hirax.net::Keywords::「現在」のブログ



2010-01-08[n年前へ]

”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」 

 ほとんどすべての本で、単行本と文庫版の間には、あとがきの部分に大きな違いがある。単行本ではあとがきがないが文庫版ではある、というものも多い。また、その逆に、単行本では長い解説がついていたりすることもある。だから、単行本と文庫本の両方を読んでみると、新鮮に感じることがある。

 北村薫の「街の灯 (単行本) 」には、田中博による、「北村薫論」と「北村薫スペシャル・インタビュー」が掲載されている。このスペシャル・インタビューが、良い。

(昭和初期を舞台とした「リセット 」「街の灯」に関して)
北村薫:その時代の人には結局、”今”は見えないもんだなと。われわれの時代にしても、五十年経って、どう評価されるのかなんて分かりませんよね。どんなに頭のいい人でも”今”っていうことは評価はできないだろう。それなら、別のかたちで”今”を書いてみたらどうかという気持ちもありますね。
(「街の灯」の続編はあるのですか?という問いに対して)
 一応、予定として、この人はこうなるというのは、ぼやっとは浮かんでいるんですがね。一番最後の場面、ベッキーさんの言う台詞もわかっています。
 シリーズ最後の「鷺と雪 」で、ベッキーさん(別宮さん)は登場人物2人に、それぞれある「ひとこと」を言う。一人は、その言葉を聴き「護符をいただいたかのような表情で、そっと頷き」、もう一人は、「この言葉を胸に刻んでおこう」と思う。

 これらの小説は、昭和初期という舞台上に、”今”という瞬間が描かれている。だから、小説に登場する登場人物たちは、”今”を生きる私たち自身である。

 この、”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」に、少しばかり、目を通してみるのも良いと思う。

2010-01-12[n年前へ]

過去のブログ記事追加スクリプト書きました 

 昔書いた記事を拾い直し・整形し直すスクリプトを書いたので、それらの記事を順次このサイトに統合していこうと思います。5年ほど前に科学技術について思いつくままに書いたこと、当たるも八卦当たらぬも八卦、で書いた記事を順序などは適当に入れ替えつつ追加していきます。

 まずは、「クールビズ」と「大便所1個と小便所2個の法則」からスタートです。

2010-02-21[n年前へ]

賢明になるほど、腰低く他人から学ぶ 

 過去を、そして遥か未来を見通した、イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンの言葉から。”ベーコンは当時としては先駆的な思想であったが、研究者たちに聖書の原典の言葉、ギリシア語、ヘブライ語を学ぶことを求めた。

 人々が賢明になればなるほど、ますます、彼らは腰を低くして、他人から学ぼうとする。

ロジャー・ベーコン (Roger Bacon

2010-03-04[n年前へ]

「過去」と「現在」と「未来」の景色 (初出:2005年09月03日) 

 昨日、ニューオーリンズで以前撮影した写真を眺めてみました。ハリケーン"Katrina"「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで、「カトリーナ」に襲われる前の過去に眺めた綺麗な景色を見てみました。

 「カトリーナ」の傷跡が復興するまでの長い間、ニューオーリンズの「現在の景色」と「過去の景色」を、Google Mapで眺めることができました。眺めるための機能がつけられていました。

 過去の上空から撮影されたニューオーリンズのスーパードームや、あるいは、("Katrina"という赤い部分を押すことで眺められる)崩れ落ちかけたスーパードームのようすを見ることができました。

 天井が剥がれおち、ずいぶんと荒れてしまった街が見え、そして、そこからさらに離れた地域は、それよりもっと大変な状態であることもわかりました。

 この地図を提供していたGoogleの開発者たちは、被災したニューオーリンズの状況を、その地にいる人たちのことを考え心配している人たちに(あるいはそれ以外の人たちにも)知らせたくて、こんな機能追加を(驚くべき速さで)急遽行ったのでしょう。

 「過去の景色」と「現在の景色」を、眺めいていると、色々なことが見えてくるに違いありません。赤字を背景にした"Katrina"「カトリーナ」という文字から、そんな時間を追って変化する景色が見えてくるような気がします。

 もちろん、そこからは、過去や現在の先にある復興した未来の姿も見えてくるはずです。

2010-03-24[n年前へ]

「贈る言葉」 

昭和の中頃を描いた、西岸良平の「三丁目の夕日」は、もうずっと昔の物語なのだろう、と読む人は誰しも思うのではないだろうか。それなら、「3年B組金八先生」はどうだろう。それも、やはり、昭和の中頃を描いたずっと昔の物語なのだろうか。

 1979年の10月26日から、翌年の春先までの期間、半年にも満たない期間に放映されたのが「3年B組金八先生」だ(第1シリーズ)。その短い期間に、どれだけ密度の高いものが詰まっているように感じたろうか。どれだけの気持ちを感じたろうか。

 「我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。そのために諸君は今、受験勉強をやっているわけです。もし東大に入って大蔵省の官僚になれる人がいたら、人間の本当の幸せのために1万円でも多く予算をぶんどってきなさい。大工さんになる者は家族たちの笑い声がいつも絶えないような、そんな素晴らしい家を作ってください。(中略)そしてこの川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか本当の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女たちがいることをお前たちは忘れるな。

3年B組金八先生 第1シリーズ 「第十六話」

 ふと…考える。もう、ずっと昔に「3年B組金八先生」は、前世紀の古い物語になってしまっていたのかもしれない。21世紀になって、すでに十年以上が経っている。時代が「平成」という名前になってから、すでに二十年以上過ぎている。あんな「贈る言葉」を、もう古く感じる時代になっているのだろうか。

 戦後が一段落して、これからバブルが来るっていう第2シリーズの頃が、一番いい時代だったのかもしれないね。

「”≠腐ったミカン”加藤優」を演じた「直江喜一」



■Powered by yagm.net