2008-05-28[n年前へ]
2011-03-05[n年前へ]
■3Dバーチャルマネキンが立つ風景
展示ブースに3Dのコンピュータグラフィクスで映し出されたバーチャルマネキンがいて、まるでマジックのような素早さで「ブラジャーの生着替え」するさまに思わず見とれてしまいました。このマネキンの横にはスーツ姿のマネキンやトゥームレイダース姿のマネキン(右後ろには、何と坂本龍馬までいます…)がいて、どの3D CGマネキンにもなぜか目を惹かれてしまいます。
犬が犬に惹かれるように、街中を散歩する犬たちが互いを遠くからも見つけ出すように、やはり人も人に惹かれるものなのでしょうか。人の形をして人と同じように動くものが視界に入った瞬間は、誰しもその方向を意識してしまうのではないでしょうか。
道路を歩いているとき、工事をしていて片側一車線になっているような箇所には信号があったりしますし、時には、人が立って旗を振っていたりもします。
何年かの未来には、道路の工事現場には、3Dのコンピュータグラフィクスで描かれたバーチャルマネキンが立っていたりするのでしょうか。
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」と書いたのは、宮澤賢治です。未来の街に立つバーチャルマネキンを想像すると、なぜかそんな一節を思い出してしまいます。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ 雪ニモ、夏ノ暑サニモ負ケヌ 丈夫ナ体ヲ持チ 欲ハナク、決シテ怒ラズ イツモ静カニ笑ッテイル
この言葉の最後に、宮澤賢治は「ソウイウモノニ、私ハナリタイ」と書きました。バーチャルマネキンはそういう存在になることができそうに思えますが、人は果たして「そういうもの」になることができるものなのでしょうか。
そういうものになれない存在こそが人間で、そういうものに憧れるものこそが人間であるにも思われます。
2016-01-18[n年前へ]
■「坂本龍馬」の白黒写真を機械学習でカラフルに眺めてみよう!?
CNN(Convolution Neural Network)機械学習による自動彩色(Google発のtensorFlowで実装した Automatic Colorization)に、約150年前に撮影された江戸時代末期の土佐藩志士「坂本龍馬」の白黒写真を入力させてみました。その結果得られた画像は、カラフルで生き生きとした…けれど少し昔の青年の顔です。(添付画像は彩度を上げたもの)
色情報を全く含まないはずの白黒フィルムに焼き込まれた風景や人の姿を、今やカラフルに「それっぽく」眺めることも簡単な時代です。たとえば、歴史の教科書に載っていたような白黒写真で覚えた人たちや風景を、カラフルに眺めてみるのも面白いような気がします。
そしてまた、こうした機械学習による「自動彩色」の例を眺めていると(たとえば自動彩色した「七人の侍」など)、手作業で行う最適化の苦労なんて、もう20年近く前に終わったはずの20世紀に置いてこないとダメな過去の遺物なんだった…ということを強く意識させられます。