2012-04-24[n年前へ]
■「"稼ぐ力"」と「(機械が働き)人が働かずに暮らせる未来」
フリーペーパーR25に、日本は莫大な所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い、という論調の経済解説記事が載っていた。
…「日本の”稼ぐ力”が弱くなった」と悲観的な論調が目についた。貿易がダメだと日本は稼げない、と言わんばかりだった。
(中略)2005年から、貿易以上に日本が稼いできたものがあったのだ。それが「所得収支」である。海外に投資をすることによって得た、利子や配当などのリターンである。
(中略)本当に「日本はもう稼げない」などと悲観しなければいけないことだったのか。
…農場では機械が農作物を作ってる。農場で作られた麦からは、工場で機械が自動作業でビールを作り、人はビールを飲みながら、本を読んでいる。つまりは、機械が人間の代わりに働き、そして、人間は”働かずとも優雅に過ごす”ことができる世界である。
今、日本の工場では、たくさんの機械たちが働いている。ただ、こどもの頃の想像と大きく違ったのは、自動機械(ロボット)が働いても「自動機械の持ち主(それは”お金持ち”だ)」にお金が入ってくるだけだ、ということだった。そして、自動機械の持ち主でなく、働いていない種類の人類には「タダでどこからかビールが運ばれてくる」わけではなかった、ということだった。
「所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い」という解説を読んで、こどもの頃に想像した「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」を思い出した。
70年代、こどもが想像した未来像は間違っていた。「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」は、「機械を持つもの」にだけ当てはまる世界だった。そして、もちろん、働かなくて良い世界を夢見た(怠惰な)こどもは、機械を持つ側ではなかった。