2005-09-07[n年前へ]
■Oldcomputer.net
1975年から1989年までの古いコンピュータの歴史を辿ることができる"Oldcomputers.net"
2005-10-05[n年前へ]
■The Computer History Museum
地域の新聞を見ると、GoogleとSunの合意のニュースがトップを飾っている。巨大なアナログシンセサイザのようなアナログコンピュータや、古いコンピュータを修復しているところや、色んなものを眺める。
解説ツアーの説明中で一番面白かったのが、紙のパンチカードのサイズの話。
この紙のパンチカード、サイズの由来について、わかる人はいらっしゃいますか?誰もわかりませんか?これは、実は、当時のドル紙幣のサイズなんです。
これを設計した人たちは、このカードがいずれ未来の紙幣となって、その当時の紙幣の後を継いで、紙幣と入れ替わるものだという思想を込めたんです。だから、ドル紙幣と同じサイズにしたんですよ。
2005-10-15[n年前へ]
■許可制になった「コンピュータ棋士とプロ棋士の対局」
スラッシュドットジャパンの「公の場でのプロ棋士とコンピュータ将棋との対局を禁止」
2005-12-28[n年前へ]
■「自分の居場所とは、どこなのか」
電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。
隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。
2006-01-04[n年前へ]
■日本語ユーザが抱えるハンデ 編
Tech総研ブログに「URL入力時にIMEを自動で切り替える」 IME Switch!を「日本語ユーザが抱えるハンデ 編」というサブタイトルで、多少書き直してみました。ほぼ同じ内容をなぜ?というのは、「ハンデ 編」というタイトルが答えてくれます。つまり、「ハンデ」にはプラスもあればマイナスもあるわけで、続きがある…ということですね。
日本語という非アルファベット言語を使う日本人にとって、こういった不便な状況が多々あります。…人を楽にするためのコンピュータが、なぜか人にストレスを与えることが多い今日この頃、こんな工夫はいかがでしょうか?
■Powered
by yagm.net