにも感じました。
 そういえば、東海道新幹線は終着駅に着く前に、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!が流れますね。 (その前に使われていたチャイムメロディから)あのチャイムに変わった頃は、TOKIOもまだ若かった気がします。今では、彼らもR35になっているんですね。
たとえて言えばロング・トレイン
風切り裂いて走るように
未来に向かってまっしぐら

  TOKIO AMBITIOUS JAPAN!
 「時は流れていく、と君は言うかもしれない。けれど、動いていくのは時間でなく私たちの方なんだ」という言葉を、何かのSFか、あるいは物理学の本で読んだことがあるような気がします。その日、東京国際フォーラムにいた人たちは、みんなそれぞれ時間の中を走り続ける、そんな長距離列車に乗っているんでしょうね。

2008-03-13[n年前へ]

武藤鉦製薬「610ハップ」で温泉気分 

 温泉気分に浸ることができる「温泉の素」というものはたくさんある。けれど、「温泉気分」に浸ることはできても、「温泉泉質」に浸ることができるものは実はほとんどない。たとえば、温泉の成分の代表格である「硫黄」が入っている「温泉の素」はあまりない。いや、実際には、ほとんどない。

 しかし、数少ない本当の「温泉泉質」を楽しむことができるのが、武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」だ。主成分はほぼ硫黄と消石灰……という、まさに自然の温泉成分そのまま、である。売れ筋商品ではないと思うけれど、薬局に行けば、きっと棚の片隅においてあると思う。

 この「温泉の素」がどれだけ本当の「温泉の素」かというと、数年前の「白骨温泉の温泉(白濁)偽装問題」で使われた「温泉の素」がこの武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」であった、ということを聞けばわかると思う。白骨温泉のお湯が白濁しなくなってしまったとき、困った温泉旅館が使ったのが、この「610ハップ」だからである。つまり、老舗の白骨温泉の温泉旅館も認めた「温泉の素」が「610ハップ」だった、ということである。

 「610ハップ」はボトルに入っているときは赤褐色の液体だが、これをお湯に少し(大サジ2杯程度)たらすとお湯はどんどん白濁していく。そして、回り一体は硫黄の匂いに包まれる。……一言でいってしまえば、近所迷惑の「温泉の素」でもある。しかし、その温泉効果は抜群だ。ニキビも消えるし、お肌は間違いなくスベスベになる。何しろ温泉気分のイメージだけでなく、硫黄大量投入の本物温泉泉質なのだから。

 ちなみに、本物温泉・硫黄大投入の薬品だから、浴槽や周辺金属はあっという間に黒ずみ、劣化していく。……というわけで、使うにはある程度の覚悟が必要な「温泉の素」である。しかし、500円でお釣りがくる安上がりな「本当の温泉の素」でもある。もしも、知らない人がいたら、お勧めしたい(けれど、匂いや金属の腐食など覚悟もいる)のが武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」だ。

610ハップ






2008-03-14[n年前へ]

10万円札を浴槽に浮かべる「バブリーバブルバス」 

 『武藤鉦製薬「610ハップ」で温泉気分』のような自然の温泉を素朴に再現した昔ながらの入浴剤もあれば、それとは全く逆に現代の欲望を現代の技術で結晶化したような入浴剤もある。そんな「現代の欲望を現代の技術で結晶化したような入浴剤」が、バンダイが最近発売し始めた「バブリーバブルバス」だ。一万円札(額面は何と10万円だ)をイメージした紙状の泡入浴剤である。浴槽に(1回分として適当な)10枚程度浮かべると、1分間程度でその10万円札が溶けていくという。

 (デザインは1万円札だが)10万円札10枚入り250円だから、100万円のお札を浮かべた浴槽に入ってみるのも面白い……かもしれない。そんな浴槽に浸かりながら、「豊かさ」と「貧しさ」、そのどちらを実感するかは、その人次第なのだろう。

 「お客様は神様です」という言葉とともに、「消費者が望むだろう」と誰かが考えたものを誰かが作る。需要あるところには、必ず供給が生まれる。あるいは、今では、その逆にして、供給のあるところに需要が生まれていく。お客さまという神様たちの欲望に応えようと・欲望を生み出そうと、供給者が色んなものを作り出していく。

2008-03-15[n年前へ]

