hirax.net::Keywords::「価値」のブログ



2013-05-02[n年前へ]

「勝ち」≒「価値」という方程式  share on Tumblr 

 「将棋電王戦」の憂鬱を読んで思い出した、8年前にサンノゼで書いた記事(「プロ棋士と将棋ソフトの対局許可」と「競技(スポーツ)の本質」)。

 こういったゲームの世界で、(人間が作り出したはずの)コンピュータに人間が太刀打ちできないということが増えていくのかもしれません。
 しかし、「相手に勝てないから(そんな勝負が)つまらない」かというと、それは違うように思います。今年、コンピュータと戦ったチェスチャンピオンのカジムダノフが「人間とコンピュータの対決」に関して、かつてこう語っています。
 ”Sports are not about reaching a result. Sport is about developing your inner qualities.”(競技(スポーツ)は記録や勝ちを手に入れるためのものではない。それは、私たちが自分の中にある価値を成長させるためのものだ。)

 もちろん、…その勝負に負け続けるだけであれば、それはつまらく面白くない気持ちにもなるの確かでしょう。けれど、(強いコンピュータに鍛えられて)自分の将棋の腕が強くなることも、またひとつの事実であるかもしれません。

 「たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ」

2013-11-19[n年前へ]

「安全・品質」のためにかける「コスト」  share on Tumblr 

 車の急加速事故に関する記事を読み、品質や安全性を上げるために「コストをどの程度費やす」ものだろうか?と考えました。何か「とても常識っぽいこと」「みんな常識的に知っているのだろう」というのようなことを、今日はふと考えました。

 品質や安全性を高めるための作業やコストを費やすと、(品質や安全性が上がる結果)問題が生じることにより失われる「損失の量」が単調に減少していく・・・という右上図に描くような関係が、(非常に単純化されてはいますが)よくありそうなモデルに思えます。こういったモデルで「どの程度のコストをかける」のが適切なのでしょうか?

 品質や安全性を上げるためにコストを掛けると「問題による損失」は低減していきますが、あまりにコストを掛けすぎると、(品質・安全性を高めるためのコストを全くかけなかった場合の)「問題による損失の最大量」を作業コストが上回ってしまいます。さすがに、これでは本末転倒でしょうから、いくら何でもそこまでコストを掛けるのはムダそうです。

 となると、「問題による損失」と「品質や安全性を上げるためのコスト」の和が最小になる状態というのが、「品質や安全性を上げるための適切なコスト量」ということになるのでしょう。そんな図(右図)を「品質や安全性を上げるためのコスト=x」「問題による損失と品質や安全性を上げるためのコストの和=g(x)」を描いてみると、つまりは、d g(x) / dx == 0 となるとき「問題による損失」と「品質や安全性を上げるためのコスト」の和が最小になり、それが最適コストなんだろう・・・というように見えてきます。

 d g(x) / dx == 0 ということは、「(作業量に応じた)問題による損失量=f(x)」とすると d f(x) / dx >= -1 ・・・つまり、単純に、「品質や安全性を上げるためのコスト」を掛けても「問題による損失の減少」がそれに値する程度でなくなってしまうということを言ってるに過ぎません。

 それでは、この「(作業量に応じた)問題による損失量=f(x)」の形状が未知だったらどうすれば良いのかとか、これらのグラフの縦軸に「生み出される価値」も足し合わせてみたらどうなるか・・・とかいったことを、あるいは、原子力発電やありとあらゆる工学の産物に関したことを、暇な時にラクガキスケッチでもして考えを巡らせたくなります。

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