2011-03-01[n年前へ]
■「予約録音した深夜ラジオをケータイで聴くこと」こそが「21世紀のウォークマン」だ。
パソコンを「そのままラジオ受信機」にすることができるのが「IP(Internet Protocol)サイマルラジオ(radiko)」です。私のiPhoneには、そんなIPラジオを 予約録音するアプリケーションを使って録音した番組が詰まっています。
太陽が街中を眩しく照らす中、「パパッパ・パッパパパ・パッパパ…」とトランペットが高らかに奏でるメロディとともに始まるビタースウィート・サンバの音楽で彩られたニッポン放送のオールナイトニッポンなどを聞きながら歩けば、まるで自分の周りだけが「深夜遅くのハイテンション」に包まれているような感覚に陥ります。それは少し不思議なタイムマシーンです。
SONYが「ウォークマン」というものを作り出したとき、とても不思議な感覚に襲われました。ウォークマンに繋がったヘッドホンをかけた瞬間、「周りの世界に響いているはずの音」から切り離されて、まるで「自分の聴きたい音楽だけに一人包まれている」という未知の感覚に襲われました。そこが商店街でも、学校の教室でも、夜のサイクリングロードでも、"Play"ボタンを押した瞬間に、自分の周りの空間を歪ませ「ここではない遠くの世界」に繋ぐ不思議な装置であるかのように思われたのです。
予約録音した深夜ラジオをiPhoneやケータイで聴くと、まるで自分の周りが「空間だけでなく時間すら歪んでいる」ような気に襲われます。自分の周りだけが、深夜の一時から二時くらいの時間へと、クダラナい話題を心から楽しむことができる時間帯へ誘われるような感覚に襲われるのです。
だから…と書くのも変ですが、「予約録音した深夜ラジオをケータイで聴くこと」こそが「21世紀のウォークマン」だ、などと思うのです。それは人類の可能性を広げる機器かもしれないし、あるいは、それはアルコールなどと同じある種の麻薬かもしれないし、・・・とそんな風に思います。
2011-03-02[n年前へ]
■「大学入試問題」と「ベンフォードの法則」
大学入試問題の解答をYahoo!掲示板に質問した件が、ニュースになっています。今回の件であれば、状況的に、刑事事件として告訴無しでも送致するでしょうから、時間をおかずして通信業者は実行者にまつわる情報を保全すると共に・手順にのっとった開示を進め、時間をおかずに被疑者に対しての事情聴取が行われていくことでしょう。
ところで、目の前に、数学の計算問題が置かれていたとして、しかも、その答えがちっともわからないとしたら、あなたなら一体どうすることでしょう?たとえば、それが、4択問題のマークシートなら、…どんなやり方で塗りつぶしを行うでしょう?
hirax.net調べでは、「全部同じ番号を塗りつぶす」という答えが多いようです。4択問題のマークシートなら、全部同じ番号を塗りつぶせば25%が正解になるという理屈です。…行き当たりばったりでランダムマークシートを塗りつぶしたとしても、やはり25%の正解率を得ることができるような気がしますが、リサーチ結果を見るに、意外に「全部同じ番号を塗りつぶす」という意見が多いようです。
世の中にあるものの多くは「対数的な分布」を示します。たとえば、人が得る収入額の分布・インターネットのアクセス数分布…といった数値はすべて、対数的な分布を描きます。そして。(少なくとも)そういった分布を示す数値がある時には、ベンフォードの法則が成り立ちます。それは「最初の桁が1である確率は30パーセントにもなる。そして、最初の桁に現れる数字は小さな数値ほど確率が高い」という法則です(2桁以降目の出現分布も導出され、応用されています)。だから、ある時期には、「試験で計算問題を解くことができなかった場合には、「(答えの)最初の桁の数値が1の選択肢を選ぶべし」という科学に裏付けられた(けれど情けない)解法が通用していました。
ちなみに、正規分布のような確率分布をランダムに選んだ上で、その分布からさらにランダムに数値を選ぶなら、得られる数値の集合はベンフォードの法則に沿うということも証明されています。…つまり、私たちが出会う数値の多くはベンフォードの法則に沿う、というわけです。
面白いことに、この「ベンフォードの法則」が見いだされたのは(少なくとも)19世紀のことでしたが、上記の証明がされたのは1995年でした。それは、つまり、それはつい最近に証明されたというわけです。実社会へ適用されてきたノウハウですが、そんなことに対する数学的な証明がようやく最近されている…というの、お少し面白いような感じがします。
2011-03-04[n年前へ]
■Mac OSX Firefoxで動く「はてなスタイルシートを使えるJSLocalWiki」
JavaScriptで書かれたWikiシステム、ブラウザさえあれば(ローカル・コンピュータの上で)何も考えずに動いてくれる"JSLocalWiki"を「はてなスタイルシート」を使うことができるようにしたものを愛用しています。何も難しいことを考える必要もなく、Wiki が入っているフォルダを「コピーして持ち歩く」だけで、どこでもWikiを読み書きすることができるので、とても重宝しています。
今日は、「はてなスタイルシートを使えるJSLocalWiki」をMac OSXのFirefox上でも動作するようにしてみました(Safariでは動きません)。Windowsマシンでも、OSXが動くMacintoshでも、多分Linuxマシンでも…JSLocalWikiフォルダを持ち歩くだけで、いつでもどこでも、Wikiを使ってメモをとることができるのです。