魔法の「ライブ・トレイン」と「もう一つの幸運」 

 私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」の方は、名古屋から東京国際フォーラムにライブ(Live)を見に行って、その方たちは素敵な景色を眺めたわけです。その『素敵な景色・できごと』『ほんの一瞬のそこだけで起こった魔法』には、実は「もう一つの幸運」が重なっていたのです。

 3月14日までは、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は「最終の名古屋行き ひかり433号」でした。つまり、あの方たちが乗り、終着駅の名古屋で降りた列車です。だからこそ、「ひかり」が終着駅の名古屋に到着したときに、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!がチャイム・メロディとして流れたわけです。

 しかし、3月15日から東海道新幹線は新しいダイヤで運行することになりました。新ダイヤで、東京駅のホームを20:00に発車するのは、新大阪行き のぞみ155号になりました。東京駅の15番線から発車する のぞみ155号 に乗れば、今日からも「魔法の瞬間」を眺めることはできるでしょう。けれど、「名古屋」はのぞみ155号の終着駅ではありません。だから、のぞみ155号から名古屋で降りる乗客の方々はTOKIOのAMBITIOUS JAPAN!で聞くことはできないのです。

 「ライブ(Live)の続きのような、あるいはライブの最後のようにも感じた」という、TOKIOが「たとえて言えばロング・トレイン。…未来に向かってまっしぐら」と唄うチャイム・メロディは、(名古屋から来た方々にとって)先週だったからこそ、体験することができた「素敵な魔法」だった、ということになります。そこには、新ダイヤに変わる前だったという「もう一つの幸運」が重なっていたのです。

 「魔法」を見るためのさまざまな条件が重なったのが、果たして偶然なのか、それとも必然なのかはわかりません。ただ、そんな「もう一つの幸運」を知るのも、何だかとても素敵だと思います。「素敵な魔法」の素敵らしさを濃縮した蒸留酒を手にしたような、そんな「素敵」が蒸留されたグラスを掌で包んでいる気持ちになりますね。

TokyoStation






2008-03-16[n年前へ]

「小学一年生」の「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」 

 30代の終わりも近ついているに関わらず、「小学一年生」を買ってしまった。小学一年生ということは、つまり、6才くらいのこどもが読む雑誌を買ってしまったということである。

 それはもちろん、今月号の「小学一年生」付録「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」が欲しくなってしまったからだ。掌に取り付けるだけで、どこでもいつでもメロディを奏でることができる ドラえもんPresentsの「ゆびピアノ」がとても面白く。楽しそうだったからだ。

 指(ゆび)先にスイッチを取り付けて、指先で何かを押したり叩いたりすれば、思った通りの音程を奏でることができる。これは、まさに「ユビキタス・ピアノ」だ。「指先(ゆびさき)」と「ユビキタス」は音が似ているだけだけれど、実は結構同じものだと、(少なくとも)その瞬間に思ったのだった。

 ドラえもんが作った「ゆびピアノ」指先のスイッチを的確に押すためには、少しの慣れも必要だ。しかし、1,2回練習すれば、そのコツもすぐに掴むことができる。ためしに「チューリップの歌」の冒頭を弾いてみた動画を、下に貼り付けてみた。掌に「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスのように張り付いている物体が、「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」である。


 この「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」は「ずっと、むかしに小学一年生だった大人」の心を、とても惹きつける付録だと思う。きっと、昔子供だった大人たちは、500円玉と50円玉を一枚づつ掌に握り、近くの本屋さんへ駆け出したくなる。そして、何ともチープなメロディを奏でてみたくなるに違いない。

 小学一年生のこどもでなく、二十歳も過ぎたあなたにこそ、この「ゆびピアノ」は似合うと思う。

「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」






2008-03-17[n年前へ]

みんな「ゆびピアノ ドレミくん」で遊んでる。 

 ふと気づくと、「ゆびピアノ ドレミくん」を色んな人たちが買っている。「ゆびピアノ ドレミくん」を手に入れて、みんな色んな遊び方をしている。

 「ゆびピアノ ドレミくん」を駅前の本屋さんで、思わずキャッシャーに持って行き、そして、幸せそうにしている人がいる。パラレル・インターフェースでPCに繋ごうと考えて、「パラレルなんて、今時、そんなレガシーなI/F?を使うんですか?」と突っ込まれ、落ち込んでいる人もいれば、USBで「ゆびピアノ ドレミくん」をPCに繋ごうとしている人もいる。…と思えば、「今時モルフィー?やっぱり、標準ヒューマン・インターフェース・デバイスで繋ぐのがデフォルトでしょう?」と突っ込んでいる人もいる。

