2002-02-15[n年前へ]
■続・今日の大ショック
その後・起動ディスクも記憶喪失とかブルースクリーンとの再会とか今年の目標設定とか(あぁ、これは関係ないか)色々あって、なんとか復旧・バックアップが一段落したのが五時間後(といってもまだ終了してないんだけど)。原因は不明だが、そーいや、こいつ昨日からなんかご機嫌ナナメだったな、と。
まだまだ、戦いは続くのである。
2002-06-03[n年前へ]
■カードサイズの「画像探偵セット」!?
お手軽線数メーターを作るのだ
「どんなものでも、自分の目で眺めてみた〜い」と、ワタシはいつでも思う。世の中スベテのものを、自分の目で眺めてみた〜いと思う。しょんべん小僧が空中に描き出す放物線、巨乳ギャルにロックオンするオッパイ星人の目の動き、ビデオにかかるモザイクの向こう、はたまた田代まさしが恋い焦がれるミニスカートの結界の秘密、とにかく世の中のものスベテを何でもかんでも眺めてみたい、覗いてみたい、とワタシはいつも思っているのである。(とはいえ、誤解されると困るので念のために書いておくが、もちろんミニスカートの中を覗いたりはしないのだ)
そんなわけで、ワタシのケータイのストラップには「ちっちゃなちっちゃな虫メガネ」がついている。この虫メガネを武器にして、ワタシは色んなモノを覗くのがクセになっている。スーツ姿で出張している時だって、おもむろにこの虫眼鏡を取り出して、色んなものを覗いてみたりしているのである。
だから、毎朝届けられる新聞に折り込まれているチラシやカタログを眺めるときだって、そんなカタログに「ちっちゃなちっちゃな虫メガネ」を向けてみて、その「虫メガネ」を通して、カタログがどんな風に印刷されているかをよく眺めてみる。下の左のようなカラーの綺麗なカタログだって、「虫メガネ」を通して眺めてみると、右の拡大写真みたいに、四色(シアン、マゼンダ、イエロー、ブラック)が規則正しく並んでいるようすが見えてくるのである。離れてみればキレイな写真が「虫メガネ」を通して眺めてみるだけで、こんな風に様子が変わるなんてとても不思議な気分になったりするのである。まるで、女性の化粧のように不思議で、こんな四色の手品はとても面白いのである。
(左上と右上部分はマゼンダとシアンだけを見やすくしてみた) |
で、こんなカタログの拡大図を眺めていると、四色に分けられた色がどんな風に並べられ形作られているかを、知りたくてたまらなくなったりする。つまり、「どんな間隔でこの色は配置されているのだろう?」とか「一体、どんな角度でこの色は並べられているのだろう?」とか思うわけである。もちろん、この画像に二次元フーリエ変換などをかけさえすれば(周波数解析をすれば)、「どんな角度で・どんな間隔で色が並べられているか」ということは知ることができるけれど、まさかワタシの頭の中でそんな作業ができるわけはない。かといって、このカタログを読み込むための「画像読みとり装置」や「解析をするためのコンピューター」を毎日持ち歩くなんてこともできるわけもない。
そこで、「どんな間隔でこの色は配置されているのだろう?」とか「一体、どんな角度でこの色は並べられているのだろう?」とかいう疑問の答えがすぐ判るように、先日こんなカード、ぴったりクレジットカードサイズの透明シートに規則的なパターンを印刷したカード、を作ってみた。名付けて、Peco-Chartなのである。
これはもちろん、判る人には判るだろうが、ハンディ「線数メーター」というモノである。一言で言えば、画像の周波数解析をとっても簡単にすることができる手品の小道具のようなカードなのだ。
例えば、さっきのカタログの上にこのPeco-Chartを重ねて置いてみると、アラ不思議、何やらヘンな模様、不思議なモアレ模様が浮かび上がってくる。下の左の写真、あるいは右の拡大写真を眺めてみればマゼンダとシアンの同心円がハッキリと浮かび上がっているのが見えるだろう。例えば、シアン色の場合は75°の角度で175線(175線/inch)位の位置、そしてマゼンダ色の場合は45°の角度で同じく175線位の位置を中心として、同心円状のモアレ模様が浮かび上がっている。
つまり、「このカタログはシアンは75°の角度方向に1インチ辺り175個のドットが並べられていて、マゼンダのドットは45°の角度方向に並べられている」、ということを、このPeco-Chartを重ねて置いてみさえすればたちどころに知ることができるのである。
