2000-10-13[n年前へ]
■Plin Limark
ムードスティックの秘密
五年くらい前に、こんな口紅がアメリカみやげとして流行ったらしい。塗ると、色の変わる口紅である。下の写真はCOSMOCOSMETICS(http://ferity.com/)のMOOD LIPSTICKという名前のやつだ。あなたの気分次第で口紅の色が変わる、という謳い文句の口紅である。
気分次第で唇の色が変わってしまったら、それは気分じゃなくて体調が悪いんじゃないかとか考えてしまうが、気分次第で口紅の色が変わるくらいだったらそれは面白いのだろう。もっとも周りの人にこの口紅について聞いてみると、おみやげとしてはよくもらったけれど実際に使ったことはないというから、やはり単なる「面白グッズ」なのかもしれない。
さて、このMOOD STICKを使った様子を見てみよう。例えば、この黄色・緑・青・黒の四色の口紅を適当な白い紙の上に塗ってみると、とたんに色が変わる。下の写真が、それぞれの口紅を紙の上に塗って色の変化する様子を見てみたところだ。黄色の口紅はピンクっぽい色に変わっているし、緑色の口紅はマゼンダっぽい色になっている。青色や黒色の口紅も感じとしてはマゼンダっぽい色に変わっている。
もっとも色が変わる様子はケースバイケースであって、例えば手元にあったティッシュペーパーなんかに塗ってみると、確かに色は変わっていくのだがずいぶん時間がかかる。
この色の変わる仕組みは一体どうなっているのだろうか?周りの男性と、「口紅を塗るときに厚さが変わると、それで色の見え具合が変わるんじゃないの。」とか、「この口紅の成分は実はカプセル状のものになっていて、塗りつけられるときの圧力でそのカプセルが壊れて中から出てくるもので色が変わるんじゃないの。」とか、「大体、唇に塗れる色材には、そんなに色が変わるようなへんな材料は使えないだろう?」などと不毛な話をしていた。
ところが、女性がこの話を聞くとすかさず「pHで変わるんじゃないの。」と言った。なるほど、確かに酸性かアルカリ性かで色が変わる材料なら身の回りに溢れているし、食材にだっていっぱい含まれているから安全性もお墨付きだ。しかも、体調次第で皮膚表面のpHも変わるだろうから、「あなたの気分次第で口紅の色が変わる」というのもあながち嘘でないと言えるだろう。
そこで、それを確認すべく私はトイレにかけこみ、化学兵器を持ち出した。それがこれ、酸性溶液サンポールとアルカリ性溶液ドメストである。
白い紙にMOOD LIPSTICKを塗った後に、その口紅の上にサンポール水溶液とドメスト水溶液をふりかけてみた。その様子が下の写真である。ちなみに、ここで使った白い紙では、紙の上に塗った段階では口紅の色はあまり変わらなかった。
さて、下の写真では、上から青、緑、黒、黄色の口紅を塗ってあり、向かって左の青線で囲まれた範囲にはアルカリ性溶液ドメストを振りかけ、右の赤線で囲まれた範囲には酸性溶液サンポールを振りかけてみた。
すると、見事なまでに色が変わる。アルカリ性溶液ドメストをかけた部分はマゼンダ色に変化し、酸性溶液サンポールを振りかけたところは青、緑、黒、黄色のままである。何もかけないところの色も青、緑、黒、黄色であるところを見ると、この白い紙は酸性紙なのだろう。口紅を紙に塗る時に、紙によって発色が違うのも酸性紙か中性紙かとかそういうことで違いがでるのなら、それはとても自然である。
さて、口紅の色が変わる様子をよ〜く見ていると、2種類の材料が個別に発色しているように見える。どうも文才の様子が違うようで、それが判るのだ。結局、一番下の黄色の口紅の場合で言うと、次の表に示すようになっているようである。確かに、こういう複数の色材の組み合わせの方が楽だし安全なのだろう。
アルカリ性 | 酸性 | |
色材 A | 無色 | 黄色 |
色材 B | マゼンダ | 無色 |
全体での発色 | マゼンダ | 黄色 |
少なくとも私は、有色から有色へ変化する材料って口にするには、何かイヤな気がする。それが、有色→無色や無色→有色ならまだマシな気分である。
ところで、人間の皮膚は弱酸性だから、何かこの発色だと実際に皮膚に塗ったときの発色(基本的にはピンク・マゼンダっぽい色になる)と逆になってしまうように思えるが、それは次回以降(果たしてそんなのがあるかどうかは大いに疑問であるが)で気にすることにして、今回はそんな細かいことは気にしないことにしよう。とにかう、MOODLIPSTICKの秘密は複数材料がpHで色が変わるところにあって、それは簡単に言うなら格好いいリトマス試験紙みたいなものなのである。