 そんな風に、「ゆびピアノ ドレミくん」を色んな人たちが買っている。「ゆびピアノ ドレミくん」を指先につけ、思うままに色んなメロディを奏でたり、それぞれの電子工作をして楽しんだりしている。みんな「ゆびピアノ ドレミくん」で遊んでる(今日の演奏は「メリーさんの羊」)。

小学一年生付録の「どこでもゆびピアノ・ドレミくん」を分解してみた どこでもゆびピアノ ドレミくんが我が家にやってきた






2008-03-18[n年前へ]

「ゆびピアノ ドレミくん」を分解してみよう 

 「メリーさんの羊」が演奏された後、さっそく「ゆびピアノ ドレミくん」を分解してみた。すると、これが実に面白い。

分解「ゆびピアノ ドレミくん」  まず、この「ゆびピアノ ドレミくん」には、5本のネジが使われている。電池ボックスに1本。その左右に2本、そしてマジックテープの影に2本のネジが隠れている。その5本のネジを外せば、が使われているのは、「ゆびピアノ ドレミくん」のケースは開く。逆に言えば、小さな本体のために、5本ものネジが使われている。さらに、5本の「指ユニット」に対して、それぞれ3本のネジが使われている。つまり、3*5+5=20本ものネジが ドラえもん「ゆびピアノ ドレミくん」には使われている。これら20本ものネジは、結構小さく、直径1.5mmほどであるし、それらの「指ユニット」にはシールまで一枚づつ貼られている。……これらは、どう見ても、手作業で作っているように見える。また、ネジや工程を減らすよりは、どれも単純な樹脂・部品を使うというやり方に見える。

分解「ゆびピアノ ドレミくん」  もちろん、「ゆびピアノ ドレミくん」は、ネジだけで作られているわけもない。そこには、小さなスピーカ・電源On/Offのためのスイッチ・電子音発生のための(タイマICだろうか?)チップが一つづつ使われていて、音スイッチ部分は全部「ゴム+導電スポンジ+基盤」になっている。また、ボタン電池x2個が、エネルギー源としてこの「ドラえもんの道具」を動かしている。

分解「ゆびピアノ ドレミくん」  アニメなどが入ったDVDもつき、ほとんどフルカラーの200ページで、こんな電子機器まで付いている「小学一年生」が「本体524円」で売られている。「ゆびピアノ ドレミくん」自体の原価は70円くらいだろうか?普通に売るなら、このおもちゃだけで300円くらいの値段をつけそうだ。

 それにつけても、どうやら、価値と価格というものは、イコールではないようだ。その残差は、なぜ生じ続けるのだろうか。

分解「ゆびピアノ ドレミくん」分解「ゆびピアノ ドレミくん」分解「ゆびピアノ ドレミくん」






2008-03-19[n年前へ]

「10万円バブル入浴剤」と「ムトーハップ」 

 武藤鉦製薬「610ハップ」10万円札をお湯に浮かべる「バブリーバブルバス」を、それぞれお湯に溶いたり浮かべてみた。ムトーハップはお湯に溶き、バブリーバブルバスの10万円札は、一枚だけお湯に浮かべてみた。

 硫黄と石灰が混じった「610ハップ」は赤褐色の液体だ。その、赤黄色の液体をほんの少しお湯に混ぜると、温泉そのままの「卵が腐ったような匂い」とともに、お湯が白く濁っていく(そんな過程を、下に動画で貼り付けてみた)。

 その実際の(人に対する)効果はよくわからないけれど、金属や浴槽が黒くなっていく効果はいやでも実感させられる(何しろ、ムトーハップを使った後の清掃はとても大変だ)。けれど、そんなムトーハップの白い湯に浸かっていると、心がどこか僻地の温泉の中にあるような気がしてくる。

