hirax.net::Keywords::「現実」のブログ



2008-01-14[n年前へ]

影のない日 

 厚い雲に覆われて、影が全くない日。奇妙な非現実的な景色に見える。

影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日影のない日






2008-01-21[n年前へ]

「水に濡れた白服が透ける理由」と「白色顔料の歴史」 

 「なぜ白い服は水に濡れるだけであんなにも透けるようになるのか考えてみた」という日記を読んだ。着目点は素晴らしいのだけれど、残念ながら正解には辿りつけていなかった。リンク先に書いてある考察通りであれば、正面から眺めた白服はスケスケの透明に見えてしまうことになる。しかし、現実にはそうではない。


図解 図解  まず、白服が透けずに「白色・照明光色」に見える理由は、白服を形作る「繊維」と「空気」の屈折率が異なることにより、白い服(を形作る繊維)の中に進入した光が散乱し、(その下に到達せずに)白服から出てくる光が多くなるからである。繊維と空気では、屈折率が1.5程度と1.0と大きく異なるため、繊維・空気の境界で光が反射・屈折を繰り返すのだ。


図解 図解  しかし、白い服が水に濡れたときには、状況が異なってくる。水の屈折率が1.3強であるため、繊維と水の間の屈折率差が小さくなり、繊維と空気の間で反射・屈折があまり生じなくなってくる。その結果、照明光が白い服をそのまま通過して、服の下に到達・反射した後に、また白い服を透けて外に出てくる…ということになる。


 だから、屈折率が1.5程度であるサラダオイル、つまり繊維と同じ程度の屈折率の液体を白い服に振りかけてみれば、白い服がスケスケ透明服に大変身してしまうことになる。だから、そうなっては困る白い水着などでは、繊維を中空にすることで、水に水着が浸かっても繊維中に空気と繊維の境界が保持されることで光を散乱させたり、あるいは、水より屈折率がさらに高い白色顔料を繊維中に混ぜることで、光が繊維中で散乱するように工夫するのである。



 ところで、たとえば油絵を考えたとき、顔料は油に包まれていることになる。青や赤といった「色をつけるための顔料」ならば、必ずしも顔料と油の間で反射・散乱などは生じなくても良い。それどころか、顔料と油の屈折率が近いほうが都合が良いことが多い。そこで、顔料を包み込む媒体として、(色顔料と同じ程度の)屈折率が高いものが徐々に使われるようになった。


 しかし、白色顔料の立場から考えてみると、これはマズイ事態である。なにしろ、顔料と油の間で反射・散乱を繰り返さなければ、「白色」が生じないからである。そういうわけで、ずっと昔には屈折率1.5程度の白色顔料も使われていたが、現在では屈折率が2.7ほどもある酸化チタンなどが白色顔料として使われることが多い。


 …というのが、「水に濡れた白服が透ける理由」から「白色顔料の歴史」も透けて見えてくる、という話である。ふと目にする色々なものは、すべて繋がっている…という、そんな話だ。残念ながら、水に濡れた白服を目にしたことはないのだが。

図解図解図解図解






2008-03-25[n年前へ]

「ひょっこりひょうたん島」に上陸する 

 「我入道」で書いた大山巌の別荘跡は「ひょっこりひょうたん島」の浜辺にある。海辺に位置する牛臥山は、少し昔はれっきとした島だったのだけれど、その牛臥山の地形はひょっこりひょうたん島の地形にそっくりだ。だから、ひょうたん島資料館を、牛臥山近くに作ろうというプロジェクトすらあるくらいだ。

 いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。
   「我入道」

 少し前、大山巌の別荘跡を守る「陸に浮かぶ孤島」の牛臥山に登ってみた。古い神社の横(あまりに定番の場所だ)にひっそりと、定期的に人が歩いているように見える道があって、その草木が折られている箇所を登っていくと、ひょっこりひょうたん島ならぬ牛臥山のてっぺんにたどり着いた。地面近くの草に足をひっかけて転んでしまうと、何だか数十メートルくらい滑落してしまいそうな感じだった。

 頂上近くから「大山巌の別荘跡」を見ると、そこは普通の公園になっていた。まだ、どの入口も封鎖されているから、「毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない場所」ではあるのだけれど、けれど、かつてのような不思議な場所・歴史の中のエアーポケットに遺失物として置かれたままになっている場所とは違ってしまっている。

大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。
   「我入道」

 しばらくすれば、我入道にある「大山巌の別荘跡」は、交通標識に沿っていけば、迷わず誰でも行くことができる場所になる。あるいは、干潮時の岸壁沿いを通ってたどり着いたとしても、そこには「普通の整備された公園」があるだけだ。