参考までに「色が変わる口紅」の特許も調べてみた。下に示すのが二つのUSP(UnitedStates Patent = アメリカ合衆国の特許)である。上に示してあるのが「pHで色の変わる化粧品」で、下に示したのが「カプセル式の色材を使って、塗るときに色が変わる化粧品」である。さっきの雑談の中で出てきた「この口紅の成分は実はカプセル状のものになっていて、塗りつけられるときの圧力でそのカプセルが壊れて中から出てくるもので色が変わるんじゃないの。」というのもあながち嘘八百ではなかったようである。
「pHで色の変わる化粧品」の方の中身をみると、色材がpHによって色が変わるようすが示されている。
また、実験をした後にインターネットで資料を探してみると、
- GeneralChemistry Online
- ( http://antoine.fsu.umd.edu/chem/senese/101/consumer/faq/mood-lipstick.shtml)
さて、このムードスティックを調べていて、ある友人から聞いたとある話話(実話)を思い出した。その話はアラン・ドロン演じる青年が犯罪を行い、それを隠し通そうとする姿を描いた「太陽がいっぱい」- Plein soleil - によく似ている話だった。
彼は結婚していたが、ある晩他の女性と会った後に家に帰ろうとしていた。ところが、彼は帰宅直前に自分のワイシャツにピンク色の口紅が付いていることに気付いた。いつその口紅が付いてしまったか、心当たりがあった彼は狼狽した。そして、結局彼は駅のトイレに入って、何とかそのピンク色の唇マークが見えないようになるまで、ワイシャツを石鹸を使ってきれいにした。
その晩、家に帰ってから彼は無事妻には何も気付かれないまま、ワイシャツを洗濯機に入れて寝てしまった。そして、次の朝彼が会社へ出かけたあと、彼の妻はいつものように洗剤と漂白剤を使ってワイシャツを洗った。そして、ワイシャツを外に干した。
ところが、ワイシャツを洗うのに使った漂白剤のせいか、それとも洗剤のせいか、あるいは日光のせいか、何が原因だったのかは判らないがワイシャツの表面で徐々に何かの反応が起こった。もしかしたら、漂白剤で酸化されて逆に発色してしまいうような材料が入っていたのかもしれない。とにかく、彼のワイシャツの上では、昨夜と同じ口紅のあとが同じ形で、だけど色だけは違う青色となって姿を現し始めていた。
太陽が高くなる頃には、そのワイシャツは日に照らされながら鮮やかな青い唇マークをはっきりと浮かび上がらせていた。その頃同じく太陽の光を浴びていた彼は、彼の秘密がもうすぐばれることをまだ知らない。
2001-11-11[n年前へ]
■淡くて儚い昔のアルバム
集合写真の集合写真
最近、検索エンジンGoogleのイメージ検索が日本語に対応した。だから、ふと「愛しの仲間由紀恵の画像を眺めた〜い」なんて思ったら、すぐに検索すれば画像をごっそり集めることができるのである。これまでは、Googleの画像検索は日本語対応していなかった。だから、「心」とか「笑顔」とか、はたまた「エロ」な画像を集めた〜いなんて時も、キーワードも日本語そのままで検索することができなくて、それに近い英語で検索をかけていたのである。
しかし、それももう過去の話。Googleの画像検索はもうバンバン日本語が通るのである。「心」の画像も「笑顔」の画像も「エロ」の画像も、何でもゴッソリ手に入るのである。それどころか、「運命の人」を探して、その「運命の人の写真」を手に入れることすらできるのである。ありがたいことである。
そこで、試しに「オッパイ星人」で検索をかけてみると、「オッパイ星人な画像」がゴッソリ手に入る。いや、もちろんワタシが「オッパイ」に興味があるというわけではもちろんない。何しろ、ワタシは地球を狙うオッパイ星人達と日夜戦い続ける使命を持つのである。「オッパイ星人」達をこの広い世界から見つけ出し、その心根に鉄拳パンチをお見舞いしなければならないのである。そう、そのためにワタシはGoogleを使って、「オッパイ星人」を検索するのである。言わば、Googleはワタシの妖怪アンテナなのである。Googleは「オッパイ星人」を駆逐するリーサル・ウェポンなのである。
