hirax.net::Keywords::「向田邦子」のブログ



2010-08-27[n年前へ]

「人はそうそう思っていることをしゃべれないものだ」  share on Tumblr 

 中町綾子 「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ」の向田邦子「寺内貫太郎一家」に関する解説から。

 「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台衣装や衣装も心楽しいものに作りかえて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました。

久世光彦 小説版「寺内貫太郎一家」解説
 それにしても、この懐中電灯の場面はドラマ史に残る名シーンだ。暗闇にタイミングよく浮かび上がる家族一人一人の顔…しかし、そんな風に言いたいことがあったら言えと言われても、いざしゃべるとなるとそううまくはしゃべれない。このシーンには、…人はそうそう思っていることをしゃべれないものだということがすべて表現される。

中町綾子 ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 「じょうずな嘘」
 そんな「作りばなし」、寺内貫太郎一家の停電のシーンのラストから。
 「笑いばなしには、できないのかい?」

2011-01-28[n年前へ]

「しゃべり過ぎの時代」と「ヒューマン」  share on Tumblr 

 向田邦子が、

 現代は、しゃべり過ぎの時代である。
書いたのは、twitterもない、何十年も前のことになる( 「男どき女どき 」)。そんな向田邦子のことを表現する久世光彦の言葉をいつも思い出す。
 ぼくは向田邦子の一番いい時期とつき合っていたんだと思う。非常にいたずら好きのはずんだ時期で、嘘つきの時期、見栄っ張りの時期。そういうのがヒューマンだと思うから。

久世光彦
 あの女らしさが好きなんです。 シナリオにしてもエッセイにしても隅から隅まで女なんです。人はよく(向田邦子を指して)女の優しさとか可愛らしさ、ちょっと悲しいユーモアとか暖かな賢さに溢れた人と言いますが、そんなことはありません。きっと、女の浅ましさとか嫌らしさ、逆上とか嫉妬、そんなものをちゃんと人並み以上に持ち歩いている人なのです。だから、一番女らしいと思うのです。

久世光彦

2011-04-27[n年前へ]

「手にしたもの」と「指一本触ったことがないもの」  share on Tumblr 

 こんな言葉を眺めました。

 手に入っても好きなものが、本当に好きなものだと思います。
 この言葉を読んだ直後、久世光彦が向田邦子を思い出しながら綴った言葉を思い出しました。それは、言葉自体が指すことは異なるようでいて、けれど、なぜかどこか似ているような言葉です。
 もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人がいたら、その人を大切にしなさい。

久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年

 似ているけれど違うような言葉で表現されたこれらふたつの「対象」、「手に入っても好きなもの」と「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」というふたつのものは、実は(何らかの親戚のように)似た存在ではないかと、ふと考えたりもします。

 「手に入っても好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない相手」…いずれも長く続く対象です。それは、確かに大切な存在なのだろうと感じます。「手に入った好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」…そんなかげがいのないものたちを、あなたはどんな塩梅で心の中に抱えていることでしょう。

 あなたの好きなもの、は一体どんな存在でしょうか?

2012-03-17[n年前へ]

化学変化や向田邦子やスローガン  share on Tumblr 

 「n年前へ」と「n年前の言葉」から。

 酸性の洗剤とアルカリ性のそれを混ぜ合わせたら毒素が生じることはだれでも知っているけれど、自分が出会っただれかと一緒にいることで、何が生じるのかは予測すらつかない。生じたものが自分にどんな作用を促すのかも。
 (向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。
 短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。
 どうして言葉と言葉すれ違うと化学変化でめちゃくちゃになるの?

2012-06-07[n年前へ]

「SETIの17年」「乳は父」  share on Tumblr 

 今発売中の「月刊星ナビ 2012年7月号」(および次号)に、「(父が)書いた記事”SETIの17年”が掲載されている」と父からメールが来る。…しかし、なぜにATOKは(この文章を打つために)「ちち」と打つと、「乳」を第一候補を出すのだろうか? 普通、そこは「父」に決まっているだろうに…?

 「乳が記事を書く」わけはないのである。父がメールを書くことはあっても、乳がメールを書くなんて話は古今東西聞いたことがないのである。向田邦子だって、「父の詫び状」は書いても、「乳の詫び状」なんて書いてないのだ。おいおい大丈夫か?ATOK。


 「ATOKは悪くない」というご意見、多数頂きました。「乳”が”記事を書く」ことはなくとも、「乳”の”記事を書く」ことが多いのではないかとのご指摘…謹んで(特にATOKさまに)お詫び申し上げます。



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