hirax.net::Keywords::「秋葉原」のブログ

2007-07-17[n年前へ]

電気通信科学館と走れコウタロー

 大手町にあった電気通信科学館は、なぜか科学技術の楽しさに満ちていた。すぐ近く、秋葉原の外れ神田にあった交通博物館が、とてもつもなくレトロな昭和の空気を吐き出し(といっても、当時は昭和も真っ盛りだったのだが)、やはり近い上野にある国立科学博物館が、昭和どころか大正時代の匂いすら感じさせる古臭さだったのに、電気通信科学館は未来の世界を眺めることができたような気がする。
 from n年前へ.

 20年位前、東京駅近く大手町に電気通信科学館があった。他の科学館と違って、不思議に「科学と夢と芸術」の空気に満ちていたような気がする。 だけど、残念なことに日本電信電話公社がNTTに姿を変えた頃電気通信科学館は消えた。そして、残っているのはあの黒いビルだけだ。
 さあ、最後の直線コースに入った。ああ、コウタローがでてきた。コウタロー速い。コウタロー速い。トップのホタルノヒカリが逃げきるか、コウタローかホタルノヒカリ、ホタルノヒカリかマドノユキ、あけてぞけさは別れゆく。

2008-06-08[n年前へ]

秋葉原という街で

 秋葉原に行くようになったのは、三十年くらい前。国際ラジオのような店の前で色んな部品を眺め、役に立ちそうにない汚い部品の数々に、わけもなくワクワクした。何の部品も半田付けもされていないapple][のコンパチ基盤をロビン電子で眺め、武田鉄矢が笑う(けれど、間違っても武田鉄矢が使いそうにはない)「マイコン」を抱えるポスターを眺め、タダの緑茶自販機で喉を潤したりしながら、一日秋葉原で過ごす週末も多かった。

 そういえば、マイコンの宣伝ポスターで笑うのは、高倉健や斉藤由紀や……なぜかみんなマイコンを使いそうにない芸能人ばかり、だったような気がする。あれは、一体なぜだったのだろうか。

2008-06-14[n年前へ]

続・秋葉原という街で

 秋葉原の事件が起こって、もうすぐ一週間が経つ。その一週間の間に、出張帰りに現場で少し佇んだ。昔はよく通った町、秋葉原で倒れた人たちのことを少し考えた。

 あるいは、彼と同じように、同じようなコースを東名高速を車で走り、秋葉原に行った。そういえば、秋葉原で、ビル荒らしと間違われ職務質問に合い、結構長い時間、鞄の中身からポケットの中身までボディチェックもされたこともある。静岡 裾野インター近くの会社に通勤する人の行列や、バスを待ちの行列の前を通る朝が多い。だから、もしかしたら、彼とすれ違ったこともあるかもしれない。

 東浩紀という学者が、この件について書いた文章を読んだり、語る言葉を聞いた。「秋葉原という場所」を選んだ理由についてこの人が書く解説は、不必要に長く・小難しい言葉を使い、そして肝心なことから目を逸らしているように感じた。

 感じた「肝心なこと」を一言でいえば、「彼」にとっての「秋葉原」は「自分に似た人がいる街」だったのだろう、ということに尽きる。自分をわかってくれる人がいるかもしれない街、そして、自分と同じような「弱い」人たちが歩いている街、だと感じていたのではないだろうと、そんな奇妙な確信がある。

 渋谷のセンター街には疎外感を感じ、センター街を歩く人たちを倒す自信もなく、ましてや、新宿 歌舞伎町に突っ込んだ日には、逆にドス(小型の刀)で一発で倒されそうにも感じ、だから、そういった場所を意識上で選択肢としても考えることがなかったのではないか、と思っている。結局のところ、「秋葉原」は『自分に似た「弱い」人がいる街』だろうと「彼」は感じていたのだろう、と思っている。

このカッコ付きの「弱い」ということ「自分(それは逆に他人への認識と表裏一体である)」ということを掘り返していないように感じる評論には、「肝心なことから目を逸らしている」という印象を受ける。不必要に長く・小難しい言葉を重ねれば読み物にはなるかもしれないが、行動には繋がらない、と私は思う。

秋葉原






2008-12-18[n年前へ]

「刺激的ニュースの寿命」

 堀井憲一郎 「ホリイのずんずん調査」 671 「刺激的ニュースの寿命」

 ゲリラ豪雨という単語がリアルに使われたのが8月以降であることがわかる。(その後)遡って過去の雨もゲリラ豪雨と名付けられたのだ。
 歴史はうっすらとわかりやすいように塗り替えられていく。
 秋葉原がトップニュースだったのは6日間。それから7日は地震報道がトップになった。
 つまり、おれたちは、どんな大きなニュースでも、他人事であるかぎり一週間で消費してしまう、ということなのだ。
 ニュースは情報だから頭の中で処理される。頭の中は7日間で飽きる、ということだ。そういう21世紀を生きている。