 その一方で、「10万円バブル入浴剤」の方は、木の皮を剥いだような感じの触り心地・見た心地の「10万円」だ。たとえて言うなら、「(なぜか檜の匂いがする)白樺の皮を剥いで茶色の水彩絵の具で一万円札を描いた」ような入浴剤だ。この「例え」に賛同する人は皆無だと思うけれど、そんな実に”微妙”な感じだ。その入浴剤をかき混ぜていると、洗剤のような泡がたくさん出てくる。それは、まさに「バブル」な感じだ。そんなバブルなさまも、やはり、ケータイを使って動画で撮影してみた。

 「みんなの悩み事をさっぱり忘れさせてくれる空色のせんたく機を発明したタンネさん。だけど、タンネさんは、せんたく機の製造に追い詰められて、空色のせんたく機の中で悲しいロボットになってしまった」

   「すなの中に消えたタンネさん」

 心が汚れていると感じるとき、心が疲れていると感じるとき、その汚れや疲れは表面張力に満ちたバブリーな洗剤で落とすことができるのだろうか。それとも、そんなものは、昔ながらの入浴剤に浸かった方が落としやすいものだろうか。人それぞれ、"It's depends."で、たった一つの答えは、きっとどこにもないのだろう。

「ロボットになったらラクなこともあるのかな」

 もしも、もしも一つ確かなことがあるとしたら、色んなものが世の中にはある、ということかもしれない。

2008-03-20[n年前へ]

「町の甍の乱反射」と「乱反射する友人」 

 日が傾いた時刻に、波立った水面を眺めると、水の上に輝く道が見える。川面・海面・湖面に太陽が足元から陽の方向へ、一直線につながって見える。そんなことを『「海面に写る太陽」の不思議』で書いた。その後、住宅街を見下ろしても、やはり、そういう「道」が見えた、という話を読んだ。

 丘に上がってみると、眼下の住宅街の屋根の群れが細長く光っていた。海で日没を見る時のように太陽から道が伸びて見えている。

   「甍の波と

 日が傾き始めた頃、高台に上って町を眺めてみた。すると、住宅街の屋根で日の光が乱反射し輝いている。その輝きは、住宅街の向こうにある河口の上、そしてさらに、海の先まで続いている。屋根の傾きに傾向はありつつも、やはりさまざまな方向を向いていて、いろいろな方向を向いた屋根が太陽の光を色んな方向に光を跳ね返している。あぁ、確かに、海も河口も町の景色も、みんな同じように乱反射した光を返している。

 そういえば、『黄金の日日』や『落日燃ゆ』などを書いた城山三郎は「乱反射」というものが好きだった。城山三郎のいくつかの随筆を読むと、自分が思うことをそのまま写し返す鏡のようなものでなく、乱反射するものの方を好ましいものだと何度も書いている。

 考え方も色々なことを言ってくれて、乱反射する友人とでもいいますかね。

   城山三郎
 住宅街の屋根や水や風が作る乱反射面を見ていると、ふとそんな言葉を思い出す。そして、屋根の向きは、やはり南北向きが多いのだろうか、とか些細なけれど生活に密着しているはずのことに想像を巡らせてみたくなる。

 これまで特に意識することもなく眺めていた町の景色、光る屋根の瓦にも、きらめく水の小波にも、光学や統計学といったものが、その姿を見え隠れさせながら、幕の内弁当のように箱にギッシリ詰められている。

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2008-03-21[n年前へ]

「ちりとてちん」と「地獄八景亡者の戯れ」と「自己言及パラドクス」 

 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」がもうすぐ終わる。エンディングに近づきつつある「ちりとてちん」では、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を演じる音声が、画面の後ろに流れているシーンも多い。

 もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。

 森下伸也の「逆説思考」~自分の「頭」をどう疑うか~(光文社新書)を読んでいると、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」における、自己言及的パラドックスが挙げられていた。

 このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、…本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。

 森下伸也「逆説思考」で挙げられている「地獄八景亡者の戯れ」での自己言及的パラドックス一つは、三代目桂米朝のものであ り、もう一つは桂文珍のものである。ちなみに、桂米朝のものはこんな感じの「地獄八景」である。

  冥土の歓楽街に、亡くなった過去の名人の名前が豪華に並んでいる。よく見ると、そこに「桂米朝」の名前もなぜかある。
「そないな名の亡くなった落語家いてへんやろ?」
「よう見て下さい。”近日来演”って張り紙してありまっせ」
「なるほど、本人はそれも知らんと落語でもしてるんですやろな」