作成した「はてなスタイルシートを使えるJSLocalWikiセット」は、JSLocalWiki_0_1_2_h_20110304.zipとして置いておきます。右上の画像が、OS X上のFirefoxで撮ったはてなスタイルシートを使えるJSLocalWikiのスクリーンショットです。
ちなみに、スタイルシートを変える時には、htmlファイルやhtaファイル中にある、下記の
<link href=”css/hatena/hatena_ryukyu-black/hatena_ryukyu-black.css” type=”text/css” rel=”stylesheet”>”hatena_ryukyu-black”という部分を、好みのスタイルシートの名前に合わせて書き換えてみて下さい。すると、こんな風に奇麗なデザインのWikiシステムを使うことができるのです。
USBメモリにでも(システム設定不要の)Wikiデータを入れておけば、いつでもどこでも自分用のメモをとることができる、というのは実に便利です。
2011-03-05[n年前へ]
■3Dバーチャルマネキンが立つ風景
展示ブースに3Dのコンピュータグラフィクスで映し出されたバーチャルマネキンがいて、まるでマジックのような素早さで「ブラジャーの生着替え」するさまに思わず見とれてしまいました。このマネキンの横にはスーツ姿のマネキンやトゥームレイダース姿のマネキン(右後ろには、何と坂本龍馬までいます…)がいて、どの3D CGマネキンにもなぜか目を惹かれてしまいます。
犬が犬に惹かれるように、街中を散歩する犬たちが互いを遠くからも見つけ出すように、やはり人も人に惹かれるものなのでしょうか。人の形をして人と同じように動くものが視界に入った瞬間は、誰しもその方向を意識してしまうのではないでしょうか。
道路を歩いているとき、工事をしていて片側一車線になっているような箇所には信号があったりしますし、時には、人が立って旗を振っていたりもします。
何年かの未来には、道路の工事現場には、3Dのコンピュータグラフィクスで描かれたバーチャルマネキンが立っていたりするのでしょうか。
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」と書いたのは、宮澤賢治です。未来の街に立つバーチャルマネキンを想像すると、なぜかそんな一節を思い出してしまいます。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ 雪ニモ、夏ノ暑サニモ負ケヌ 丈夫ナ体ヲ持チ 欲ハナク、決シテ怒ラズ イツモ静カニ笑ッテイル
この言葉の最後に、宮澤賢治は「ソウイウモノニ、私ハナリタイ」と書きました。バーチャルマネキンはそういう存在になることができそうに思えますが、人は果たして「そういうもの」になることができるものなのでしょうか。
そういうものになれない存在こそが人間で、そういうものに憧れるものこそが人間であるにも思われます。
2011-03-07[n年前へ]
■「さまざまのこと 思ひ出す 桜かな」
川沿いの道に桜が咲いていました。二月下旬から三月初旬というと、梅を連想しますが、咲いているのは河津桜です。普通の桜のように、四月頭のごく短い期間に咲いて散るわけでなく、この時期、一ヶ月近く咲き続ける桜です。
コンビニエンスストアで「富久娘 燗番娘 」を買い、途中で買ったお寿司を美味しいワサビと醤油につけて口にほおばり熱燗を飲んでいると、いつの間にか、ほどよい春風に吹かれながら寝てしてしまったりします。
桜の花言葉を調べてみると、たくさんの種類がある桜の花と同じように、さまざまな言葉が書かれています。
桜と言えば…の「染井吉野」なら高貴・清純・精神愛・優れた美人…で、それが「八重桜」なら、豊かな教養・善良な教育・しとやか・理知に富んだ教育、あるいは山桜なら純潔・高尚・淡白・美麗で、もしも、しだれ桜なら、優美・ごまかし…。
三月の風に吹かれる花を眺めていると、色々なことを思い出してしまいます。
さまざまのこと 思ひ出す 桜かな
芭蕉(1688)
2011-03-09[n年前へ]
■「C-CUP」から「G-CUP」まで「巨大なカップを用いた研究報告」
気体や液体あるいは固体という異なる姿をしたものたちを「統一的に計算する」手法のひとつである、CIP-CUP法(CIP-Combined Unified Procedure)の勉強会をしました。CIP-CUP法は「C-CUP法」と書いて「シー・カップ」と発音することが多い、と聞きます。シー・カップという音を聞けば、それすなわち「トップとアンダーの差が15cm程度のバスト」を連想する人もいるのではないでしょうか。…少なくとも私は、「シーカップを使った研究をしています」という言葉だけを聞いたとしたら、思わず、耳をダンボにして聞き入ってしまうと思います。
C-CUP法もなかなかのネーミングですが、これが一般化CUP法になるとさらに(ある意味において)パワーアップし、その名もGCUP法となります。つまり、「ジー・カップ法」です。それはつまり、「トップとアンダーの差が25cm程度のバスト」です。
風速で言えば、Cカップの感触は時速60kmの風相当ですが(あくまで疑似感触ですが)、Gカップともなれば何と風速120kmに相当します。つまり、そのパワーは2倍も違うのです。「ジー・カップを使った解析作業を行っています」という言葉を聞いたなら、聞き耳を立ててしまう人が多いはずなのです。
「○-CUP法」と呼ばれるもののうち最も「巨大なカップ」は何カップなのでしょうか?それを言い換えるならば、つまり、アルファベット順で一番後ろの方になる「(既存の)CUP法」はどんなものになるのでしょう…?