しかし、その割には最終兵器Googleが教えてくれる「オッパイ星人」達はどうも見たことのある画像だったり、イヤラシくもオッパイを包み込む手がどうもやけに身近な掌のような気がして、まるで石川啄木のようにじっと自分の掌を眺めてしまったりするのであるが、いやマサカそれはワタシの気のせいに違いないのである。そう、気のせいに違いないのだ…。
いや、マズイ。こんなことではイケナイ。「思えば遠くへ来たもんだ…」でも書いたが、これでは少々マズイのである。気のせいですませるわけにはいかない場合もあるのだ。
何しろ、ここのサイトは家族姉妹も見るのである。ワタシの母も見れば、私の妹も見るのである。何しろ、数ヶ月前に実家に行った時にはワタシの母などは、ワタシの昔の写真を眺めて「この頃のオマエはあんな話を書く子じゃなかったのに…」とグチったくらいなのである。しかも、それに飽き足らずその後e-mailで
ホームページもう少し文学的、化学的だといいけどなあー。母の友人たちに見せても、好評なものも載せて。と無茶な説教を送りつけてくるくらいなのだ。文学的で化学的な話ってどんなのだー、それってただの化学オタクの会話じゃないのかーとか、仮にそんな話があったとしても、そんな話が母の友人達(おばぁさん)にホントに好評だと思うのかーとか、大体他人の評判なんか気にしてられるかーとか色々言いたいことはあるのだが、そうそうそんなことも言えないのである。ましてや、昔の写真を前にして「この頃のオマエはあんな話を書く子じゃなかったのに…」と言われた日には、そんなことは素直なワタシにはとてもじゃないが言えないのである。仮に心の中で、ワタシに限らずあんな話を書く子はどこにもイナイだろーとか思ったとしても、とりあえず何も言えないのである。
とはいえ、昔のアルバムを広げていると、何かセピアになった白黒写真や色褪せたそんな写真が何故か輝いて見えて、少ししんみりしてしまうのもまた確かなのである。別に、説教が胸に染みたわけでもないけれど、何かしんみりしてしまうのである。何か、並べられている一枚一枚の写真から「何か」が浮かび上がってくるようで、少ししんみりしてしまうのである。これは、まさに「笑顔で作った一枚の写真」で作ったモザイク画のようで、アルバムに貼り付けられた写真が組み合わさって、「何か」を浮かび上がらせているように感じてしまう。
「あー、そーなんだー」とワタシはしみじみ思ったあまり、「笑顔で作った一枚の写真」で作ったHiraxNetMosaicMakerをバージョンアップして、色んな写真を集めるモザイク画の中の各モザイク画のサイズを自由に変えたりして、もっとちゃんとキレイに出力できるようにしてみることにした。そして、できればそれを写真のアルバムっぽく加工してみることにしたのである。まずは、これが今回のHiraxNetMosaicMakerである。
素材画像群を読み込む前に、モザイク画像サイズとマージンを決めて、あとの使用手順は前回と同じである。まぁ、使う人がそれほどいるとは思えないので、詳しい手順は(以下省略)。 で、さすがに記念写真でモザイク枚数があるわけはないので、Googleで似たような集合写真を集めてみた。そして、今回のバージョンのHiraxNetMosaicMakerで処理した後、Photoshopでさらに写真のアルバムっぽく加工してみたのが下の写真である。さっと作ってみた割には、写真のアルバムっぽく見えることと思う。ワタシが知らない色々な人達が何処かで撮ったたくさんの記念写真が、写真のアルバムに貼り付けられているように見えるだろう。
もちろん、この集合写真は実は集合写真「仲間由紀恵 」のごく一部分である。全体を眺めてみると、こんな仲間由紀恵が浮かび上がってくるのだ。このWEBページでは遠くで眺めたり、近くで眺めたりできないのが残念ではあるけれど、この写真は遠くから眺めれば下のように見えるし、近づけば上のように見えるのである。近づけば、「アルバム」に貼り付けられた各々の写真が浮かび上がってくるし、離れてみればそれらの写真が一枚の「何か」に見えてくる。