  桂米朝 「地獄八景亡者の戯れ」

 もうひとつ挙げられている桂文珍のものは、閻魔の前で特技の落語として「地獄八景亡者の戯れ」を披露し始めると、その話の中でさらに、「地獄八景亡者の戯れ」が展開されて…というM.C.エッシャー描く版画のような、「地獄八景」である。

 それにしても、ドラマ「ちりとてちん」は面白い。あと、一週間で終わってしまうのが残念だけれど、本当に旨く美味しい「半年間ほどの短編ドラマ」だと思う。一見長く見えるけれど、短いショート・ショートの連作のような、実はそれが繋がっている一つの短編小説のような、そんな素敵な作りだ。

 その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。

 何ヶ月かすると、このドラマのことも忘れてしまうかもしれない。けれど、何かの折に受ける印象・する選択に、どこかで影響を与えたりしてくれたら良いな、と思う。

2008-03-22[n年前へ]

JRチケットの磁気データを眺めてみる 

 ICカード化されているSUICAなどと違って、通常のJR切符などは、裏面の磁気データで管理されている。右に貼り付けたのは、JRの切符ではなくて領収書だけれど、基本的には通常のJR切符も、同じサイズであるし、同じような仕組みになっていると思う。

 このJRが発行したチケットの裏面に書き込まれている磁気データを、磁気微粒子粉末で可視化して、2次元画像に変換してみたものが下に貼り付けた画像である。上下4行づつ、計8行の磁気データが書き込まれていることがわかる。この磁気データを眺めた時、興味深く・面白いことは、チケットの中心を軸にして、線対称に上4列と下4列に対して同じデータが書き込まれているように見えることである。


 逆に言えば、磁気データは本来4列ですむのに、それを上下部分に同じように書き込まれているように見えるのである。これは、「磁気読み取りヘッド数を減らしつつカードリーダにチケットをどの向き(もちろん長短辺は一致している必要があるが)で挿入しても大丈夫なようにするために、そのような設計になっている」のだろうか。それとも、そんな単純な理由ではなくて、もっと複雑な理由によるものだろうか。

 日常生活を支えているシステムはたくさんあるけれど、それらが動いている仕組みがちゃんとわかるものは、ほとんどないように思える。そういったシステムの裏側をミステリの謎解きのように想像してみるのも、結構楽しい。

JRチケット表面JRチケット裏面磁気データ






2008-03-23[n年前へ]

「カラオケの(迷った時の)あの頃検索」と「とりあえずビール」 

 私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」の「ライブR35」が行われるきっかけになった音楽アルバム「R35」を聴くと、1990年前半の音楽が流れていた頃の匂い・空気を、なぜか新鮮に思い出します。そして、その頃のカラオケボックスの景色が蘇ってきます。

 通信カラオケが出始めた頃で、「通信カラオケ」という最先端の言葉が(性能はともかく)客寄せに使われていて、まだLaserDiskを使ったカラオケも現役で、ガチャコン・ガチャコンと小さな小さな家内制手工業のようにメカニカルな音を出していたような気がします。そんな時代がクルクルとブーメランのように、浮かび上がってきます。ちなみに、カラオケボックスの匂いは、昔も今も、相も変わらずタバコの匂いのような気がします。

 そういえば、カラオケ・ボックスに行くと、リモコンのメニューには「あの頃検索」といったものが表示されているのが普通になりました。しかも、そんな「あの頃検索」の前には、「迷った時の」なんていうキャッチフレーズまで付いています。それは、何だか「とりあえずビール」の「とりあえず」と同じような優柔不断と迷いの感があります。

 そんな「迷った時の」あの頃検索を使い、カラオケ・ボックスというタイム・マシーンで時の流れの中を行き来していると、いつの間にか、安くもない・けれど高くもない、多いのが少ないのかわからない程度のお金が消えていきます。それは、「とりあえずビール」でビールを飲んでいるうちに、高くもない・けれど安くもないお金が飛んでいくのに似ている…なんて、ふと妄想したりします。

 と徒然なるままに書きながら、「カラオケの(迷った時の)あの頃検索」と「とりあえずビール」は結構いいな、と感じます。だって、だって人間だもの(by 相田みつを)。

あの頃検索1990年頃






2008-03-24[n年前へ]

