2009-10-27[n年前へ]
■「数学」と離れた世界で読む「新鮮な数学の世界」
3人の主人公たちの目と考えを経由して、数学の世界を私たちに垣間見せてくれる、結城浩「数学ガール 」から。
世界に人間がたった二人しかいないなら、人間の悩みはずいぶん減るんじゃないだろうか。人間が多すぎるから、比べて落ち込んだり、争ったりするんじゃないだろうか。
ーじゃ≪世界に素数が二つだけなら≫という話をしよう
この本を読むのには、時間がかかった。「何か」へ辿りつくために、何段もの数式上を歩いて行く、その数式階段を納得しながら読むのに、とても時間がかかった。たとえば、「≪数列の国≫における「たたみ込み」は、≪母関数の国≫における積なのだ」という、「結果自体は(式を頭の中で展開してみれば)自明」なことでも、そこにたどり着くまでの数式が続く回廊を歩いていくのに時間がかかる。
何も見つからずに終わることも多いだろう。では、探すことは無駄かな?違う。探さなければ見つかるかどうか、わからない。やってみなければ、できるかどうか、わからない。…私たちは旅人だ。疲れることがあるかもしれない。道を間違うことがあるかもしれない。それでも、私たちは旅を続ける。
疲れたなら、休めばよい。道を間違えたなら、戻ればよい。-そのすべてが、私たちの旅なんだから。
読むのに時間がかかる…けれど、それでも「数列」と「母関数」…といったものを、頭に思い浮かべることもない生活を続けている中で読むこの本は、意外なほどに新鮮に感じた。
数学への≪あこがれ≫-それは、男の子が女の子に対して感じる気持ちと、どこか似ているような気がします。ところで、素敵なものが隠されているか、そうでないものが隠されているか…、それは最後の最後までわからないのではないか、と私は思う。それでも、「…≪あこがれ≫-それは…」の一文は、間違いなく真実だと確信する。
難しい数学の問題を解こうとする。なかなか答えは見つからない。手がかりすら見つからない。でも、その問題はなぜか魅力的で、忘れられない。何か素敵なものが隠されているに違いない。
2009-10-31[n年前へ]
■自分で納得するまで考える。それが大事だと僕は思っている
結城浩「数学ガール 」の「相加相乗の平均の関係」から。
「好きなことをしっかり追い求めていくと、本物と偽物を見分ける力も付いてくる。いつも大声を出している生徒や、賢いふりをする生徒がいる。きっとそういう人たちは、自己主張が好きで、プライドが大事なんだ。でも、自分の頭を使って考える習慣があって、本物の味わいを知っているなら、そんな自己主張は要らない。大声を出しても漸化式は解けない。賢いふりをしても方程式は解けない。誰からどう思われようと、誰から何と言われようと、自分で納得するまで考える。それが大事だと僕は思っている」
2009-11-20[n年前へ]
■ほんとうに大事なものを選び、それ以外は捨てる
結城浩「数学ガール/フェルマーの最終定理 」から。
「本質が同じかどうかは、抽象化しなければわからない。抽象-抜き出すというのは、本質以外を捨象-つまり捨てることだ。ほんとうに大事なものを選び、それ以外は捨てる」
この言葉が心に残ってしょうがない。「何かを表現する」というということは「何かを捨てる」ということだ。何かを捨てて何かを残し、その残した何かが「表現」となる。
「選ぶ」ということは「捨てる」ということとイコールだ。この恒等式を、とても切ないと感じる人もいれば、きっとそうでなく感じる人もいる。
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