hirax.net::inside out::2015年08月

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2015-08-01[n年前へ]

アムステルダム ゲイ・プライド2015で運河上を「空高く飛ぶフライボード」に驚くの巻  share on Tumblr 

 アムステルダムで開催されてるゲイ・プライド2015、その中のイベントのひとつ運河パレードを観に行ってみた。運河を船に乗り進んでいく参加者たちの先頭に立ち、パレード先頭を盛り上げてく「ウォーターシューズ(フライボード)履いて飛び回る人」を見てると、その動きの自由さがたまらなく心地良い。

 時に空高く立ち上がり、時には何回かのジャンプを繰り返して上空への加速をつけた後に空中背面回転し…と、地球重力の手から離れていくさまは、まさに「自由」を感じさせます。

I'm through with playing by the rules
of someone else's game.
I'm through accepting limits
'cause someone says they're so.

It's time to try defying gravity.
I think I'll try Defying gravity.
And, you can't pull me down.

Defying Gravity

2015-08-15[n年前へ]

スケベニンゲン海岸の国際花火大会  share on Tumblr 

 夜10時近く、スケベニンゲン(Scheveningen)海岸に行ってみた。「国際花火大会」が開催されていて、波間の向こうで打ち上げられている花火を眺めていると、(夏が始まっていた実感すら未だないのに)もういつの間にか夏が終わっちゃうんだなぁ…と不思議な気持ちになってくる。

 方向的には、この花火の先、海の向こう150kmくらい先に、イギリスがあるはずだ。…といっても、地球は丸いから、いくら障害物が無かったとしても4kmくらい先までしか見通すことはできない。

 けれど、今眺めてる場所から1700mくらいの上空まで視点を高く上げてみれば、海の向こうのイギリスが見えるはず。たとえば、地上2000m近くまで、空高く上昇することができるドローンがあったなら(そして法規制がそれを許すなら)、遙か遠くまで広い視界を見通すことができて…とても心地良いに違いない。

スケベニンゲン海岸の国際花火大会スケベニンゲン海岸の国際花火大会スケベニンゲン海岸の国際花火大会スケベニンゲン海岸の国際花火大会






2015-08-16[n年前へ]

「天津の爆発事故」と「デルフトを描く3枚の絵」  share on Tumblr 

 中国 天津市で爆発事故が起きた。その映像を観て、オランダのデルフトを描く、あるいはデルフトで描かれた3枚の絵画の話を連想した。

 オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館というと、フェルメールが描いた「真珠の耳飾りの少女」が有名だ。その少女が飾られているフェルメールルームの反対側の壁には、フェルメールの「デルフトの眺望」が飾られている。薄暗い曇で陰った近景の先に、印象的な青空とその下で輝く街が広がる、印象的な一枚だ。

 この絵が描かれたのは1660年頃だが、その数年前の1654年10月12日、大規模な火薬爆発がデルフトの街で起きて、街のかなりの部分が失われた。爆発事故が起きたデルフトを描いた、エグバート・ファン・デル・プールの絵を眺めると、その悲惨さが感じられる。

 「デルフトの眺望」が描かれたのは、デルフトの街が爆発事故から復興する途中だ。そんなことも相まり、街を上から照らす青空と、眩しい光を反射する建物の壁が、とても美しく思えてしまう。

 フェルメールの絵が飾られている隣の部屋、Steen Roomには、外から光が差し込む2枚の窓の間で「小鳥」が一羽たたずんでいる。この小品を描いたカレル・ファブリティウスはデルフトの爆発事故で若くして亡くなった画家だ。

 窓辺にとまる小鳥を少し眺めた後で、もう一度「デルフトの眺望」を眺め直すと、遠景で輝く街の壁に、柔らかい光に照らされた「小鳥」がとまっているような気がしてきてしまう。

「天津の爆発事故」と「デルフトを描く3枚の絵」






2015-08-23[n年前へ]

「音楽バンド解散理由」と「ベクトルの違い」  share on Tumblr 

 音楽バンドの解散理由を(エクセル嫌いなんだけど)エクセルシートに入力し、「解散理由」の比率円グラフの作成作業をする。その結果は、ダントツ一位の解散理由は「方向性の違い」というものだった。確かにワイドショーや雑誌記事でその言葉が挙げられる印象が強いけれど、確かにその通り「方向性の違い」がトップオブトップの解散理由だった。

 ただ、データ作成をしてみて、「そういう結果になるのは当たり前だな」とも思わされた。なぜかというと、「方向性の違い」というのは、「言い得て妙」な言葉だと実感させられたからだ。たとえば、メンバー間の(金銭関係や運営的にこれからどうすべきかということに対する)将来に対する意見の違いは、すべて「方向性の違い」で言葉で表されてしまうからだ。

 それだけでない。一番納得させられたのは、過去のヒット曲や経緯が生み出した「周囲のイメージ」と「今自分たちが向かいたい方向」の違いも、意外なほどに多くのバンドにおいて、そドの解散理由に挙げられていたからだ。そんな過去の自分たちが作り出したベクトルと現在の自分たちが持つベクトルの違い…それもおそらく「方向性の違い」という言葉で表されるに違いないからだ。

 過去から現在に向かう中で生じる意見の違いや向かうべきベクトル変化は、確かに「方向性の違い」という言葉で表現するのが自然なのかもしれない。