「壊された自販機」と「相反するもの」 

 喉が渇きジュースが欲しくなった。けれど、なぜか硬貨を入れるところにガムテープが貼られていて、百円玉を入れることができない。その辺りで、何かがおかしいことに気づくべきなのだろうけれど、何も考えずに(百円玉がダなら)千円札を入れようとすると、紙幣を挿入する部分が完全に破壊されていることにようやく気がついた。

 紙幣を挿入する部分にバールか何かをこじ入れて、その紙幣挿入部のすぐ下にある(自動販売機の)鍵が破壊されている。密室殺人事件の密室も、部屋の中からなら自由時自在に開けることができるのと同様に、ドアの鍵などは(ドア鍵の内部からなら)簡単に開けることができる。この自動販売機は、自販機を開けられないようにする鍵の直上部に、紙幣挿入のための穴=強度が極めて弱い部分があって、そこから道具を突っ込んで(直下にある鍵を操作すれば)比較的簡単に鍵が開けられて=壊されてしまうように見える。…というわけで、自販機の中のお金目当ての自販機荒らしにあったに違いない。

 壊されにくい自販機を作るにはどうしたら良いのだろうか。まず、鍵部の近くに強度の弱いような部分を作るのは避けた方が良いだろう。かといって、鍵の近くは強固だけれど、その鍵から長いシャフトなどが伸びて、結果としてドアが閉まっている…というのでもマズそうだ。その途中部分に強度が弱い部分があれば、そこを壊されてしまいそうだ。

 自販機の使用者が小銭や紙幣を挿入しやすい場所・お釣りを取りやすい場所から、鍵を話せばメンテナンスをする人の作業量が増えてしまうし、それは結果としてコストに上乗せされそうだ…。一体、どんな構造が最良解なんだろうか。

壊された自販機壊された自販機壊された自販機






2008-03-25[n年前へ]

「ひょっこりひょうたん島」に上陸する 

 「我入道」で書いた大山巌の別荘跡は「ひょっこりひょうたん島」の浜辺にある。海辺に位置する牛臥山は、少し昔はれっきとした島だったのだけれど、その牛臥山の地形はひょっこりひょうたん島の地形にそっくりだ。だから、ひょうたん島資料館を、牛臥山近くに作ろうというプロジェクトすらあるくらいだ。

 いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。
   「我入道」

 少し前、大山巌の別荘跡を守る「陸に浮かぶ孤島」の牛臥山に登ってみた。古い神社の横(あまりに定番の場所だ)にひっそりと、定期的に人が歩いているように見える道があって、その草木が折られている箇所を登っていくと、ひょっこりひょうたん島ならぬ牛臥山のてっぺんにたどり着いた。地面近くの草に足をひっかけて転んでしまうと、何だか数十メートルくらい滑落してしまいそうな感じだった。

 頂上近くから「大山巌の別荘跡」を見ると、そこは普通の公園になっていた。まだ、どの入口も封鎖されているから、「毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない場所」ではあるのだけれど、けれど、かつてのような不思議な場所・歴史の中のエアーポケットに遺失物として置かれたままになっている場所とは違ってしまっている。

大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。
   「我入道」

 しばらくすれば、我入道にある「大山巌の別荘跡」は、交通標識に沿っていけば、迷わず誰でも行くことができる場所になる。あるいは、干潮時の岸壁沿いを通ってたどり着いたとしても、そこには「普通の整備された公園」があるだけだ。

 我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。
   「我入道」
 最初から最後までアスファルトで整備されているような「ルート」があるのかどうかは、幸か不幸か知らない。けれど、もしもそんなルートが現実にあったとしたら、それは単に鋳造されたポインタのない「線路」に過ぎなのかもしれない、とも思う。鋳造された線路と、先の見えない獣道のどちらがいいのかは、わからないけれども。

牛臥山牛臥山牛臥山






2008-03-26[n年前へ]

「吉野家の公理」と「吉野家のパラドクス」 

 「吉野家の公理」というものがある。この「吉野家の公理」がはたして真実であるのかどうかは知らないけれど、少なくとも、とても自然に納得できる公理である。その内容はこのようなものだ。

次の三つの項目をすべて満たすものは、必ず売れる。
  1. 旨い
  2. 安い
  3. 早い
 「"Value""Cost""Speed"を兼ね備えていれば売れる」というのは、あまりに自明に思えるくらい、当然の話に見える。

