hirax.net::inside out::2012年04月14日

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2012-04-14[n年前へ]

大人が「手に入れるべきもの」「忘れないでいたいもの」 

 江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、その時代を振り返る大人の言葉を文章にした「十五歳の残像 」を読みつつメモした部分(hirax.net::Keywords::「十五歳の残像」のブログ)を眺め、ふと考えました。

 十五歳の頃、それから年を経た頃、時間が経っても同じ事も多ければ、少しの「違い」もあったりします。その「違い」は良いとも悪いとも…どちらとも言えない、「違い」です。良いとも悪いとも言えないものを時に身につけ、時に失ってきたとしたら、それら「両刃の剣」を両面から眺め、それらを忘れないでおこうと願い、十五歳の大人の言葉を眺め直してみました。

「どんどん矛盾していくよね」
「でも、表現するということはそういうことでしょう?イメージをある程度限りある形で強く打ち出していく、というのが表現ななんだから」

甲斐よしひろさん
 →矛盾を受け入れる。けれど、その矛盾を生み出す「限り・限界」を当たり前と受け入れない。

「無神経でいようと思ったら、いられるようになったことかな」

宮本文昭さん
 →無神経さを手に入れる。それと同時に、感受性を失わない。

「自分をごまかす、とか、許す、とか、そういうことは長けてきたと思います」

おすぎさん
 →自分をごまかす・許すという「弱さ」というか「強さ」を身につけると同時に、そうしない「若さ」を忘れないようにする。

 聡明なひと、というのはつまり、絶望の認識のあるひと、ということなのだろう。ただし、長塚さんの言葉にはとても肯定的な響きがあって、…私はちょっとほっとした。

長塚京三さん
 →「絶望の認識」をもちつつ、「肯定」をあきらめない。

 言葉のひとつひとつに、必ず論理的必然性というか、原因と結果が備(そな)わっている。双六(すごろく)風に正確に一歩づつ先にすすめていく話し方だ。それも、聞き手がとりのこされないように丁寧に、きちんきちんと手順を踏んで。

公文 公さん