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2008-11-09[n年前へ]

ケータイ版「雑誌DE流行マップ」 

ファッション雑誌を適当につらつら読んで、世間の流行=ファッションなどを少し眺めてみよう、という「雑誌DE流行マップ Lite」ケータイ版を仕立ててみました。URL は http://www.hirax.net/fashions/mobile/titles.html (右のQRコード)です。

 小悪魔 ageha の最新号の紹介文なんかを読んでみると、

 みんなの兄弟姉妹ってどんな人!?ー新事実発見・age嬢の53%がおねーちゃんだった!!
なんていう「新事実」が書かれていたりして、東スポ的な語り口がとても新鮮で楽しめます。

 あるいは、「好奇心(モバイル用リンク)」なんていう言葉が載っているのはどんな雑誌・・・?という風に好奇心を持って眺めてみるのも面白いかもしれません。「流行」から遠い人ほど、「流行」を知らない人ほど興味深く感じられるのかもしれない、と思ったりするのです。

ケータイ版「雑誌DE流行マップ」






2010-03-05[n年前へ]

ハッキリ言って『スカ』な「xx年代の正体」 

 中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の「バブル期のテレビ番組」から。

 1990年、別冊宝島は『80年代の正体!』を出版し、「それはハッキリ言って『スカ』だった」と、その文化状況をばっさり切り捨てた。
 では90年代はどうだったのか。(中略)ばっさり切り捨てるほどの文化もない。
 では、ミレニアム'00年代の文化はどうだろうか。現在の文化、'10年代の文化はどうなっていくだろうか。

 もしかしたら、「つねに、方法論で逃げていただけであり、そこには実体がなく、結局は流行の奴隷になっただけだ」という『スカ』な『80年代の正体』と同じなのかもしれない。あるいは、この「同じ」ことは、その分量は変化するかもしれないが、いつの時代にもあることなのかもしれない。

2011-02-11[n年前へ]

35〜50歳の87パーセントが「スカートめくり」経験がある!? 

 男性の93パーセントは「ボールペン型釣り竿」が欲しくてたまらないの「ポケットに入れて持ち歩くことができる!?釣り竿」を眺めていると、小学生だった頃のともだちの顔を思い出しました。なぜかと言えば、・・・その頃、みんなの知恵を結集して秘密道具「スカートめくり機」を開発したことがあり、それがまさにこんな形をしていたからです。竿のしなりを応用することや、糸の間に取り付けた複数の重りによる連成運動を考え、あーでもない、こーでもない、と改良を続け、近所の公園の練習をしたりしたことを思い出したのです。

 そういえば、「スカートめくり」なんていう言葉をずっと忘れていたような気がします。ためしに、ググってみると、

 スカートめくりとは女性・女子の穿いているスカートを不意・計画的にめくりあげて、下着を露出させる行為である。1960年代から1980年代にかけて、幼稚園児から高校生までの児童(男子と女子の双方)の間で流行した。
Wikipediaがアンサイクロペディア風の説明をしています(アンサイクロペディアの説明はこちら)。そうか、あれは「1960年代から1980年代にかけての」流行だったのかと、その時代にランドセルを背負っていた頃を思い出しながら、考えたのです。

 1960年代から1980年代にかけて小学生くらいだった人たちというと、生まれた年が1960年〜1975年くらいということになるでしょうか。2011年の今年には35〜50歳くらいになっている人たちです。その人たちは、「スカートめくり」大流行のビッグウェーブを体験した世代なのです。

 hirax.net 調べでは、35〜50歳の”スカートめくり”黄金世代=”スカートめくり”ゴールデンエイジの実に87パーセントが「スカートめくり」経験があります。そんな世代の人たちは、「携帯ペン型釣り竿 」をポケットに入れない方が良いのかもしれません。携帯ペン型釣り竿ならぬ、携帯ペン型スカートめくり機と勘違いして・されてしまう恐れもありますから・・・ね。

2012-05-08[n年前へ]

