2005-04-06[n年前へ]
■高橋メソッド
「巨大な文字で、簡潔な言葉を用いて…」というプレゼンテーション手法の高橋メソッド。さて、それがどういうものかは、高橋メソッド自身で作られた「高橋メソッド」を読むと、笑いつつ納得するハズ。
2005-04-29[n年前へ]
■「ページェント」と「ページ」
時折、WEBページなんていう書き方をする。そんな書き方をすることを振り返りながら、こんな阿部謹也氏の言葉を読むと色々考える。
人に見せるための行列をページェントなんて言いますね。ページェントとは、本などのページという言葉と関係があって、ページをめくるように見る行列のことなんです。…だから、順番は大切なんですね。なるほど、辞書で語源をひいてみると"pageant = Middle English pagin, pagent, moveable stage for a mystery play, alteration of Medieval Latin pagina, probably from Latin, page"なんて書いてある。現代では、「ページェント」は「美人コンテスト」として使われる方が多いのかもしれないけれど…。
2005-05-15[n年前へ]
■BLOGPOLY
ネットサービスやツールを廻るBLOGPOLY. こんなのを眺めていると、WEBサイトでMONOPOLYを思い出す。5年前によく眺めていたページのうち、今でも残っているページがどのくらいあるものでしょうね?
「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」辺りを本屋でちょっと眺めてみたくなるような気も…。
2005-06-19[n年前へ]
■スクロールバーに見る「未来の予感」 その2
というわけで、「視線の移動」という視点からは、「スクロールバー」類はその言語の「上手」に位置するのが自然です。つまり、左から書き始める言語を表示している際には、本文などよりもスクロールバーが左側に位置する方が自然に思えます。
その一方で、右手でマウスを操作する感覚からすると「スクロールバー」類は本文よりも右手に位置する方が自然に思えます。Tablet PCを操作し始めると、そんなことを実感します。
液晶に(ペンで)触れることにより操作できるTablet PCは、WEBページをぼーっと眺めたり、メールをつらつら(書くのではなく)読んでみたりする分には、とても自然に気持ち良く使うことができます。「文中のリンクを選んで、そのリンクページに進む」というような作業をペン(=自分の指)で直接していると、「マウスで操作する」という作業はやはり「自分の腕や指を使う作業」のフェイク(偽物)であったんだなぁ、と思います。「モドキ」だったんだなぁ、と思います。ハッキリとした現実そのものというわけではない「モドキ」だったから、現実と違って「位置関係の効果」も曖昧に見えてしまうのかもしれない、と思ったりします。
Tablet PCを使う際には、(右利の私には)「スクロールバーが右に位置」していないと、とてもじゃありませんが耐えられません。もしも「スクロールバーが左に位置」していたとすると、スクロール中に、「移動させているページ内容」が自分の腕に遮られて見えなくなってしまうからです。否応なしに、「どんな役割のものがどこに位置するか」ということの制限・効果を実感せざるを得ないのです。視線の移動や手の移動といった作業の自然さ・不自然さが、とてもわかりやすくなるような気がします。(続く)
2005-06-25[n年前へ]
■正規表現の心象風景
Perlの本を読んでみる。やはり、私にはファニー文字が顔文字にしか見えません…。正規表現が加わると、もう2ちゃんねるにしか見えなくなります。モナーがどこにいるのか探したくなるのです…。
というわけで、これが今日の正規表現の心象風景です。「本を真面目に読んでみたけれど、よくわからず頭の中にハテナマークが浮かび上がり、いつの間にかこめかみで血管がピクピクしていて、ついにちゃぶ台をひっくり返していた…」という感じです。うぅ。
ちなみに、右の画像がhirax.netのトップページの顔?文字ですね。