一番大きいカップを使った計算手法=「Z-CUP法」を作り出す人は誰でしょうか?もしかしたら、この雑文を読んでいるあなただったりして…。
2011-03-10[n年前へ]
■「香港版iPhone+日本通信Simカード」でパーソナル・ホットスポット機能を使ってみる
iPhoneのOSを4.3(8F190)にバージョンアップしました。すると、iPhoneのネットワーク接続を他機器から使うことができる「テザリング」機能が「インターネット共有」という名前に変わっていました。
これまでの「テザリング」機能の場合、iPhoneのネットワーク機能はBluetoothもしくはUSB接続でしか使うことができませんでした。しかし、今度の「インターネット共有」機能では、最大5台までの外部機器がWifiを通じて接続できるパーソナル・ホットスポット機能も搭載されているので、結構面白そうです。
アップルジャパンいわく「(パーソナルホットスポットは)日本を含む一部の国々では、ご利用いただけません」と発表しているということでしたが、少なくとも「香港版iPhone 4 + 日本通信 b-microSIM 」では、「日本を含む一部の国々」の制限は適用されていないようです。「日本では利用できない」というわけでなく、「ソフトバンクでは利用できない」とあたりが、正確な表現なのかもしれません。
2011-03-11[n年前へ]
■2011年3月8日3時〜3月11日19時までの日本列島震度分布
下の動画は、2011年3月8日3時から3月11日19時までの間に、日本列島で起きた地震の震度分布マップです。一体どの辺りで地震が起きて、どの辺りの人たちが地面の揺れを感じ、そして、そんな場所が時間を追ってどのように変化して行くのを知りたくて、揺れが続く中で作った動画です。
動画で10秒過ぎに起きる地震が、今日の14時46分頃に起きた地震です。それまでは、比較的近い場所を震源とする地震が多いけれど、それ以降は、広い範囲で大きな地震が起き続けています。
また、2011年3月8日3時〜3月12日15時までの日本列島震度分布も下に貼り付けておきます。この震度分布時系列では、東北地方太平洋沖地震は約4秒時点になります。
北米プレートと太平洋プレート、さらには、フィリピン海プレートが入り交じりあう日本では、不安や不便がいつまで続くのでしょうか。
道の上で、不安そうに空を見上げる年上の人たちと話します。足下を見ると靴下だけだったり、上着も着ていないままだったり…。
一人暮らしの年配者たちは、たとえば、どんなものがあったら心細さがなくなるのだろうか?と考えます。
2011-03-13[n年前へ]
■続『次のバス停は「高周波前」!?』 - 変な名前の由来編 -
先日、次のバス停は「高周波前」!? というアナウンスを聞き、思わずバスを降りてしまいました。理系心をくすぐられ、青い空の真下でカメラのシャッターを押し、「高周波前」バス停に向かって「ハイ、ち〜ず」とシャッターボタンを押してみたのです。
今日は、そのバス停の由来を知りたくて、もう一度その場所に足を伸ばしてみました。交通機関はすべて止まっているので、自転車のペダルをシャコシャコ・シャコシャコとひたすら漕いで、バス停の辺りを走り回ってみました。この「高周波前」バス停の辺りを路地に入れば、そこはさまざまな工場があって、「町工場」の勢いを感じさせてくれます。
…すると、バス停の近くに、その名もズバリ「日本高周波数株式会社」という名前の会社があったのです。調べてみると、それは70年以上前の昭和7年に設立されたという古い会社でした。現在調査中の段階ですが、この会社の近くにあったバス停だから、あのバス停は「高周波前」と名付けられたのだろう、と思います。
「高周波前」は、地元の「お年寄り」いわく、
「高周波」は、第二次大戦中にはレーダーを作っていたために、「高周波前」辺りはただの農村だったのに空襲があったそうな」という場所です。
「20年くらい前には、その当時の不発弾が見つかり、その処理のために横浜線が止まったこともある」
調べてみると、「相互低周波株式会社」という名前からスタートした会社もあります。こんな会社の目の前にバス停があれば、それは「低周波前」という名前だったかもしれません。
理系心をくすぐる「理系の散歩道」は、私たちの目の前にたくさん広がっています。さてさて、次はどんな場所に足を向けてみましょうか。
2011-03-14[n年前へ]
■大人気の「ギア変更でスピードアップ改造されたA-bike City(8インチタイヤ)」
いつの間にか「ギア変更・チェーン・ヘッドパーツ交換でスピードアップしたA-bike City(8インチタイヤ)」が発売されていました。交通機関が混乱している影響で売れているようですが、そういう事情がなくても、ハイギアードにされた8インチA-bikeというのは、確かに欲しくなる一品です。
そこで、GD値(*)3.3mの純正ギアを基に、GD値3.7mにアップしたギアシャフトを日本国内で作りました。 ママチャリのGD値は4m前後に設定されているものが多いので、ほぼ同じスピードが出る計算になります。*GD値=クランク1回転(足漕ぎ一回転)あたりに進む距離(m)
8インチ空気タイヤ版のA-bikeモドキをいつでも持ち歩き、通勤&都内散歩用に(ギアが破損するまで)愛用していた時には、行動範囲がずいぶんと広くなったように感じたものでした。都会を走る電車の2駅分くらいなら、(段差と後ろに乗りすぎることに気をつけてさえいれば)簡単に走ることができるというのは実に魅力的でしたし、自転車を持って長距離バスにも乗ることができたので、旅先でも気楽に「足を伸ばす」ことができたものです。
