hirax.net::Keywords::「合成」のブログ



2005-02-03[n年前へ]

MetaVNC - 窓指向なVNC 

 「複数のホストに分散したアプリケーションを、単一のリモートデスクトップ環境でシームレスに扱えるようにするために、アプリケーションウィンドウ以外の領域を透過領域として扱うという「MetaVNC - 窓指向なVNC」 「、複数のリモートデスクトップ画面を単一デスクトップに合成して表示するだけでなく、Windows版ビューアでは透過領域からローカルデスクトップにアクセスできる」というスグレもの。

2005-04-15[n年前へ]

「ボケ画像」の計算方法について 

 「奥行値(Zバッファ)に従ってボケ量を変化させ被写界深度ブラーを作る場合、0から255の各値に相当するボケ画像(PSF)をFFT→IFFTで作成・合成しようとすると、255枚ものPSF画像とそれぞれを合成するためのマスク画像など、計算コストが掛かりそうですが…」というぐるぐる検索。たいしたことはわかりませんが、ビールを飲みながら適当に書いてみます。あまりに当たり前のことしか書けませんが…。
 計算方法は…、ボケ画像のような畳み込み演算でFFTを使うと(N*Nピクセルの画像であれば)計算量が2N*Nから2N*ln(N)に減るわけですから、力任せに汎用に計算しようとするならば、(よほどPSF画像が処理対象画像に比べて小さいのでなければ)何の迷いもなくFFTを使うのが良いんでしょう(多分)。ただし、何らかの性質がPSF画像やZバッファにあるならば、その性質を利用するのが「手」かもしれません。例えば、非常にPSF画像が非常に(本当に非常に)粗であるとか、Zバッファの値は比較的近くの画素間で連続だとか…。
 また、「255枚ものPSF画像とそれぞれを合成するためのマスク画像」というのはおそらくそこまで必要ではないと思います。もしも、PSF画像を(1+2n)*(1+2n)の正方領域でnが1〜128まで(つまり256*256)まででも、たかだか全部で1/3(1+n)(1+2n)(3+2n)ピクセル程度のサイズですし…。全部前もって作っておいて、それを保持していても大した容量は必要ないですから…。

2005-10-16[n年前へ]

「長い文章を書くということ」 

写真 広い景色を写真に写したい、と思うことがあります。そんな時、超広角のレンズを持っていれば、話はとても簡単です。景色にレンズを向けて、シャッターボタンを押せば良いだけです。ところが、そんな超広角のレンズを持っていなかったら、どうしたら良いでしょう?そんな時はしょうがないから、少しづつ違う方向にカメラを向けて、何回もシャッターを押して、何枚も何枚も写真を撮ります。そして、最後にそんな写真を合成して、広い景色が写った写真を作ります。

 ところが、「最後にたくさんの写真を合成」しようとすると、「それぞれの画像が(互いに)少しづつ歪んでいて、少しづつ写っているものが違っていて」なかなか上手く重ならないことに気づきます。それぞれの画像が少しづつ矛盾していて、一つの整った景色にしようとすると、なんだか食い違ってる部分がそこらかしこに現れてくるのです。例えば、右の写真を眺めてみれば、そんな矛盾だらけの写真であることがわかると思います。そして、広い・長い文章を書くということは、(少し)こんな広い景色が写った写真を作り出すことに似ている、気がします。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。
 それらの歪みや矛盾というのは、もしかしたら、対象物の複雑さにもとづくものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というものなのかも知れませんし、あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める自分自身の中に生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。

 それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。

2006-02-11[n年前へ]

「ギガピクセルフォト作成プロジェクト」 

公立はこだて未来大学 ギガピクセルフォト作成プロジェクト 「函館山から見た函館市内と、その周辺の地域のディジタル写真を10ギガピクセル以上の1枚の巨大な画像に合成し、インターネット上で自由に閲覧するシステムを構築する」ということを「公立はこだて未来大学のシステム情報科学演習」授業の中で行っている「ギガピクセルフォト作成プロジェクト」 約3000枚の画像を合成し、10ギガピクセルを超える画像を作成・表示している。

2006-02-18[n年前へ]

「our faceプロジェクト」写真展 

重なり続ける一枚の肖像から見えるもの | Excite エキサイト : ニュースour face 東京のキャバクラ嬢29人、千葉県鴨川市の漁師78人、子育て中の東京の主婦60人、大阪府岸和田市だんじり祭、並松町の人びと60人…、原宿の少女、東京の会社員、南の離島に暮らす人々、房総の漁師…色々な集団ごとの「平均顔」を撮影・合成するプロジェクトのour face

いま、globalという言葉が盛んに使われます。本当に世界はグローバルになっているのでしょうか?



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