こんなペラペラのカードで周波数解析ができるなんてとても不思議に思えたりもするけれど、ちょっと考えてみればこれはごく当たり前の話である。
でも似たようなことをしたように、モアレというものは「二種類以上の何らかの模様(パターン)が干渉して発生する」ものである。つまり、ある意味「二つのパターンの相関をとる」ということである。そしてまた、少し考えてみれば「画像の周波数解析」というものは「対象となる画像」と「基準関数(三角関数etc.)」の間で相関を調べることと同じである。だから、「基準となるパターン」を「対象となる画像」の上に重ねてみた時に見えるモアレのパターンは「対象となる画像」の周波数解析結果を実は示していると考えてみても良いのである。だから、このPeco-Chartはクレジットカードサイズのペラペラなちっぽけなヤツではあるのだけれど、実は色んな画像の周波数解析をしてくれるスゴイヤツだったのである。そして、こんなポケットに入るほど小さい線数メーターははなかなか無いので、、カード入れからコイツを華麗に取り出してみせたりすると、うらやましがる人もとても多く(仕事柄、画像出力に関わる人達が多いから)、なかなかに気持ちが良いのである。 とはいえ、自慢してばかりでは何なので、さらに大量に配布すべく新たなPeco-Chart二号機をデザインしてみた。それが、下の名付けてPecochartproである。
このPecochartproの謳い文句はその名の通り「プロ仕様」というわけで、画像出力に関わっている何人ものベータテスター達(自分も含めて)の感想をもとにして、
- 70線から350線までの線数とスクリーン角度の測定ができる「線数・角度メーター」(分解能を2線単位から1線単位へと二倍向上、スクリーン角度のガイドは2.5度刻み)
- 90線から410線までの線数を高精度(0.25線刻み)に計測することができる「線数メーター」(新機能)
- 線・文字の太さを計測できる「線幅スケール」(新機能)
- 〜30級、〜30ポイントまでの文字サイズ(級数、ポイント)測定ができる「文字スケール」(Peco-Chartと同じ)
- 「8cm定規」(Peco-Chartと同じものを使い勝手はそのままにコンパクト化)
- そして、便利な「画像に関する換算表」(内容を従来比75%増量)
それにしても、何か自分に役に立つツールを作るというのは本当に楽しい作業だった。手作りツールぎゃらりい脇色彩研究所ではないけれど、こんな「hirax.netオリジナルグッズ」をいっぱい作って「探偵セット」ならぬ「できるかな?セット」として、面白メールをくれた方にプレゼントとかしてみたら楽しいんだろうなぁ、と思うのである。というわけで、そんなツールをせっせと作るのだぁ、なんてことを実は計画中なのでした、ハイ。
2002-06-23[n年前へ]
■あなたが描く私の木漏れ日
The your sun streaming through my fingers
「木もれ日プロジェクト」というものを見た。表参道のSPIRALの一角に展示されている木村崇人氏の作品である。色んな形の灯りを作ってやって、木漏れ日が色んな形になるのを楽しもう、という作品である。星形や三日月型の灯りが発する光に掌をかざすと、指の隙間からこぼれた光はキラキラとした星形になったり、幾重にも重なる三日月型になったりするのである。
太陽は丸いから、木漏れ日を見てもいつもは何の不思議にも感じない。だけど、こんな色んな形の木漏れ日を眺めると、重なり合う木々の葉がピンホールレンズになっていて、木漏れ日が刺す様子が大きなカメラオブキュラだったことに今さらながら気づくのである。そしてまた、重ねた掌の隙間からこぼれ出す光が星形を描くとき、とても不思議に気持ちよく感じる。
これを眺めた後に、私も色んなカタチの灯りを作って色んなカタチの木漏れ日を作ってみようか、と考え、それには何が必要かな、はさみと、ランプと、光を拡散させるためのトレーシングペーパーと、色んな色の木漏れ日を使いたいからカラーフィルターも…、と考え始めたときに気が付いた。そんなに色んなものがなくても大丈夫なのだった。考えてみれば、パソコンのディスプレイの画面はかなり明るいのだから。パソコンの画面に「色んな形」を描けば良いだけの話なのである。つまりは、パソコンでお絵かきしている画面を「太陽」の代わりにすれば良いのだ。そして、その画像だけを画面に表示させて、真っ暗な部屋でそのディスプレイの前に手をかざせば、壁に映し出される掌の影の隙間には「色んな形」の木漏れ日が幾重にも重なり見えてくるはずだ。