 しかし、この「吉野家の公理」は、同時にまた「吉野家のパラドクス」でもある。なぜなら、「"Value""Cost""Speed"」は、両立しないことが多いからだ。"Speed"を立てれば、"Value"が立たず、"Value"を立てれば"Cost"が立たず、あるいは……という具合に、それら3つを兼ね備えれば「必ず売れる」と言われても、そういったモノはそうそう作り出すことができないのである。だから、この「吉野家の公理」は、「必ず売れるものは、滅多にない」というようにも聞こえてしまうわけである。

 とはいえ、時代や技術が何か変化したりすることで、(それ以前に比べれば)"Value""Cost""Speed"をすべて実現するブレイクスルーが生まれたりすることもあるのだろう。次に生まれくる「そんな新しい何か」はどんなものなのだろうか。

吉野家の法則






2008-03-27[n年前へ]

「吉野家のパラドクス」と「営業の法則」 

 「吉野家の公理」と「吉野家のパラドクス」で書いたように、「旨い・安い・早い」を兼ね備えたものは必ず売れる。しかし、その3つをすべて持つものはほとんどない。だから、実際の商品は「旨い・安い・早い」のうち、少なくとも1つ、できれば2つを備えたものになる。

 そんな実際の商品を売る作業が、営業だ。そんな営業の一面を表現する「営業の法則」を教えてもらったことがある。その「営業の法則」の1番目は、

営業の実績=訪問件数×質
  「営業の法則」第1則
というものだ。訪問件数を高めれば、営業実績は上がるし、質を高めても、営業の実績は上がる、というものである。

 逆にいえば、質が低ければ訪問件数を多くすれば、営業実績も上がるし、訪問件数を多くできなければ、質を高めればよい、ということになる。

 そして、さらに次の第2,3則がある。

営業実績が上がると「やる気」が増大する。
  「営業の法則」第2則
「やる気」の増大は「件数・質」の増大を生む。
  「営業の法則」第3則
 面白いのは、これら第1,2,3則により、次の第4則が導かれることである。
「件数or質」の増加は、乗数的な実績増加を生む
  「営業の法則」第4則
 訪問件数あるいは質の片方を上げると、営業実績が上がる。そのため「やる気」が増大し、「訪問件数・質」のもう片方も上がることが多い。その結果、営業実績がさらに増大する。というわけだ。「やる気」というパラメータが陰に介在していることで、「営業の実績・訪問件数・質」が互いに関わり合っていることが、意外のようで当たり前のようで、それが味わい深く面白い。この乗数効果は実はとても重要なことなのかもしれない。

営業の法則






2008-03-28[n年前へ]

「物語が語られる順序」と「因果関係」 

 「ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか」という「上手と下手」に関する記事を読んだ。こういった、上手・下手もしくは左・右といった辺りのことは、スライド・デザインにおける「上手と下手」、もしくは、「上手と下手」のブログで調べたこと・感じたこと・書いていることから、特に自分の中で変わっていることはない。

 けれど、左右や上手・下手という軸でなく時間軸というものを考えると、たとえば、物語が語られる時間軸というものについて考えると、いくつも新しく感じたこと・納得したことがあった。そのひとつが、北村薫「ミステリは万華鏡」(集英社文庫)の中で語られていた「順序」というものである。

 最も簡単な物語の語り方は、はじまりから始め、物語が終わるまで、あるいは聞き手が寝るまで話すというものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ

 「物語が語られる時間軸」というのは、物語が時間軸のどの地点から始まり(読者に対し語られだして)、どの時点に収斂していくか 、ということである。もしも、いたって原始的な物語であれば、背景から話を始め、原因・過程を話し、そして結果を話すことになる。

 あるいは、その逆に、たとえば推理ドラマであれば、まず冒頭で、「事件が起こる前・過去」と「ぼやけた形で描かれる事件が起こった瞬間」が描かれる。そして、そのあとの物語は、その瞬間・時点へと逆に遡っていくのが普通である。つまり、結果から原因・背景へ向かっていくのが通常のミステリの「方向性」である。
 語りの順序における斬新な実験の例として思いつくものは、ほとんどが犯罪や悪行や道徳的・宗教的な罪に関するようなものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ
 だからこそ、たとえば刑事コロンボの場合は、その物語が語られる時間方向性が、原因→結果という時間の流れそのまま、というところに「意外性」があったわけだ。