「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しない 

 「マシなインターネットを作る:malaさんインタビュー

 物事が複雑になると、人は読みたいようにしか読まないし、都合の良いように捉えて、そのまま伝搬しちゃう。

 そうですよね。…だから、というわけではないですが、最後の部分、

 すでにインターネットが社会の意思決定システムとして利用されているわけで、人々の意思が正しく反映されるよう、技術者が真剣に考えてサポートしていかなければいけない。
 …本当は間違った情報は修正されるようなシステムを自分で作らなきゃいけない。
の「人々の意思が正しく反映されるよう」と「間違った情報は修正されるようなシステム」は、違う方向を向いていて、それらは矛盾し・相容れないものではないかのか…と強く感じます。「人々の意志」が好み・欲するものを正しく反映したもの…つまり流行るものと、「”正しい”情報」というものは、果たして相容れるものだろうか?…と疑問に思うのです。

 そういえば、「”分数もできない大学生”のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?」という実に曖昧な質問を、先生に聞いてみたことがあります。その時、言われた「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」という言葉を思い出しました。人々の意思が正しく反映されたもの、「バブル」のように多くの人を動かし「流行る」もの…と、「”正しい”情報」とは重ねがたいものではないか、と考えたりします。

 「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しないのではないかと思います。そしてまた、”正しい”…って「そもそもどんなことなんだろう?」と、首をかしげたりもするのです。

2012-05-16[n年前へ]

最近のつぶやきから:「好きなこと」や「流行るもの」や「正しいもの」など 

 「Google 辞めました」を読んで、ふと思い出した格言(?)は「好きなこと(趣味)は”仕事”にしないほうがいい」

4:07 PM - 12 May 12
 「好きなことは仕事にしないほうがいい」…けれど、好きなこと・実現したいことに向けて起業し・時に人を雇い、そして、また(自分とは違う人の)「好きなことは仕事にしないほうがいい」の振り出しに戻るんだろうか。

8:21 PM - 12 May 12
 日経BPデザインの「見えないデザイン」記事ではないが、「それっぽい(あたかも)論理であるかのように見える(人に感じさせる)理由」と「人の感情に(何かしら)訴える物語のようなロマン」が足されたものは流行(はや)る。

8:09 AM - 11 May 12
 「見えないもの」を「目に見えるようにする/具現化する」こと無しに書く記事は、「物語」「オカルト」だよね。

9:23 AM - 19 May 12
 もしも「流行る」ものを「修正する」というシステムを作ろうとするなら、自分なら、どんな風に考えるだろう? 流行る・修正するをイコールPosi/Nega フィードバックと考えると、それらは(感覚的には)とても両立しそうにない。修正する=Negative FBでなく「正しいものを面白く・流行らせる」Positiveフィード・フォワード・システムを作ることを目的にするべきだろうか?

 いや、それでは、狭くて上手くない…。そんなPositiveフィード・フォワード・システムがフィードするものよりも、広い世界には、もっとずっと自然に・強く流行るだろうもの・人の心を惹きつけるものがある…。

10 May
 「間違った情報が修正されるシステム」を作るなら「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を、観測器が適時修正するというシステムで、(この短文ですら何度も登場する)”正しさ”は、結局のところ、人それぞれ/各自が独立に持つというものにしようか。

9:28 AM - 19 May 12
 多数の人が共有する、「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を観測器が適時修正するというシステムを作ろうとしても、それは「現状(ありとあらゆる現状技術のメディア)そのまま」だろう。

9:35 AM - 19 May 12
 各自が独立に判断をして、あるいは行動モデルを作り、その取捨選択が生存(拡大)確率を決めた結果、「正しさ」の精度が高められていくのだろうか。…だとしたら、「保証・サポート」が充実している世界・システム下では、(それらが無くならない限り)「正しさ」は手に入らないのかもしれない。

9:39 AM - 19 May 12
 不安に飲み込まれないためには・負けないためにはどうすればいい?…「不安は(を)人間で解消しちゃいけない。それは避けた方がいい。それは逃げ道だ」…モノは人にいつも答えてくれるけれど、人間は違うから、自分の不安を解消する術を他人(ひと)に向けてはいけない ・・・という名言。

 …大高洋夫をゲストに迎えた「鴻上尚史と里田まいのサンデーオトナラボ(2011年08月07日)」の25 分前後から。

8:18 PM - 10 May 12



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