 我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。
   「我入道」
 最初から最後までアスファルトで整備されているような「ルート」があるのかどうかは、幸か不幸か知らない。けれど、もしもそんなルートが現実にあったとしたら、それは単に鋳造されたポインタのない「線路」に過ぎなのかもしれない、とも思う。鋳造された線路と、先の見えない獣道のどちらがいいのかは、わからないけれども。

牛臥山牛臥山牛臥山






2008-04-06[n年前へ]

「銀スクラッチ」と印刷の「見当違い」 

 小学一年生 四月号の冒頭は、「人気もの 入学おいわい! 4大ぎんはがし」というプレゼントコーナーだった。きらりん☆レボリューション / 恐竜キング / たまごっち / ポケモン という4大人気者を題材にした、銀スクラッチを使ったプレゼント特集である。イラストの中に、12~15個程度「銀スクラッチ」で隠された部分があって、そのうちの8割くらい(たとえば、10個程度の部分)の銀スクラッチをセロハンテープで剥し、「あたり」が多く出ればプレゼントに応募することができるのだ。

 こういった「銀スクラッチ」は、後ろから強い光を中てると「(銀スクラッチの下に隠されている)こたえ」が浮かび上がって見えるものが多い。この小学一年生 四月号のプレゼントクイズの場合も、やはり後ろから光をあてると、答えが透けて見えてくる。右の画像は、きらりん☆レボリューション のイラストを白色LEDで背後から照らすことで、「あたり」と「はずれ」を透かし見た場合である。朱色インクで印刷された「あたり」と藍色インクで印刷された「はずれ」という文字が、やはり浮かび上がって見えることがわかる。  また、右の画像は、恐竜キング の場合である。やはり「(あたりを示す)ディノテクターのイラスト」と「はずれ ×」の違いを明瞭に見て取ることができている。それは、他の2つの たまごっち / ポケモン クイズでも同じである。


 そんな風に、強い光などを使って「銀スクラッチ」の下にあるものを見ることができるわけだが、小学一年生 四月号の「銀スクラッチ」プレゼントクイズの場合は、そんなことをするまでもなく、実はこたえがわかるのだった。通常印刷部分と銀スクラッチの印刷がズレてしまい、位置が合っていないのである。つまり、「見当違い(何色も色を使う版画で「色合わせ」するための印を「見当」と呼ぶ)」なのである。だから、右の画像のように「あたりを印刷した朱色インク」と「はずれを印刷した藍色インク」が見えてしまっているのである。

 しかし、実はこんな銀スクラッチの「見当違い」が、わざと行われているものだったりすると面白い。「小学一年生」たちに、考える力・想像する力を付けさせるために、正統派ミステリの「読者へのヒント」のごとく、わざわざ「見当違い」を行っていたとしたら…とても面白いと思う(もちろん、そんなことは現実にはないのだろうが)。

小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ小学一年生四月号の銀スクラッチ






2008-04-09[n年前へ]

「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」 

 「ホワイトボード」に「ラクガキ」をするで書いたように、小さなホワイトボードと色ペンをいつも持ち歩いています。大きなかばんには大きなホワイトボード、小さなバックパックには小さなホワイトボードが入れているのです。また、(もしも「白い板」だけをホワイトボードと言うのなら)さらにホワイトボードではないものも持ち歩いています。その一つが、透明なボード(透明下敷きに特殊加工シートを貼ったもの)です。

僕は考える。
そしてペンを持つ。
思いついたままノートに、
らくがきしてみる。
  ウルフルズ「大丈夫」

 といっても、実際のところ、この「透明なボード」はあまり役に立ちません。数少ない「役に立つ」場合のまず一つ目は「デッサン力がない人が、目の前の景色をスケッチしたい」という状況です。透明なボードを目の前の景色に重ねて、目に映る景色をボードに上にトレーシングするだけで、誰でも簡単に遠近・透視法ばっちりのスケッチを1・2分で描くことができるわけです。「どんな感じ」かは、下に張り付けた動画を眺めてみれば、きっとわかることでしょう。

 左の上の動画は、現実の景色に「スケッチをした透明プラスチックボードを重ねてみたもの」ですから。”現実に人工の描画を重ねた”一種の「MR=Mixed Reality(複合現実)」と言うこともできるかもしれません。以前作った、「マンガの「吹き出し」型ホワイトボード」(他人や自分の心の中にあるイメージ・言葉を描き出すことだってできる優れものです)も、人力複合現実を使ったマンガ的コミュニケーション・システムです。

 人力複合現実(MR)を描きながら、最先端技術を超原始的手作業で実現してみたり、超原始的作業を高度な技術を使ってマネしてみたりするのも楽しいのかな、とふと思ったのです。

誰もが胸にしあわせな世界の
イメージを描いて暮らす。
うまくはいかなくても、
まずは一歩ずつ。
答えはひとつじゃないから
  ウルフルズ「大丈夫」

ラクガキラクガキラクガキラクガキラクガキ








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