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2005-06-06[n年前へ]

どんな「腸内菌」になりたい? 

 走り書き2005から、「必読」シリーズを読む。森山氏

 で。僕はそれで食べて行かなくちゃいけないライターなわけだから「理系の人がどこを面白がっているかについて書く」ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない、ということですかね。
という二年前の文章(及びその前後)に感銘を受ける。感銘のあまり、何回も繰り返し読んでみた。

 そういえば、「2ちゃんねる研究」が終了した頃、「新聞のニュースインデックス」に関して、こんな感想を書いた。文体が気に入らないので、ちょっと変えてみるとこんな感じになる。
 私は他人の褌は嫌いだ。他人が作ったニュースインデックスは少なくとも、他人のものに違いない。「他人の作ったニュースをたれ流しすることで商売したり」するのは実につまらないと思う。 もっとも、それが新聞社や記者のものかと問われれば、そもそも「そのニュースは誰のものか」ということを考えるべきだ、と思う。「他人の作った人生で商売をする」というのはどういうことなのか、もう少し考えて欲しい、と思う。 人間誰しも寄生虫なのだと思う。そんな寄生虫、あるいは、腸内菌にだって色々あるに違いない。どんな腸内菌になるかは、…その人次第だと思う。
 私は、話題の発端となったサイトは今回も読んでいない。だから、その、今日思ったことは、「『理系の人がどこを面白がっているかについて書く』ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない」という言葉から、「どんな腸内菌になるかは、その人次第」と思った時のことを思い出した、というだけである。

2005-09-11[n年前へ]

「経済学とはどういう学問ですか?」 

 Tech総研ブログに「経済学とはどういう学問ですか?」を書きました。
 そうえいば、おれカネゴン先生が「統計学」の本を書いたらさぞ人間くさい数学本ができるのだろう、と先日ふと思いました。もし、できれば【おれカネゴン】文体だったりしたら、最高に人間くさく崇高!?なものができるハズです。

2005-12-31[n年前へ]

今年作った「12のもの」 

  今年一年12ヶ月、その間に作ったものの中から「12のもの」を選び、下に並べてみました。

1.『坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一
  こうした努力の結果が、"坂村健"のイメージ検索結果 第一位に繋がりました。
2.『キース・ヘリング描く「崩れ落ちる男"orz"」
3.『(16才の頃)「知っておきたかったこと」
  『16才の頃、同じ高校一年生として 同じ高校 へ通っていた、 つまりは同窓生の Shiroさんなどを見ると、「自分は二十年の間に何もできなかったなぁ」とつくづく思う』という言葉は本当に心からそう思うのです。それは、その年月を経たからこそ、強くそう思うのです。
4.『【おれカネゴン文体】Wikiページ
  そういえば、〜【おれカネゴン】文体誕生とロック音楽史と福音書〜の項を書いたのも私自身でした。
5.『スライド・デザインにおける「上手と下手」
 「上手と下手」は「かみてとしもて」と「じょうずとへた」をかけてあります。
6.『「ピーターの法則」のまとめ資料
7.『「科学のブラ」が株式会社トリソプから新発売
  こんなエトセトラが、日本テレビの「生着替え」に繋がったわけですね。
8.『「未来の立体ディスプレイ」を作る
  これ、実際に眺めてみても結構面白いです。
9.『「心の中が見える装置」
  くだらないものですけれど、こういう「装置」って素晴らしいんじゃないのかな、と思うのです。
10.『「坂村健」が選挙に出馬!?
  こちらは、"坂村健"のイメージ検索結果 第二位です。
11.『ホルモンバランスで移り変わる女性の平均顔のフラッシュ
 生理周期で変化する女性の「平均顔」をFlashにしてみました。
12.『「ウォームビズ・カリキュレータ」
スラッシュドットへ行って、それが記事になってたりすると一瞬びっくりします。

2009-04-12[n年前へ]

読む人が真似をしたくなる江國香織の「作文術」 

 江國香織の文章は、本当に的確で、読んでいるととても気持ちが良くなる。文字をそのまま追っていくだけで、書いてあることが「すぅっと」頭の中に収まってくるし、それでいて何度読み直しても新鮮だ。

 江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、それを文章にした「十五歳の残像 」を読むと、そんな感覚をどの頁・どの行からも感じることができる。たとえば、 「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」ならこうだ。

 理屈では説明できないこと、というのがある。とても簡単なことなのに――――とても簡単なことだから、と言うべきかもしれないが――――、説明はできない。
 たとえば。
 わかります、と、私は思わず声を大きくしてしまう。一体何がわかったのか、どうわかったのか、はよくわからないままに。
 なんの理屈も説明もなく、ただすとんと胸におちてくる。
 江國香織の文章には、とてもわかりやすく納得させられてしまう。そして、不思議に心地よい。

 江國香織の文章の恐ろしいところは、彼女の書いたものをよむと、その江国香織の「文の調子」「文体」を無意識のうちに真似しようとしてしまうことだと思う。もちろん、そんなことは誰にもできない、のだけれど。



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