幸か不幸か、今は売り切れ状態のようですが、こういう「後で手に入らなくなりそうなもの」は「買いたい時が、買い替え時!(By 家電芸人)」であるように思います。というわけで、パンクした純正A-bike 6インチ版とパッチモン8インチ空気タイヤA-bike(モドキ)からニコイチ(二個で一個の)自転車を作るか、それとも素直に「ピードアップしたA-bike City(8インチタイヤ)」を買ってしまうか、頭を抱えている今日この頃です。
折り畳み自転車A-bikeCityですが、地震の影響で利用される方が増えたと思われ、ご注文が予想を超え増えました。そのため、在庫切れをおこしてしまいましたが、A-bikePlusには幾分在庫がございます。A-bikeCityの次回入荷は3月末〜4月初めとなります。
2011-03-15[n年前へ]
■2011年03月8日から3月15日までの地震震源&震度分布動画
2011年03月8日から一週間、3月15日23時までの「日本での地震震源&震度分布動画」です。動画でいうと最後のフレームが、3月15日22時過ぎに富士宮近辺で起きた地震になります。日本列島周りのプレートは、一体どんな風に動き、そして歪みを受けているんでしょうか。
2011-03-16[n年前へ]
■「地震の発生メカニズム」という典型的な"ディスコミュニケーション"
テレビを見ていると「けれど、地震の発生メカニズムが違いますから…」という言葉を聞くことが多いように思います。多くの場合、そんなフレーズを聞くことができるのは「○×の地震と△□の地震は関係があるか」といった質問に対して発せられることが多いように思います。その受け答えは、少なくとも上に書いたような言葉だけであれば「全く受け答えになっていない」ような気もしますが、とりあえず、こんな「地震の発生メカニズム」という言葉を語る人たちの言葉を聞く時、その言葉を口にする人たちを、実は二種類に分けることができるような気がします。
まず片方の人たちは、「逆断層」「正断層」とか「横ずれ」「縦ずれ」とかいった言葉を念頭において、それらの言葉を話します。あるいはまた、「プレート境界」と「プレート内部」といった地震の発生箇所を区別しつつ、その発生過程を考えます。
けれど、それらの言葉を「その人たちとは違う人」に向かって話すと、それらの言葉は”伝わらない””的確でない”言葉になります。なぜなら、もう片方の人たちは、「プレートが変形したり歪んだりすることで起きる地震」と「火山の近くで地面にかかる圧力が変化することで起きる地震」くらいの違い、としてそれらの言葉を聞くからです。
「地震の発生メカニズムが違いますから…」という言葉を聞いて、「なるほど(比較的大きな)地殻が変形したり歪んだりすることで起きる地震ではないのか」と伝わってしまうと、実はそれは間違っている、ということも多々あるような気がします。
だから、もしかしたら、「まぁ、なんちゅーか、どちらも、地殻にストレスがかかって起きる地震なんやけどね(森毅風)」くらいの大雑破な言葉の方が実は正確だったりするかもしれない、と思ったりします。
「○×の地震と△□の地震は関係があるか」という質問をされた時、「地震の発生メカニズムが違いますから…」という答えるよりは「まだ、わからん」というのが意外によっぽど正確なような気もします。
2011-03-17[n年前へ]
■原発の「想定リスク・対策」と「福島第一原発の現状」を整理してみました
海外にいる親戚から、昨日、こんなメールが届きました。
福島第一原発の1・2・3・4号機を「それぞれどのようなシークエンスで収束させようとしてるのか」「どんなリスクがあって、どんな対策が講じられているのか」「最悪の場合には、どんな可能性が考えられるのか」といったことについて全く説明されていないように思う。インターネット上で探してみても、そういった情報が見当たらない。説明不足のことばかりだ。というわけで、「ないなら作れ」の精神で資料を作れ。…「ないなら作れ」と言われても困る…それに「ないなら作れ」ではなくて「「ないなら作る」じゃなかったか?…と思いつつ、私もちょうどそんなことを知りたかったので、原子力発電所(軽水炉)における「想定リスク」と「想定対策」および「緊急非常時の対策」…そして「福島第一原発の現状」をまずはざっと整理してみました。それが、下のスライド(画像)です。「スライド1枚でわかる原発想定リスク・対策と福島第一原発の現状」です。
このスライドは、主に二つの観点から、つまり、
■「核分裂の臨界状態による災害」
■「放射性物質の拡散による災害」
に対する防御策(しかし起こりうるリスクと対策)などを整理しようとしたものです。たとえば、「原発には五重の防護壁がある」と言われる部分「放射性物質の拡散による災害」を防ぐための(=放射性物質を内部に閉じ込める)ためのものになります。そして、それらの「想定ストーリー」に対する「福島第一原発の現状」を付記したものになります。
「原発想定リスク・対策」と「福島第一原発の現状」
ニュースで報道されていることがらを、このスライドを眺めつつ・追記してみれば、少しは「現状のシーケンス」がわかりやすくなるかもしれません。
勘違いしていることや、情報を取り違えている(最近の)情報部分もあるでしょうから、ここに貼付けてみたのは、まずは「とりあえず」の資料です(要修正点などについては、jun@hirax.net までご連絡下さい)。