前回のものと違って、背景の白い部分の面積が広かったりするので、今回のモザイク写真はずいぶんと色も淡く儚いけれど、それがまるで「淡くて儚い昔のアルバム」のようだなぁ、と私は感じたりする。これを眺めるあなたは一体どういう風に感じるのだろうか。私と同じような感想を持つだろうか。いや、きっと他の何かを感じることだろう。
そういえば、今日の朝日新聞を眺めていると、「子供地球基金」が「子供たちの絵で世界を塗り替えよう」と戦争などで傷ついた人達に向けて子供が描いた絵を集めて展示するという記事を見かけた。もし、そんな風に集まった子供達が描いた絵を今回のように集めてモザイク画にしてみたら、これも一つのアルバムのように感じるかもしれない。
ワタシが最初にしみじみしたワタシの昔のアルバムは、ちょっと色褪せた「過去のアルバム」だったけれど、この記事の子供達の絵を集めたアルバムの方は「過去のアルバム」ではなくて、子供が描いた「未来のアルバム」ということになるのかもしれない。こっちのアルバムは淡く儚いなんてことは決してなくて、鮮やかで眩しい感じなのかな。うん、きっと、そうなんだろうな。
2002-10-16[n年前へ]
■「役に立たない」「役に立つ」 朝日新聞社説
今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。 朝日新聞社説
from 日々の雑記帳 2002/10/11(リンク)
2003-01-13[n年前へ]
■化学屋的源氏香之図
数学者のマーチン・ガードナーが書いた「フラクタル音楽」の第二章には、数学者のグールドがベル数・カタラン数に関する話の中で源氏香について触れていることが書かれている。源氏香のシンプルで不思議なデザインが故に色々な人を魅了するのだろう。
数学ではなく、化学の視点から書かれたものが化学屋的源氏香之図だ。おそらく、これから話が続いていくことだろう。ところで、源氏物語の帖数も東海道五十三次と同じように華厳経に遡るというような話をどこかで見たが本当だろうか。
そういえば、昨日一昨日と諏訪を通過するときに化学屋的源氏香之図の作者の方は今は何をなさっているのかな、とふと頭に浮かんだのだった。
2003-05-04[n年前へ]
■スカしッ屁の風速ベクトル
おならの流体力学 放出口外側のパンツ内側編
少し前まで、米軍のステルス戦闘機などの話をニュースで見かけることが多かった。ステルス戦闘機といえば、それはもちろんレーダーには映らないわけで、「音はすれども姿は見えない、まるでアナタは屁のような」戦闘機なのである。これが通常の戦闘機の場合であれば出撃したりするとレーダーに写ってしまって大きな襲来警報のサイレンとともに迎えられたりするわけであるが、ステルス戦闘機の場合にはそんな襲来警報の音もなくいきなり出現するわけで、いわば音を伴わない「スカしッ屁」のようなオソロしい戦闘機なのである。しかし、ステルス戦闘機もオソロしいのだが、スカしッ屁だって十分オソロしい。何しろ、「音のしないおならは臭い」「スカしッ屁は臭い」とよく言われるほどそのに臭いは強烈だとされているのである。スカしッ屁は、ステルス戦闘機のごとくいきなり我々の鼻腔奥深くに達し、そして姿を現した瞬間にはもう我々の体の鼻の奥にその恐怖の毒ガスを充満させていくのである。
ところで、ステルス戦闘機の恐ろしさはともかく「音のしないおならは臭い」というのは本当なのだろうか?当たり前のように口にされる「スカしッ屁は臭い」というセリフであるが、それは何か事実に基づいたものなのだろうか?そんなことはきっと誰しも一回は不思議に思ったことがあるに違いない。そこで、資料などを調べてみると実際にスカしッ屁は臭いという科学的根拠があるらしい。何でも、音がするしないは大抵の場合「おならの量」で決まるらしく、おならの量が多い場合には音がして、おならの量が少ない場合には音がしないというのである。そして、量が多いおならの原因は穀物を食べた時にでんぷんや繊維質が発酵して発生するメタンガスで、それはほとんど臭くないというのである。ところが、量が少ないおならの場合には、そのおならの原因は肉類の蛋白質・脂肪類が発酵して発生するアンモニア・インドールなどで、これが実に臭いというのである。だから、量が多いおならすなわち音が出るおならは臭いけれど、「量が少ないおなら」つまり音のしないスカしッ屁は臭いというのだ。統計的には「臭くないスカしッ屁は気づかれない」から「気づかれるスカしッ屁は必ず臭い」「だからとりたててスカしッ屁が臭いわけではない」という理屈も成り立ちそうなものだが、そんな理屈はさておき「スカしッ屁」の臭いは事実オソロシいものらしい。
