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2006-06-14[n年前へ]

「経済学の世界地図」 

Title これが、(話を聞きながら)一昨日ホワイトボードに描いてみた「経済学の世界地図」です。ミクロ経済学の大陸の上をウロウロしたりもしている「ゲーム理論というラピュタ島」も描かれていたりします。
 こんな「経済学の世界地図」と「村上春樹」と「オウム事件」と「善と悪」…そんな話題が出たのが、「経済学を聴きに行こう!」の次回の話、小島寛之・帝京大学経済学部助教授 へのインタビューです。

2006-11-06[n年前へ]

小島寛之「算数の発想」 

 小島寛之の「算数の発想」を読んだ。あくまで、本書のタイトルは「数学の発想」でなく、「算数の発想」だ。その「数学」と「算数」の違いこそが、この本の「言いたいこと」である。

 …無理を承知で、この本の印象をひとことで書いてしまえば、それは「カオス」だ。「はじめに」を引用するなら、まな板の上にあげられる題材は「物理学・経済学・数学・ゲーム理論・統計学…」であるという。それらは、実にバラバラな分野に見える。しかも、「フィクション・作り話」と絡めて、その分野は数学や国語や人生の哲学に話が広がっていく。その話の跳び具合を堪えられない人もいるだろう。けれど、その跳ね具合の中に「繋がり・方向性」を感じる人には、実に面白い本だと思う。

 序章の中盤はこのように書かれ、

算数の「なんとか算」のような問題、つまり、つるカメ算、旅人算…などは中学の数学になると、方程式によってすべて統一的に解けてしまう。
これは格好良く言うと、「個別性」から「普遍性」へ関心領域の転換が起こったということである。
そして、その序章はこんな風に終る。
算数の発想は、日常生活や人間関係や人生の経験の中からやってくるさまざまなものの見方を集積したものである。
数学の持つ「普遍的な操作性」は、思考や時間の節約という「効率性」あるいは、考え落としや飛躍のない「厳密性」を与えるかもしれないが、世の中を眺める楽しみを育むのは、むしろ算数の「個別的な思考」のほうだといっていい。
あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 ところで、この本を読みながら、算数も数学もどちらも同じように苦手な私が、ふと思い浮かべていたのは、おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記2006年11月05日(日)分
個別のノウハウをおろおろと個別に実行することしかできず、生活のためにしなければならないことをさっぱり一般化できない
という一文を含む、「個別」や「一般化」を題材に挙げた一連の日記だった。



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