そこで、例えばこんな風にPhotoshopのフルスクリーンモードで星型を描いてみた。
そして、部屋を暗くして両手を重ねると、両手を重ねた隙間を抜ける光が「木漏れ日」を形作る。それはPCの画面に描いた星型をしている。重ねた両手の指の隙間から抜けた光が、幾重にも重なる星型になって光るのである。
もちろん、PCの画面に自分で「色んな形」を描かなくても良いだろう。誰かが楽しそうにお絵かきをする。マウスを動かして、色んな言葉を書き込んでみたり、ハートマークを書いてみたりする。私はディスプレイの前で手をかざしている。そうすれば、私の掌の影の中の木漏れ日は色んな言葉やハートマークをゆっくり描き出すだろう。それはとても気持ちよい景色に違いない。
そして、さらにはこんな風にも考えてみた。その他の誰かは必ずしも私のPCで「色んな形」を描く必要はない。例えば、ネットワークの何処かに繋がった他のPCを前にして、そんなお絵かきをしてみても良いはずだ。
- Photoshopをフルスクリーンモードで動かして、黒を背景にして好きなものを描く
- その画面をVNCのような「ネットワークを介してPCの画面を転送するソフト」でネットワーク上の他のPCに送る
- その送られた画面を(例えば)InternetExplorerをVNCビューアーにして、フルスクリーンモードで表示する
「三色のハートマーク」の姿をしている |
「あなたの木漏れ日・ストリーミング」はちょうどこんな感じだ。例えば、何処かで誰かが何かを描く。恋人が親があるいは誰かが、他の誰かへの気持ちを描く。例えば、何かの「キモチのカタチ」を描く。例えば、ハートマーク、あなたの名前ををゆっくり描く。あるいは、PCに繋がったCCDカメラに向かってポーズを手を振ってみる。
そこから離れた何処かの場所で、その恋人がその子供があるいは他の誰かが、PCのディスプレイが発する光に掌をかざしてみる。その掌の隙間から漏れた光は掌の下に木漏れ日となって何かを描く。ネットワークに繋がった遠く何処かで誰かが描いている気持ちが、誰かの名前を綴る文字が、あるいは手を振る姿が離れた場所のPCの前にかざす掌の下の木漏れ日になる。遠く何処かで描かれていく「キモチのカタチ」が、「笑いながら遠くで手を振る誰かの姿」が、木漏れ日となって、私達が重ねる掌の下で光り、映し出され、そして私達の目の前に浮かび上がってくる。
2002-06-29[n年前へ]
■阿部製 純愛スクリーン
阿部淑人氏による「純愛スクリーン」。つまりは、「純愛で世界を描ききれ」に登場する「シミュレーテッド・アニーリングによるディザマトリックスの最適化」の報告をされていたご本人に作って頂いたモノ。ありがたいことです。「当然ながらディスパーストのほうが結果はよろしいようです」とのコメント付きです。
使い方は、Photoshopかなんかでパターンに使用して、スクリーンパターンとして使って下さいな。(阿部製 純愛スクリーン クラスタードット版)(阿部製 純愛スクリーン ディスパーストドット版)(純愛で世界を描ききれ)
2002-07-06[n年前へ]
■涙いっぱいの25mプール
二十年かかる「プール開き」
最近、霧の日が続いている。日中生活している場所が、「箱根の中腹」というとても霧に覆われやすい場所であるせいもあるだろうし、梅雨真っ盛りという今の時期のせいでもあるだろう。あるいは、その他にも何かの理由でもあるのかもしれない。とにかく、日中は深い霧に覆われてしまう涼しい生活が続いている。
そんな中、朝や昼に草むらの中で足下に生えている色んな葉っぱを眺めていると、それぞれの葉っぱにたくさんの水滴が乗っかっている。そしてまた、水滴がそこからいまにもこぼれ落ちそうになっている。まるで、草が大粒の涙をこぼすのを必死にがまんしているみたいだ。
こんな、いかにも涙をこぼすのを我慢しているような草を眺めていると、こんなたくさんの草達がいっせいに大粒の涙をほろほろと流したとしたら、そしてもしその草達がこぼす涙をプールにでも貯めてみたとしたらどうなるだろうか?とふと考えた。あっという間にそのプールは涙で一杯になってしまいそうな気がするし、結構時間がかかるような気もする。
そしてまた、こんなこともふと考えた。草でなくてもいい、人がほろほろこぼしている涙をもしもプールに貯めてみたとしたらどうなるだろう?そのプールが涙で一杯に満たされるには、一体どのくらいの時間がかかるものなのだろうか?