「スカしッ屁」の臭いが事実オソロシいとすると、音もなく訪れるそんなオソロシイ兵器から私たちはどのようにして身を守れば良いのだろうか?音もなくいきなり鼻腔に忍び寄ってくる「スカしッ屁」という恐るべき化学兵器からどのようにすれば身を守ることができるのだろうか?そこはもちろん、身を守るためにはまずはその対象をよく知らなければならないのである。敵を知らずして敵に勝つことはできないのである。「スカしッ屁」から身を守るためには、「スカしッ屁」をよく知らなければならないのである。別にそんなことを知りたくもない、という気持ちはもちろんココロの奥底に強く強くあるのだけれど、身を守るためにはそんなことは言っていられないのである。自分のみを守るためには、私たちはおならについて少しばかり考えてみなければイケナイのだ。…というわけで、今回はおなら(毒ガス)が体内から放出(放屁)されたのちに、オナラ放出口近辺で起きている現象を考えてみることにしたい。
今回は、まずはオナラが体内から外に放出された瞬間を考えるために、とりあえず「音のするオナラ」と「スカしッ屁」が「黄門様」から放出されたあとの噴出風速ベクトル(放屁ベクトル)をナヴィエ・ストークス方程式の計算エンジンにNaSt2Dを使って計算してみた。計算領域は放出口の外側、パンツの内側というごく狭い領域である。計算領域の左中央辺りに黄門様が位置しており、計算領域の右側にはパンツがある。また、ここではパンツと言ってもビキニやブリーフのようなピッタリお肌に密着タイプではなく、トランクスのように肌との間に空間が存在するタイプを仮定している。そして、「音のするオナラ」の場合には強く早く小刻みに「ブーッ」っとオナラが放出口から放出され、「スカしッ屁」の場合には「スーッ」と弱~くオナラが黄門様から放出されることにしてみた。下の二つのグラフが、そのようにして計算してみたオナラが出たときの黄門様の外側パンツの内側における「音のするオナラ」と「スカしッ屁」のオナラ噴出風速ベクトルである。音でいうなら、左が「ブーッ」で、右が「スーッ」なのである。
もちろん、言うまでもなく上の計算は実に大雑把で簡易的なものだが、「音のするオナラ」の場合には、おならの風速ベクトルの方向が刻々変わり、またその大きさも大きいことから、放出口外側ですぐに急速に拡散してしまうことが予想される。すなわち、毒ガス濃度がパンツ内ですぐに薄まり、おならガスの危険度が低下していることが判る。黄門様の外側パンツの内側でおならガスが急速に拡がっているようすが目に浮かぶようである。絶対に、目に浮かべたいとは思わないのだがこのグラフを見るとそんな様子がまぶたの裏にまざまざと浮かんでしまうのである。
それに対し、「スカしッ屁」は「スー」っと滑らかに出るがために毒ガスが拡散せず、放出口を出た後も毒ガスの危険濃度を保ったまま「まとまったガス雲」として戦隊飛行を続けていくことが予感される結果なのである。「スカしッ屁」はその毒ガス成分だけでなく、そのガス拡散度合いも考えてみる価値もあるかも知れない(考えたくないが)、とも思わせるのである。
というわけで、今回は何とも中途半端な計算をしただけで、オナラの風速ベクトルを予想しそのオナラの運命に考えを巡らせてみたのであるが、その中途半端さには実は理由がある。何しろ、これまでスクール水着、疑似オッパイ、山本式エアコンなどさまざまな物体に対する流体計算をしてきたが、今回の黄門様近くのスカしッ屁の風速ベクトル計算ほど何ともやる気がおきず、気が乗らず、頭の中で計算対象を想像したくないものも初めてなのである。対象物を強く心の中でイメージできなければ、まともな予想などもできないわけであるが、どうにもパンツの中のオナラをイメージしたくなかったのである。そのせいで、どうにも中途半端な結果になってしまったのである。
あぁ、こんなことではオナラから身を守ることができないぞ、おならを心の中で強くイメージしなければイケナイぞ、と強く自分を戒め、続編へ向けてがんばらなければと思う今日この頃なのである。が、しかしまた、おならを心の中で強くイメージするのと、オナラから身を守るのであればどっちが重要か少し悩んでしまい、続編もちょっと…と思ったりもする今日この頃なのである。