 北村薫は「語りの順序が、現在→過去というように流れる物語」に関して、このようなことを書いている。内容を抜粋するために、少し書き方を書き直すならば、それはこのようになる。

 ピラミッドを逆さまにしたように、最後に「出発点・背景」が描かれれば、その一点は、物語の冒頭から語られた「それ以降に起こったこと」のすべて重みがのしかかる。そして、出発点はその重みに歪み、過去と未来のコントラストは、ますます鮮やかになるのだ。

 「普通人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言ったのは心理学者の河合隼雄で、「人は、因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子だ。

 彼らの言葉を、「物語が語られる順序」と「因果関係」が描かれたパズルのピースを並べようとするなら、どんな風に人は並べたがるものだろうか。あるいは、そんなピースに描かれた模様は、人によってどのように違って見え、どのように違って組み合わされるものだろうか。

2008-03-29[n年前へ]

各種計算サービス用サーバの再起動など 

 プラネタリウム/色計算/天体座標計算/月面表示…などの遊び感覚の各種計算を行うサービス、「Lunar-Triangle Calculator」「Spectrum Color Conversion」「The Lunar Surface Telescope」「The Lunar Timescope "Mobile"」「Mobile Planetarium」「PC Planetarium」用サーバを再起動しました。

 また、キーワードの一覧ページの処理先(キーワードブログ)や、個別記事指定時の関連記事自動読み込み、などいくつかのサーバ処理の手順などを変えました。

2008-03-30[n年前へ]

「満腹30倍」ダイエットキャンディのヒミツ 

 「満腹30倍ダイエットサプリキャンディ」というものを買った。キウイ味のキャンディの中に、いかにもキウイの種のような食感の粒が入っている。その「種」が水分を吸うと何と30倍にも膨らみ、充分な満腹感が得られるという。食物繊維もとれて、カラダがスッキリするサプリだという。

 しかし、パッケージの写真を見ていると、どうしても「30倍に膨らんでいる」には見えない。首をかしげながら眺めているうちに、容積30倍というのは実は「見た目にはさほど変わらない」ということにようやく気づいた。体積で30倍ということは、長さでは3倍程度に過ぎない。つまり、「縦3倍×横3倍×高さ3倍≒体積30倍」というわけである。

 「見た目」を判断するとき、わたしたちの感覚では、「長さ」を鍵に判断することも多いように思う。だから、満腹30倍ダイエットキャンディは、実は「3倍に膨らむ」キャンディだったのである。…と考えながらパッケージを再度眺めてみると、「見た目の大きさでは3倍程度ですが」と正確・的確に書いてあった。その但し書きを読みながら、「容積」の三乗根が「長さ」なのだなぁ、とつくづく納得したのである。

満腹30倍満腹30倍満腹30倍満腹30倍






2008-03-31[n年前へ]

資生堂「角質チェックテープ」で肌状態を見てみよう 

 資生堂が「角質チェックテープつき!」という”あなたのお肌の状態チェックしてみませんか?”と謳いCHECKと名付けたリーフレットを配布している。このリーフレットには透明なテープが添付されている。粘着剤が付いた透明テープを頬につけて剥がし、黒い面に貼り付けて観察することで、顔の皮膚の角質の状態を診断することができる、というものだ。

 試しに、自分の頬に角質チェックテープを貼り付けて、比較用の画像と比べてみると「角質が薄く均一にそろって、肌の生まれ変わりがスムーズな状態」と「角質が厚く重なっている状態(重層化)」の中間状態、に見える。もちろん、だからといって洗顔料に気を使おうとまでは思わないけれども、こういった宣伝パンフレットは面白く感じる。

 興味を惹かれ、深く楽しめるだけでなく、やはり嘘でも本当でも納得・実感してしまう。もしも、肌に気を使いたくなる女性であれば、このリーフレットの「角質チェックテープ」を使ってお肌チェックをした日には、「あなたにお勧めの”肌に優しい洗顔料”」というモノを買ってしまいそうだ。

資生堂「角質チェックテープ」資生堂「角質チェックテープ」資生堂「角質チェックテープ」資生堂「角質チェックテープ」