目の時点・眼の構造によると、眼からほろほろ溢れ出すような涙一粒の量は約0.2ccだと書いてあった。ということは、大きさで言うと直径0.7mm位の球になるだろうか。かなり大粒のような気はするけれど、とっても大粒の涙だったらそんなものかもしれない。
とても哀しかったりして、ほろほろと涙が目から溢れ出すとしたら、その涙の粒は一体どの位の時間間隔でこぼれだしてくるものなのだろう?それはちょっとよく判らないから、ここでは仮に一秒に一粒の涙をほろほろとこぼすことにしてみよう。もちろん、人間には二つの眼があるから一秒に二粒の涙をほろほろと流すことになる。
すると、大雑把に25mプールの幅を10m、深さを1mとしてみると、その25×10×1m3を一杯にするには、
(25×10×1 ×1003) /( 0.2×2×60×60×24×365) ≒20で大体20年弱かかることになる。
だから、何処かで誰かが涙をほろほろ溢れさせていて、その人は二十年近くの間涙をぽろぽろとこぼし続けいているとしたら、その人のかたわらには、いつの間にか涙で満たされた25mプールができあがることになる。その人が流した「涙のプール」のできあがりだ。二十年かかってやっとその「涙のプール」の「プール開き」ができることになる。
もちろん、一時も泣きやまずに二十年近くの間涙をほろほろとこぼすなんてことはないことだろうけれど、そんなことを考えに入れた上でも、その人だけの「涙のプール」が二十年弱でできてしまうなんて、ちょっと意外だ。二十年という長さが短いような長いような不思議な感覚におそわれる。
そしてまたこんなことも考える。もしも、地球上の全ての人が大粒の涙をこぼしたとしたら、世界がいっせいに涙をこぼしたとしたら、この「涙のプール」はどのくらいの時間で一杯になるのだろうか?試しに、プール一杯の量を60億人で割ってみると、
(25×10×1 ×1003) /( 6000000000 ) ≒0.040.04ccとなる。両目からこぼす涙の量0.4ccのちょうど十分の一だ。だから、世界中のもしも十人に一人が両目からホロリと涙をこぼしたならば、その一瞬で「涙のプール」は一杯になってしまうことになる。
色んな場所で、色んな人が泣いている。小さな赤ちゃんが泣いて、その横で新米のお母さんがやっぱりほろほろと泣いていて、振られて泣いている学生もいれば、映画館でスクリーンを見ながら泣いている人もいる。きっと、ありとあらゆる場所で泣いてる人がたくさんいる。世界中の何百分の一か位はきっと泣いている人達だ。だとしたら、この「世界中の十人に一人が両目からホロリと涙をこぼしたら涙のプールのできあがり」というペースを考えると、これはもう世界中の色んな場所で「涙の25mプール」の建設ラッシュだ。そんな風に想像したりすると、色んな街角や林の中に隠れていたこんな「涙の25mプール」の姿が陽炎のように見えたりするかも、と想像してみたりする。