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2005-05-02[n年前へ]

第179回 鉄道総研月例発表会「最近の車両技術」  share on Tumblr 

第179回 鉄道総研月例発表会 5月18日(水)の13:30〜16:55に新宿の工学院大学3F 312号教室で開催される、「最近の車両関係の研究開発」「次世代振子制御システムの開発」「側面衝突時の車体変形特性評価」といった辺りの報告がある第179回 鉄道総研月例発表会「最近の車両技術」.


2006-01-28[n年前へ]

アイドル(偶像)と会社訪問記事  share on Tumblr 

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研:アイドル(偶像)と会社訪問記事 Tech総研ブログ 平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女 に「アイドル(偶像)と会社訪問記事〜アイドルが会社に来たら嬉しいって、やっぱり勘違い…かも。」を書きました。 「可愛いアイドルが職場に来たら、SEは嬉しいんでしょ?(いや、断じて違う!)」という感じの記事を読んで、「そうそう」と頷いて考えたエトセトラを書いてみました。「アイドルより…もっと他の…ねぇ?」とは思ったりしますね。

「ホンネとタテマエ」「オトコとオンナ」「オモテとウラ」…世の中のものには全て「二つの側面」があって、「一つの側面しか存在しない(ことになってる)」のでは、映画のセットみたいな薄っぺらい世界になってしまいがちです。もしかしたら、それは「偶像=アイドル」という言葉そのもの、と言えるかもしれません。 会社訪問のような公式記事というものは…

2007-07-04[n年前へ]

オカルトと「説明・制御への欲望」  share on Tumblr 

 MatLabで制御工学に浸っていると、「物理系の類似性」なんていう言葉が出てくる。電気系・力学系…全く異なる対象なのに、なぜか似通った関係・同じような描写がされるものは多い。それと同じように、全然違う分野の本を読んでいても、なぜか少しづつ重なることが書かれていることが頻繁にある。制御工学に浸かりながら思い浮かべたのは、こんな言葉だ。

科学と現代オカルトに共通するものは何か。それは原理への欲望とコントロール願望であろう。 「科学とオカルト」P.143 現代オカルトは科学の鏡である
 科学とオカルト(池田清彦 講談社学術文庫)」が書く「原理への欲望」と「制御への欲望」を言い換えるなら、それは「説明が欲しい・納得したい」という欲望と「望むような自分になりたい・世界を変えたい(制御したい)」という欲望だろう。少なくとも、原始の科学やオカルトは、「原理」と「制御」という欲望の下に、完全に同じものだったに違いない。

1入出力系システムで可制御行列が正則でなければ、可制御、すなわち、任意の状態に制御することはできない。
1入出力系システムで可観測行列行列が正則でなければ、可観測、すなわち、状態量を正確に知ることはできない。
 現在では、むしろ科学の方が原理・説明や制御において、「できないこと」を声高らかに謳うようになった。今では、「原理的にできないこと」が証明されることを面白く感じる人もきっと多いことだろう。
 科学は、原理的に説明できない現象は説明できないままに放置せざるを得ない。それは科学の欠点ではなく最大の美点である。 「科学とオカルト」P.145 現代オカルトは科学の鏡である  
 とはいえ、「科学」という広い言葉より実社会にもう少し近い、工学としての科学という側面においては、やはり「できないこと」「制御できないこと」「説明できないこと」が、表だって語られることは少ないと思う。
 オカルトは、科学では説明できない現象を説明すると称して、いとも簡単にこの禁欲を破ってしまう。 …一回性の出来事を説明できない科学に、頼りなさを感じている人々の一部は、こういったオカルトに引きつけられてゆくのであろう。 「科学とオカルト」P.145 現代オカルトは科学の鏡である  
 科学を使って何かを把握・制御しようとする人の行動も、「科学は老化の原理を教えてくれても、人が生きる意味は教えてくれない」と思う人の行動も、それらの行動や言葉の原動力は、いずれも「説明と制御への欲望」であるという一点で、ピタリと重なり合うものなのかもしれない。

2010-02-19[n年前へ]

「分かれること」「繋がること」への欲求  share on Tumblr 

 人には「分ける」「差異を見出す」ということへの欲求があるのだろうか。そんな分類・区別・差別化することへの欲求が人の底にはあるのではないか、と強く感じてしまうくらいに、理系と文系・科学と非科学・人文科学と自然科学・科学者と技術者…そんな話は何百年も前から、無限ループのように繰り返し続けられている。

 ひとつのものには、そのひとつのものの中に、色んな側面がある。たとえば、科学は、応用を通じて実生活に関わる面もあれば、知的追求という点からこころの喜びにも関わる面も持っている(この一節はリンク先の本の「あとがき」にある言葉である)。何かを分けようとするとき、それはあくまでひとつの側面を描こうとしているに過ぎない。

 しかし、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか?そんな 鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。

夏目漱石 「心」

 「ひとつのものには複数の側面がある」という言い方も、それもまた「分ける」ということへの欲求と表裏一体でもある。「分ける」ということは、「重ねる」ということと真逆なようで、実はよく似ている。

 「分ける」という言葉の裏に寄り添う「統一する」ということへの欲求に、「ひとつのものには複数の側面がある」という言葉は繋がるのかもしれない。そんな、「分ける」「繋げる」ということの繰り返しで、私たちの世界観は進んできたのではないだろうか。

 その主語・目的語を、明示的に私自身とした時には、それは「分かれること」「繋がること」への欲求ということになる。そう考えてみても、その繰り返しで私たちの世界は時を進めてきたのかもしれない、とふと思う。

2010-04-12[n年前へ]

進歩した科学がろくなことをしていない側面がある  share on Tumblr 

 久世光彦 主催による「久世塾 」から、山元清多の言葉。「久世塾」は、「21世紀の向田邦子を作ろう」と開かれた、シナリオライター養成講座。

 僕はあまり楽観的に今の世界というものを考えていない。歴史というものが直線的に進歩して、よりよくなっていくんだというようには思っていまいところがあるのです。ときにどんどん悪くなることもある。
 皆さんは、ケータイができたり、メールができたり、ネットができたりして、「世の中、便利になったな」とか「科学は進歩するんだな」と思うけれど、進歩した科学がろくなことをしていない側面があるわけです。



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