資料を作ってみて「なるほど確かにそういうものかもしれない」と(思想的な面でなく、システム工学的な観点から)感じさせられたのは、「原子炉には、よく五重の防護があるといわれています。…(しかし)いちばん肝心なところは圧力容器だけで、まったく多重にはなっていません。(中略)一挙に全部壊れてしまう事態が起こるので、このような多重性は意外ともろく、あまり意味がないのです」とか「核燃料サイクル全体を五重の壁が覆っているわけではない」という高木仁三郎の言葉でした。
なお、「想定リスク」と「想定対策」および「緊急非常時の対策」については、設計段階から考えられているものであり、今回固有のものを指しているわけではありません。
2011-03-18[n年前へ]
■「雲のシッポ」の中に入ってみた。
雲から垂れ下がりつつたなびいているシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」だと思っています。
雲の下の部分からシッポのようなものが垂れ下がり、そして風に吹かれるかのように横に伸びている姿を見ることがあるのです。…たぶん、こんな「雲のシッポ」は「雲からこぼれ落ちる雪」なのだろう、と思っています。この前、雲のシッポのことを見た時にこんなことを書きました。
雲のシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」
…次にそんな雲のシッポを見つける機会があれば(そんな機会が何度もあるかどうかが怪しいところですが)、すかさずその雲の下までその正体を確かめに、力一杯駆けて行きたいと思っているのです。
今日、夕日が沈もうとする道の向こうに、浮かぶ雲から「雲のシッポ」が垂れ下がっているのが見えました。そこで、力一杯そのシッポに向かって走ってみました。
雲のシッポの中は「吹雪」でした。雲のシッポに向かって走っていた時には、風は強いけれど、頭上には蒼空がのぞく夕暮れだったのに、シッポの中に入ったと思った瞬間、たくさんの雪がうずまく風とともに四方八方から降り注いでいたのです。雲のシッポに入った瞬間、周りの街の灯りが、吹雪(ふぶき)の向こうに霞んでしまいました。右の写真は、「私が入ってみた雲のシッポ」が通り過ぎ・走り去ってしまおうとする瞬間に撮った写真です。
「(近くに雲のシッポを見かける)そんな機会が何度もあるかどうかが怪しいところですが」なんて書きましたが、雲のシッポを気にかけてさえいれば、「雲のシッポ」を捕まえて、「雲のシッポ」の中に入ってみることだってできるのです。
そんなことを考えていると、ふと「運命の女神は後頭部が禿げている」という言葉を思い出します。
運命の女神は後頭部ハゲだ。女神を後ろからから追いかけても無駄だ。彼女の後ろ髪をつかむことは絶対にできないからだ。運命の女神を捕まえようと思うなら、女神の前髪のある正面にに先回りすることだ。
今日確かめることができたのは、「雲のシッポ」は「雲からこぼれ落ちる雪」だ、ということでした。
2011-03-19[n年前へ]
■「USA産牛肉から狂牛病に感染する確率は…」の法則
原発の「想定リスク・対策」と「福島第一原発の現状」を整理した時に感じたのは、安全性を問われた時にするだろう「最後の砦(説明)」は、結局のところ「ベネフィットとリスクを天秤に乗せたもの」なんだろうと思います。「ベネフィットのためにこのリスクは受け入れざるを得なかった」という納得です。
それは、原発のリスクに限らずありとあらゆると同じく、一番最後に考えることでもあるかもしれないし、一番最初に考えることであるように思います。それは「ベネフィットのためにこのリスクは受け入れるという選択・判断」です。
端的な例を挙げてみれば、それはたとえば「アメリカ産の牛肉から(狂牛病に)感染する確率は、自動車事故で死ぬ確率より小さい」の法則です。「○×の確率は自動車事故で死ぬ確率より小さい」というのは、「安全」が話題になる時に、いつも出てくる定番のセリフです。絶対安全というものが存在しない以上、安全は「安全でない確率を比較する」ことでしか評価し得ないというロジックです。興味深いのは、「USA産牛肉から狂牛病に感染する確率は…」という論理が、時には受け入れられ、あるいは、時に拒否されることもある、ということです。
下のグラフは、さまざまなことにおける、そんな確率を並べたグラフです。ベネフィットとリスクを天秤乗せて・悩み続けていくのが私たちの毎日なんでしょうか。
2011-03-21[n年前へ]
■「一癖も二癖もある賃貸物件」には「夢」がある?
横浜近くの東神奈川駅からから徒歩7分の運河沿い、82.8平米で家賃が一月9万7000円。浅草駅から徒歩8分、水光熱費・インターネット代込みで一月6万8千円…ただし面積は4.55 平米の不思議の国。そんな個性溢れる家や部屋を取り扱っているのが、東京R不動産です。一癖も二癖もある物件ばかりですが、不思議に「楽しそうな夢」を感じてしまいます。
東京MXテレビで月曜午後17時、「5時に夢中!」の中で観ることができる「東京大低宅」もそんな物件を知ることができる情報番組です。黒船的に、東京の奇妙奇天烈な物件を眺めてみれば、「どんな状況下に置かれても、人は快適な生活は送れる」という無限の可能性をまさに実感することができます。
不況とは裏腹に、今なお高騰し続ける、マンション、アパートの家賃。しかし、いくら家賃が安かろうとも、非常に住み心地のよい物件が、都内には数多く点在している。情緒溢れる隠れたロープライスの良好物件……通称“大底宅”。
「住めば都」「下を向いて住もう」をキャッチフレーズに、どんな状況下に置かれても、人は快適な生活は送れることを啓蒙する、“不況脱出社会派考察住宅探訪コーナー”です!!!
