2014-05-28[n年前へ]
■いつだって「前」を見れば「n年前へ」の世界が見える!
hirax.netの全てのページには、「n年前へ」と書かれたリンク部があります。「記事」が書かれたのと「同じ月日」に書かれた、過去や未来の記事へのリンクです。n年前への「前へ」という言葉は、以前にあった過去を指すのか、それともこれから先にある未来を指すのか、それは今もってよくわかりません。それが、過去でも未来でも、とにかく「前へ」繋がっていることは100パーセント間違いありません。
そしてなぜだか「n年分の過去」を眺めれば「n年分の未来」を眺めることができる…と感じています。だから、n年分の過去や未来へ繋がるリンクには、何はともあれ「n年前へ」という語句を書いておくのがふさわしい、というわけです。そういうわけで、hirax.netの全てのページには、「n年前へ」と書かれたリンク部を付けてあるのです。
今日の「n年前へ」は、
- 今日のオッパイ・ウソ・ホント。(2001年)
- バンコクで眺めたPopular Electronicsと(Electronics NOW改め)Poptronics(2002年)
- 「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」(2005年)
- 『専門家11人に「経済学」を聞く! 』と『11人いる!』(2008年)
- 七味唐辛子の「普通サイズ」と「大サイズ」の穴径は同じ(2009年)
- 「道具に使われるな!!道具は使うものだ!!」(2013年)
「世界が狭い」と「世間が狭い」は180度違う。「狭い世界」を造り出すのは「知り合いが多いハブ的な人の存在」であり、「狭い世間」を造り出すのは、「周囲状況と繋がらず離れてしまっている人」である。「世界が狭い」は「広い世界」を引力が強い人がねじ曲げて色々な場所を繋げていた結果であり、「世間が狭い」は「広い世界」を知らず閉ざされている状況である。
「世界が狭い」と「世間が狭い」は大違いなのだから、自分が考える「世界(というもの)」が、果たしてそれは「(自分の外に広がる広い)世界」なのかそれとも「(自分の周りの狭い)世間」なのかを問い直す作業が必要だと思う。
小島寛之先生に、「10人の経済学者がいれば、11個の経済学説がある」という話を聞きました。その時、ふと「11人いる!」を思い出しました。あの話は「ロケットに乗ったのは10人のはずなのに、なぜか11人いる!」という話でした。「11人いる!」の結末は、「宇宙では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが起きる。そんな時にどうするかが宇宙では重要だ」という感じだったように思います。
…結局のところ、穴から出てくる粉体の量は、粉体の量とは無関係に、穴の大きさ(と粉体の密度)で表されることになる。たとえば、穴から出てくる粒子(=七味唐辛子)は穴の大きさの3乗弱くらいに比例した量になる、という具合である。
つまり、七味唐辛子の「普通サイズ」と「大サイズ」の穴径の大きさが同じなら、その二つの瓶から(一振りあたりに)出てくる七味唐辛子の量は同じになる。逆にいえば、大きいから瓶を一回振れば、たくさんの七味唐辛子が出てくるかというとそういうわけでないのである。
…:多様性があって、変わらないところもあれば・変わるところもある。それこそが、(年齢ならぬヤング率で変化可能な度合いが決まる)弾性体だけじゃない粘弾性たる「おっぱい」ならぬ人間という存在なのかもしれないな。
そしてなぜだか「n年分の過去」を眺めれば「n年分の未来」を眺めることができる…と感じています。だから、n年分の過去や未来へ繋がるリンクには、何はともあれ「n年前へ」という語句を書いておくのがふさわしい、というわけです。そういうわけで、hirax.netの全てのページには、「n年前へ」と書かれたリンク部を付けてあるのです。
今日の「n年前へ」は、
- 今日のオッパイ・ウソ・ホント。(2001年)
- バンコクで眺めたPopular Electronicsと(Electronics NOW改め)Poptronics(2002年)
- 「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」(2005年)
- 『専門家11人に「経済学」を聞く! 』と『11人いる!』(2008年)
- 七味唐辛子の「普通サイズ」と「大サイズ」の穴径は同じ(2009年)
- 「道具に使われるな!!道具は使うものだ!!」(2013年)
「世界が狭い」と「世間が狭い」は180度違う。「狭い世界」を造り出すのは「知り合いが多いハブ的な人の存在」であり、「狭い世間」を造り出すのは、「周囲状況と繋がらず離れてしまっている人」である。「世界が狭い」は「広い世界」を引力が強い人がねじ曲げて色々な場所を繋げていた結果であり、「世間が狭い」は「広い世界」を知らず閉ざされている状況である。
「世界が狭い」と「世間が狭い」は大違いなのだから、自分が考える「世界(というもの)」が、果たしてそれは「(自分の外に広がる広い)世界」なのかそれとも「(自分の周りの狭い)世間」なのかを問い直す作業が必要だと思う。
小島寛之先生に、「10人の経済学者がいれば、11個の経済学説がある」という話を聞きました。その時、ふと「11人いる!」を思い出しました。あの話は「ロケットに乗ったのは10人のはずなのに、なぜか11人いる!」という話でした。「11人いる!」の結末は、「宇宙では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが起きる。そんな時にどうするかが宇宙では重要だ」という感じだったように思います。
…結局のところ、穴から出てくる粉体の量は、粉体の量とは無関係に、穴の大きさ(と粉体の密度)で表されることになる。たとえば、穴から出てくる粒子(=七味唐辛子)は穴の大きさの3乗弱くらいに比例した量になる、という具合である。
つまり、七味唐辛子の「普通サイズ」と「大サイズ」の穴径の大きさが同じなら、その二つの瓶から(一振りあたりに)出てくる七味唐辛子の量は同じになる。逆にいえば、大きいから瓶を一回振れば、たくさんの七味唐辛子が出てくるかというとそういうわけでないのである。
…:多様性があって、変わらないところもあれば・変わるところもある。それこそが、(年齢ならぬヤング率で変化可能な度合いが決まる)弾性体だけじゃない粘弾性たる「おっぱい」ならぬ人間という存在なのかもしれないな。