2002-10-16[n年前へ]
■「役に立たない」「役に立つ」 朝日新聞社説
今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。 朝日新聞社説
from 日々の雑記帳 2002/10/11(リンク)
2002-11-19[n年前へ]
■「幸福はさまざまだが、不幸は驚くほど一様である」
朝日新聞「天声人語」。最後の一説。「アンナ・カレーニナ」の書き出しと違い「現代ならば」こうだろう、という言葉。
2002-11-26[n年前へ]
■日の出から日の入りまで
を今日は眺めてました。
色んな景色を眺めながら、色んなことを考える。日の出や、朝日に照らされる高架の上の新幹線や、朝日にたなびく煙突の煙を眺めたりする。雨が上がった後の水たまりに映る空を眺めてみたりする。
少し歩けばたどり着けそうな、虹の橋桁を眺めて、後ろを振り返ると富士山が雲の間から顔を出している。
2002-12-08[n年前へ]
■私の視点
今日の朝日新聞の「私の視点」 「北朝鮮報道を考える」特集なのだけれど、つまりは「報道とは何か」という話を四人の人が語っている。四人は筑紫哲也、西岡力、大林宣彦、サム・ジェーソンだ。大林宣彦とサム・ジェーソンの語る話は特に私の興味を惹いた。筑紫哲也が書いていたのは必ず出てくる「戦場で取材中にそばで兵士が傷ついたら取材をするか兵士を救うか」という話だった。鳥越俊太郎もテレビでこれを熱く語っていたのを見たが、短い文字であるいは短い時間で語っているせいなのかあまりに逡巡が無く、あまりに薄っぺらく響くのである。その正しい答えがあるわけじゃいけれど悩みながらもどちらかを選ぶ、という逡巡が伝わってこない。
知人が記者になって「歓迎されない家に話を聞きに行く」というのはやっぱりつらいよ、と話すのを聞きながら、歓迎されない家に話を聞きに行くことを躊躇しない人が一流の記者なのかもしれないけれど、それはちょっと何だかイヤだな、とも思った。先の筑紫哲也の話で言えば、躊躇する気持ちとそれでも取材をする気持ちの両方を語って欲しいと思ったのだった。
大林宣彦は記者と「記事の客観・主観性」「記者・読者の署名性」などについての話を書いていた。それを読んでいて、先の知人から大林宣彦の話や新聞記事の記者の署名についてなどの色んな話をしていたことをぼんやり思い出したのだけれど、書くのはまたいつかにしようかな。
2003-01-19[n年前へ]
■タイガー・ウッズの秘密
今日の朝日新聞の夕刊に、ミウラ折りの三浦公亮氏が「日本機械学会誌」1月号にタイガー・ウッズの飛距離の秘密を分析した結果を報告という記事。その秘密は、「ボールをミートする寸前に左腕を体に引きつける」こと。そのようにして腕の回転の支点位置を引き上げることで、パラメータ励振によりヘッドのスピードをアップさせているのだろう、という分析。
つまりはブランコと同じってことか。朝日新聞の例えは今ひとつ判りにくいかな。やはりここは、それは胸を揺さぶるオッパイ星人のパラメータ励振と同じとまで言って欲しいものなのである。