以前、とても気になっていた賃貸物件がありました。それは、(東京駅まで1kmもない)神田駅からわずか徒歩1分で、木造2階建小料理屋造作付きで家賃5万4千円/月という物件でした。1階が5平方メートルで2階が4.9平方メートル、トータル3坪のガード下飲み屋街にある賃貸物件です。知る人ぞ知る今川小路の中にある飲み屋を、一月わずか5万4千円で借りることができるのです。
異論がある人が(たぶんとても)多いかもしれませんが、「一癖も二癖もある賃貸物件」に「夢」を感じる男性は多いのではないでしょうか。奇妙奇天烈な物件だからこそ、男のロマンを感じる人はきっと多いと思うのです(男のロマンはアンバランスです)。
歴史を感じさせる・自然を感じさせる…けれどリーズナブルなお値段の賃貸物件は、意外に多くあります。…人生の中のある期間、あなたは、そういう場所で暮らしてみたいとは思いませんか?
2011-03-22[n年前へ]
■カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法!?
紙カップにコーヒーが注ぎ込まれるタイプの自動販売機、いわゆるカップ自販機でコーヒーを飲もうとして、思わず考込んでしまいました。何に悩んでしまったかと言うと…コーヒー自販機にありがちな「濃い(濃くする)」とか「薄い(薄くする)」というボタンは「一体どんなことをしてくれるのだろうか?」と悩んでしまったからです。
その悩みを言い換えるならば、こんな疑問になります。つまり、自販機のボタンを押して「目一杯濃いコーヒーにした」時と、「薄〜いコーヒーにした」時と、紙カップに注がれるコーヒーの量は一体どうなっているのか?という疑問です。
たとえば、ひとつの答えは「使うコーヒーのエッセンスが同じ量なので、濃くすると、液体の量としては少なくなるし、薄くすると液体の量は多くなる」といったものです。そして、それと異なる答えは「濃くしても・薄くしても、紙カップに注がれるコーヒーの量は同じ」といった具合になりそうです。
というわけで、今日は「濃い」「薄い」ボタンを連打して、「目一杯濃くしたコーヒー」と「限りなく薄くしたコーヒー」を買ってみたのです。そして、紙カップに注がれたコーヒーの量を量ってみるという実験をした結果が右の写真です。
これは、「紙カップのどこまでコーヒーで満たされているか」「コーヒーが紙カップのどこまで注がれたか」を薄いコーヒー(左)と濃いコーヒー(右)で比べてみた結果です(左:一番薄くなるようにボタンを押して設定したコーヒー、右:一番濃くなるようにボタンを押して設定したコーヒー)。
少なくとも、今日実験したコカ・コーラの紙カップコーヒー自動販売機では、濃くしても・薄くしても、驚くほど正確に「同じ体積のコーヒー」が注がれていたのです。…ということは、たとえばあなたが薄味のアメリカン・コーヒーを飲みたかったとしたならば、あなたにとって『カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法』はこんな具合です。
1.目一杯「濃い」ボタンを連打して、一番濃いコーヒーを注文する
2.紙カップに注がれたコーヒーにお湯を注いで、増量された「アメリカン・コーヒー」を作り出す
なぜかと言えば、それはもちろん「濃くしても・薄くしても、紙カップに注がれるコーヒー液体の体積は同じだからです。だとすれば、コーヒーのエッセンスが密度高く入っている方を選び、濃いコーヒーが好きならばそのままで・薄くしたければお湯でさらに割る」という注文が一番お得、ということになるわけです。
今日のコーヒー好きな方に送る実験結果は、70円のコーヒー×2杯=140円ナリの予算でお送りする『カップ自販機で「お得」にコーヒーを飲む方法』です。
2011-03-23[n年前へ]
■人類2万年の記録の歴史は、横浜駅から徒歩8分の無料ナリ
驚くほど希少で価値あるものが、豊かさを感じさせ・味あわせてくれる素敵なものたちが、街の中には隠れていたりします。
横浜からポルタ地下街を抜け、みなとみらいに向かうと「とちのき通りに面したガラス張りのギャラリー」があります。そこでは、アートやサイエンスや、未来やビジネス…色んな食材を混ぜ合わせて作られた料理を味わうことができます。
あるいは、そのビルの3階に行くと、"Ten Thousand Years of Recorded Information"と題された資料を展示するスペースがあります。二万年近くにわたる人類の記録の歴史、古代の洞窟の中の手形から銀河の向こうの恒星に向けて放たれたメッセージまで、人類が記してきた12の貴重なメッセージを眺めることができるのです。
この資料は人類があらゆる時代や地域を通じて様々な媒体に記録してきた情報を展示し、人類の記録の足跡を表現しています。
パピルスに記されたエジプト「死者の書」や、グーテンベルグの42行聖書、あるいは、シェークスピアの戯曲…そんな人類が歴史に記してきた貴重なものを、駅地下(えきちか)ならぬ駅近(えきちか)くで眺めることができる…とは信じがたいかもしれません。
人類が過去から現在を通じて未来に残す記録物を観ることができる無料のアートスペースは、「横浜」駅から徒歩8分です。そのビルからは、海近くに立つ風車が見えて、ゆっくり回る観覧車が見えて、川を走る船が見えます。川向こうの船着き場から行き交う船は、未知の世界への可能性を私たちに感じさせます。…そしてさらに、その向こうに行き交う人々を眺めつつ「人類2万年の記録の歴史」も観ることができます。…それはちょっとお得な情報だとは感じられませんか?
2011-03-24[n年前へ]
■サッポロ生ビールを原点にした「ビールの味わい散布図」
「複雑怪奇なものごとを、わかりやすく整理(しようと)したもの」が大好きです。たとえば下の写真はビール・レストランの「銀座ライオン」前で見かけた「ビールの味わい散布図」です。サッポロ生ビールを原点にとり、「リッチ←→クリア」「マイルド←→シャープ」という2つの軸で作った世界の上にエビスの各種ビールなどを描いたものです。「リッチ←→クリア」「マイルド←→シャープ」という2つの軸を日本語で言うのなら、それは「複雑←→単純」という軸なのでしょうか?
