2009-11-27[n年前へ]
■NEWS今昔物語「人と言葉」編 (初出2004年4月00日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
「人と人と間の理解」は容易に見える時もあれば、不可能に感じる時もあります。そんな人にはできない不可能なことは確かにある。けれど、それでも、「人の可能性」は無限大だと思います。この言葉は「矛盾」してしまっていますが、そんなことを思います。
顧客が本当に必要だったもの
「顧客が本当に必要だったもの」という数コマの風刺絵がある。誰が最初に描いたのかはわからないが、顧客に依頼されたプロジェクトに誤解や間違いが溢れていく様子が、面白くも的確に描かれている。
興味深いのが、古そうな版に描かれた内容と新しく描かれただろう版の内容の違いだ。かつて「顧客に納入したもの"AS INSTALLED AT THE USER SITE"」より現在の「実装された運用」の方がなぜか悲惨だったり、「営業」や「サポート」が増えることでさらに誤解が増えていたりもする。一体、どうしたら人は上手く理解し合うことができるのだろうか?
常識外れの人たちに出会いたい
ラジコンで曲芸飛行をする人たちがいる。どの操縦の腕も人間業とは思えないが、特にAlan Szabo Jr.が操縦するラジコンヘリの動きには目を疑う。何が起こっているのかを最初は理解できないほどだ。
「人間業とは思えない」といえば、Michael Angelo Batio(http://www.angelo.com/)のギターの速弾きもスゴかった。ギターを弾く(指ではなく!)腕の動きが早すぎて見えないのだから。こんな常識はずれの人たちに出会うと、人間が持つ能力の高さ・可能性を再認識できるはず。
好きな「ことば」でつくる砂時計
忙しいこの時期、時間に追われたり言葉を並べることに疲れたりしたときには、好きな「ことば」で砂時計を作る「ことばの砂時計 / kotosuna」を眺めてみよう。まるで不思議なカレンダーのように、いろんな人たちが作った新しい砂時計が刻々と並んでいく。 「思いついたことば」や「他の誰かのことば」を、桜の花びらのように砂時計の中で散らせてみよう。長い言葉なら、ことばの山が積み上がる。短いことばなら、思いのとおりに並ぶかもしれない。そして、ときには思ってもみなかったもっと「少し素敵なことば」に変わるかもしれない。
2010-06-26[n年前へ]
■人が世界を描写する時に必ず現れる「歪みや矛盾や食い違い」
「長い文章を書くということ」から。
一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。「長い文章を書く」ということを考えるとき、文章の構造や展開はむろん欠かせない重要なことです。しかし、その底に流れるだろう一番重要で深い問題を考えに入れなければ、いけないのかもしれないとも、思うことがあります。
ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って広いものを描き出そうとすると、途端に色んな「食い違い」や「ほころび」や「矛盾」といったものが見えてきます。
一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。
それらの歪みや矛盾というのは、対象物の複雑さをそのまま映し出したものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というもの自身なのかも知れません。あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める私たち自分自身の中にある・生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。
それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。
2011-10-16[n年前へ]
■『広い世界が持つ矛盾」や「役に立たない?役に立つ?」
今日の「n年前へ」から。
ひとこととで書くコメントは、非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。…それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、と思います。
今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。
朝日新聞社説
2013-02-04[n年前へ]
■ほこ×たて!超高輝度ライト v.s. 絶対透けないスクラッチ!
アタリやハズレといった情報が銀色のコーティングで覆われていて、そのコーティングをコインなどではがすことでアタリかハズレか?がわかる「スクラッチカード」は、後ろから強い光を当てることで、コーティングの下に隠されている文字が読み取られてしまうことも多いものです。
「高輝度ライトでも透けません!」と謳った「HI セキュリティ 銀スクラッチカード」を見かけました(右下写真)。…もしも、凄まじく明るい超高輝度ライトで、この絶対透けない銀スクラッチカードを後ろから照らしたらどうなるのだろう?と思います。
「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」がもしも戦ったなら一体どっちが勝つか?にワクワクさせられるように、超々高輝度ライトと超高度セキュリティな銀スクラッチカードが互いに戦ったとしたら、アタリとハズレは果たして透けて見えるか・見えないのか…戦いの結果は一体どうなるのでしょうか?
…というわけで、超々高輝度ライトと超高度セキュリティな銀スクラッチカードを軽くスパーリングさせてみた結果、今日の練習試合・プレマッチの限りは、「超高度セキュリティな銀スクラッチカード」に軍配が上がりました。銀スクラッチの下に隠されたQRコード、そのパターンを読み取ることは(高輝度ライトで背面から照らしてみても)読み取ることはできませんでした。
2013-09-25[n年前へ]
■「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」
鉄道のホームには「ここから先にはいかないで下さいね」という黄線が引かれています。ホームで列車を待つ時は、その黄線より内側にいなければなりません。それが黄線が示す「ルール」です。
そんなルールを念頭に置いた上で、東急東横線の菊名駅のホームに立ち渋谷側寄りに歩いて行くと、そこにはまさに「矛盾」が立ちはだかります。ホーム端部はとても狭くなり、ホーム両端に引かれた2本の黄線が…いつの間にか1本に合体してしまうのです。黄線を境にして、どちらが外側なんだか内側なんだかわかりません。というか、もう、どちら側の両側も全部が全部「外側」です。
ホーム上の黄線が、そこより(ホームの)先には立ってはダメよ!というメッセージを伝えるサインだったとしたら、ホーム上に1本の黄線だけが延びていたならば、「その黄線上に立ち続ける」ことしか許されなくなります。…とか、黄線の上を歩きながら黄線の上を眺めていると、こんなフレーズを思い出しました。「好きな女の子にラブレターを書いたら、”(あなたは)友だち以上でも、友だち以下でもありません”という返事が返ってきた。…ボクって、つまり何?存在し得ない存在ってこと?」
ホームの黄線の上を、サーカスの綱渡りのように歩きつつ、そんな言葉を思い出します。