2005-05-02[n年前へ]
■第179回 鉄道総研月例発表会「最近の車両技術」
5月18日(水)の13:30〜16:55に新宿の工学院大学3F 312号教室で開催される、「最近の車両関係の研究開発」「次世代振子制御システムの開発」「側面衝突時の車体変形特性評価」といった辺りの報告がある第179回 鉄道総研月例発表会「最近の車両技術」.
2008-06-14[n年前へ]
■続・秋葉原という街で
秋葉原の事件が起こって、もうすぐ一週間が経つ。その一週間の間に、出張帰りに現場で少し佇んだ。昔はよく通った町、秋葉原で倒れた人たちのことを少し考えた。
あるいは、彼と同じように、同じようなコースを東名高速を車で走り、秋葉原に行った。そういえば、秋葉原で、ビル荒らしと間違われ職務質問に合い、結構長い時間、鞄の中身からポケットの中身までボディチェックもされたこともある。静岡 裾野インター近くの会社に通勤する人の行列や、バスを待ちの行列の前を通る朝が多い。だから、もしかしたら、彼とすれ違ったこともあるかもしれない。
東浩紀という学者が、この件について書いた文章を読んだり、語る言葉を聞いた。「秋葉原という場所」を選んだ理由についてこの人が書く解説は、不必要に長く・小難しい言葉を使い、そして肝心なことから目を逸らしているように感じた。
感じた「肝心なこと」を一言でいえば、「彼」にとっての「秋葉原」は「自分に似た人がいる街」だったのだろう、ということに尽きる。自分をわかってくれる人がいるかもしれない街、そして、自分と同じような「弱い」人たちが歩いている街、だと感じていたのではないだろうと、そんな奇妙な確信がある。
渋谷のセンター街には疎外感を感じ、センター街を歩く人たちを倒す自信もなく、ましてや、新宿 歌舞伎町に突っ込んだ日には、逆にドス(小型の刀)で一発で倒されそうにも感じ、だから、そういった場所を意識上で選択肢としても考えることがなかったのではないか、と思っている。結局のところ、「秋葉原」は『自分に似た「弱い」人がいる街』だろうと「彼」は感じていたのだろう、と思っている。
このカッコ付きの「弱い」ということ「自分(それは逆に他人への認識と表裏一体である)」ということを掘り返していないように感じる評論には、「肝心なことから目を逸らしている」という印象を受ける。不必要に長く・小難しい言葉を重ねれば読み物にはなるかもしれないが、行動には繋がらない、と私は思う。
2008-07-15[n年前へ]
■「爆乳比率」と「舞台裏」と「想像力」
こんなことを聞いた。
「”爆乳”と言えるような女性が昔より増えてますよ」そこで、「女優さんのスカウト」にどのくらい時間がかかるものなのかを聞いてみた。頭の中で想像していたのは「新宿駅前で丸一日立って、スカウトし続けますよ」といったようなものだった。けれど、想像とはその答えの軸は全然違っていた。
「もちろん、絶対数はやはり少ないですけれどね」
たとえば、明日、○×県に期待している人がいるので、スカウトしに行きます。驚いた。答えは、人が集まる場所で何時間スカウトをする、というような時間軸の話ではなかった。東京から数百キロ以上離れた遠くまで、そんな空間軸の向こうにスカウトの相手が一人いる、のである。想像のスケールと、現実のスケールがあまりに違っていること、そのスケールの「軸」すら違っていることに本当に驚いた。
「想像力に限りはない」という。それは確かに本当だと思う。「たくさんの人々の想像力には限りはない」だろうと思っている。しかし、明らかに「一人の想像力」には限りがある。、たとえば自分自身の想像力を考えてみれば、近くの小さな公園より、さらに小さいような気がする。
「数百キロの彼方の一人に会いに行く一日」という現実を聞いた瞬間に、「新宿駅前の雑踏で一日」といった自分の想像が「小さいなぁ…」と思わされたのだった。
2011-05-23[n年前へ]
■「高尾」から「新宿」まで歩く中央線寝袋の旅!?
