2005-04-30[n年前へ]
■「その日その日主義」
「ジャーナリズムの直訳(journalの語源はラテン語の「毎日」)は日々主義であり、その日その日主義である」で知られる寺田寅彦の言葉をもう一度眺めてみる。
「このようなただ一日を争う競争はまたジャーナリズムの不正確不真実を助長させるに有効であることもよく知られた事実である。他社を出し抜くためにあらゆる犠牲が払われ、結局は肝心の真実そのものまでが犠牲にされて惜しいとも思われないようである。事実の競争から出発して結果がうそ比べになるのは実に興味ある現象と言わなければならない」
2007-09-13[n年前へ]
■「理系」と「化けもの」
「それのどこが未踏なんですか?」という뿉떿쳤ꓤ죣좽꒬ꓞ꒹ꆣ人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。
宇宙は永久に怪異に満ちている。しかも、私は記憶力が悪い。だから、次に書く言葉も多分間違っている。そして、自分の都合の良いように、きっと書き換わっている。だから、きっと間違っていることが、次に続く。
あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。寺田寅彦の葬式で、誰かが「君はとても孤独な人だった」というようなことを言った。
化け物の出入りする世界は科学の世界である。今では、寺田寅彦が書いた随筆をたくさん簡単に読むことができる。青空文庫でも、それ以外の場所でも、たくさん読むことができる。
化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。けれど、寺田寅彦を書いた随筆を辿ることは、この瞬間の青空文庫からは、まだできない。
それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。そんな随筆を辿ると、寺田寅彦が書く科学の書物や芸術の書物の中に寺田寅彦が見ていた景色、人によってはそれを化け物と呼ぶだろう景色が浮かび上がってくる。そんなものを化け物と呼ぶ人もいるだろうし、人によってはそれを人生と呼ぶこともあるだろう。あるいは、人によっては、それが"世界"だと言うかもしれない。
あらゆる科学の書物は同時にまた芸術の世界でもある。「根っからの理系人間を自認する人には使えない言葉」でも「定量的に評価不能じゃないですか」と突っ込まれる表現でも、きっと社会や人生は根っからの理系世界でも定量的に評価可能な世界でもない世界にはそんな見方・現し方ことふさわしい。だから、
ぼくが恰好悪いと感じるだけで作る理由としては充分じゃないですか。だから、他の何の誰かの名前を借りた理由も頼るわけでなく「ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか」という言葉はシンプル、かつ、綺麗に響く。たぶん、これ以上綺麗なものはない。それを、他の何の誰かの名前を借りて表現しようとした途端、綺麗でなくなるように思う。
ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか。他の何の名前も借りず、他の何のルールも借りず、自分自身の言葉で書く「ぼくが恰好悪いと感じる」ということ、その正しさは、本当にシンプルで綺麗に響く。それを、社会が追いかけるかどうかは別にしても、その言葉は、本当にシンプルに綺麗に響く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。そして、その人の中の真実でしかない「人の記憶・人の過去や経験」は自分の都合の良いように変わり、そして新たな未来が形作られて行く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。人の未来は、人が作る。
2008-01-12[n年前へ]
2008-04-25[n年前へ]
■「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描く
複素平面"complex plane"は、複素数"complex number"の実部をx軸(実軸=real axis)・虚部をy軸(虚軸 = imaginary axis)にプロットしたものである。3+2iという複素数であればxy平面にx=3,y=2にを示す、そんな平面が複素平面だ(iは虚数単位=2乗した時に-1になる数である)。
『「仕事」と「趣味」を2次元マップで1分以内に描け』言われたら、あなたならどう描くだろう?(同世代の)"Schemeを愛するプログラマ"が描いた「趣味と仕事の関係を描いた2次元チャート」を眺め、ふと私も「仕事」と「趣味」のイメージを2次元マップに描いてみたくなった。
趣味を訊かれるといつもちょっと困る。私には趣味と仕事の違いがよくわからないからだ。
Shiro Kawai
人によって「仕事」と「趣味」というものの捉え方は違うだろうけれども、できる限り一般的に「仕事」と「趣味」という領域を2つの軸上に配置させるとしたら、どのように「仕事」と「趣味」を描くだろう?そんなことを「クイズの回答者になった気分で」描いてみたら、それは「複素平面」だった。(その人自身に対する)実利的・物質的でまさにリアルな"Real axis"と、イメージ的な「心の軸」を示す"Imaginary axis"というまさに実軸・虚軸で表現された複素平面である。
この複素平面の縦軸(の上方向)は、自分の心を豊かにする軸と捉えることができるだろう。「虚」という文字よりは、"Imaginary"という文字で捉えたい「(その人自身の)心の満足」を示す軸、である。
そして、横軸(の右方向)は、その人自身を実利的に満足させる軸である。しかし、その自分への「実利」という軸は、実は他人が何らかの形で価値を感じたことを示す軸でもあると思う。なぜなら、その「実利」は「他者が得た価値」が回りまわって流れてきたものに違いないからである。他人が得た満足が姿を変えたものであるから、である。つまり、この複素平面の横軸は「自分への実利」を示す軸であると同時に「他者を豊かにする軸」なのである。
ひとことでまとめてしまえば、この複素平面は「本人(自分)の満足」と「他人の満足」という2つの軸で形作られる平面なのだ。
'Cause we are living in a material world. You know that we are living in a material world.
Madonna "Material Girl"
その人ごとに「仕事」と「趣味」の位置づけがあると思う。どんな軸を使って、どんな風に「仕事」と「趣味」を捉えるかは、みなそれぞれ違うはずだ、と思う。「自分の中で辛さを感じながら、実利を得る仕事」もあれば(右下の象限)、「自分自身の楽しさとともに実利を得る仕事」もあるはずだ(右上の象限)。そして、さらに言うならば、同じ仕事であったとしても、その仕事がどこに位置するかは、人それぞれ異なっているだろう、と思う。そして、同じ一人の人がする同じ仕事であったとしても、きっと「その捉え方」「その座標」は変化し・移動していくものだろう、と信じている。
俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界を組み立てる。虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世界である。二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。
寺田寅彦 「無題六十四」
もしも、上に描いた複素平面="Complex plane"、それを言い換えれば言葉通りの「複雑極まりない世界」の上に、今のあなたが抱えているだろう「仕事」と、あなたが楽しんでいるかもしれない「趣味」は、どんなXY座標上にプロットされるだろうか。"複雑極まりない"複素平面上に、あなたはどんな軌跡を描いているだろうか。