こういうものが大好きなので、店の前のポスターに向けてカメラを向けて「はい、チーズ!」と声かけシャッターを切りました。
未来のビヤホールに備えられた電子メニューには、こんな風にビールといった飲料や食べ物を「味わい散布図で眺めるモード」も備えられているだろう、と思います。…そんな未来のビアパブの注文風景を、イギリス・ロンドンのピカデリーサーカス角で営業していたというレストラン会館「ジョー・ライオンズ商会」の名を受け継ぐという銀座ライオンの前で思い浮かべました。
『ライオン』 の店名は1911(明治44)年、築地精養軒(上野精養軒の前身)が銀座4丁目の角に『カフェー・ライオン』を開店したときから続いているものです。そもそもこの『カフェー・ライオン』は、イギリス・ロンドンのピカデリーサーカスの角で営業していたレストラン会館「ジョー・ライオンズ商会」の名にあやかったものです。
銀座ライオン110年の歩み
こういった「味わい散布図」はビール以外でもよく見かけます。…未来の「メニュー」にはどんな風に、どんな「軸」で描かれた世界の上に、飲み物や食べ物がマッピングされているのでしょうか。どんな軸に描かれているのでしょうか。
2011-03-25[n年前へ]
■「カーテンを重ねるのは非効率」の法則
「窓とカーテンのサイズが合っていない」ということもあると思います。引っ越しをした時、以前買ったカーテンを使い続けていたりしようとすると、そういうことが頻繁に起きてしまいます。
「窓よりカーテンが大きい」「窓をカーテンがすべて覆うことができる」ような場合は、カーテンの余った部分を折りたたむだけですみます。しかし、「窓の方がカーテンより大きい」「カーテンが窓の全てを覆うことができない」場合、(外から部屋の中を見えないようにするという)不透過性や(外から差し込む太陽の光を遮るという)遮光性が低下することになります。
今朝、窓より小さな面積しかないカーテンの隙間から、朝の太陽の光が差し込んできました。その光で夢の世界から覚めつつ、『もしも一片の「布切れ」があるならば、窓のどの部分に配置すれば、一番部屋を暗くすることができるだろう?』と、ふと考えました。
「カーテンが覆っていない部分」を布で覆うと部屋を効果的に暗くすることができるわけです。しかし、時に「カーテンは光を100%遮ることができるわけではないので、カーテンの部分に(さらに)布で防御しても、やはり十分に暗くなるのではないか、という考え方もあるかもしれません。
その考え方は、もちろん間違っています。カーテンや布が光を50%減らすことができるとしたら「何かに覆われていない部分を布やカーテンで覆えば、光を100%から50%まで減らすことができる」(つまり窓から差し込む光の半分を減らすことができる)のに対して「すでにカーテンで遮られている部分を、さらに布で覆ったとしても、(すでに100%の半分にまで減っている)50%の光を25%にする」ことしかできません。窓から差し込もうとする光の4分の1しか減らすことができないわけです。カーテンを重ねるのは非効率なのです。
光を遮るときでも、花粉症緩和のために空気フィルタを取り付けるときでも、この「カーテンを重ねるのは非効率」の法則は成り立ちます。「○×%減らすことができる」というものがあれば、なるべく重ならないよう、それを言い換えるならば、覆われていない「穴」の部分をできるだけ覆うようにすれば、一番効率的に遮ることができます。
窓から差し込む太陽の光と、窓ガラスの表面で光る黄色い粉体を眺めつつ、寝ぼけた頭でそんなことをムニャムニャ考えたのでした…。
2011-03-26[n年前へ]
■富豪と貧民の「蝸牛考マップ」
3年B組金八先生が終わるということで、階級闘争のシュプレヒコールを連想させる中島みゆきの「世情」を聞いていると、その頃遊んだトランプゲーム「大貧民」を思い出しました。…といっても、このゲームの呼び名は結構バラバラだったりする、というのも有名な話です。ある人たちは、そのゲームを「 大富豪」とブルジョアな名前で呼び、またある人たちは、それを真逆の「大貧民」と呼び、あるいはさらにプロレタリアートな「ど貧民」と呼ぶ地域もあります。
どんなものでも「図に描いてみる」ことが趣味なので、今日はそんな「富豪と貧民の関ヶ原」「大富豪と大貧民の蝸牛考」を描いてみました。それが下の日本地図です。
ブルジョアジーな大富豪が不要なカードを大貧民に放り投げ、プロレタリアートな「ど貧民」が持つ札から良いカードばかりを取り上げる…。ど貧状態が続くと…何だか少しほろ悲しくなったものでした。
そしてまた、貧民たちは時に「革命」を起こすが、「革命返し」で鎮圧されることもある…というゲーム・ルールを思い起こせば、それは実にシビアなゲームだったなぁ、と今更ながらに感じさせられます。中島みゆきの「世情」をBGMに流しながら、このゲームで遊んだりしたならば、きっと大粒の涙と鼻水を滝のように流してしまいそうな気がします。
シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく。
変わらない夢を流れに求めて。
時の流れを止めて、変わらない夢を、
見たがる者たちと戦うため。
中島みゆき「世情」
そういえば、中学を卒業し高校に入ってからは、みんなで遊ぶトランプゲームは、貧民でも富豪でもなく皇帝ならぬ”ナポレオン”の時代になりました。…けれど、それはまた別の話。
2011-03-28[n年前へ]
■「ビルの階数」と「エレベータが停まる回数」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ」なのかがわかるの法則
「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 で登場したのが、こんな法則です。
M階のビル(の一階)で、エレベータの前にN人が並んでいるならば(そのN人がエレベータに乗り込むならば)、平均的に、エレベータが停まる「階の数」は
M ( 1- ( (M-1)/M )^N )
と表されます。