横浜 六角橋商店街の闇市で、ミニコミ誌を大人買いしました。狭い路地で地面に並べられた本の中から買ったのは、「本と酒と俺」「恋と童貞」「野宿野郎」という三種の神器ならぬ、3つのミニコミ誌でした。
西八王子駅は(「野宿野郎」の)編集長の青春だった。学生時代をここに近いキャンパスで過ごした彼女は…
六角橋商店街の闇市では、ただ「ミニコミ誌を買った」というだけではありませんでした。そのミニコミ誌の中の一冊、「野宿野郎」というものに至っては「ここにある全巻下さい」という究極の大人買いをしてしまったのです。
日野駅は少し胸が痛くなる場所だった。
なぜ、そんな大人買いをしてしまったかといえば、…その「野宿野郎」は小さな文字でたくさんのことがみっちり書き込まれていて、内容の「密度」が限りなく高いように思われたからです。絶対、「失敗した、と思わない」確信が持てたからです。
立川駅で休憩をとることにした。
その予想は合っていて、3号の「山手線始発から終電まで20周」は心躍らされ・その無意味さにワクワクさせらたり、頁の隙間に書かれた「小説の引用」に魅入られたり、あるいは、その全体を貫く無鉄砲さに憧れたりさせられました。
武蔵境駅を過ぎ、三鷹駅前の陸橋が見えてみた。
今日、感動したのは、野宿野郎がウォーキングが趣味な一般人(?)を惑わして、「高尾」から「新宿」まで、寝袋をまといながら歩く(たまに野宿しつつ)旅をする、という挑戦です。なぜ感動したかと言うと、日常眺める社会と、少し外れた視界から見た世界が、実に自然にシェイクされていたからです。
こんな「世界」を紡ぎ続ける人たちは、一体どんな無限大のパワーを持ち続けているのだろう?と、思います。もしかしたら、闇市に並べた本を前に路上に溶け込んでいた人が、そんな本を作る人だったのだろうか、とも考えます。そして、その存在感に圧倒されたからこそ、財布を逆さにして「大人買い」をしたに違いないと考えます。
中央線っていうからには、東京駅が始発だったりしませんかね。
よく、文明から離れた場所には貴重なものが残っている・価値観のモノサシが残っている、と聴くように思います。…だとしたら、ミニコミ誌の作り手はそんな「貴重な未来まで残り続けるガラパゴス諸島」だったりするのかもしれません。
えっ、わたし(中央線って)新宿が始発だとばかり思っていました。早く言って下さいよ。これから東京まで歩きましょう!
いやです。
2018-03-11[n年前へ]
■「耳飾りの少女」の時代の「イヤリング(ピアス)の穴」の開け方のナゾ
フェルメール「真珠の耳飾りの少女(かつては、青いターバンの少女と呼ばれていた絵画)」が …実は「耳飾りは真珠じゃない」というのは、わりと知られた話です。それは丸い真珠ではなくて、ティアドロップ型の人工材料を使った、当時流行の、耳飾りだという話です。
この絵画に関する修復経緯の解説本"Vermeer in het licht"を読み直していると、1904年当時の写真(右上冒頭の写真にある左上部分)では、耳飾りが球形ではなくティアドロップ型であることが明らかに見てとれます。耳飾りの輪郭も、反射光を描いたハイライトも、耳から垂れた「水滴」のような形状をしています。
そこで、現在の画像データでも、たとえば一般に公開されていて誰でも眺めることができる(比較的低品質な)画像データでも、そのさまを眺めることができるかどうか確認してみました。…すると、普通に公開されている「低解像度で階調数が少ない画像」でも、「少女」の耳飾りは球形ではなくてティアドロップ形であることがわかります(画像をクリックして眺めてみて下さい)。1904年当時の姿ほどわかりやすくはありませんが、それでも耳飾りの上部が上へと伸びていることが見てとれます。
そして、それだけはなくて、耳から飾りが薄い繊維かなにかでぶらさがっているようすも見えてきます。少女の耳たぶには穴が開いていて、どうやら、そこに耳飾りがかけられているようです。
16世紀から17世紀にかけて、耳に穴を空けるピアス式のイヤリングが流行ったといいます。一体どんな風に穴を開けたのか、どんな耳飾りをしていたのか、当初の本題(少女の耳飾りはどんなものか)から離れて調べて見たくなります。