2009-01-14[n年前へ]
■作家と技法
いま、技法と書きましたが、いわゆる識者と呼ばれる人種は、この言葉を毛嫌いするようです。(中略)彼らは<作家の思想が技法を選ばせる>という切実な事実を知らないのです。もっというと、技法こそ作家の思想の結晶なのです。(中略)書芸術においては、作家の思想は魂の底で暴れ狂っている”なにものか”であって、それに名付けたり、それを言葉にしたりできるような代物ではありません。その暴れ狂っている”なにものか”を表現可能なものにするために、作家は技法という回線を敷き、その回線を通じて、その”なにものか”を自分の外へ採り出すのです。そこでわれわれ観客・読者は、作家と逆の操作を行う必要があります。作家の駆使する技法という回線を逆に辿って彼の魂の底へ降り立つわけです。このとき、われわれは観客・読者としての実力を問われます。つまり自分に思想のない人間に限って、つまり自分に思想のない人間に限って、技法という回線を辿り損ねて作家の魂の底に降り立つことができず、つい、「おもしろいけれど思想の浅さは否めない」などと口走ってしまうのです。
井上ひさし 「野田秀樹の三大技法」
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