たとえば、お昼間近のデパートやオフィスビルのエレベータに実際に乗り込んで、「エレベータに乗り込んだ人数」と「エレベータが止まる階の数」を眺め・調査してみると、この法則よりも「エレベータが停まる階の数」はかなり少ないことに気づきます。それは、エレベータに乗り込んでいる人たちの中には「一緒に行動する”グループ”」がいるからです。たとえば、エレベータの中に10人いたとしても、それが5人家族×2組だったとしたら、この法則の「人数」Nには10でなく2を入れ込んでやらなければならないからです。
…ということは、ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 は、「ビルの階数(M)」と「エレベータが停まる回数(F)」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ(N)」なのかがわかるの法則、と見ることもできます。
つまり、M階建てのビルの一階でエレベータに乗り込んだら、素早く人数(N人)を数えた上で、(エレベータが止まることを示す)点灯したボタンの数(F)を眺めれば、
G=N / (log(F/M) / log( 1- ( (M-1)/M )))という式を使うことで「フムフム、この人たちは”およそ”G人連れなんだろうな」などと推理すれば良い、というわけです。
エレベータという密室中に乗り込んだ人たちが、連れ同士が言葉を一言も交わすことがなかったとしても、こんな「法則」のごとく統計・数学的な推理をすることができます。日常生活の中には、こんなミステリーが満ちあふれていて、開花を待つ桜の蕾(つぼみ)のように、解き明かされる瞬間を待ちわびているような気がします。
2011-03-30[n年前へ]
■「○×△から30km」の広さを実感してみる!?
「○×△から20kmの地域」とか「○×△から30kmの地域」という言葉を聞きます。普段、距離を意識しない生活をしていたりする…とか、「距離」で言われても「面積」としては実感できない、ということもありそうです。そこで、「○×△から30km」の広さを実感してみようと考えて、GoogleMapsで距離円を描くツールを使ってみることにしました。
下の2つの図は、東京湾に浮かぶ羽田空港から半径30kmの円を描いてみたものです。「○×△から30kmの地域」というのは、こんな広さです。自分が暮らす狭いエリアに半径30kmの円を刻んでみれば、それは驚くほど広い面積です。…半径30kmというのは、そんな広さです。
2011-03-31[n年前へ]
■「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアス
「災いを防ぐ=防災」ということを考えざるをえないこの時期に「原子力」についても考えを巡らせようとするのなら、そしてそのために一冊本を読んでみる気になるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思います。
この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
そして、何よりこの本の「スタンス=立ち位置」こそが「一番良い」と思う理由です。
原子力関連の本には、多かれ少なかれバイアスがかかっています。そういったバイアスがほとんど見られないように思えるのは「原子力熱流動工学」といった類(たぐい)の技術テキストくらいで、それ以外の本では必ずバイアスがかかっています。
書き手自身が無自覚のままにバイアスをかけている本もあれば、書き手がそのバイアスを意識している本もあります。「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」で著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。
(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない。
少し長い引用をしておきます。これは「まえがき」の中段部分です。
本書は当初…原子力防災の入門書を2人(松野元と永嶋國雄)で作ろうということで制作が開始された。…ところが最終段階になって、チェルノブイリ発電所事故の取り扱いについて意見調整がつかなくなってしまった。永嶋氏の意見では、チェルノブイリ発電所事故を原子力災害として取り上げるのはかまわないが、すべての章で取り上げてはいけないということであった。たとえば、想定事故の考え方についての説明のところで、チェルノブイリ発電所事故と比較することは、日本ではチェルノブイリ発電所事故は起きないことになっており、日本の原子力防災はこれを対象としていないから、これを直接比較することは意味がなく、あえて記述すると専門レベルの内容になってしまい、一般の読者(国民)を混乱させ、原子力反対論者に知恵を授けるだけのものとなってしまうので、入門書としては不適であるとした。…つまり、この本に貫かれているのは「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断しなければならない」というバイアスです。
これに対して私は、日本の新しい原子力防災のあり方を住民(国民)保護という民主的な点からその有効性を検証しようとすれば、チェルノブイリ発電所事故発生は事実として直視する必要があり、たとえ許可条件的に事故が起きない設計となっていても、防災というレベルにおいては可能性が存在する限りこれを無視できないので、日本の原子力防災体制が防護するべき住民(国民)をすべてカバーできているかを、チェルノブイリ発電所事故を例としてその有効性を検証することは、入門書であっても住民(国民)にとって必要なことであり、むしろ原子力を受け入れてくれなければならない人々に知恵を授けて理解を求めることが今日的な課題であると思うので、入門書とはいえチェルノブイリ発電所事故を無視することはできないとした。この意見の違いにより、2人による共著の夢は絶たれた。
「どうすべきかは他人に聞く(ゆだねる)」「情報・知識で終わる」というバイアスも満ちあふれる今日この頃だからこそ、それとは違うバイアスで書かれた「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」を読んでみるのも良いように思います。